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第一部 五章 秘めたる邪悪な灯火
蹂躙
しおりを挟む何が起きたのか目前で見ていたレミとサトリも含めて全員が理解出来ずにいた。
ずっと邪遠から目を離していなかったエビルや、警戒を切らしていなかったセイムでさえも状況についていけない。特に前者は邪遠が視界から一瞬で消え去ってしまったのだから。
倒れたサリーの胸から溢れる鮮血が茶色い地面と、数の少ない雑草を赤に染めていく。
同じように赤い球体を手にした邪遠は腰にある収納袋へと入れる。片手では落としそうなくらいの大きさであったため邪魔だったのだろう。
サトリは血だまりに伏せる妹の死骸を見開いた目で見下ろす。現実を認識したくないからか激しく揺れる瞳がやがて収まる。そして妹が殺されたという事実を呑み込んですぐ動き出す。
「よくもサリーをおおおおおおおおおおおがああっ!?」
錫杖を振りかぶって突撃したサトリは、逆に重い拳を顔面に受けて殴り飛ばされた。十五メートル以上回転しながらぶっ飛ばされた彼女は鼻血を垂れ流しながら失神してしまう。
「サトリ!? くっ!」
戦闘が始まったと理解したレミは両手を前に突き出して一メートル弱の火球を生成。サリーが脅威とみなしたそれを容赦なく、敵を焼き焦がすつもりで放つ。
常人なら大火傷を負うレベルの火球が邪遠へと迫り――手で払われて霧散した。
避けるならともかく、直撃して熱そうな素振りすら見せない邪遠にレミは驚愕の声を漏らす。
「程度が低い。……先程も見ていたが何だそれは? 秘術は使えば使うほどに強くなるというのに、貴様はおそらく使い始めて月日が浅いな。秘術使いには期待していたのにガッカリさせてくれる。……これなら次代の使い手に期待した方がよさそうだな」
膨大な殺気が邪遠から放出された。
ゆっくりと歩き出す彼はレミを殺す気だと誰もが理解する。だが理解したとして、エビル達が抵抗してもただの悪足掻きにしかならない。それほどの覆せない戦力差が存在している。
震えながら大鎌を持つセイムが歯を食いしばってようやく動く。
「〈デスドライブ〉……!」
赤黒いオーラを身に纏い、瞳が赤くなったセイムが突進して大鎌を振るう。
迫る凶器に邪遠は怯むことなく、大鎌の刃を左腕で出血することなく受け止めた。これには先程のレミと同様に驚かざるをえない。
大鎌の刃は金属製であるし大木も容易く切り裂く。さらに〈デスドライブ〉状態で振るえば、あの硬質なレッドスコルピオンの殻にも相当なダメージを与えられる。だというのにどんなに力を込めても邪遠の左腕は微動だにせず、灰色の薄皮一枚切り裂ける気配もない。
「ぐっうおおおおおおおおおおおおお!」
「死神の力の解放か、確かに強力だがこっちも練度が低い。鍛えればそれなりに強くなるだろうが俺達には敵わないな」
叫んでいるセイムの腹部に右拳がめり込んだ。
下から抉るような拳に体が浮いてしまい、真上へと振り抜かれたことによって空高く殴り飛ばされた。空中に放り出されたセイムは口から血を吐き出して落下する。拳の威力か、着地の衝撃か、どちらが原因にしろ彼から再び立ち上がる余力は消え去った。
再び歩き出す邪遠相手に未だレミとエビルは動けない。
しかしこのままだと殺されるのは明白。エビルは剣を構え直し、大鎌ですら斬れない皮膚を斬るために〈風刃〉を使用する。その緑光を纏い始めた剣ならば斬れると信じて。
『止めろ、前にも言っただろ!? あいつとは戦うな、戦おうとしなければ手出しされない! 死にてえのかお前は!』
準備してもエビルが動けないのは必死にシャドウが止めてくるせいでもあった。
異常なまでに、いや邪遠の強さを知っていれば当然なのかもしれないが、非常に強く恐怖している彼はまるで周囲に苛められた子供のようだった。そんな状態の彼の言葉をまるっきり無視するのもエビルは申し訳なく思う。
『逃げればいいさ。お前はリンクを切って一人で逃げればいい』
『リンクを切るのは時間がかかるんだ! あと二分、短いようで長い、その間に絶対お前ごと死んじまうだろうが! あんな女を助けるために死ぬなんてバカらしいと思わないか!?』
死すら繋がるリンク。シャドウは念のため、邪遠を目にした時から切ろうとしていたらしい。だがまだ不完全なため死の可能性は全く減っていない。
『レミを見捨てろっていうのか』
『そうだ見捨てればいいだろ! あんな女が何だっていうんだ!? 胸もない髪も短い可愛げもない怪力ででも雑魚で何てことないどこにでもいそうな弱者じゃねえか! 恋でもしたか!? それなら適当に似たような女を見繕ってやるから剣を下ろせ! 敵意を消せ!』
『……彼女は、太陽みたいな人だ。お前に故郷のみんなを殺されて傷ついた僕の心を、彼女は優しさで温めてくれた。もし彼女がいなかったら僕はいずれ憎しみに支配された復讐者になっていたかもしれない。秘術使いだとか、友達だとか、そういった要素抜きで感謝してもしきれない』
レミがいなければシャドウと二人きりの旅になっていた。憎い相手と長時間二人きりなど誰にとっても苦痛でしかない。やがて嫌で嫌でたまらなくなって我慢の限界がきた時、壮絶な殺し合いが繰り広げられていたことだろう。それで敵わないからとリンクを利用して、自殺することでシャドウの命を自分ごと絶つなんてことになりかねない。
村長には旅がしたいと言った。師匠からは旅をしろと言われた。
でもきっとそれは楽しいのが大前提のもので、常に負の感情が付き纏う旅路だと初めから知っていれば夢は違うものになっていたはずだ。
魔信教を討伐するなんて目的を掲げていたらどこかで楽しさが消えていく。憎しみに呑まれて、どこかで復讐鬼になってしまう。そんな旅で正気を保ち続けられたのはきっと一人じゃなかったから。レミと始められた旅だからここまでやれてきのだとエビルは思う。
砂漠の国で失いかけた時、彼女の大切さが嫌というほど身に染みた。
『僕は優しい彼女のことが好きなんだ。……だから』
『止めろおおおおおおおおおおおおおおお!』
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
二人分の叫びがエビルの体に響く。恐怖を和らげる。
レミへ歩いて行く邪遠へと駆けて、確かな敵意と殺意を持って剣を振るう。
先程の大鎌と同じく避けようとはせず、邪遠はその〈風刃〉をいとも簡単に両腕で受け止める。レッドスコルピオンをも切り裂いた剣でも彼の腕は斬れなかった。
必死に剣を振り下ろして力で斬ろうとするエビルに対し、邪遠は目を見開いて己を襲う剣を注視している。いや、正確には剣ではなく剣を覆う緑の淡い光を見ている。
秘術の影響で邪遠の感情がエビルに伝わる。それは戸惑い、罪悪感の二種。
「はあああああああああああああっ!」
叫んだのはレミだ。駆け出した彼女は火を纏った拳を振りかぶり、拳を突き出す前に邪遠に蹴り飛ばされた。
強烈な蹴りを腹部に受けた彼女は茶色い大地にバウンドすらせず、一気に遠くにあった岩へ直撃。岩を砕いてから地面に落ちて気絶してしまう。
「……エビル、貴様、なぜそれを使える?」
「秘術を使える理由なんて一つしかないでしょう、僕が今代の風の秘術使いだからです」
「何だと……? それは、ありえないはず……ありえるとすれば」
力押しではやはり無駄だと悟る。高速回転する風の刃なら普通腕ごと体が真っ二つになりそうなものだが、異常なほどに硬い肉体をしているらしく斬れそうにない。だからといって諦めるわけではなく、斬れないのなら叩けばいいのだ。刃物を鈍器として考えればダメージくらいはあるだろう。
腕で防御されてしまえばダメージは少ない。よってエビルが行うべきは連撃で防御を崩して直撃させることだと判断する。
素早く連撃を放つが邪遠はことごとく防御したり回避したりで、ダメージがほぼ与えられない。当たっている以上ノーダメージはありえないが似たようなものだ。
「……そういうことか、だから使えるのか。ふっ、面白い」
「面白がっていられるのは今のうちですよ!」
「少しは期待出来そうだ。風の方は合格としよう」
何かに納得した邪遠はそう告げて、エビルの腹部に拳を叩き込もうとする。
その攻撃を感じ取ったエビルは咄嗟に剣を防御に回して剣身で受ける。本来なら〈風刃〉に拳が直撃すれば拳の方がズタズタになるのだが、さすがというべきか邪遠はの拳は僅かに傷がつくだけでエビルを衝撃で十メートルほど後退させた。
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