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Night.1-6
しおりを挟む東は、湯船の湯を手のひらに受けた。
すくい上げ、指の隙間から漏れていく湯を眺める。
頭がぼんやりとしている。酒のせいか、泣き過ぎたせいか、とんでもない体験のせいか……今はそんなことを考える事すら、怠い。
数度そうして茫洋と水をすくい、戻しを繰り返した後、東は溜め息と共に湯船に沈んだ。薄目を開けると、開いた口から生み出された気泡がボコボコと水面に吸い込まれていくのがぼやけた視界に映る。
このまま。
このまま顔を出さなければ、溺れて死ぬのだろうか。
傍目からは酔って入浴したせいで溺死、と見える。自殺ではない。
そこまで考えてから、息苦しさに敗北し身を起こす。
「けほっ……けほっかはっ、はあ……」
圧迫感から解放され、肩で息で喘いでいると、涼しい風を感じふと横を見た。
「わっ、とっ、お前っ、何してんだ!」
狭い浴室の入り口は開け放たれており、扉に手をかけたままの全裸の男が目を見開いてこちらを見ていた。
「そ……それはこっちのセリフ!」
少し馬鹿っぽい舌っ足らずな声で叫び、溜め息をついた敦は躊躇うことなく浴室へ踏み込み、戸を閉めた。
「もー、マジでびっくりさせんなって……死んだかと思った」
「そ、それはすまん……じゃなくて!おい!こら!入ってくるな!」
「残念でしたぁ。ドア閉まっちゃったし」
「開けろ!出ていけ!」
「やーだもーん」
「もーんじゃねえ!」
しばらくごね合ったが、ようやくそれが無意味だと悟り、東は脱力して肩まで湯に浸った。
鼻歌交じりにシャンプーし始めた集める敦を眺めていると、おかしさが込み上げて来る。ユーモアだとかそういう類の明るいおかしさではない。一体自分は何をしているんだという、自嘲にも似た滑稽さだ。
死ねなかった。
どころか、自殺幇助を依頼した相手と、何故かほのぼのと風呂に入っている。
このまま、身体を清めて布団に入って、明日を迎えに行くのだろう。
また明日からどんよりとした雨雲の下を歩くのだろう。
「羽鳥さん、身体洗ったげようか」
「いらん!」
「何でぇ。フェラはさせてくれるのに」
「うわぁぁやめろやめろ忘れろ鳥肌立つ」
ガシガシと腕を擦ると、拗ねた顔をしていた敦が声を立てて笑った。
「忘れらんねえよ。羽鳥さんチョロすぎんだもん」
「それは交換条件があったから……」
尻つぼみになる声に再び笑い、敦は立ち上がった。いつの間にか洗い終えていたらしい。
「お邪魔しまぁす」
驚く間もなく、浴槽に足を突っ込む。
ただでさえ狭い安アパートのちんまりとした風呂だ。大の大人二人が詰め込まれるのは無理があり過ぎる。ざばり、と溢れた湯に、東は情けない声を出した。
「あああ……水代水代水代」
「細かい大人だなぁ」
非難など気にも留めず、敦はけらけら笑っている。
何がそんなに面白いのかと、東はジト目になったが、鋼の精神を持つこの若者には効き目がない。東は深く溜め息をついた。
「帰らないのか」
「羽鳥さんが寝たら帰るわ」
着古したスウェットに着替えた東の問いに、ベッドの上にどっかりと座った敦がのんびりと答える。
外見的には十八から二十歳といった感じ、本人いわく二十歳の彼だが、実家暮らしではないのだろうか。もしそうであれば親御さんが心配しているに違いない。
時計を見るともう午前二時を過ぎている。
「さっ、ほら、寝た寝た」
布団をばしばしと叩く。埃が舞うからやめて欲しい。
東は大人しく従い、布団に潜り込む。
「出てく時、ちゃんと鍵閉めっから」
「いや何で鍵持ってんだよ」
「ないしょ~」
「返せ」
「だーめ」
何がだーめっ、だ。
街にうろついていたらはっ倒したくなるカップルのような台詞を、満面の笑顔で吐き出す敦に顔が引き攣った。
「ほら、もう寝ねえと。明日バイトは?」
「……ない」
「そっか。じゃあいっぱい寝れんね」
敦はベッドから降りてしゃがむと、布団を柔らかく叩く。
とん、とん、と一定のリズム伝わる振動が心地よい。
何で年下に寝かしつけられてるんだ、とか、俺は餓鬼じゃない、とか、思い浮かんだ言葉を音にするのも億劫になる程、睡魔と心地よさが意識を鈍らせていく。
重い瞼を閉じると同時に、引きずり込まれるように眠りの縁へ誘われた。
「あ、羽鳥さん。はよ」
「ん……おはよ……」
上体をむくりと上げると、眩しい程爽やかな笑みに迎えられた。目を擦り伸びをし、違和感に眉を寄せた。
恐ろしい事実に気が付き、枕をぶん投げる。
「……ッて!何でいるんだよッ!」
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