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第一部 三章 死神の里
素直な気持ち
しおりを挟む暗闇に包まれた空間に一筋の白光が道となっている。
一歩でも踏み外せば闇の底に落ちてしまうような場所で褐色肌の少年は目を開けた。どこかは知らないが死神の里でないことは確かだと思う。
「ああ……ここ、どこだ? 俺は、確か、妙な野郎に蹴られて……」
黒髪褐色肌の少年、セイムは自分の体を見下ろす。
六つに割れた腹筋が露わになっている。それどころか自身の局部すら丸出しになっている。奇妙な状態に「何で裸なんだよ」と呟いて顔を上げると、目前には白い顎鬚を伸ばした猫背の老人が立っていた。
「ジジイ……? はっ、何だ。だとするとここは黄泉ってやつか? 随分と殺風景な場所じゃねえか。死んだ奴が全員通るってんならスレイの野郎も来てんのかねえ」
ちゃんと衣服を纏っている老人、シバルバは毒付きの刀で貫かれて死んだ。
死者がいる世界、黄泉だというのならシバルバがいるのも納得だ。セイムは薄ら笑いを浮かべて周囲を見渡す。
本当に暗闇でしかない。夜目が利くセイムが見ているのだから間違いない。ただの闇だけがあって他には存在していないのだ。自分達が立っている一筋の光だけが存在している奇妙な世界である。
「まあエビルやレミちゃんがいないだけでも良しとするか。まったく、あいつらお人好しにも程があるぜ。逃げちまえばよかったのによ。……っておい! どこ行くんだジジイ!」
再び前を見た時には、もう既にシバルバが十五メートルほど光の道を進んでいた。何も言わずに置いて行こうとしている彼にセイムは叫ぶ。
「おいどこへ行くっ!? 何だこりゃ、体が動かねえじゃねえか! おい待ておい! おいコラ! ふざけんじゃねえぞおい! 俺を置いてどっか行くんじゃねえよおおおお!」
何度も叫ぶがシバルバが止まる気配はない。
最後にセイムは大きく息を吸い込んで力一杯叫ぶ。
「行くなあああああああああああ!」
* * *
「いってええええええ!?」
セイムはガバッと白いベッドから起き上がった。
夢がどうだとか気にする余裕がないほどに体の節々が激痛を訴える。
「反動らしいわよ。アンタが使った秘技とやらのね」
セイムが痛みに悶えている途中、聞こえてきた冷静な声の主はレミだった。
見ればベッドの傍にある椅子に座って本を読んでいる。状況理解が遅れているセイムは右手で頭を押さえて問う。
「レミちゃん、ここはどこだ? あの後、どうなった?」
「アンタの部屋でしょうが。よく見なさいよ」
本を読みながら答えるレミの言う通り、見渡してみればセイム自身の部屋であった。特に遊び道具もなく、シバルバの家に保管されている本を持って来ては本棚に入れて好きな時に読んでいた。あまりすることがないから鍛錬は人一倍行ってきたつもりだ。
「あの後ってのはスレイが死んでからのこと? ぶっちゃけ生きていたことが幸運だってくらいヤバかったんだからね。ほんと死ぬかと思ったわ」
謎の男に蹴られたところまでは覚えているが、その後に目覚めたらベッドの上だ。こうしている以上生きているのは確かだが事情が分からない。
レミがそれから語った内容でその不明だった点を補完していく。
邪遠という男がスレイの上半身だけを持ち去っていったこと。
戦闘が終わった後で里の住人達が家から出て来て大慌てで手当てに動いたこと。
エビルとレミは怪我を負っていないので完全復活していること。セイムの場合は受けた傷と毒の多さのせいで体はズタボロなうえ、秘技〈デスドライブ〉の反動で筋肉痛になっていること。毒についてはレミが持っていたアランバートの秘薬を使用して完治したこと。
「そうだったのか。レミちゃんにはだいぶ世話になっちまったみたいだな。まさか俺なんかに秘薬なんてもんまで使っちまうとはよ」
解毒が遅れていれば真っ先にセイムは死んでいただろう。今度は夢ではなく本物の黄泉へと行ってしまう。まさにレミは命の恩人といえる。
笑みを浮かべて感謝していると、ふとおかしなことに気付く。
「……ん? そういやレミちゃん秘技の反動とやらは誰から聞いたんだ? そんなこと俺も他の大人たちも知らなかったはず……。ジジイから聞いたんだな? ジジイは生きてるんだな!? こうしちゃいられねえ!」
レミが〈デスドライブ〉の詳細を知っているはずがない。
少なくともセイムはそう思い、ベットから跳び下りて部屋を出て行く。背後から「ちょっと!」というレミの叫ぶ声が聞こえたが無視して走る。
階段を下りて一階に行ってみたが誰もいなかった。妙な静けさが気にかかるがシバルバを捜すことに夢中になっているので、そこまで疑問に思わず玄関へと歩いて行く。
「ジジイ! ……いねえ。一階にもいねえってことは外か?」
いないと分かり外に出るセイムだが――そこでは葬式が行われていた。
死神の里ではアランバートと同じく火葬が主な葬式方法だ。死者の体は速やかに灰にして、魂が体に戻るのを防ぐためと昔からの決まりである。今も里の民達が暗い表情で遺体を燃やしている。
(誰か、死んだのか……。くそっ……)
それはセイムもよく知っており、誰かが死んだことに悲しい気持ちになる。
死んだというのなら自分が守り切れなかったことに他ならない。残された家族の悲痛な表情が目に浮かぶようで顔を背けたくなった。しかし燃やされている死体を見て目が離せなくなった。
その死体は自分がよく知っている老人のもので、動揺し、冷静になろうとしても全く冷静になれない。目を見開いて凝視し続けて、それでも現実は受け入れたくなくて、気持ちが整理出来ないまま歩みを進める。
ゆっくりと歩いて行くセイムに気付いた者達は悲し気な目つきを向ける。
下唇を噛みしめながら無言で、セイムは葬式を進行している中年男性の元へと足を進めた。そして隣で立ち止まった。
葬式進行役であるサイズが隣を見て「セイム……」と覇気なく呟く。
「何で死んでもねえジジイを燃やしてる。いくら老人だからって生者を燃やすのは罰当たりだって……昔からの……決まりじゃねえか」
「……辛いだろうが現実だ。里長様は昨日お亡くなりになった」
大きく強く燃えている炎の中で、体が焦げていき悪臭を放ちながら朽ちていく。
サイズが事実を言葉にするとセイムは次第に俯いてしまい、何も言えずに膝から崩れ落ちた。瞳からは涙が溢れて地面に零れた。セイムはしばらくそこから動くことはなく、ただ身を丸めて静かに泣いていた。
葬式が終了した後、セイムは自分の家の屋根に登り座り込む。
何をするわけでもなくただ座ったまま里を眺める。他のことをする気力も湧いてこない。時間だけが過ぎていくような過ごし方をしていると、一人の少年が屋根の上に登ってくる。
布の衣服を纏い白いマフラーを首に巻いている。白髪で優しい顔立ちをした少年、エビルが「セイム」と悲劇を前にしたように歪んだ表情で歩み寄って来る。隣に座った彼を一瞥したセイムはもう一度里を眺めながら口を開く。
「エビル、お前の言った通りだったな」
人はいつ死ぬか分からない。たとえ死神だとしても変わらないとセイムは分かっていたはずだった。心ではきちんと理解しているつもりだった。
「まだ言えてねえんだよ。……素直になってればこんな思いしなくて済んだのにな。バカな奴だよ、俺ってほんとに……バカな奴さ」
「僕も……言えなかった言葉が沢山あったよ。それでも僕等は前を向かなければならない。屍を乗り越えていかなければならないんだ……」
「乗り越える、ね」
前を向かなければいけないことなどセイムも承知している。しかし辛い悲しいと心が脳に訴えていて、中々気持ちを切り替えられない。
誰かとの別れ際、何て言うのが正解なのだろうかとふと思う。
まあセイムの場合はシバルバと話すことすら出来なかったわけだが。仮に死に際で話が出来たとして、自分は果たして素直に気持ちを伝えられただろうか。また逃げて木々に八つ当たりするのがオチではないのか。今となっては無駄な思考だとそれらを頭から切り捨てる。
「さっきサイズさんって人がシバルバさんの墓を作っていたよ。僕は墓地を死者に語りかけることができる場所だと思ってる。君の想い、きっと今からでも伝えられるよ。だってそうでなきゃ誰も救われないもんね」
切り捨てたはずの思考がまた頭に戻って来る。
別れ際、というより死者へ送る言葉だろうが。仮に死者へ届くとしてセイムは何を言うべきだろうか。
「……いいな、その考え。俺はその考え……好きだぜ」
思い悩みながらセイムはその場を後にした。
向かうは里の墓場。セイムの両親のものもある広い場所だ。
墓地には今日作られた新しい墓石が古いものの横に並べられている。そして一番手前にある墓石には、第十八代目里長シバルバという名前が彫られている。
セイムはシバルバの墓石前に座り込んで薄暗い空を見上げる。
「なあ、ジジイ……何で死んだ? 年だからか? 三百超えてんだからあと百年くらい生きてろよな。……なあ、あの家一人じゃ広すぎだぜ。……親が死んで、俺を引き取ってから毎日話しかけてたよな。大してうまくもねえ飯作って、面白くもねえ長話をして、自分の子供じゃねえのに本当の子供を見るような顔で。しばらくして生活に慣れてきたら俺は生意気にも口答えして、不味い、つまらないだの言ってたけど本当は……本当は……本当に……」
涙が上を向いているのに零れて地面にシミを作る。
本当に言いたい言葉を口に出せないセイムはそこまで言うと立ち上がった。
結局ここまできても素直な言葉を掛けることなど出来なかったのだ。自分の弱い心が嫌になる。もうこれ以上留まっても何も言えない気がして家まで歩こうとした時、墓石を見ずに最後の言葉を送る。
「――今まで、ありがとな」
それは今まで言えなかった精一杯の感謝が凝縮された一言。
涙をマントで拭ってセイムは歩き出す。その表情は長年溜め込んできたものを吐き出せたようにすっきりしたものだった。
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