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第一部 一章 目覚めの風

風紋

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「僕……? お前は……いったい……」

「ククッ、そして俺はずっとお前を捜していた。つまりどういうことか分かるかエビル。この村がこんな目にあったのは、お前の師匠とやらが死んだのは、ぜーんぶ全部お前のせいなんだよお!」

 エビルを捜していたからシャドウが村に来たのは確かだ。自分のせいなのかと勢いに負けたエビルは思ってしまう。
 生き写しのような目前の男が自分に見えた。残忍な笑みで村の人間を斬り殺し、ソルの首を斬り飛ばす自分の幻覚が見えた。疲労関係なしに息が切れ始め、過呼吸状態のようになる。

「あ、あああああああああああああ!」

 発狂したかのようにエビルはシャドウへと向かっていく。
 ソルに習った剣術など見る影もない。全て感情任せで技術の欠片もない乱暴な攻撃。そんな勢いだけはいい剣などシャドウに掠りもしない。

「師匠も、村長も、みんなあ! 僕、お前が殺したああ! 許せない、許せなああああああい! 当たれ、斬れろ、死ねえええええ!」

「見えてるぜえ?」

 出鱈目な剣撃全てを軽々と回避しながら、シャドウの黒剣こくけんがエビルの腹から肩までを服ごと斬りつける。

「うぐあああああ!?」

 切断まではいかずとも斬られたことでエビルの傷から多くの血が溢れた。
 今度は疲労も追加されて相変わらず息遣いが荒いまま、エビルは木刀をもう一度構える。

「見えるんだよ、お前の殺したくないって心の腹がよお。全くバカな奴だ。敵を殺さなきゃ殺されるのは自分なのに、ここまでされてなお人殺しを是としないなんてよ」

「違う! 僕はお前を、殺す。殺すんだああああ!」

「まるで自分に言い聞かせてるみたいだぜ、臆病者。もうちょっと戦場の殺し合いってのを理解してから剣を持つべきだったな」

 瞬時にシャドウがエビルの横を通り過ぎる。
 その通り過ぎただけに見えた一瞬で、エビルの体は数十回斬られていた。遅れて開いた傷口から鮮血が噴き出る。

 視界に映る景色が赤く染まり、エビルは振り返ってから数歩ほど歩いてから前のめりに倒れた。木刀は右手から零れ落ちてしまい、拾おうとしても全身に力が入らない。
 死が近付いている気がした。同時にこんな状態でもあそこまで喋り続けたソルに感服する。とてもではないが今のエビルは一言も喋る気力が湧かない。

「はっ、つまんねえ奴だ。こんな奴が俺の……まあいい、このまま絶望の淵で殺して終わりに……いや待て。こいつはさっき村長がどうのこうのと言っていたような気がするな。最大の絶望ってやつは、村長とかいう奴を目の前で真っ二つにしてから来るんじゃあねえか?」

(村長……村長は生きてるのかな。せっかくおつかい行ってきたのに……一人で行って帰ってきたこと、褒めてくれると思ったのに……レミ達のこと、まだ話してないのに……。ああ、レミ、ヤコンさん、約束守れそうにないや……)

「しかし全員殺したと思ったがそれらしき人間はいなかったな。いや、気付かなかっただけで殺したかも。まあ生きてようが死んでようがどっちでもいいか。この際死体でもバラバラにすれば絶望を増幅してくれるだろ」

(師匠、村長……死んだら……また会えるかな……)

 先程から重かった瞼がどんどん重くなってくる。
 斬られて痛いはずなのに何も感じない。思考が鈍っていく。
 エビルはもう限界で、半分しか開いていなかった瞼を閉じる。

『このまま仇も討てず死んでいいのかい?』

 暗闇で聞こえるはずのない声がエビルには聞こえた。
 不思議と心地良い気持ちにさせてくれる声だ。どこか安心感で満たしてくれるその声とエビルは心で会話する。

(よくない……。でも、シャドウは強い。勝てない……)

『君が憧れた風の勇者はどんな時でも諦めないよ』

(僕は、風の勇者じゃない……。なることなんて出来ない……)

『いいや。君はなれるさ、そのための力なら既に君の中にある。でもこのまま諦めるようなら力は引き出せない。君は村長や師匠を殺したシャドウに負けたままでいいのかい?)

 しばらくエビルは沈黙する。迫られたのは単純な二択だ。
 シャドウに勝ちたいか、負けたままでいいのか。ただそれだけ。
 力のあるなしではなく気持ちの問題。不思議な声は風の勇者なら諦めないと言った。それならばエビルも憧憬する勇者と同様に諦めたくないと思う。

(勝ちたい。このまま死ぬなんて嫌だ。シャドウを倒したい)

『なら立ち上がるといい。君の持つ全ての力をぶつけるんだ』

 不思議な声はそれを最後に聞こえなくなる。
 ――エビルの意識も暗闇に呑まれて途絶えた。

「捜すか……って動こうとしたときなんだぜ。すこぶる悪いよなあタイミング。半死人の分際でまだ立ち上がって足掻こうっていうのかよ」

 シャドウが口を開くと同時、エビルは震えながらも立ち上がる。
 しかし意識がないのかエビルは下を向いたままで、目は開かれても光を映していない。そして右手の甲には緑に光っている竜巻のような紋章が浮かび上がっていた。


 *



 右手の甲に竜巻のような紋章が現れたエビルは無言で立っている。
 確かにもう動けないレベルの攻撃を加えたと思っていたシャドウは軽く驚きつつも、どうせ死にぞこないの弱者には何も出来ないと思っていた。

「その傷で動き回ったら死ぬだろ、止めとけよ。俺はお前に生きたまま絶望を味わってもらうつもりなんだぞ。無駄に足掻いて死んじまう最期なんて虚しいだけじゃねえ、かっ!?」

 シャドウは咄嗟に黒剣の腹で木刀による突きを防御する。
 無力と思っていたエビルが落ちていた木刀を拾い上げて放ったのは高速の突き技――疾風迅雷。その落雷の如き速度とあまりの威力に、シャドウは地面に足をつけたまま十歩分程後退してしまう。

「……なんだよおい、なんだお前この力は。今の本当に同じ技か? 今の突きは威力も速度もそこでくたばっている男を上回っていたぞ?」

 紛れもなく同じ技だと実際に受けたシャドウなら分かる。だが同一人物が繰り出したとは思えない程の差が確かにある。ソルすら上回る一撃を今のエビルが出せるはずがないのに、なぜか異常に戦闘能力が向上していた。

「ちょっと試してみるか」

 呟いたシャドウは一瞬でエビルの背後に回って黒剣を振るうと、前を向いたままのエビルが木刀でそれを防ぐ。
 普通なら木刀など紙きれのように切断出来るはずだがなぜか斬れない。理由はなんとなく、その木刀を覆う緑のオーラだと察する。

 先程まではなかったはずの緑のオーラが木刀だけでなくエビルの全身を覆っていく。放っておくとマズいと思ったシャドウは連撃を浴びせようと黒剣を振るう。だが連続で放った斬撃は全て木刀で防御され、それどころか素早い動きで反撃の一閃まで放ってきたので後方に飛び退く。

「強い……強いが……お前意識がないのか? 喋る気力がないってわけじゃなさそうだし、さっきまで俺に対する憎しみの言葉を言い放っていたのに随分静かじゃねえか。……かといって気絶しても闘争本能で動くほどお前は闘争心が強くない。どういう手品だ?」

 質問に答えることなく今度はエビルから仕掛けた。
 疾風のように駆けて斬りかかり、シャドウも黒剣で応対する。
 怒りを表すかのような怒涛の連撃。一撃一撃が長い年月で研ぎ澄まされたかのようなもので、時折防御を突破してシャドウの体を浅く切り裂く。

 このままでは押されると思ったシャドウが焦って後方へ跳ぶと、エビルが動きを読むように動き出して半円を描くように走り、シャドウの着地と同時に勢いある突きを放った。黒剣の腹で受けて防御したものの、黒剣が砕け散ったうえ吹き飛ばされて地面を転がる。

 転がりながら体勢を整える準備をしてシャドウは片膝をつく形で停止した。その表情は驚愕で満ちている。押されている事実に驚いたわけでも、己の武器が砕け散ったことに驚いたわけでもない。視線は突きを放った体勢のまま静止しているエビルの右手の甲に固定されていた。

「その右手の紋章……風の属性紋か!? バカな、そんなもんがどうしてお前なんかに宿ってる!? 風の秘術を扱えるそれは宿った生命に力を与えると言われ、悪魔を滅する力でもある。絞りカスの分際でそんな力を持っているなんて宝の持ち腐れなんだよ!」

 叫びながらシャドウは自身の影へと手を翳す。
 水面に水滴が落ちたようにシャドウの影に波紋が広がり、そこから刀身も柄も全てが黒い、先程砕けたものと同じ黒剣がゆっくりと出てきてシャドウの手に収まる。

「だが色々合点がいったぜ。今お前が立っているのは秘術の属性紋の一つ、風紋ふうもんのおかげってわけだ。限界を超えた肉体を無理やり動かしているんだ、もし効力が切れたらどうなるやら。まあ、その前に殺すがな!」

 今度はシャドウから仕掛け、暴虐的な斬撃を超人的な速度で繰り出し続ける。
 攻撃の手を緩めないシャドウは黒剣を振りながら凶暴な笑みを浮かべた。今も拮抗している剣戟の最中とはいえ負けない自信があったのだ。

 決してエビルを見下しているからではない。いくら見下していても風紋を宿しているとすれば話は別だ。自身に拮抗する実力を秘めているエビルを侮るような真似はしない。

 それでもシャドウが勝利を確信するのは扱う武器によるアドバンテージ。
 戦闘において重要なのは本人の能力もそうだが武器も大事だ。素手の者には関係ないがシャドウ達にとって使用する剣の能力は大きな差となる。

 黒剣は見た目が地味とはいえそこらの鋼よりも硬い。対してエビルが振るっているのはただの木刀であり、いくら秘術で強化されているといっても限度がある。

「そうら! はっはっは、木刀なんかで勝てるわけがねえだろうが!」

 木刀などいつかは壊れる――刀身全てに亀裂が走って砕けた今のように。
 無手となったエビルに剣撃を防ぐ手立てはない。シャドウが黒剣を真上に振り上げて、やっと殺せると思いながら振り下ろす。

「死ね搾りカス! もう生かすのは止めだ!」

 即死級の一撃はエビルを脳天から真っ二つにする――ことなく地面に当たって前方の大地を砕いて吹き飛ばす。
 エビルは紙一重で横に逸れて躱しており、振るった後の黒剣の腹を足で押して傾け踏みつけた。驚愕して「何をっ!?」と叫ぶシャドウの右頬に拳が叩き込まれる。死にぞこないとは思えないほど速く重い拳で殴り飛ばされて、吹き飛ぶと同時に黒剣を放してしまっていた。

 回転しながら吹き飛ぶシャドウは燃える家屋へ激突して壁を突き抜ける。
 その隙にエビルは黒剣を拾おうとしたがどういうわけか、先端から砂のように変化して風に飛ばされたことで柄を掴めなかった。

「その剣は俺の影からエネルギーを消費して生み出される。だが俺から離れて一定時間経つと粒になって消えちまうのさ。さあ、これで互いに武器を失ったと思っているお前に絶望的な知らせだ。その剣は俺の生命力がある限りいくらでも作り出せるんだよ!」

 燃えている家屋から出て来たシャドウの影に波紋が広がり、先程と同じ黒剣がゆっくり出現してシャドウの手に収まる。
 武器を手に入れられなかったエビルへとシャドウが駆けて斬りかかった。斬撃を紙一重で躱したエビルは大きく飛び退いて、初めに対峙した場所へと戻って来たことに気付く。

「魔剣持ちの俺と素手のお前! どっちが勝つかなんて決まって……」

 無意識のエビルが、近くに横たわっているソルの遺体が持つ剣を手に取った。死後硬直していなかったからかあっさりとエビルに剣が渡る流れは、まるで師匠から弟子に任意で託しているかのようだった。

「ああいいぜ、所詮敗者の剣だ。俺の魔剣でお前ごとぶち折ってやるよ!」

 ――キンッと甲高い金属音が鳴る。
 二人の高速の動きに合わせて振るわれた真剣が衝突した音だ。そして続けて鳴ったのはガキッという何かが壊れる音。――シャドウの黒剣が真っ二つにされた音だった。

「んなっぐああああ!?」

 シャドウの肩から脇腹までが深く切り裂かれ、黒い血が飛び散る。
 さっきまで勝利を確信していたことが嘘のような状況になったことで、シャドウは何度も何度もなぜだと己に問う。

(俺がこんな奴に……こんな平和そうな暮らしをしていた奴に負ける? ふざけんなよ、俺がこんな絞りカスに負けるわけねえだろうがあ!)

 もう一撃入れようとしたエビルが濃厚な殺意に反応して右方へと飛ぶ。
 先程までエビルがいた場所には、シャドウの影から伸びた黒い棘が伸びていた。

「影の茨。それはテメエを貫くまで止まらねえよ……」

 シャドウは持っていた黒剣を影に落として収納し、代わりに大量の棘が伸びてエビルへと襲い掛かろうとする。
 濃厚な敵意と殺意に反応したエビルは伸びて来る影の茨を走りながら躱していく。すると影の茨がさらに細裂して貫こうとしてくるので、咄嗟に空中へ跳ぶことで回避した。

「バカがっ、空中じゃあ逃げ場なんてねえんだぜ……死ね」

 エビルの体目掛けて空中にまで伸びてくる影の茨。しかし貫かれる寸前でエビルの体はふわっと強い風に吹かれたように浮かび上がり、伸びていく影の茨の上に着地する。
 そのありえない動きに目を剥くシャドウは更に影を伸ばすが、エビルはそれらを茨の上を走りながら剣で斬ったり、他の影に乗り移ったりしてぐんぐんシャドウとの距離を詰めていく。

(マズい……クソっ、最後は剣で勝負するしか……!)

 一度止めた近距離戦に切り替えようとシャドウは影から黒剣を取り出そうとするが、それより早くエビルの剣が腰を真っ二つに切断した。

「があっ!? 俺の……負け……?」

 上半身と下半身が分かれたシャドウは地面に倒れ伏し、それを見届けたエビルも前のめりに倒れた。風紋のおかげというべきか強引に動かされていた体がついに限界を迎えたのである。
 激闘を終えて静かになった場所で、エビルの右手の甲で光っていた風紋は役目を終えたように緑光を徐々に消していった。
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