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罪科の現出
真実の足跡
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リネス王家の方も、やはりダルクトと同じような惨状だった。ただ、その村人の死体には金髪碧眼の者が多く、また、十日ほど放置されていたために異様な臭いが漂っているという、決定的な相違点はあったが……。
レベッカは騒々しい羽音をたてて飛びかう虫を手で払いのけつつ、魔法書があると思われる族長の家を目指して、なるべく息をしないようにしながらひたすらに歩を進めた。
やがて最も奥まった場所に、ひと目でそれと分かるリネス王家らしい優美な曲線を多用した広い建物が見えてきた。
足早にそこに向かう。
あと二、三メートルという距離になったとき。
前触れもなく扉が開き、二十代なかばくらいの若者が出てきた。
王家の者ではない。それは服装で瞭然としていた。
リネス王家の村は『防壁』の守護もあったせいか隠れ里的な色合いは強くはないけれども、知らない者が容易に発見できるという訳でもない。ゆえに、ここにいる、というだけでこの男は十分警戒に値した。それに、小脇に抱えている微量な魔力を発する本は、もしや……。
レベッカはひそかに戦闘態勢へと移行する。
若者は彼女を見て少し驚いたような表情になり、それから、すぐにニヤリとした。
「君も魔法書を狙って来たのかい?残念だったね、これは僕が貰っていくよ」
言いつつ、若者のどことなく小綺麗な身なりとは不つり合いな古ぼけた分厚い本を、見せびらかすように持ち上げる。
「其れは王女がわたしに託した物だ。返して貰おうか」
「世の中早い者勝ちさ」
若者は小馬鹿にしたように「ふん」と笑い、何やらつぶやく。
馴染みの気配。
阻止は間に合わないと判断し、飛びのく。
つい先程まで彼女が居た場所を、巨大な翼が薙いだ。
風圧でたたらを踏みながらも転倒だけは免れて、グリフィンの偉容を仰ぐ。
「ダルクトの者では無いのに、何故……」
青年は勝ち誇ったような表情で、
「じゃあね♪」
軽々とその背に飛び乗る。
グリフィンは主人の肩ほどまでの茶髪をなびかせつつ、大空へと舞い上がった。
みるみるうちに遠ざかる聖獣の姿を奥歯を噛み締めて見送りながら、レベッカは傍らの鳥に問い掛けた。
「彼を追えるか?」
この世に存在するどんな生き物も、本気を出した空の王者に追いつけはしない。けれど、ホースケには得体の知れない不思議さがある。そこに、彼女は期待したのだ。
ホースケは期待を裏切らなかった。
心得たように一つ鳴き声をあげ、彼はグリフィンを追って天へと消えていった。
§§§
リルガース。
あらかじめ取ってあった、とある宿屋の一室。
鼻歌混じりに帰ってきたクロリスは、ベッドに腰掛けた。
幸運にも入手できた、のどから手が出るほど求めていた物を膝に乗せる。目を輝かせながらその古びた革装の表紙に手を伸ばし――。
「二度、同じ事は言わ無い」
聞いた覚えのある声と共に、首筋に冷たい感触が押し当てられる。
多少とはいえ、戦いの心得はある。にもかかかわらず、まるで気配を感じなかった。相当な手練だろう。
「王女が君にこれを託したと言っていたよね」抵抗を諦め、妥協点を探ることにする。「誰にも見せてはいけないという条件付きなのかい?」
「否」
随分と堅苦しい言葉を使う。今どき珍しい。異国の出身のようだが……。
「なら、こういうのはどうかな――」
見返って、ふと口をつぐむ。
漆黒の髪……闇色の瞳……。
「もしかして、君はダルクト王家に連なる者なのかい?」
勢い込んで尋ねる。
いきなりの話題転換に、青年はやや戸惑ったように肯定した。
自分はなんてついているのか!
その答えを聞いた瞬間、クロリスは心中で歓声をあげた。
魔法書が存在しない闇魔法は、光魔法以上に研究が難しい。その貴重な研究素材が、彼のすぐ手の届くところにあるのだ。この人生最大の好機を逃さない手はなかった。
クロリスは好感を持たせようと、人当たりの良さそうな笑みを向ける。
「そうなんだ。じゃあ、これは君が持っている方が相応しいのかな。リネス王家があの状態じゃあ、ね。その代わり、と言っては何だけれども、魔法書をいつでも閲覧できるという権利付きで、しばらく君の傍にいさせてくれないかい?」
青年の鋭い目差しが、彼の瞳を射抜く。
そのまま、しばし。
「……良いだろう。然し、御覧の通り今は旅の途中だ。身の安全は保証為兼ねる。覚悟は有るのか?」
「研究のためなら、どんな危険な目に遭ったって後悔はしないさ」にこやかに手を差し出す。「僕はクロリス・ベレスフォード。宜しく」
§§§
クロリスが色々と聞きたがるので、夕食をとりながら彼女は村を旅立ってからのことをかい摘んで話した。中でもクロリスが興味を示したのは、魔法陣についてだった。
「まさかそんな物があったなんてね。どうりで妙な気配を感じたわけだ。そのブリミルの森の洞窟に、僕を案内してくれないかな。どうせ急ぎの旅でもないんだからさ」
クロリスの言いように琴線を刺激されて、陶器製の高価そうなカップを、やや乱暴にカップソーサーに置く。鋭く、硬質な音が鳴った。
「人一人の命が懸かって居るのだぞ。善くもそんな口が利けるな」
「ハン、何を言っているんだか」クロリスが大仰に肩をすくめる。「君の言葉、そっくりそのまま返すよ。僕が君なら、死んで欲しくない人の命が懸かっているというのに、魔法書を取りに行ったりなんかしないね。例え、どんな理由があるにしろ。君は義妹の救出の可能性を諦めている。第一、目的も正体も判らないような連中を本当に追えると思っているのかい?馬鹿馬鹿しい。魔法陣を調べる方がよっぽど有意義というものだね」
「貴様――」
感情に任せて激昂しそうになり、レベッカは急いでそれを静めようとする。『照明』のどことなく冷たい青い光が、そうする助けになってくれた。
確かにクロリスが指摘したことは、もっともだったのだ。
妹には、生きていて欲しい。救いたいと思っている。その気持ちに、偽りはない。けれども同時に、心のどこかでエリスが見つかるということを、絶望視している自分がいる。だから余計に、彼の言葉が腹に据えかねたのだ。
「ところで君の左肩のそれ、飾りかい?」
レベッカが反論しないのを同意と受け取ったらしい。食器が片付けられ、何も載っていないテーブルに頬杖をつきながら、気のない調子で尋ねてきた。
昼からずっといたにもかかわらず、今になって気付いたようだ。だが、よくも自力で分かったものだとレベッカは思う。
「否、本物だ。ホースケ」
呼び掛けると、ひと声鳴いてバサバサと新入りの方へ飛んでいった。
ちょこんと首を傾けて、クロリスを見上げる。
それへ好奇の視線をそそぎつつ、
「珍しい鳥だね。どこかで見たことがあるような気がするな……。どこだったっけ」
「知って居るのか?」
やや驚いて、問う。
「え?ああ、うん。昔読んだ本に書いてあったはずなんだけど」
クロリスは――それが癖なのか、右人差指を額に当てている――しきりと考え込みながら、うわの空といった体で返事をした。
しばらくの後、彼の口から飛び出してきたのは本の題名ではなく、ホースケを貸して欲しいという要望だった。
この青年は、脈絡もなく物事を申し出るのが好きなのだろうか。
レベッカはここ数時間のうちに描いたクロリス・ベレスフォードという人物像に、新たなる評価を加える。
「ホースケが良いのであれば、わたしは構わ無い」
力強く二回羽ばたくことでホースケが同意の意を示す。
気に入りの玩具を手に入れた子供のように、クロリスが顔を輝かせた。
ブリミルの森の外れまでは、おおよそ一日の行程である。早朝に発ち、会話もほとんどなかったためか、到着したのはまだ明るい時間帯だった。とはいえ、洞窟に入る前に日は没してしまうことだろう。野盗_のうわさも気にかかるけれども、レベッカはそれよりも夜の森を危惧し、街道よりやや奥まった程度のところで一夜を明かした。
軽い朝食の後に、二人と一羽はいよいよ本格的に森に足を踏み入れた。
梢を透かして、辛うじてまだ日が暮れていないことを確認する。
だいぶ丈の高い木々が密生するようになってきた、そんな頃合いだった。レベッカが後をつけてくる存在に感づいたのは。
最初は、気のせいだと思った。ブリミルの森はどういうわけだか、妙な気配や人のささやき声、忍び笑いのようなものが聞こえてくるのである。
しかし少しして、その認識が間違いであるように思われてきた。これはそのような曖昧なものではなく、もっとはっきりとした存在なのではないか、と。その証拠に、息をひそめた敵意が見え隠れしている。
魔物か。
いや……。
これは人間だ。
直感した。
隣を行く連れを、チラと横目で見やる。
彼はまったく気付いていないのか、それとも気付かぬ振りをしているのか、平然としている。
恐らく前者だろう。
視線は森の奥に向けたまま、押し殺した声で言う。
「後を付けられて居る。野盗だろう。直ぐ先に広場が有るから、奴等が襲って来るとしたら其処の筈だ。心の準備を為て置け」
彼女の言葉にクロリスは一切取り乱した様子はなく、いっそ意外なくらい冷静だった。
若年であっても、知識と才知さえあれば大学で教鞭を取っていてもおかしくはない。ゆえに、レベッカはこの連れのことを学者かそれに類する人種だろうと考えていたし、色白で優男然とした外見からいっても戦いに関しては余り役に立ちそうもないと思っていた。それだけに、その反応はいくらか意表を突くものだった。
会話を交わして、数分後。
枝葉の天蓋に覆われただけのポッカリと開いた森の空隙に、二人は到着した。ここは街道として機能していた当時に、休憩場所として使われていたらしい。朽ちかけて苔がこびりついたベンチが、いくつか置いてあった。
中央の辺まで来て、どちらからともなく足をとめる。それを待っていたかのように、四方の暗がりからバラバラと人が現れた。ご丁寧なことに、両側方には射手まで潜ませている。
かなり統率がとれた集団だ。
彼女達は、完全に包囲されていた。
男達を見回して、野盗には共通項が有るな、とレベッカは思考の片隅で分析した。
まず一つ目は、得体の知れない虫と同居していそうなほど、不潔さが全身から滲み出ていること。二つ目はざんばら髪で、大半はひげが伸び放題であること。まあ、これは一つ目を踏まえれば自明ではあるが。そして三つ目。これから手に入ると夢想している獲物をもう得たつもりになって、取らぬ狸の皮算用よろしく浮かれているのか。それとも、性格に問題があるのか。いずれにせよ、傍目には訳もなくにやついているようにしか見えない者が必ず二、三人はいる。他にも、挙げれば色々とあるのだろうけれども。
察するに、この野盗は街道の正規ルートに巣くっていたものだろう。評判になり過ぎて、大口の獲物の量が減ってきたのか。収穫高は低い代わりに、着実に稼げそうなこちらへ移動してきたに違いない。
政情が乱れている国、戦争を経験した国などは大抵の場合、しばらく野盗と付き合うことを余儀なくされるものだ。リルガースもこの例にもれない。もっぱら十数年前の貴族間の小競り合いで雇われた傭兵達である、との考えが有力だ。負け方に付いた、あるいは、せっかくの報償を使い果たしてしまった者達だという。
「金目のものを出しな。そうすりゃ命は奪らねぇでおいてやるよ」
代表格らしい男が髭に埋もれた口を開き、くぐもった聞き取りづらい声でこう告げた。それに呼応するかのように周りから、「あのデカイ宝石がついた金ピカの剣が欲しい」だの「鎧の替えが向こうから来てくれたぜ」とか「おい、ヤバくねぇか。あいつの恰好、それにあの帽子の紋様。もしかして軍人なんじゃ……」という雑多な雑音が溢れてくる。
「身の程知らずも良いところだね。君達のような低能に、僕をどうにか出来ると本気で思っているのかい?」
フンと鼻を鳴らしながら、クロリス。
「おいおい。こりゃあ立場ってもんをわからせてやった方がいいみてぇだなあ」
余裕を滲ませた口ぶりで得物を構えると、
「野郎ども、殺っちまえ!」
一斉(いっせい)に飛来する矢。
それを皮切りに、野盗達が押し寄せてくる。
レベッカは簡略魔法で壁を出現させて弓を防ぎ、剣の柄に手を掛けた。しかし彼女が反撃に転ずるより、不敵な笑みを口の端にのぼらせた連れが、呪文を唱える方が早かった。そして、これが戦いを実にあっけなく終わらせる決め手となった。
視界を強い光が埋め、無数の無音の雷が野盗達の頭上に狙い違わず落ちる。
ややして回復した視界に映じた彼らは、苦悶の表情を浮かべて一人残らず地に倒れ伏し、動かない。
外傷はないが……。
「気絶させただけさ。ショック死した奴はいるかも知れないけれどね。そんなことより、この魔法がどういったものなのかというと」
生き生きと解説を始める。
普段は醒めた雰囲気を一瞬たりとも怠りなく醸し出している彼だが、魔法関係のこととなると途端に人が変わるらしい。
「自然魔法と光魔法を組み合わせたものなんだ」
レベッカは目を見開く。
不可能だとされていた上位魔法と下位魔法の合成をやってのけたということももちろんだが、そもそも王家の魔法はその血筋の者にしか扱えないはずだった。
「それで肝心の理論なんだけれど、まだ未完ながら――――」
魔法を扱う身とはいえ、彼女はそれを学問的に解析して使っているわけではない。耳慣れない専門用語やら、見たこともない数式の連続には到底ついて行けなかった。
「――――という訳。……ああ、だからこれには当然上位魔法が王家の人間だけに与えられた特権ではないということが内包されているんだけれどね。ただし、完璧に使いこなすには僕達から見れば、信じられないほど強大な魔力が必要なんだ」
魔力さえあれば、誰でも王家の魔法を使うことが出来る――確かにこの説明なら、彼が特殊召喚魔法を使えたということの解になり得る。そしてまた、王家の魔法が門外不出であることにも。
語り終えて満足そうにしていたクロリスだったが、急に何かを思い出したように荷物を探り、一枚の紙片を取り出した。さらさらと人差し指をその上で動かす。
呪文の内容、そして伝わってくる気配からすると、これも合成魔法に違いない。
「これの原理も聞きたい?」
彼女を、話題を共有できる相手だとみなしているようだ。話したくてたまらない、という空気が伝わってくる。
興味はある。が、先の例からしてとても理解できるとは思えない。
彼は一瞬つまらなそうな顔をしたが、すぐに気を取り直して、使い魔を持っているかと尋ねてきた。
「報せに戻るのは、時間の無駄だろう?こいつらはここに書いてある解呪を用いなければ起きないから、放っておいたって別に構わないんだけれども。ただ、誰かに発見されて大騒ぎになると面倒なことになるかもしれないし」
レベッカは彼の左肩に目をやる。同伴者も同じ考えに達したらしい。二人の視線が、ホースケに集中した。
当人はというと、居心地悪そうに体をもぞもぞさせ、最後のあがきとそっぽを向く。
「ホースケ」やたらとにこやかに、クロリス。「ちょっと城まで飛んできてくれないかな。手前の東塔に使い魔専用の入り口があるから、その中にいる人に渡してくれれば良いよ」
諦念に満ち溢れた弱々しい鳴き声を漏らすと、ホースケは差し出された紙片を嫌そうにくわえた。
「詳しいようだが、宮仕えの研究者なのか?」
「いいや」
帽子の紋章を示して、
「身分はリルガース軍魔法隊所属の軍人さ」
軍人……。
故郷の惨状が。銀髪の男の姿が。意識をかすめる。
「軍は何も掴んで居無いのか?」
「ああ、襲撃のこと?リネスだけだったら、説明が付かなくもないんだけれどもね。彼等には近々領土を与えることが決定していたんだけど、当然反対派もいたから」
不可解な話だ。
王家の村は、リルガース中央部に近い。そんな奥深くまで、軍に感知されずに他国のまとまった兵力が侵入し、引き上げることなど可能なのだろうか。
生み出した白い光が、空間を冷たく照らす。
今、彼女は再び魔法陣の間に立っていた。
いや、元魔法陣の間と言うべきか。というのも、それは跡形もなく消されていたからだ。
けれどもクロリスは、魔法陣が存在していたおおよその場所を彼女に尋ねると、地面に手をついて集中し始めた。
時折のつぶやきを交えながら、メモを取っていく。
おもしろい事が分かったよ、とホースケに分厚い紙束を預けて、上機嫌の連れが近づいてきた。
「これの核は装置じゃあない。まず魔法陣があって、それから装置が存在してたんじゃないかな」
レベッカは謎掛けのような言葉に、疑問符を浮かべる。
「つまり、この魔法陣はこれだけでも十分機能するんだけれども、何らかの理由で付属物として装置を付けたんじゃないかっていうこと」
「召喚者が居なくても、魔物を召喚出来る様にだろう?」
いまさら何を分かりきった事を、と思いつつレベッカ。
それへ、肩をすくめ、
「それじゃあ装置が核になってしまうじゃないか。そうではなくて、目的は別にあるんだよ。召喚痕が視えるかい?」
召喚痕というのは、召喚が行われた際にその空間に残る、特殊な『気配』のようなものである。実際には、視覚に頼った能力というわけではなく、感じるといった方が近いという。視える視えないは完全に体質に左右されるものであって、魔力の大小には依存しない。そんなわけで、レベッカにはこの能力は備わっていなかった。
「ここに、比較的新しい召喚痕があるんだ。さて、これからが考えどころだよ。君達の村を襲った集団は、リルガースのものである可能性は低い。かといって、近隣諸国のどれかの仕業だとしても、全く感知されずにリルガース領を通ることは難しい。では、どのようにして彼等はそれを可能にしたのか。この魔法陣を使ったとすれば?そして、この目的を悟らせないために装置を作り、類似したものを複数個作った」
「だが、人間を、其れも纏まった人数を移送為る様な魔法陣と成ると、極近い距離にしか効果を発揮為無い筈だ」
「いや、そうとも限らないよ」眉間に人差指を当てて、クロリス。「これは少し変わっている。もしかしたら新理論かもしれない…………。前の旅でサンプルは採らなかったのかい?」
写しはマリーの荷に入っていたのだが、遺体と共に燃やしてしまったためにもうこの世には存在していない。
連れは心底残念そうな顔をした。
力尽きて床にへたばっているホースケから紙を取り上げ丸めながら、これからどうするのかと訊いてくる。
とりあえずは彼の言を信じて近隣諸国を巡ってみるつもりだが、特にその方面につてがある国があるわけでもない。市中での情報だけで、果たしてつかまえられるものかどうか――。
逡巡する彼女に合いの手をもたらしたのは、クロリスだった。
北へ。
それは、あの旅の軌跡をなぞるようなものだった。
否応なしにまとわりつく思い出が。喚起される罪の意識が。レベッカを苦しめる。
まるでジワジワと焼かれているかのような、尽きせぬ苦痛だった。
リルガースを通過し、ヴィセコへ至る。
この頃には本格的な夏を迎えていて、日射しには鋭い刺が含まれていた。
ヴィセコはリルガースやヴァドイと比べれば多少手ぬるいものの、検問は厳しい方だ。今回は何かあったのか、取り調べが通常よりも念入りに行われているようだった。街の前に長蛇の列ができている。
ここに寄らなければならない理由もないし、日もまだ高い。
「嫌だね」だが、連れは違う価値観の持ち主のようだった。「僕は君よりもずっと繊細(せんさい)なんだ。しなくても良い時まで野宿なんて御免だよ」
旅をするうちに次第に発覚してきたことだが、クロリスはどうやら良家の令息らしい。そういう目で見てみると、確かに所作にどことない優雅さが滲むことがある。
当てがないことは前回を上回る旅である。できる限り資金は節約したいのだが。
控えめな吐息を漏らして、仕方なく列の後ろにつく。
三時間程待って、ようやく彼女たちの番になった。
一瞬、衛兵が目配せをかわす。
不穏なものを感じつつも、心当たりがあるわけでもない。大人しく指示に従って後ろを向くと――。
素早く腕を取られ、ねじられる。
「貴様を脱獄幇助の疑いで拘束する!」
抗議の暇すらなく、衛兵の言葉が厳然と申し渡された。
レベッカは騒々しい羽音をたてて飛びかう虫を手で払いのけつつ、魔法書があると思われる族長の家を目指して、なるべく息をしないようにしながらひたすらに歩を進めた。
やがて最も奥まった場所に、ひと目でそれと分かるリネス王家らしい優美な曲線を多用した広い建物が見えてきた。
足早にそこに向かう。
あと二、三メートルという距離になったとき。
前触れもなく扉が開き、二十代なかばくらいの若者が出てきた。
王家の者ではない。それは服装で瞭然としていた。
リネス王家の村は『防壁』の守護もあったせいか隠れ里的な色合いは強くはないけれども、知らない者が容易に発見できるという訳でもない。ゆえに、ここにいる、というだけでこの男は十分警戒に値した。それに、小脇に抱えている微量な魔力を発する本は、もしや……。
レベッカはひそかに戦闘態勢へと移行する。
若者は彼女を見て少し驚いたような表情になり、それから、すぐにニヤリとした。
「君も魔法書を狙って来たのかい?残念だったね、これは僕が貰っていくよ」
言いつつ、若者のどことなく小綺麗な身なりとは不つり合いな古ぼけた分厚い本を、見せびらかすように持ち上げる。
「其れは王女がわたしに託した物だ。返して貰おうか」
「世の中早い者勝ちさ」
若者は小馬鹿にしたように「ふん」と笑い、何やらつぶやく。
馴染みの気配。
阻止は間に合わないと判断し、飛びのく。
つい先程まで彼女が居た場所を、巨大な翼が薙いだ。
風圧でたたらを踏みながらも転倒だけは免れて、グリフィンの偉容を仰ぐ。
「ダルクトの者では無いのに、何故……」
青年は勝ち誇ったような表情で、
「じゃあね♪」
軽々とその背に飛び乗る。
グリフィンは主人の肩ほどまでの茶髪をなびかせつつ、大空へと舞い上がった。
みるみるうちに遠ざかる聖獣の姿を奥歯を噛み締めて見送りながら、レベッカは傍らの鳥に問い掛けた。
「彼を追えるか?」
この世に存在するどんな生き物も、本気を出した空の王者に追いつけはしない。けれど、ホースケには得体の知れない不思議さがある。そこに、彼女は期待したのだ。
ホースケは期待を裏切らなかった。
心得たように一つ鳴き声をあげ、彼はグリフィンを追って天へと消えていった。
§§§
リルガース。
あらかじめ取ってあった、とある宿屋の一室。
鼻歌混じりに帰ってきたクロリスは、ベッドに腰掛けた。
幸運にも入手できた、のどから手が出るほど求めていた物を膝に乗せる。目を輝かせながらその古びた革装の表紙に手を伸ばし――。
「二度、同じ事は言わ無い」
聞いた覚えのある声と共に、首筋に冷たい感触が押し当てられる。
多少とはいえ、戦いの心得はある。にもかかかわらず、まるで気配を感じなかった。相当な手練だろう。
「王女が君にこれを託したと言っていたよね」抵抗を諦め、妥協点を探ることにする。「誰にも見せてはいけないという条件付きなのかい?」
「否」
随分と堅苦しい言葉を使う。今どき珍しい。異国の出身のようだが……。
「なら、こういうのはどうかな――」
見返って、ふと口をつぐむ。
漆黒の髪……闇色の瞳……。
「もしかして、君はダルクト王家に連なる者なのかい?」
勢い込んで尋ねる。
いきなりの話題転換に、青年はやや戸惑ったように肯定した。
自分はなんてついているのか!
その答えを聞いた瞬間、クロリスは心中で歓声をあげた。
魔法書が存在しない闇魔法は、光魔法以上に研究が難しい。その貴重な研究素材が、彼のすぐ手の届くところにあるのだ。この人生最大の好機を逃さない手はなかった。
クロリスは好感を持たせようと、人当たりの良さそうな笑みを向ける。
「そうなんだ。じゃあ、これは君が持っている方が相応しいのかな。リネス王家があの状態じゃあ、ね。その代わり、と言っては何だけれども、魔法書をいつでも閲覧できるという権利付きで、しばらく君の傍にいさせてくれないかい?」
青年の鋭い目差しが、彼の瞳を射抜く。
そのまま、しばし。
「……良いだろう。然し、御覧の通り今は旅の途中だ。身の安全は保証為兼ねる。覚悟は有るのか?」
「研究のためなら、どんな危険な目に遭ったって後悔はしないさ」にこやかに手を差し出す。「僕はクロリス・ベレスフォード。宜しく」
§§§
クロリスが色々と聞きたがるので、夕食をとりながら彼女は村を旅立ってからのことをかい摘んで話した。中でもクロリスが興味を示したのは、魔法陣についてだった。
「まさかそんな物があったなんてね。どうりで妙な気配を感じたわけだ。そのブリミルの森の洞窟に、僕を案内してくれないかな。どうせ急ぎの旅でもないんだからさ」
クロリスの言いように琴線を刺激されて、陶器製の高価そうなカップを、やや乱暴にカップソーサーに置く。鋭く、硬質な音が鳴った。
「人一人の命が懸かって居るのだぞ。善くもそんな口が利けるな」
「ハン、何を言っているんだか」クロリスが大仰に肩をすくめる。「君の言葉、そっくりそのまま返すよ。僕が君なら、死んで欲しくない人の命が懸かっているというのに、魔法書を取りに行ったりなんかしないね。例え、どんな理由があるにしろ。君は義妹の救出の可能性を諦めている。第一、目的も正体も判らないような連中を本当に追えると思っているのかい?馬鹿馬鹿しい。魔法陣を調べる方がよっぽど有意義というものだね」
「貴様――」
感情に任せて激昂しそうになり、レベッカは急いでそれを静めようとする。『照明』のどことなく冷たい青い光が、そうする助けになってくれた。
確かにクロリスが指摘したことは、もっともだったのだ。
妹には、生きていて欲しい。救いたいと思っている。その気持ちに、偽りはない。けれども同時に、心のどこかでエリスが見つかるということを、絶望視している自分がいる。だから余計に、彼の言葉が腹に据えかねたのだ。
「ところで君の左肩のそれ、飾りかい?」
レベッカが反論しないのを同意と受け取ったらしい。食器が片付けられ、何も載っていないテーブルに頬杖をつきながら、気のない調子で尋ねてきた。
昼からずっといたにもかかわらず、今になって気付いたようだ。だが、よくも自力で分かったものだとレベッカは思う。
「否、本物だ。ホースケ」
呼び掛けると、ひと声鳴いてバサバサと新入りの方へ飛んでいった。
ちょこんと首を傾けて、クロリスを見上げる。
それへ好奇の視線をそそぎつつ、
「珍しい鳥だね。どこかで見たことがあるような気がするな……。どこだったっけ」
「知って居るのか?」
やや驚いて、問う。
「え?ああ、うん。昔読んだ本に書いてあったはずなんだけど」
クロリスは――それが癖なのか、右人差指を額に当てている――しきりと考え込みながら、うわの空といった体で返事をした。
しばらくの後、彼の口から飛び出してきたのは本の題名ではなく、ホースケを貸して欲しいという要望だった。
この青年は、脈絡もなく物事を申し出るのが好きなのだろうか。
レベッカはここ数時間のうちに描いたクロリス・ベレスフォードという人物像に、新たなる評価を加える。
「ホースケが良いのであれば、わたしは構わ無い」
力強く二回羽ばたくことでホースケが同意の意を示す。
気に入りの玩具を手に入れた子供のように、クロリスが顔を輝かせた。
ブリミルの森の外れまでは、おおよそ一日の行程である。早朝に発ち、会話もほとんどなかったためか、到着したのはまだ明るい時間帯だった。とはいえ、洞窟に入る前に日は没してしまうことだろう。野盗_のうわさも気にかかるけれども、レベッカはそれよりも夜の森を危惧し、街道よりやや奥まった程度のところで一夜を明かした。
軽い朝食の後に、二人と一羽はいよいよ本格的に森に足を踏み入れた。
梢を透かして、辛うじてまだ日が暮れていないことを確認する。
だいぶ丈の高い木々が密生するようになってきた、そんな頃合いだった。レベッカが後をつけてくる存在に感づいたのは。
最初は、気のせいだと思った。ブリミルの森はどういうわけだか、妙な気配や人のささやき声、忍び笑いのようなものが聞こえてくるのである。
しかし少しして、その認識が間違いであるように思われてきた。これはそのような曖昧なものではなく、もっとはっきりとした存在なのではないか、と。その証拠に、息をひそめた敵意が見え隠れしている。
魔物か。
いや……。
これは人間だ。
直感した。
隣を行く連れを、チラと横目で見やる。
彼はまったく気付いていないのか、それとも気付かぬ振りをしているのか、平然としている。
恐らく前者だろう。
視線は森の奥に向けたまま、押し殺した声で言う。
「後を付けられて居る。野盗だろう。直ぐ先に広場が有るから、奴等が襲って来るとしたら其処の筈だ。心の準備を為て置け」
彼女の言葉にクロリスは一切取り乱した様子はなく、いっそ意外なくらい冷静だった。
若年であっても、知識と才知さえあれば大学で教鞭を取っていてもおかしくはない。ゆえに、レベッカはこの連れのことを学者かそれに類する人種だろうと考えていたし、色白で優男然とした外見からいっても戦いに関しては余り役に立ちそうもないと思っていた。それだけに、その反応はいくらか意表を突くものだった。
会話を交わして、数分後。
枝葉の天蓋に覆われただけのポッカリと開いた森の空隙に、二人は到着した。ここは街道として機能していた当時に、休憩場所として使われていたらしい。朽ちかけて苔がこびりついたベンチが、いくつか置いてあった。
中央の辺まで来て、どちらからともなく足をとめる。それを待っていたかのように、四方の暗がりからバラバラと人が現れた。ご丁寧なことに、両側方には射手まで潜ませている。
かなり統率がとれた集団だ。
彼女達は、完全に包囲されていた。
男達を見回して、野盗には共通項が有るな、とレベッカは思考の片隅で分析した。
まず一つ目は、得体の知れない虫と同居していそうなほど、不潔さが全身から滲み出ていること。二つ目はざんばら髪で、大半はひげが伸び放題であること。まあ、これは一つ目を踏まえれば自明ではあるが。そして三つ目。これから手に入ると夢想している獲物をもう得たつもりになって、取らぬ狸の皮算用よろしく浮かれているのか。それとも、性格に問題があるのか。いずれにせよ、傍目には訳もなくにやついているようにしか見えない者が必ず二、三人はいる。他にも、挙げれば色々とあるのだろうけれども。
察するに、この野盗は街道の正規ルートに巣くっていたものだろう。評判になり過ぎて、大口の獲物の量が減ってきたのか。収穫高は低い代わりに、着実に稼げそうなこちらへ移動してきたに違いない。
政情が乱れている国、戦争を経験した国などは大抵の場合、しばらく野盗と付き合うことを余儀なくされるものだ。リルガースもこの例にもれない。もっぱら十数年前の貴族間の小競り合いで雇われた傭兵達である、との考えが有力だ。負け方に付いた、あるいは、せっかくの報償を使い果たしてしまった者達だという。
「金目のものを出しな。そうすりゃ命は奪らねぇでおいてやるよ」
代表格らしい男が髭に埋もれた口を開き、くぐもった聞き取りづらい声でこう告げた。それに呼応するかのように周りから、「あのデカイ宝石がついた金ピカの剣が欲しい」だの「鎧の替えが向こうから来てくれたぜ」とか「おい、ヤバくねぇか。あいつの恰好、それにあの帽子の紋様。もしかして軍人なんじゃ……」という雑多な雑音が溢れてくる。
「身の程知らずも良いところだね。君達のような低能に、僕をどうにか出来ると本気で思っているのかい?」
フンと鼻を鳴らしながら、クロリス。
「おいおい。こりゃあ立場ってもんをわからせてやった方がいいみてぇだなあ」
余裕を滲ませた口ぶりで得物を構えると、
「野郎ども、殺っちまえ!」
一斉(いっせい)に飛来する矢。
それを皮切りに、野盗達が押し寄せてくる。
レベッカは簡略魔法で壁を出現させて弓を防ぎ、剣の柄に手を掛けた。しかし彼女が反撃に転ずるより、不敵な笑みを口の端にのぼらせた連れが、呪文を唱える方が早かった。そして、これが戦いを実にあっけなく終わらせる決め手となった。
視界を強い光が埋め、無数の無音の雷が野盗達の頭上に狙い違わず落ちる。
ややして回復した視界に映じた彼らは、苦悶の表情を浮かべて一人残らず地に倒れ伏し、動かない。
外傷はないが……。
「気絶させただけさ。ショック死した奴はいるかも知れないけれどね。そんなことより、この魔法がどういったものなのかというと」
生き生きと解説を始める。
普段は醒めた雰囲気を一瞬たりとも怠りなく醸し出している彼だが、魔法関係のこととなると途端に人が変わるらしい。
「自然魔法と光魔法を組み合わせたものなんだ」
レベッカは目を見開く。
不可能だとされていた上位魔法と下位魔法の合成をやってのけたということももちろんだが、そもそも王家の魔法はその血筋の者にしか扱えないはずだった。
「それで肝心の理論なんだけれど、まだ未完ながら――――」
魔法を扱う身とはいえ、彼女はそれを学問的に解析して使っているわけではない。耳慣れない専門用語やら、見たこともない数式の連続には到底ついて行けなかった。
「――――という訳。……ああ、だからこれには当然上位魔法が王家の人間だけに与えられた特権ではないということが内包されているんだけれどね。ただし、完璧に使いこなすには僕達から見れば、信じられないほど強大な魔力が必要なんだ」
魔力さえあれば、誰でも王家の魔法を使うことが出来る――確かにこの説明なら、彼が特殊召喚魔法を使えたということの解になり得る。そしてまた、王家の魔法が門外不出であることにも。
語り終えて満足そうにしていたクロリスだったが、急に何かを思い出したように荷物を探り、一枚の紙片を取り出した。さらさらと人差し指をその上で動かす。
呪文の内容、そして伝わってくる気配からすると、これも合成魔法に違いない。
「これの原理も聞きたい?」
彼女を、話題を共有できる相手だとみなしているようだ。話したくてたまらない、という空気が伝わってくる。
興味はある。が、先の例からしてとても理解できるとは思えない。
彼は一瞬つまらなそうな顔をしたが、すぐに気を取り直して、使い魔を持っているかと尋ねてきた。
「報せに戻るのは、時間の無駄だろう?こいつらはここに書いてある解呪を用いなければ起きないから、放っておいたって別に構わないんだけれども。ただ、誰かに発見されて大騒ぎになると面倒なことになるかもしれないし」
レベッカは彼の左肩に目をやる。同伴者も同じ考えに達したらしい。二人の視線が、ホースケに集中した。
当人はというと、居心地悪そうに体をもぞもぞさせ、最後のあがきとそっぽを向く。
「ホースケ」やたらとにこやかに、クロリス。「ちょっと城まで飛んできてくれないかな。手前の東塔に使い魔専用の入り口があるから、その中にいる人に渡してくれれば良いよ」
諦念に満ち溢れた弱々しい鳴き声を漏らすと、ホースケは差し出された紙片を嫌そうにくわえた。
「詳しいようだが、宮仕えの研究者なのか?」
「いいや」
帽子の紋章を示して、
「身分はリルガース軍魔法隊所属の軍人さ」
軍人……。
故郷の惨状が。銀髪の男の姿が。意識をかすめる。
「軍は何も掴んで居無いのか?」
「ああ、襲撃のこと?リネスだけだったら、説明が付かなくもないんだけれどもね。彼等には近々領土を与えることが決定していたんだけど、当然反対派もいたから」
不可解な話だ。
王家の村は、リルガース中央部に近い。そんな奥深くまで、軍に感知されずに他国のまとまった兵力が侵入し、引き上げることなど可能なのだろうか。
生み出した白い光が、空間を冷たく照らす。
今、彼女は再び魔法陣の間に立っていた。
いや、元魔法陣の間と言うべきか。というのも、それは跡形もなく消されていたからだ。
けれどもクロリスは、魔法陣が存在していたおおよその場所を彼女に尋ねると、地面に手をついて集中し始めた。
時折のつぶやきを交えながら、メモを取っていく。
おもしろい事が分かったよ、とホースケに分厚い紙束を預けて、上機嫌の連れが近づいてきた。
「これの核は装置じゃあない。まず魔法陣があって、それから装置が存在してたんじゃないかな」
レベッカは謎掛けのような言葉に、疑問符を浮かべる。
「つまり、この魔法陣はこれだけでも十分機能するんだけれども、何らかの理由で付属物として装置を付けたんじゃないかっていうこと」
「召喚者が居なくても、魔物を召喚出来る様にだろう?」
いまさら何を分かりきった事を、と思いつつレベッカ。
それへ、肩をすくめ、
「それじゃあ装置が核になってしまうじゃないか。そうではなくて、目的は別にあるんだよ。召喚痕が視えるかい?」
召喚痕というのは、召喚が行われた際にその空間に残る、特殊な『気配』のようなものである。実際には、視覚に頼った能力というわけではなく、感じるといった方が近いという。視える視えないは完全に体質に左右されるものであって、魔力の大小には依存しない。そんなわけで、レベッカにはこの能力は備わっていなかった。
「ここに、比較的新しい召喚痕があるんだ。さて、これからが考えどころだよ。君達の村を襲った集団は、リルガースのものである可能性は低い。かといって、近隣諸国のどれかの仕業だとしても、全く感知されずにリルガース領を通ることは難しい。では、どのようにして彼等はそれを可能にしたのか。この魔法陣を使ったとすれば?そして、この目的を悟らせないために装置を作り、類似したものを複数個作った」
「だが、人間を、其れも纏まった人数を移送為る様な魔法陣と成ると、極近い距離にしか効果を発揮為無い筈だ」
「いや、そうとも限らないよ」眉間に人差指を当てて、クロリス。「これは少し変わっている。もしかしたら新理論かもしれない…………。前の旅でサンプルは採らなかったのかい?」
写しはマリーの荷に入っていたのだが、遺体と共に燃やしてしまったためにもうこの世には存在していない。
連れは心底残念そうな顔をした。
力尽きて床にへたばっているホースケから紙を取り上げ丸めながら、これからどうするのかと訊いてくる。
とりあえずは彼の言を信じて近隣諸国を巡ってみるつもりだが、特にその方面につてがある国があるわけでもない。市中での情報だけで、果たしてつかまえられるものかどうか――。
逡巡する彼女に合いの手をもたらしたのは、クロリスだった。
北へ。
それは、あの旅の軌跡をなぞるようなものだった。
否応なしにまとわりつく思い出が。喚起される罪の意識が。レベッカを苦しめる。
まるでジワジワと焼かれているかのような、尽きせぬ苦痛だった。
リルガースを通過し、ヴィセコへ至る。
この頃には本格的な夏を迎えていて、日射しには鋭い刺が含まれていた。
ヴィセコはリルガースやヴァドイと比べれば多少手ぬるいものの、検問は厳しい方だ。今回は何かあったのか、取り調べが通常よりも念入りに行われているようだった。街の前に長蛇の列ができている。
ここに寄らなければならない理由もないし、日もまだ高い。
「嫌だね」だが、連れは違う価値観の持ち主のようだった。「僕は君よりもずっと繊細(せんさい)なんだ。しなくても良い時まで野宿なんて御免だよ」
旅をするうちに次第に発覚してきたことだが、クロリスはどうやら良家の令息らしい。そういう目で見てみると、確かに所作にどことない優雅さが滲むことがある。
当てがないことは前回を上回る旅である。できる限り資金は節約したいのだが。
控えめな吐息を漏らして、仕方なく列の後ろにつく。
三時間程待って、ようやく彼女たちの番になった。
一瞬、衛兵が目配せをかわす。
不穏なものを感じつつも、心当たりがあるわけでもない。大人しく指示に従って後ろを向くと――。
素早く腕を取られ、ねじられる。
「貴様を脱獄幇助の疑いで拘束する!」
抗議の暇すらなく、衛兵の言葉が厳然と申し渡された。
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