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一、新しい玩具(2)
しおりを挟む「という訳です」
何の迷いもなく告げた沖田の横顔を覗い、琴子は身を小さくした。無邪気そうな仕草をする沖田はともかくとして、目の前の彼にこの奇天烈話が通じるとは到底思えない。
彼は────新撰組副長、土方歳三は、人形のような男だった。
通った鼻梁も、意志の強そうな黒い切れ長の瞳も、血を抜いたように白い肌や黒よりも黒い艷やかな髪も。
どこか血の気を感じさせない。
冷たく冴え渡った、刃物のような美しさを持つこの男に、どうしても琴子は二度目を合わせることが出来なかった。
かろうじて自らの限界まで上げた目に、副長の首から下が映る。黒の着流しを纏い腕組みをして座った姿からは、もう拒絶が滲み出ているように思える。
琴子としても、こんな肩の凝りそうな人物と共に生活をするくらいであれば、どこかに泊り込みで働かせてもらった方がずっとマシだ。
「その女はどこで見つけたって?」
「だから、池田屋ですよ。戦いの中から抜け出せなくなっていたんです」
「攘夷浪士らの女の可能性もある訳だ」
「私はそうは思いません」
「君の意見を聞いているんじゃない。必要なのは事実だ。そんな」
こちらを見た気がして、きゅっと目を閉じる。威圧感が肌を焼く。
「そんな得体の知れない女を匿ってやるような甘ったるい集団ではないだろう」
「なるほど。ではこのまま野垂れ死んでも良いと?」
「総司」
言い争うにつれて、沖田の声は喧嘩腰に甲高く、土方の声は温度を失うように低くなる。
総司、と呼びかけた声は、まさしく氷点下だった。たった一言に、ぞわりと鳥肌が立つ。
「言葉に気を付けろ」
何故だろう。見ていないのに、表情が手に取るようにわかる。冷めきった声は、細く眇めた獣の目を連想させた。
「駄目……でした……」
副長室から出、しゃがみ込んだ沖田は膝の間からくぐもった声を出した。
「いけると思ったのに……ううっ、不甲斐ない」
穏やかな沖田のすっかり落ち込んだ姿に、琴子は慌てた。隣にしゃがみ、背中をさすってやる。
「だ、大丈夫です沖田さん、まだ色々やりようはあると思いますし」
だから他所を当たります。ありがとうございました────そう言って頭を下げようとしたが、沖田の肩が琴子の言葉にぴくりと反応したかと思うと、先程の萎れた姿からは想像も出来ない速さで顔を上げた。
「そうですね!まだ手はあります……こうなったら」
すっくと立ち上がり、副長室へ繋がるふすまを大きな目で睨みつける。深呼吸のように息を吸い、
「私は意地でも曲げませんからねっ!あんたをギャフンと言わせてやるんで、覚悟してください!」
こちらを振り返った沖田の顔は、何かをやり遂げたような晴れ晴れとしたものだった。満面の笑みで、手を差し伸べる。
「さ、参りましょ、琴子さん」
「ど、どこに……?」
「僕の部屋ですよ。僕に考えがあります」
副長室の前で、沖田は挑戦的な笑みを浮かべて足を止めた。
琴子を振り返り、準備はいい?と視線で問う。琴子は唇を引き結び、大きく頷く。
「土方さん、入りますよ」
言い争って追い出されたばかりだと言うのに、明るく言い放ちふすまを開いた。
「総司、俺は忙し……」
不満を唱えかけた土方の声が、不自然に途切れた。それを満足そうに見返し、沖田は丁寧な所作で琴子を指し示す。
「ご紹介します。新人隊士の琴助です」
小柄な隊士からお古の袴と着物を譲り受け、それを身に着けた琴子は元々のポニーテールも相まって、この時代の少年に見えなくもない。
沖田の部屋で羞恥をこらえ着付けをしてもらったあの恥を無に帰す訳にはいかない。
琴子、改め琴助は意を決し、顔を上げる。
「オッス!おら琴助!」
……少しキャラを間違えた気がするが、まあ許されるだろう。
「誰だ!返してきなさい!」
「ですから、琴助です」
「見るからにさっきの小娘じゃねぇか!」
「いいえ、琴助です。新人なので私が預かりますね」
「勝手に話を進めるな!」
青筋立てて全力でツッコミを入れる土方に、沖田は物怖じせずけろりとしている。ほんの少し前に顔を合わせた時とは打って変わったやりとりに、琴助は目を瞬いた。
これは、ひょっとしてあとひと押しなのではないか。琴助は沖田の後ろからガッツポーズをして叫んだ。
「おいら、力に自信はねぇけど、誠心誠意頑張るっす!小間使いでも掃除でも何でもやる!だからここにおいて下せぇ!」
土方が押し黙り、眉を寄せた。
はあーっ、と、長く深いため息。頭痛を堪えるように額をさする。そのまま額を押さえ、俯いて沈黙した。
女も体裁も捨てた琴子の努力に根負けしたのだろうか。葛藤しているのがありありと分かる。
「総司」
「はい」
力の抜けた声で呼ばれ、沖田は表情を引き締めその場に正座した。
慌てて琴助も真似る。廊下は少し痛いが、それにかまけていられない。衣住食は命に関わる大問題だ。
再び深いため息を溢した土方は、すっと顔を上げた。切れ長の瞳が琴助を捉え、それから沖田へ向けられる。
「万が一の時は、だ。お前が責任を取れ」
「……はい」
「意味は分かるな?てめぇが拾って来たんだ。てめぇで責任を取るんだ」
「分かりました。万が一、ですね」
笑顔の失せた顔で、ちらりと背後の琴助を確認し、沖田はなお続けた。
「その時は、私が彼女を斬ります」
背中を見せた沖田の顔は分からない。
しかし、全ての感情を殺した淡々とした声に、初めてこの青年への恐怖を覚えた。
✾✾✾
琴助を下がらせ、沖田は土方の隣に正座し直した。
「お前なぁ、詰めが甘いんだよ」
文机に向かい、筆を走らせながら、土方は呆れた声を出した。苦笑まじりのそれに、沖田は首を傾げる。
「最後。彼女、と言いやがったな」
「あっ」
「わざわざ男のなりさせながら、てめぇが明かしてどうする。嘘は貫け」
「でも、女性と知っていたから、あんな格好をしてまで縋る彼女の困り具合が分かったんでしょう」
肯定の代わりに、むっと黙り込む。分が悪いと不機嫌になるのは、この男の悪い癖だ。
「土方さんはへそ曲がりです。彼女が悪い子じゃないのは察していた癖に試すんだから」
「間者はあんな奇抜な身なりはせんよ」
「でもその心情を逆手に取った万が一があり得る、と」
「それもある」
土方歳三にとって、脅しは統率の鍵となる。日頃から沖田や我らが大将────近藤勇などの親しい者にのみ零されるそれは、確かに一理あることは理解できる。
一度弛緩してしまった集団は、元に戻すことは困難だ。
とは言え、あんな何も知らない小娘を、間者ではないと悟りながらも圧迫する必要はないのではないだろうか?
沖田は、時々この兄弟弟子の言うことに違和感を覚える。
「総司、お前あの女に甘いな」
「そうでしょうか」
とぼけるが、それには気が付いていた。土方は何かを口にするのを躊躇っていたようだが、
「お前の姉さんに似てるよ、あの女」
吐き出すように言った。
「そうですね」
髪の色、瞳の色、そしていざという時に気の強い所。
江戸に残してきた姉のみつに、不審な程瓜ふたつだった。
「……面白い」
だれに言うともなく呟いた沖田の言葉を、土方は鼻で笑うだけだった。
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