魔女化する病

にのみや朱乃

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7. これからのこと

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 ホテルでシャワーの熱い湯を浴びながら、天翔は考えていた。

 魔女化する病を治すことができたとしても、もう自分たちに行き場はないのではないだろうか。一般人の世界では両親を殺めた罪に問われ、魔女の世界では先程の魔女警察を殺めた罪に問われてしまうのではないだろうか。そうなれば、自分たちはどちらの世界でも犯罪者扱いであり、逃げ続ける日々を送らなければならないのではないだろうか。

 今は悠未と二人で逃げ延びることができている。では、魔女化する病が進行した後、残された自分はどうやって逃げるのだろうか。魔女化する病の進行を抑えなければ、やがて自分の身にも問題が降りかかってくるのではないか。

 これはもう、悠未だけの問題ではない。天翔は自身のためにも悠未の病を治さなければならない。悠未が発狂してしまうよりも早く、真実の愛を見つけなければならない。

 そうして、天翔の意識はまた真実の愛に向く。答えの出ない問いだった。魔女警察でさえも存在を否定するほど、真実の愛は見つからないのだ。魔女が知らないものを、いったいどうやって自分たちが見つければよいのだろうか。そんなもの、やはり存在しないのではないか。

 自分が真実の愛を与えることができたらよいのに。天翔はそう考えたが、無理だと否定する。

 天翔には愛が何なのかわからなかった。周りは恋だ愛だと騒いでいるのに、天翔にはその感情が全く理解できなかったのだ。物語を読んでも、恋愛ドラマを見ても、共感することはなかった。誰かを恋い慕う気持ちというのが天翔の中にはないのだ。天翔にとって、愛とは独占欲と嫉妬の塊であり、悪いイメージしか持っていなかった。だからこそ、真実の愛と言われてもどんなものなのか想像することさえできなかった。

 自分以外の誰かから、真実の愛を手に入れる。しかし、一般人にも魔女にも追われる立場で、どうやって?

 天翔はいつもそこで考えるのを諦める。方法が見つからないのだ。もはや自分以外の誰かと安全に接触することさえできないのだから。

 天翔がバスルームから出ると、先にシャワーを浴びてルームウェアに着替えていた悠未が出迎えてくれた。

「おかえり、てんちゃん。ごはん温めるね」
「ああ、ただいま」
「また難しい顔してる。あんまり考え事ばっかりしてるとシワが増えちゃうよ?」

 悠未はコンビニエンスストアで買ってきていたおにぎりや弁当を魔法で温める。もはや魔法を自由自在に扱えるようになっているのだ。これは、魔女化する病が進行しているということの表れなのかもしれない。

「何考えてたの? てんちゃん、考え事が多いよ」
「何も考えてないお前が羨ましいよ、俺は」

「あ、馬鹿扱いしたでしょ? わたしだって考えることくらいあるもん」
「なんだよ。お前もちゃんと考えてるのか?」
「考えてるよ。どこに行ったら逃げられるかなあとか、どこだったらてんちゃんと静かに暮らせるかなあとか、わたしだって考えてますー」

 意外だった。悠未は何も考えていないと思っていた。悠未はまだ旅行気分が抜けていないものと考えていたが、そうではなかったようだ。天翔は自分の考えを改めた。

 どうせなら悠未の意見も聞いてみよう。天翔はそう思って悠未に尋ねた。

「どこだったら静かに暮らせると思う?」
「やっぱり山奥だと思うの。だから、こんな都心部じゃなくて、もっと郊外に行くほうがいいんじゃないかなあって」
「ずっと野宿するのか?」
「空き家が見つかればいいじゃん。あとは魔法でどうにでもなるよ」

 天翔は、悠未が自分を励ましているようにも感じた。魔法でどうにかできるのだから、そんなに心配しないでほしい。悠未は言外にそう含めているように思えた。

 もう魔法なしでは生きていけないのだ。天翔はまたそれを思い知らされた。逃げるにも、暮らすにも、魔法の力がなければ成り立たない。いっそ、自分も魔法が使えたらいいのに。

 天翔は悠未と向かい合うように一人掛けのソファに座った。まずは、食事だ。こんな状況でも腹は減ってしまう。空腹の状態では良い考えも浮かばないだろう。

「いただきまーす」「いただきます」

 二人で声を揃えて、おにぎりに手を伸ばす。包装を剥きながら、天翔は悠未に聞いた。

「魔法で食べ物は出せねえのか?」
「無理っぽい。お金は複製できたけど、おにぎりはできなかったの」
「ふうん。何の違いがあるんだろうな」

 天翔はまた考える。そうなると食事の問題は魔法で解決できないことになる。買い物に行くというリスクは覚悟しなければならないということだ。魔法も万能ではないようだ。

「てんちゃん、このおにぎりおいしいよ。海老マヨ」

 悠未の声が天翔を思考の海から引っ張り出す。悠未がおにぎりを差し出していた。

「へえ。まあ、マヨネーズ入れときゃだいたいおいしくなるだろ」
「そうかも。一口食べてみない?」
「じゃあ、食べるよ。さんきゅ」

 天翔は悠未からおにぎりを受け取り、一口頬張る。悪くない味だった。悠未が褒めるのも頷ける。

「確かにおいしかった」
「でしょー? 選んだのわたしだよ、褒めて褒めて」

 悠未が仔犬のように思えて、天翔は表情を崩した。久々に笑ったような気がした。

「すごい。えらい。よくやった」
「なぁんか適当じゃない? 心がこもってないよ」
「そうか? 俺はちゃんと褒めたつもりだ」
「そうかなあ。あっ、撫でてくれてもいいんだよ?」
「飯食い終わったらな。いくらでも撫でてやるよ」

 そんなことで悠未が満たされるのなら、満足するまでやってやろうと思った。天翔には、撫でるという行為の価値も、悠未が嬉しそうな顔をした理由もわからなかった。

「明日はどうするの? またこの辺でホテル探す?」
「いや、郊外に行こう。悠未の言う通りだと思う。先を見据えたら、郊外で空き家を探すほうがいいかもしれねえ」
「そっか。いい家あるといいね」
「そうだな。放置されてて、そんなにボロボロじゃない家があるといいけど」

 そんなに都合よく見つかることはないだろうと天翔は思っている。結局は空き家を転々とすることになるような気がしていた。誰の手も入らない空き家など、そう簡単には見つからないだろう。

「大丈夫、きっと見つかるよ。ちょっと汚くても魔法で綺麗にできるしね」

 悠未は楽観的で、魔法を使えばどうにかなると思っているようだった。その能天気とも言える思考が羨ましかった。

「あっ、そうそう、烏に探してもらえばいいんだよ。わたしたちが移動してる間に、いい家を探してもらえばいいじゃん」
「そんなことできるのか?」
「うーん、できるんじゃないかなあ? やってみよう」

 悠未はおもむろに立ち上がり、窓を開けた。少し冷えた風が入り込んでくる。

 それからすぐに黒い塊がするりと窓から入ってきた。小さな烏だった。烏はテレビの上に留まり、かあ、と一声鳴いた。悠未が天翔の傍に座り、天翔の手を握ると、天翔にも烏の声が聞こえてくる。

「魔女様、騎士様、何か御用でしょうか」
「あのね、空き家を探してほしいの。あまり人が来なさそうなところで」
「潜伏先を見つけろということですね。承知しました」

 烏がすんなりと承諾したことに、天翔は驚きを隠せなかった。
「できるのか?」
「はい。できるだけ早くご報告できるように、手の空いている他の烏にも手伝わせます」
「ありがと。できたら住みやすいところがいいなあ」
「承知しました。微力を尽くします」

 悠未が贅沢を言っても、烏は否定しなかった。もしかしたら既に候補が挙がっているのかもしれなかった。

「では、家探しに参ります」
「待ってくれ。聞きたいことがある」

 天翔は飛び立とうとした烏を呼び止めた。烏はいったん羽を広げたものの、再び閉じる。

「何でしょうか、騎士様」
「悠未の病は進行しているのか、教えてほしい。本当にこのままだと狂ってしまうのか?」

 烏は漆黒の双眸で天翔を凝視した。烏が答えるまで、少し時間があった。

「病は確実に進行しています。早く、真実の愛を見つけてください」
「どうすればいい? どうすれば、進行を遅らせることができる?」

 天翔は真実の愛を見つけるまでの期限を少しでも延ばしたかった。そのためには、魔女化する病の進行を遅らせなければならない。その方法があるのなら知っておきたかった。

 烏はまたしばらく沈黙して、今度は悠未のほうを見た。

「最も進行を早める行為は、魔法で他者を傷つけることです。魔女様も、今日は病が進行した自覚がおありなのでは?」

 悠未は答えなかった。天翔の手を握る力が弱まった気がして、天翔は悠未の手を握った。烏の声が聞こえなくなってしまうのを恐れた。

「どうなんだよ、悠未。魔女化する病は進行したのか?」

 天翔が重ねて問うと、ようやく悠未はぽつりと呟いた。

「たぶんね」
「実感があるのか?」

「昨日よりも魔法の使い方のイメージが湧くようになったの。昨日よりもたくさんの魔法を使えるようになったと思う。それが、病の進行なんでしょ?」
「昨日よりも魔女に近づいたということでしょう。魔女様が他の魔女を殺してしまったから」

 やはり殺してはいけなかったのだ。止めるべきだったのだ。天翔は後悔の念に押し潰されそうになった。あの魔女を殺さなければ、魔女化する病は進行しなかったはずなのに。

 天翔とは異なり、悠未は落ち着いていた。まるで最初から知っていたかのようだった。

「病の進行を抑えるには、他者を傷つけてはいけません。他者を殺してしまえば、魔女化する病は急速に進行するでしょう」
「うぅん、そう言われてもねぇ。逃げるためなら仕方なくない?」

 悠未は否定的な立場だった。病の進行を軽んじているのかもしれなかった。

「殺さずに足止めする魔法はないのかよ?」
「あるかもしれないけど、あんまりイメージできないの。ぱっと思いついた魔法だと、今日みたいに殺すことになっちゃう」

「じゃあ、魔法を使わずに逃げるしかないのか」
「そんなの無理だよ、向こうは魔法を使ってくるのに。普通の警察ならいいかもしれないけど」
「魔女に見つかったら殺すしかないってことかよ? なあ、都合のいい魔法はないのか?」

 天翔は烏に意見を求めた。烏なら良い魔法を知っているのではないかと期待していたが、その期待は簡単に打ち破られた。

「烏は魔法を知りません。あるとも、ないとも、答えかねます」
「じゃあ、悠未が頑張ってイメージするしかねえよ。殺さずに逃げられる魔法を」
「わかった。次は殺さないように頑張るね」

 悠未はあまり得心していないようだった。この場を切り抜けるために、渋々そう言っているように見えた。

 天翔は悠未との温度差を感じずにはいられなかった。悠未は魔女化する病の進行を抑える気がないのだろうか。いずれ狂ってしまうと言われているのに、恐怖心は微塵も感じられない。むしろ魔法が使えるようになって便利になったと喜んでいるようだ。天翔だけが、この病と戦おうとしている。天翔の力ではどうにもできないのに。

「魔女様。今日の一件で魔女警察が動き出しています。お気をつけて」

「追ってくるってことか?」
「もとより追われる立場でしたが、魔女様を確保するため部隊が組まれたようです。近いうちに接触してくることでしょう」
「そっか。わかった、ありがと」
「では、私は家探しに参ります。良いご報告ができるよう努めます」

 烏は黒々とした翼を広げ、窓から出ていった。悠未が窓を閉めると、部屋の中に静寂が戻ってくる。
 悠未はテーブルの上にある手付かずの弁当を見て、微笑んだ。

「あ、ご飯の途中だったね。ごめんね、てんちゃん」
「いや、いい。そんなことよりも、もう誰も殺さないようにしてくれ」
「……うん。そうだね。頑張る」

 小さな声でそう言ったかと思うと、悠未はいきなり天翔の上に座った。

「どーん!」
「なんだよ、重いだろ。どけよ」
「元気出してよ、てんちゃん。大丈夫、なんとかなるよ」

 何を根拠にそう言うのだろう。天翔はその疑問が拭えず、何も応えなかった。

「さあさあ、ご飯の続きだよ。食べさせてあげよっか?」

 悠未の明るい声が眩しかった。自然と天翔の頬も緩む。

「子どもでも爺さんでもねえよ。とりあえずどけよ、食えねえだろ」
「やだ。ぎゅってして」

 唐突に悠未は甘えたような声を出した。言われるままに、天翔は悠未の身体を後ろから抱きしめる。柔らかい、小さな身体だった。

「これでいいか?」
「ん、いい感じ。これでご飯食べられたらなあ」

 この行為に悠未は何を求めているのだろう。寂しいのだろうか。天翔はそんなことを考えながら、悠未の細身を抱いていた。

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