夢幻の終焉

入江瑞溥

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罪科の現出

真実の足跡

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 リネス王家の方も、やはりダルクトと同じような惨状さんじょうだった。ただ、その村人の死体には金髪碧眼へきがんの者が多く、また、十日ほど放置されていたために異様な臭いが漂っているという、決定的な相違点はあったが……。
 レベッカは騒々そうぞうしい羽音をたてて飛びかう虫を手で払いのけつつ、魔法書があると思われる族長の家を目指して、なるべく息をしないようにしながらひたすらに歩を進めた。
 やがて最も奥まった場所に、ひと目でそれと分かるリネス王家らしい優美な曲線を多用した広い建物が見えてきた。
 足早にそこに向かう。
 あと二、三メートルという距離になったとき。
 前触まえぶれもなく扉が開き、二十代なかばくらいの若者が出てきた。
 王家の者ではない。それは服装で瞭然りょうぜんとしていた。
 リネス王家の村は『防壁ぼうへき』の守護もあったせいか隠れ里的な色合いは強くはないけれども、知らない者が容易よういに発見できるという訳でもない。ゆえに、ここにいる、というだけでこの男は十分じゅうぶん警戒にあたいした。それに、小脇こわきに抱えている微量な魔力を発する本は、もしや……。
 レベッカはひそかに戦闘態勢へと移行する。
 若者は彼女を見て少し驚いたような表情になり、それから、すぐにニヤリとした。
「君も魔法書を狙って来たのかい?残念だったね、これは僕がもらっていくよ」
 言いつつ、若者のどことなく小綺麗こぎれいな身なりとは不つり合いな古ぼけた分厚ぶあつい本を、見せびらかすように持ち上げる。
れは王女がわたしに託した物だ。返して貰おうか」
「世の中早い者勝ちさ」
 若者は小馬鹿こばかにしたように「ふん」と笑い、何やらつぶやく。
 馴染なじみの気配。
 阻止そしは間に合わないと判断し、飛びのく。
 つい先程さきほどまで彼女が居た場所を、巨大な翼がいだ。
 風圧でたたらを踏みながらも転倒だけはまぬがれて、グリフィンの偉容をあおぐ。
「ダルクトの者では無いのに、何故なぜ……」
 青年は勝ち誇ったような表情で、
「じゃあね♪」
 軽々とその背に飛び乗る。
 グリフィンは主人の肩ほどまでの茶髪をなびかせつつ、大空へと舞い上がった。
 みるみるうちに遠ざかる聖獣せいじゅうの姿を奥歯をみ締めて見送りながら、レベッカはかたわらの鳥に問い掛けた。
あれを追えるか?」
 この世に存在するどんな生き物も、本気を出したそらの王者に追いつけはしない。けれど、ホースケには得体の知れない不思議さがある。そこに、彼女は期待したのだ。
 ホースケは期待を裏切うらぎらなかった。
 心得たように一つ鳴き声をあげ、彼はグリフィンを追ってそらへと消えていった。

                  §§§

 リルガース。
 あらかじめ取ってあった、とある宿屋の一室。
 鼻歌混じりに帰ってきたクロリスは、ベッドに腰掛けた。
 幸運にも入手できた、のどから手が出るほど求めていた物を膝に乗せる。目を輝かせながらその古びた革装かわそうの表紙に手を伸ばし――。
「二度、同じ事は言わ無い」
 聞いた覚えのある声と共に、首筋くびすじに冷たい感触が押し当てられる。
 多少とはいえ、戦いの心得はある。にもかかかわらず、まるで気配を感じなかった。相当な手練てだれだろう。
「王女が君にこれを託したと言っていたよね」抵抗を諦め、妥協点を探ることにする。「誰にも見せてはいけないという条件付きなのかい?」
いや
 随分ずいぶん堅苦かたくるしい言葉を使う。今どき珍しい。異国の出身のようだが……。
「なら、こういうのはどうかな――」
 見返って、ふと口をつぐむ。
 漆黒しっこくの髪……やみ色の瞳……。
「もしかして、君はダルクト王家につらなる者なのかい?」
 勢い込んで尋ねる。
 いきなりの話題転換に、青年はやや戸惑ったように肯定した。
 自分はなんてついているのか!
 その答えを聞いた瞬間、クロリスは心中しんちゅうで歓声をあげた。
 魔法書が存在しない闇魔法やみまほうは、光魔法ひかりまほう以上に研究が難しい。その貴重な研究素材が、彼のすぐ手の届くところにあるのだ。この人生最大の好機を逃さない手はなかった。
 クロリスは好感を持たせようと、人当たりの良さそうな笑みを向ける。
「そうなんだ。じゃあ、これは君が持っている方が相応ふさわしいのかな。リネス王家があの状態じゃあ、ね。その代わり、と言っては何だけれども、魔法書をいつでも閲覧えつらんできるという権利付きで、しばらく君のそばにいさせてくれないかい?」
 青年の鋭い目差まなざしが、彼の瞳を射抜く。
 そのまま、しばし。
「……良いだろう。しかし、御覧ごらんの通り今は旅の途中だ。身の安全は保証兼ねる。覚悟は有るのか?」
「研究のためなら、どんな危険な目に遭ったって後悔はしないさ」にこやかに手を差し出す。「僕はクロリス・ベレスフォード。よろしく」

                  §§§

 クロリスが色々と聞きたがるので、夕食をとりながら彼女は村を旅立ってからのことをかいつまんで話した。中でもクロリスが興味を示したのは、魔法陣まほうじんについてだった。
「まさかそんな物があったなんてね。どうりで妙な気配を感じたわけだ。そのブリミルの森の洞窟どうくつに、僕を案内してくれないかな。どうせ急ぎの旅でもないんだからさ」
 クロリスの言いように琴線きんせんを刺激されて、陶器製とうきせいの高価そうなカップを、やや乱暴にカップソーサーに置く。鋭く、硬質な音が鳴った。
「人一人の命がかって居るのだぞ。くもそんな口がけるな」
「ハン、何を言っているんだか」クロリスが大仰おおぎょうに肩をすくめる。「君の言葉、そっくりそのまま返すよ。僕が君なら、死んで欲しくない人の命が懸かっているというのに、魔法書を取りに行ったりなんかしないね。例え、どんな理由があるにしろ。君は義妹いもうとの救出の可能性を諦めている。第一、目的も正体もわからないような連中を本当に追えると思っているのかい?馬鹿ばか馬鹿しい。魔法陣を調べる方がよっぽど有意義ゆういぎというものだね」
貴様きさま――」
 感情に任せて激昂げっこうしそうになり、レベッカは急いでそれを静めようとする。『照明』のどことなく冷たい青い光が、そうする助けになってくれた。
 確かにクロリスが指摘したことは、もっともだったのだ。
 妹には、生きていて欲しい。救いたいと思っている。その気持ちに、いつわりはない。けれども同時に、心のどこかでエリスが見つかるということを、絶望視している自分がいる。だから余計に、彼の言葉が腹にえかねたのだ。
「ところで君の左肩のそれ、飾りかい?」
 レベッカが反論しないのを同意と受け取ったらしい。食器が片付けられ、何も載っていないテーブルに頬杖ほおづえをつきながら、気のない調子で尋ねてきた。
 昼からずっといたにもかかわらず、今になって気付いたようだ。だが、よくも自力で分かったものだとレベッカは思う。
いや、本物だ。ホースケ」
 呼び掛けると、ひと声鳴いてバサバサと新入りの方へ飛んでいった。
 ちょこんと首をかたむけて、クロリスを見上げる。
 それへ好奇の視線をそそぎつつ、
「珍しい鳥だね。どこかで見たことがあるような気がするな……。どこだったっけ」
「知って居るのか?」
 やや驚いて、問う。
「え?ああ、うん。昔読んだ本に書いてあったはずなんだけど」
 クロリスは――それがくせなのか、右人差指ひとさしゆびひたいに当てている――しきりと考え込みながら、うわの空といったていで返事をした。
 しばらくの後、彼の口から飛び出してきたのは本の題名ではなく、ホースケを貸して欲しいという要望だった。
 この青年は、脈絡もなく物事を申し出るのが好きなのだろうか。
 レベッカはここ数時間のうちに描いたクロリス・ベレスフォードという人物像に、新たなる評価を加える。
「ホースケが良いのであれば、わたしはかまわ無い」
 力強く二回ばたくことでホースケが同意の意を示す。
 気に入りの玩具おもちゃを手に入れた子供のように、クロリスが顔を輝かせた。


 ブリミルの森のはずれまでは、おおよそ一日の行程こうていである。早朝にち、会話もほとんどなかったためか、到着したのはまだ明るい時間帯だった。とはいえ、洞窟どうくつに入る前に日は没してしまうことだろう。野盗_のうわさも気にかかるけれども、レベッカはそれよりも夜の森を危惧きぐし、街道かいどうよりやや奥まった程度のところで一夜を明かした。
 軽い朝食の後に、二人と一羽いちわはいよいよ本格的に森に足を踏み入れた。

 
 こずえかして、かろうじてまだ日が暮れていないことを確認する。
 だいぶたけの高い木々が密生みっせいするようになってきた、そんな頃合いだった。レベッカが後をつけてくる存在に感づいたのは。
 最初は、気のせいだと思った。ブリミルの森はどういうわけだか、妙な気配や人のささやき声、しのび笑いのようなものが聞こえてくるのである。
 しかし少しして、その認識が間違いであるように思われてきた。これはそのような曖昧あいまいなものではなく、もっとはっきりとした存在ものなのではないか、と。その証拠に、息をひそめた敵意が見え隠れしている。
 
 魔物か。
 
 いや……。
 これは人間だ。
 
 直感ちょっかんした。
 となりを行くれを、チラと横目で見やる。
 彼はまったく気付いていないのか、それとも気付かぬ振りをしているのか、平然としている。
 恐らく前者だろう。
 視線は森の奥に向けたまま、押し殺した声で言う。
「後を付けられて居る。野盗だろう。ぐ先に広場が有るから、奴等やつらが襲って来るとしたら其処そこはずだ。心の準備をて置け」
 彼女の言葉にクロリスは一切いっさい取り乱した様子はなく、いっそ意外なくらい冷静だった。
 若年じゃくねんであっても、知識と才知さえあれば大学で教鞭きょうべんを取っていてもおかしくはない。ゆえに、レベッカはこの連れのことを学者かそれに類する人種だろうと考えていたし、色白で優男やさおとこ然とした外見からいっても戦いに関しては余り役に立ちそうもないと思っていた。それだけに、その反応はいくらか意表を突くものだった。
 会話を交わして、数分後。
 枝葉の天蓋てんがいに覆われただけのポッカリとひらいた森の空隙くうげきに、二人は到着した。ここは街道かいどうとして機能していた当時に、休憩場所として使われていたらしい。ちかけてこけがこびりついたベンチが、いくつか置いてあった。
 中央の辺まで来て、どちらからともなく足をとめる。それを待っていたかのように、四方の暗がりからバラバラと人が現れた。ご丁寧ていねいなことに、両側方そくほうには射手までひそませている。
 かなり統率とうそつがとれた集団だ。
 彼女達は、完全に包囲されていた。
 男達を見回して、野盗には共通項きょうつうこうが有るな、とレベッカは思考の片隅かたすみ分析ぶんせきした。
 まず一つ目は、得体の知れない虫と同居していそうなほど、不潔さが全身からにじみ出ていること。二つ目はざんばら髪で、大半はひげが伸び放題であること。まあ、これは一つ目を踏まえれば自明ではあるが。そして三つ目。これから手に入ると夢想している獲物えものをもう得たつもりになって、取らぬたぬき皮算用かわざんようよろしく浮かれているのか。それとも、性格に問題があるのか。いずれにせよ、傍目はためには訳もなくにやついているようにしか見えない者が必ず二、三人はいる。他にも、げれば色々とあるのだろうけれども。
 察するに、この野盗は街道の正規ルートに巣くっていたものだろう。評判になり過ぎて、大口の獲物の量が減ってきたのか。収穫高は低い代わりに、着実に稼げそうなこちらへ移動してきたに違いない。
 政情が乱れている国、戦争を経験した国などは大抵の場合、しばらく野盗と付き合うことを余儀なくされるものだ。リルガースもこの例にもれない。もっぱら十数年前の貴族間の小競こぜり合いで雇われた傭兵ようへい達である、との考えが有力だ。負けがたに付いた、あるいは、せっかくの報償を使い果たしてしまった者達だという。
金目かねめのものを出しな。そうすりゃ命はらねぇでおいてやるよ」
 代表格らしい男がひげに埋もれた口を開き、くぐもった聞き取りづらい声でこう告げた。それに呼応するかのように周りから、「あのデカイ宝石がついた金ピカの剣が欲しい」だの「よろいの替えが向こうから来てくれたぜ」とか「おい、ヤバくねぇか。あいつの恰好かっこう、それにあの帽子ぼうし紋様もんよう。もしかして軍人ぐんじんなんじゃ……」という雑多な雑音があふれてくる。
「身の程知らずも良いところだね。君達のような低能に、僕をどうにか出来ると本気で思っているのかい?」
 フンと鼻を鳴らしながら、クロリス。
「おいおい。こりゃあ立場ってもんをわからせてやった方がいいみてぇだなあ」
 余裕を滲ませた口ぶりで得物えものかまえると、
「野郎ども、っちまえ!」
 一斉(いっせい)に飛来する矢。
 それを皮切りに、野盗達が押し寄せてくる。
 レベッカは簡略魔法で壁を出現させて弓を防ぎ、剣のつかに手を掛けた。しかし彼女が反撃に転ずるより、不敵な笑みを口の端にのぼらせた連れが、呪文じゅもんとなえる方が早かった。そして、これが戦いを実にあっけなく終わらせる決め手となった。
 視界を強い光が埋め、無数の無音の雷が野盗達の頭上に狙い違わず落ちる。
 ややして回復した視界に映じた彼らは、苦悶くもんの表情を浮かべて一人残らず地に倒れ伏し、動かない。
外傷はないが……。
「気絶させただけさ。ショック死したやつはいるかも知れないけれどね。そんなことより、この魔法がどういったものなのかというと」
 生き生きと解説を始める。
 普段はめた雰囲気を一瞬たりともおこたりなくかもし出している彼だが、魔法関係のこととなると途端に人が変わるらしい。
「自然魔法と光魔法ひかりまほうを組み合わせたものなんだ」
 レベッカは目を見開く。
 不可能だとされていた上位魔法と下位魔法の合成をやってのけたということももちろんだが、そもそも王家の魔法はその血筋の者にしか扱えないはずだった。
「それで肝心かんじんの理論なんだけれど、まだ未完ながら――――」
 魔法を扱う身とはいえ、彼女はそれを学問的に解析かいせきして使っているわけではない。耳慣れない専門用語やら、見たこともない数式の連続には到底ついて行けなかった。
「――――という訳。……ああ、だからこれには当然上位魔法が王家の人間だけに与えられた特権ではないということが内包されているんだけれどね。ただし、完璧に使いこなすには僕達から見れば、信じられないほど強大な魔力が必要なんだ」
 魔力さえあれば、誰でも王家の魔法を使うことが出来る――確かにこの説明なら、彼が特殊召喚しょうかん魔法を使えたということの解になり得る。そしてまた、王家の魔法が門外不出もんがいふしゅつであることにも。
 語り終えて満足そうにしていたクロリスだったが、急に何かを思い出したように荷物を探り、一枚の紙片を取り出した。さらさらと人差し指をその上で動かす。
 呪文の内容、そして伝わってくる気配からすると、これも合成魔法に違いない。
「これの原理も聞きたい?」
 彼女を、話題を共有できる相手だとみなしているようだ。話したくてたまらない、という空気が伝わってくる。
 興味はある。が、先の例からしてとても理解できるとは思えない。
 彼は一瞬つまらなそうな顔をしたが、すぐに気を取り直して、使い魔を持っているかと尋ねてきた。
「報せに戻るのは、時間の無駄だろう?こいつらはここに書いてある解呪かいじゅを用いなければ起きないから、放っておいたって別に構わないんだけれども。ただ、誰かに発見されて大騒ぎになると面倒なことになるかもしれないし」
 レベッカは彼の左肩に目をやる。同伴者どうはんしゃも同じ考えに達したらしい。二人の視線が、ホースケに集中した。
 当人はというと、居心地いごこち悪そうに体をもぞもぞさせ、最後のあがきとそっぽを向く。
「ホースケ」やたらとにこやかに、クロリス。「ちょっと城まで飛んできてくれないかな。手前の東とうに使い魔専用の入り口があるから、その中にいる人に渡してくれれば良いよ」
 諦念ていねんに満ち溢れた弱々しい鳴き声を漏らすと、ホースケは差し出された紙片を嫌そうにくわえた。
「詳しいようだが、宮仕みやづかえの研究者なのか?」
「いいや」
 帽子の紋章を示して、
「身分はリルガース軍魔法隊ディゼンス所属の軍人さ」
 軍人……。
 故郷の惨状さんじょうが。銀髪の男の姿が。意識をかすめる。
「軍は何もつかんで居無いのか?」
「ああ、襲撃のこと?リネスだけだったら、説明が付かなくもないんだけれどもね。彼等かれらには近々領土を与えることが決定していたんだけど、当然反対派もいたから」
 不可解な話だ。
 王家の村は、リルガース中央部に近い。そんな奥深くまで、軍に感知されずに他国のまとまった兵力が侵入し、引き上げることなど可能なのだろうか。


 生み出した白い光が、空間を冷たく照らす。
 今、彼女は再び魔法陣まほうじんに立っていた。
 いや、元魔法陣の間と言うべきか。というのも、それは跡形もなく消されていたからだ。
 けれどもクロリスは、魔法陣が存在していたおおよその場所を彼女に尋ねると、地面に手をついて集中し始めた。
 時折のつぶやきをまじえながら、メモを取っていく。
 おもしろい事が分かったよ、とホースケに分厚ぶあつ紙束かみたばを預けて、上機嫌じょうきげんれが近づいてきた。
「これの核は装置じゃあない。まず魔法陣があって、それから装置が存在してたんじゃないかな」
 レベッカは謎掛けのような言葉に、疑問符ぎもんふを浮かべる。
「つまり、この魔法陣はこれだけでも十分じゅうぶん機能するんだけれども、何らかの理由で付属物として装置を付けたんじゃないかっていうこと」
召喚者しょうかんしゃが居なくても、魔物を召喚出来るようにだろう?」
 いまさら何を分かりきった事を、と思いつつレベッカ。
 それへ、肩をすくめ、
「それじゃあ装置が核になってしまうじゃないか。そうではなくて、目的は別にあるんだよ。召喚痕しょうかんこんえるかい?」
 召喚痕というのは、召喚が行われた際にその空間に残る、特殊な『気配』のようなものである。実際には、視覚に頼った能力というわけではなく、感じるといった方が近いという。視える視えないは完全に体質に左右されるものであって、魔力の大小には依存しない。そんなわけで、レベッカにはこの能力は備わっていなかった。
「ここに、比較的新しい召喚痕があるんだ。さて、これからが考えどころだよ。君達の村を襲った集団は、リルガースのものである可能性は低い。かといって、近隣きんりん諸国のどれかの仕業しわざだとしても、まったく感知されずにリルガース領を通ることは難しい。では、どのようにして彼等かれらはそれを可能にしたのか。この魔法陣を使ったとすれば?そして、この目的を悟らせないために装置を作り、類似るいじしたものを複数個作った」
「だが、人間を、れもまとまった人数を移送る様な魔法陣とると、ごく近い距離にしか効果を発揮はっき無いはずだ」
「いや、そうとも限らないよ」眉間みけん人差指ひとさしゆびを当てて、クロリス。「これは少し変わっている。もしかしたら新理論かもしれない…………。前の旅でサンプルはらなかったのかい?」
 うつしはマリーの荷に入っていたのだが、遺体と共に燃やしてしまったためにもうこの世には存在していない。
 れは心底残念そうな顔をした。
 力尽きて床にへたばっているホースケから紙を取り上げ丸めながら、これからどうするのかといてくる。
 とりあえずは彼の言を信じて近隣諸国をめぐってみるつもりだが、特にその方面につてがある国があるわけでもない。市中での情報だけで、果たしてつかまえられるものかどうか――。
 逡巡しゅんじゅんする彼女に合いの手をもたらしたのは、クロリスだった。


 北へ。
 それは、あの旅の軌跡をなぞるようなものだった。
 否応いやおうなしにまとわりつく思い出が。喚起かんきされる罪の意識が。レベッカを苦しめる。 
 まるでジワジワと焼かれているかのような、尽きせぬ苦痛だった。
 リルガースを通過し、ヴィセコへ至る。
 この頃には本格的な夏を迎えていて、日射ひざしには鋭いとげが含まれていた。
 ヴィセコはリルガースやヴァドイと比べれば多少手ぬるいものの、検問は厳しい方だ。今回は何かあったのか、取り調べが通常よりも念入りに行われているようだった。街の前に長蛇ちょうだの列ができている。
 ここに寄らなければならない理由もないし、日もまだ高い。
「嫌だね」だが、れは違う価値観の持ち主のようだった。「僕は君よりもずっと繊細(せんさい)なんだ。しなくても良い時まで野宿のじゅくなんて御免だよ」
 旅をするうちに次第しだいに発覚してきたことだが、クロリスはどうやら良家の令息れいそくらしい。そういう目で見てみると、確かに所作しょさにどことない優雅ゆうがさがにじむことがある。
 当てがないことは前回を上回うわまわる旅である。できる限り資金は節約したいのだが。
 控えめな吐息といきを漏らして、仕方なく列の後ろにつく。
 三時間程待って、ようやく彼女たちの番になった。
 一瞬、衛兵が目配せをかわす。
 不穏ふおんなものを感じつつも、心当たりがあるわけでもない。大人しく指示に従って後ろを向くと――。
 素早く腕を取られ、ねじられる。
貴様きさま脱獄だつごく幇助ほうじょの疑いで拘束こうそくする!」
 抗議のいとますらなく、衛兵の言葉が厳然と申し渡された。
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