しあわせになりたい君は夜ごと幸福を嘆く

沖田水杜

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Night.1-8

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 すっかり登りきった陽によって乾かされていたラグマットをベランダから回収して敷き直し、東はその上にすとんと腰を下ろした。

 嵐のように去って行った敦のいない、静かすぎる室内は耳が痛い程だった。

 たった一晩共に過ごしただけで、かくも日常に違和感を感じるものなのか。自分の、あるいは人間の順応性の高さに驚かされる。

 暖かさを残したラグマットに頬を載せて横になる。日の匂いのするそれは、普段の同じものよりもずっと居心地がいい。

 いつもなら横になるのも腰掛けるのもベッドの上だというのに。不思議に思いつつうつらうつらとしていると、飛びかけていた意識を硬い解錠音が呼び起こした。

 どうやら敦が帰ってきたらしい。

 目を開けると、いつの間にやらリビングへ入ってきていた敦の足が見えた。

「……おかえり」

「びっ……くりしたぁ!」

 開口一番。ただいまと応じる声よりも先に、悲鳴じみた叫声が上がった。

「なんであずまさんっていつも死んでんの!?心臓に悪いからやめとこうぜ!?」

「勝手に殺すな」

 欠伸を噛み殺しツッコミを入れると、大袈裟なため息をついた敦は持っていたビニール袋を床に置き腰を下ろした。中身をひとつずつ取り出してみせる。

「とりまパンとおにぎりとカップ麺買ってきたけど……ど?」

 東は考える間もなく首を振っていた。

 昨夜摂ったアルコールのせいか、胃が痛く食べ物を受け付けそうにない。

「んじゃ、最後の砦」

 言いつつ、二つ取り出す。

 即席お粥とフルーツゼリー。それならなんとか流し込めそうだ。

 働くわけでもないのに朝からしっかり食べるというのは学生時代以来だが、かと言って真摯に心配してわざわざコンビニまで行って来てくれた歳若い青年の厚意を無下にできるほど、東は神経が太くない。

 肯定の意を示すようにゼリー飲料に手を伸ばすと、見下ろす敦の視線が和らいだ気がした。

「おれも食べてっていい?昨日の昼から食ってねぇもん。ペコペコ」

 ひとつ頷いた東は、蓋を開け、添えてあったスプーンでゼリーをすくう。

 小粒のみかんの果実が入ったゼリーをぼんやりと眺め、横になったまま口に含んだ。

 ヒヤリとした感触に、再び脳が覚醒し始める。すると、今まで気に留めなかったことが気になり始めた。

 目の前でぱりぱりと海苔を巻いておにぎりを頬張る青年。彼は、確か二十歳だと言っていた。

 ひとり暮らしなのだろうか?

 実家暮らしであれば、一晩帰らなかった息子を心配しているかもしれない。

「敦くん」

 呼びかけると、ハムスターみたいな頬で目を瞬かせてこちらを振り返る。

「帰らなくていいのか?親御さんとか……」

 ああこれ、なんだっけ。フラグってやつか。小説でよくある展開が浮かび、背に冷や汗が浮かぶ。

 自分ひとりでいっぱいいっぱいなのに、年下の男の家庭事情なんか抱え込む余地などない。

「ああへーきへーき」

 意に反して、敦はからりと笑った。おにぎりを頬張り飲み込む間を器用に縫って続ける。

「おれんち、結構な男前家庭でさ。可愛い子には旅をさせよってゆーか、なんだろ。法に触れずお天道様の下歩けるなら、なんでも経験しておけって。十八になった時は競馬連れてってもらった」

「今はいくつ」

「二十歳」

 あくまで揺らがない年齢に、微苦笑する。

 名前と年齢。あと教育方針。それ以外に彼の顔は知らないが、少なくとも悪い子ではない。

 少し憧れが暴走しすぎた結果、ストーカーまがいになってしまっただけなのだ。

 現に、自殺しようと思い立った面倒な大人を、心配して朝飯まで面倒を見る有様だ。

「なんか、想像できるな。お前の家庭」

「マジで」

「うん。全員敦くん」

 両親も、いるかはわからないが兄弟も、皆敦のようにからっとした爽やかな笑顔で、下らないことで大笑いして顔をクシャクシャにして。想像し、その中の敦の家族に釣られ、東は少し笑った。
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