夢幻の終焉

入江瑞溥

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罪科の現出

終焉の夕

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 フロースヴェルグ山を登り始めて、もう四日になる。
 木々の間からは、明るい日射ひざし。青空の姿を拝むのは、久しぶりのことだった。
「うーん、やっぱり天気は晴れに限りますね。安らぎます」
 マリーが大きくのびをする。
「しかし、もう可成かなり村に近づいて居るはずなのに魔物の気配が全く無いな。どういう事だ?」
 レベッカは眉をひそめる。
「確かに不自然――」言葉を止めて、マリーが突然立ち止まった。「皆さん、ちょっと来て下さい!」
 言うなり、きつい登りをかなりの早さで登っていく。
「あ、マリー、ちょっと待ってよ!」
 エリスと、それに続いてレベッカとサムが彼女の後を追う。
 道なき道を、息を切らしながら進む。ほどなくして、目の前が急に開けた。
「ほら、見て下さい!」
 強風に肩衣かたぎぬのような上着をはためかせながら、嬉しそうに言う。
 眼前の山々や周囲には、豊かに生い茂る緑。無数の桃や白の花をつけた木々が、それに美しいいろどりを添える。頭上に広がる紺碧こんぺきの空が、より一層それらの鮮やかさを引き立たせていた。
「うわぁー!」
 絶景に、エリスが目を釘付くぎづけにする。
 レベッカも目元をなごませ、景色に見入る。
「マリー様、どうしてこの場所がわかったんです?」
 ホースケをなでながら、従者が問う。
「ズバリ、花のにおいですね。それと後一つ」 
 足下に広がる谷間のある一点を指差す。そこには渓流が水煙をあげながら、轟々ごうごうと流れていた。
「あの音が微かに聞こえたんです。でも、わたしもこんなに綺麗きれいな場所に出るなんて思いませんでした」
 さわやかな水音。
 花の香を運ぶ涼風。
 優しく包む日の光。
 その穏やかな空間に身を任せ、しばらくとどまる。 
 はかない、されどずっと記憶に残る、宝物のようなひと時であった。
 

きりが、出てきましたね」
 マリーが警戒の面持ちでつぶやく。
 何事もなくこの日も終わりそうだ、そう思いかけていた矢先のことであった。
嗚呼ああ、嫌な感じだな。今日の所はれ以上進むのは止めに無いか?」
 話している間にも、みるみるうちに霧が濃くなってきていた。先を行くサムとエリスの姿も、はや霧中むちゅうに没しようとしている。
「そうですね。早くあの二人を呼び戻しませんと……」
 と、
姉様ねえさま、マリー。向こうに村が見えるよ!」
 顔を見合わせうなずき合い、声のした方向へと急いで向かう。
「あそこです、マリー様」
 サムが前方を指差す。
 そこには、すっかり廃墟はいきょと化した集落があった。霧のせいでハッキリとは見えないが、建物という建物はほとんど破壊されているようだ。
「行ってみましょう」
 レベッカとサムを先頭に、村へと続く緩やかな下り坂を慎重に降りる。
 エリスが小さな悲鳴を上げて、マリーにしがみついた。
 そこには、村人達の腐敗した死体が転がっていた。周囲には臭気が立ち込め、なんとも居心地いごこちが悪い。
 パッと見ただけでも七、八人は死んでいる。ある日突然に魔物が襲撃してきた、という感じだ。それも、一匹や二匹ではない。またもや魔法陣まほうじんの関与が疑われる状況だ。
「ねぇ、もう戻ろうよ」
 口元を抑え、エリスがかぼそい声で訴える。
 が、
いや何処どこか適当な家を捜して、其処そこに泊まろう」
「正気か?」
 サムが眉をひそめる。
「此の状況で下手に動けば、かえって危険な結果を招きねない。れに」来た道を振り返る。「どうも胸騒ぎがるのだ」
「レベッカさんの意見をりましょう」マリーが何かに集中するように目を閉じる。「先程から微かに魔力の波動を感じます。魔法陣のものかどうかはわかりませんが、様子を見た方が良いでしょう」
 エリスの両肩に手を置き、目線を同じ高さにそろえる。
「エリスちゃん、我慢出来ますか?」
 問われ、彼女は無言でうなずいた。


「どれも泊まるには少し頼りないですね」
 どの家も大穴が開いていたり、屋根が無くなっていたりと酷い有り様だった。原形すら留めていない物もある。
 マリーが魔法で明かりを作りだしてはいるものの、周囲を取り巻く霧海むかいは濃くなる一方。すずめの涙ほどの効果しかない。きりの冷たさは、それだけで体力を奪っていく。体を乾かせる場所の確保は一刻を争うが、時間ばかりが空しく過ぎ去っていった。
 とうとう村外れに差し掛かろうとしたとき、ホースケが唐突にサムの肩から離れた。
「あっ、おい、どこ行くんだホースケ‼はぐれてしまうぞ!」
 慌ててサムが後を追う。残る三人も、むくろを踏んでしまわないように苦労しながら、彼に続く。
 やがて、レベッカたちはポツンと孤立して建っている一軒の家と、屋根に止まるホースケを発見した。その家は他の家よりも損傷が少なかった。これならば十分とはいかないまでも、ある程度は快適に一晩過ごすことが出来るだろう。


 ホースケが鋭い鳴き声を発したのは、食事が済み一息ついた頃のことだった。
 それと相前後あいぜんごして、レベッカは外に潜む何者かの気配に気が付く。
「しっ」
 ただならぬ様子を察してか、皆すぐに口をつぐむ。
「誰か、居る」
 緊張が走る。が、
「気配が……遠ざかっていく……」
 誰ともなく安堵あんどの吐息がれた。
「ねぇ、ここから離れた方が良いんじゃ……」
 エリスが不安そうに言った。おびえているのか、杖をギュッと握り締めている。
「このきりでは危険だ。しばらく様子を見よう」
 サムの見解に、マリーが賛意を表する。彼女も同感だった。
 そこで、エリスを除いた三人で見張りをすることになった。


 結局その夜はそれ以降は何も起こらず、無事に朝を迎えることができた。
 きりはきれいに晴れ上がっていた。そのお陰で、外に出た一行は家の前に動物のものらしき足跡があるのを発見することができた。
 真新まあたらしい。昨晩の訪問者のものに違いない。
 村の北西に向かって、ずっと続いているようだ。
「こちらの方角から、強い魔力と弱い魔力を感じます。わなかどうかはさておき、魔法陣まほうじんがあると見てまず間違いないでしょう」
 しかし、レベッカは眉間にしわを寄せた。
れは、何方どちらも魔法陣の物では無い……)
「どうしたの?姉様ねえさま。難しい顔してるけど」
いや
 頭を振る。
 他にめぼしいしるべもないのだ。
「何でも無い」


 強い魔力の源は、高台の上にあるようだった。
 生い茂る草木の前に埋没まいぼつしかけた――けれども、新しい痕跡こんせきが記された――道を辿っていく。
 しばらく歩き続けていくと、何とも奇妙な現象に遭遇した。
きり……だよな?これは。でも、変な霧だな。まるで線引きでもしたみたいに、ハッキリと境目がある」後ろにいる主人を振り返る。「どうします、マリー様。引き返します?」
 問われて、困惑した表情で、
「でも引き返すといっても、わたし達が来た道以外に行けそうな所は有りませんでしたし……」
「わたし、やめた方がいいと思うな」
 霧を疑わし気に見ながら、
「なんか怪しいよ、この霧。サムが言ってたこともそうだけど、それ以前にこの霧から魔力を感じるし。こんな所に入っていくなんて自殺行為だよ」
「村で感じた弱い魔力は、この霧のものでしょうね……。レベッカさんはどう思います?」
 腕を組み、慎重に現状を分析していたレベッカは、
「……の先に行く事を望むならば、進むきだろうな。確かに気に食わ無いが、逆に考えれば、別の道が無いからこそ此処ここまであからさまな招待状を置いて居るのでは無いか?」
「なるほど、そういう考え方もありますね」
 感心したような目で彼女を見上げる。
「サム、エリスちゃん。よろしいですか?」
 忠実な従者は一も二もなく、すぐさま同意する。
 エリスも喜んでとはいかないようだったが、一応承知した。

 
 一寸先も見えぬ濃いきりの中を進み始めてから、一体どのくらいが経った頃だろうか。
 先頭のマリーが、突然、立ち止まった。
如何どうた、行き止まりか?」
 尋ねると、力なく首を振った。
「すみません、皆さん」今にも消え入りそうな声で応える。「霧の魔力のせいで、どちらへ進んだら良いか、分からなくなってしまいました」
「えっ⁉じ、じゃあ、わたし達、迷子まいごになっちゃったの?」
 エリスの声色こわいろは、心なしかふるえていた。
「マリー様は悪くありませんよ」うなだれる主人を、従者が慌てて元気づける。「大体の方角はわかっていますし――」
 コンパスを見たサムが、黙り込む。
 レベッカは地面にかがみ込んだ。
 道は――
 ない。
 はずれてしまったようだ。
 この霧が何者かの意志によって故意につくられたものならば、ここに留まって晴れるのを待つのはただの時間の浪費にしかならない。引き返すより他あるまい。自分たちの足跡を追っていけば、可能なはずだ。道に合流できたら、それに沿っていけば高台にも抜けられるかもしれない。
 考えを伝えようと口を開きかけたところで、
姉様ねえさま、ちょっといい?」妹がそっと耳打ちをしてきた。「レベッカ姉様も魔力のみなもとを探ってみてよ」
うだな……。って見るきか」
 目を閉じて、周囲に意識を凝らす。途端、霧の魔力が思念にからみ付いてきた。
 眉根を寄せて、執拗しつように絡み付いてくる魔力を意識から遠ざける。すると、雲間から光が差し込むように、強い魔力の波動がハッキリと彼女に伝わってきた。
「……分かった」
 妹が顔をほころばせる。
「やったね、姉様!じゃあ誘導、お願いね」ウインクすると、「マリー、サム、聞いて。どっちに進めばいいか分かったよ!」
「本当ですか!」
 マリーがパッとおもてを上げる。
「うん。こっちに」杖で左方を指し示す。「進めばいいみたい」
「すごいじゃないか!エリス」
 サムが心底感心したように言う。
「まあね」
 エリスは得意げに胸をらした。


 そのまま順調に進むかに思われた一行いっこうだったが、このきりは懐中に捕らえた獲物えものの突破を許すほど優しくはなかった。
 突然、最後尾さいこうびのサムが三人を呼び止める。
「どうかしましたか?サム」
 振り返り、その光景に誰もが息を飲んだ。
 青ざめた顔で立ちすくむサム。
 その身体は、
 まるで、ガラスかなにかのようにけているのだ。
 状況を認識するのに、しばしの時間を要した。にわかには、信じがたかった。
「……今れる最善の策は、ここを抜け出すということ以外にありません」言葉をふるわせながら、それでも、懸命にマリーが皆を導く。「一刻も早く脱出しましょう!」
 うなずく。
 直後、エリスの悲鳴があがった。
 慌ててそちらに注意を向け――愕然がくぜんとする。
「エリスっ‼」
 声が、かすれる。
 そこには、僅かではあるものの身体の透けた妹の姿があった。
姉様ねえさま……どうしよう。わたし――」
 くちびるをわななかせ、すがるような目で彼女を見つめる。
「エリスちゃん」混乱した様子のエリスを抱き寄せる。「どうか、気をしっかり。ここを出るには、あなただけが頼りなんです。そうすれば、きっと大丈夫ですから……」
 エリスが大きく深呼吸する。
「ありがとう、マリー」
 大分だいぶ落ち着きを取り戻してきたらしい。まだ弱々しかったものの、先程よりはしっかりとした口調になっていた。
 レベッカは妹の、マリーが従者の手をしっかりと握る。
 見失わぬよう互いに呼び合いながら、ひたすらに駆ける。根につまずこうと、木や岩にぶつかろうと、なり振りかまってはいられなかった。
 徐々に無くなっていく、妹の感触。
(頼む、出口までってれ!)
 神にもすが心地ここちで願う。
 魔力のみなもとは近い。
 波立つ心を必死に鎮めて、とらえた波動をつかみ続ける。エリスも、よく演じた。 
 そして――。
「出口だ!」
 視界が晴れる。
 ちかけた建物が、そびえ立っていた。随分ずいぶん古いものらしく、なかば自然と同化してしまっている。
 篭手こてを通して伝わってくる確かな存在感に、胸をなで下ろす。
 エリスとサムは、何事もなかったかのようにそこにいた。
 けれども、安堵あんどしたのもつか
「ホースケが、いない」
 サムが肩に手をやりながら、呆然ぼうぜんと言をつむぐ。
 その定位置には、見慣れた鳥の姿はなかった。
 言葉を失って、押し黙る。マリーとエリスも同様だった。
「俺が悪いんだ……」重苦しい沈黙のなか、サムがポツリとひとりごちる。「あの霧に入る前に逃がしていれば、こんなことにはならなかった」
 歯噛はがみする。
「サム……」
 マリーがそっと、従者の腕に触れる。
「……行きましょう、マリー様」
 唇を引き結ぶ。
「……ええ。皆さん、強い魔力はこの奥です。気を引き締めていきましょう!」

 
 石造りの建物に、四人の足音が木霊こだまする。
 天井てんじょうの一部が透明なお陰で内部は闇に閉ざされてはおらず、視界はそれなりに良好だった。
「マリー様、あとどのくらいで着きますか?」
 やや緊張した声音こわねで主人に尋ねる。
「この奥だと思います。魔力も大分だいぶ近くになってきましたし――」
 行く手をふさぐ、大理石の大きな扉の前で立ち止まる。
「やはり……」
 マリーが扉を見上げる。それには、リネス王家の紋章もんしょう象眼ぞうがんされていた。
「この模様もようが、どうかしたの?」
「これは……」
 エリスの問いに、言葉を濁す。
 千年の時をた今でもなお、王家の名はまれているからだろう。
「わたしたち一族の家紋かもんなのです」 
 すべるように近づき、手を伸べる。
 すると突然、れてもいないのに観音開かんのんびらきに扉が開き始めた。息をのむ一行いっこう尻目しりめに、どんどんとその隙間を広げてゆき、やがて完全に開ききる。
「入れってことでしょうか?」
 主人をかばうように前に出ていた従者が問う。
「そのようですね」
 その背中に向かって、マリーが首肯しゅこうした。
 臨戦体勢を取りながら、ソロソロと中に足を踏み入れる。
 出迎えたのは、一面を大理石で覆われた広大な空間。そして、中央部分には青白い光を放つ魔法陣まほうじん。奥は半円状の空間になっており、祭壇さいだんと、天井から射し込む細い光によって照らされた像。祭壇の前では制御装置が淡い燐光りんこうを放ち、第三の光源となっている。
「あの霧を抜けたか……」
 ふいに、轟音ごうおんを響かせて背後の扉が閉まった。
 魔法陣の中央に、白色の体毛と金色の瞳をもったおおかみが姿を現す。
「運の良いやつらだ」
 エリスとサムを見やり、スッと目を細める。
れは…………うか、此奴こいつが魔力のぬしだったのか)
 油断なく剣をかまえながら、魔狼まろうにらえる。
 マリーも狼が発する魔力を感じ取ったらしい。驚愕きょうがくの視線をそそぎながら、
「あなたが……魔力の主?」
「そうだ」
 くぐもった、聞き取りづらい声で答える。
 マリーがヒタと狼を見すえる。
「あなたはこの召喚しょうかん魔法をもちいているのが何者なのか、?」
「ほう、流石さすがだな」口角こうかくをつり上げる。「だが、答えるいわれはない」
 音のない衝撃が、四人を襲う。そのすさまじさに、マリー達はたまらず倒れる。レベッカはかろうじてこらえたものの、立っていられず片膝かたひざをついた。
 強烈きょうれつな魔力にあてられたためか、頭が朦朧もうろうとする。
 
 遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえた。
 
 反射的に、そちらに顔を向ける。
 ひどくぼやけていて、姿は判然としない。
 
 もう一度。
 
 今度は、ごく近くから名前を呼ばれた。

 かすむ視界にうつった人影が、鮮明な像を結ぶ。
「カタリナ……様……?」
御前おまえは」冷たい瞳が、彼女を見下ろす。「我々を裏切った。御前が何処どこに逃げようと、御前の存在の物がわたしに居場所を教える。然して必ずや、其のけがれた魂に裁きを与えるだろう」
 反駁はんばくの言葉は、けれども空気を振動させることはなく、ただ、無意味に口を開閉させただけだった。
 
 自分は、こんなにも弱かったのだろうか。

「まあしかし、御前はいやしくも我が後継こうけいにと選びし者。汚名おめいそそぐ機会をれてろう」
 氷のようだったかおに、笑みがたたえられる。それなのに、ひどく酷薄な印象を受けた。
「王女を、殺せ」
 
 あらがいがたい絶対的な何かが、意識をおかしていく。

 身体からだが、大きく痙攣けいれんした。
 
 ゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取あしどりでマリーのもとへ向かう。
 鋭い切っ先が、心臓に狙いを定める。
 が、どうしたことか。
 獲物えものを前にして、それは小刻みにふるえはじめた。
「違う……」うめきにも似た声が、食いしばった歯の間から漏れる。「こんな、簡単にくつがえる様な安易あんいな覚悟で、わたしはマリーと手をたずさえる事を選んだのでは無い‼」
 何かをち切るように、剣をぐ。
「破られたか。まあ、い」
 魔狼の金色こんじきまなこが、輝きを放つ。
 まるで金縛かなしばりにでも遭ったかのように、肉薄していたレベッカの動きが止まる。
「他のこまも、使えぬ訳ではない」
 息苦しくなる。
 レベッカは空気を求めて、必死にあえぐ。
 力の入らない手から、剣が落ちた。
 くずおれる。  
 意識が遠のきかけたところで、急に呼吸が楽になった。
 痛む頭を僅かに持ち上げると、まばゆい光が狼を包み込んでいた。光はみるみるうちに中心点へと収束しゅうそくし、爆発する。
 押し寄せる光の洪水こうずいに、とっさに目を閉じる。
 光が収まり、そっとまぶたを開けた彼女は、言葉を失った。
 あれだけ派手はでな魔法であったにもかかわらず、床を含めどこにも破壊された跡がない。ただ、狼だけが夢かまぼろしででもあったかのように消えせていた。
 なかば茫然ぼうぜんとしていると、彼女の肩に誰かが優しくれた。
「大丈夫ですか?」
嗚呼ああ、問題無い。所で」心配そうに見つめるマリーに問い掛ける。「先程さきほどの魔法は?」
「わたしです」眉をくもらす。「急いでいたものですから、少し失敗してしまいまして。……まあ、結果オーライですね!」
 マリーが照れたように笑った。


 建物から出ると、彼らの行く手をはばんでいた魔力をもったきりは消滅していた。
 ひと仕事終えた安心感も加わり、四人の足取りは自然ゆったりとしたものになる。
「どうした?レベッカ」
 急に立ち止まった彼女を、サムが振り返った。
「囲まれて居る」
 言葉が終わるや否や。
 樹間を縫って、おおかみらしき獣の遠吠とおぼえが響いた。長く尾をひく第一声に応じて、幾重いくえもの声が重なっていく――。
 マリーが顔をこわばらせながら同意した。
「そのようですね」
 おのおの四方を警戒しながら、いつでも攻撃できるよう身構える。
 やがて木々の間から、暗灰色の毛の狼が出てきた。一匹や二匹ではなく、次から次へと湧き出してくる。群れをなす魔物とはいえ、この数は常軌を逸していた。
 レベッカの本能が、けたたましく警鐘を鳴らす。これは危険だ、と。なにか、ただならぬ事態ことが起っている、と。
「一つの村が壊滅した割には、やけに魔物の気配がない。どうした事かと思えば……こういう事か!」
 サムのほおを、や汗が滑り落ちた。
 二メートルほどにまで包囲の輪が縮まったときだった。群れの中の一匹が、咆哮ほうこうと共にレベッカ目がけて飛び掛かってきた。
 それが、戦闘開始の合図となった。

 
 おおかみそれ自体は、決して脅威になるような相手ではない。落ち着いて動きを読み、身体からだを動かせば良いだけのこと。
 けれども、無尽蔵むじんぞうに湧いて出てくるとなると話は違った。
 傷を受ける頻度が、上がってきた。
 呼吸が粗くなる。
 チラと仲間の様子を見る。
 他の三人にも、程度の差こそあれ疲労の色がにじみ出てきていた。とりわけエリスは、詠唱が終わるまでの牽制けんせいとして振るっている杖の動きが、明らかに鈍ってきている。そしてもう一人、マリーも劣勢に立たされていた。弓は魔法に比べたら次の攻撃へのロスタイムは少ないものの、個人戦、まして複数相手では厳しいものがある。レベッカとサムが援護をしてはいるものの、それとて限界がある。
「マリー、ままではらちが明か無い。大規模な魔法は使え無いのか?」
「すみません」
 弓に矢をつがえながら申し訳なさそうに、
「これだけの数となると、手持ちの魔法ではちょっと……」
 光魔法ひかりまほうは、元より攻撃は得意ではない。予想され得る答えではあった。
うか、ならば仕方有るまい。最善を尽くすまでだ」
 マリーがうなずき、矢を放つ。その顔には、死を覚悟した者の悲壮さがあった。
 そう。半分ほどに減らしたとはいえ、このままでは狼の群れが尽きるよりも先に、彼女たちの命が尽きてしまうだろう。もはや残された手は、ただ一つ……。
(此の状況では、の魔法を使うのが最も懸命だろう。しかし――)
 難点があった。あれは無差別広範囲型の魔法。しかも、元はリネスを攻撃するためのものだ。マリーやサムにまで、被害が及ぶ可能性がある。
「エリス。少しの間で良い、狼が近付け無いようれ。サム、エリスの援護を頼む」
 二人の返事が即座に返ってくる。
 間もなく、四人を取り囲むようにして風の結界が形成された。
「マリー、対魔法防御をサムと自分に掛けて呉れ」
「……分かりました」
 小さく首肯しゅこうする。
 二人が光のたてに覆われたのを確認すると、レベッカは呼吸を整えた。
『大いなる根源こんげんにして双生そうせいいつ、絶対なる力のあるじよ』
「これは……。貴女あなたはやはり……」
 マリーがつぶやきを漏らす。
『我が意志にこたたまえ。我は祝福を受けし者。御力みちから顕現けんげんする者なり
 場に満ちる圧倒的な量の魔力に呼応こおうしてか、風もないのに木立こだちがザワザワと揺れ始めた。
 何かを感じ取ったのか、狼たちがざわめきだす。
『大いなる根源にして双生の一、幽冥ゆうめいべる者よ。我が一族が負いしごう。我が一族が捧げしにえに掛けて、我が願いを聞き給え。我が内なる力を呼びまし給え』
 エリスが張った結界が、ゴウという音と共に消失した。それにも関わらず、魔物どもは向かってくるどころかジリジリと後退を始めた。けれども、もう遅い。レベッカの意識は、。今更逃げたところで、破滅を避けることはできない。
け!の者達は我らが敵。我らにあだなすやから也。なんじの荒れ狂う心志しんし。汝の暴虐ぼうぎゃくなるかいなもて、破滅の波を引き起こせ!我にきば愚昧ぐまいなる者共ものどもに、等しく滅びをもたらせ』
 じゅが解き放たれ、縦横じゅうおうを駆け巡る。
 魔法の余波が枝葉を引きちぎらん勢いで木々を揺らす。
 通り過ぎる所に確実に死をまき散らすその魔手ましゅからのがれ得る敵は、ただの一匹もいなかった。
「うわあ⁉」
 膨大なエネルギーに耐えきれず、サムを守っていた盾が消えた。反動ではじき飛ばされ、激しく木にたたき付けられる。
 それきり、彼は二度と動くことはなかった。
 全てが終わったとき、周囲には三人を除いて動くものは一つとして存在しなかった。
 マリーが悲痛なさけびを上げながら、従者の亡骸なきがらに駆け寄っていく。
「レベッカ姉様ねえさま……」
 エリスが心配そうに声を掛ける。
 レベッカはうつむいたまま何も言わなかった。
 いや。
 言うべき言葉が見つからなかったというべきか。
「レベッカさん、あなたはダルクト王家のかただったのですね」従者のかたわらにすっくと立ち、厳しい口調で彼女を問い詰める。「わたしたちを殺すつもりで、ずっと機をうかがっていたのでしょう?」
 向けられたマリーの目からは、常にあった暖かみが嘘のように消え去り、ひどく、冷たかった。
「違うの、マリー。姉様はそんなつもりじゃ――」
 弁護しようとした妹の肩を軽くつかみ、かぶりを振る。
 
 事の本質は、そんなことではないのだ。

 「決着をつけましょう。……戦いたくない、とは言わせませんよ」
 
 大切な者の喪失そうしつ
 やり場のない想いを、こうすることで懸命に処理しようとしているのだ。

 「やめて‼二人が殺し合う姿なんて、わたし、見たくない!」
 レベッカは黄褐色おうかっしょくの巨大な怪鳥かいちょう――グリフィンを召喚しょうかんした。
「エリス、御前おまえは村に帰れ」
「姉様‼」
 ただあるじめいのままに、抵抗をものともせずグリフィンは妹の両肩をたくましい足でとらえる。
 その姿は、またたく間に空の彼方かなたへと消えていった。
「……始めるか」
 マリーがうなずき、
「でも、条件が有ります。魔法のみで戦うこと。生半可なまはんかなものは使わず、一発で勝負をつけること。よろしいですね」
 要求をむ。
 二人は向かい合い、詠唱えいしょうを開始した。
 静かな林間りんかんに、異なる二つの声がデュエットのように重なり合って吸い込まれる。
 呪文じゅもんは、ほぼ同時に完成した。
「っ!」
 鈍い衝撃。互いの魔法が、相手をらおうとせめぎ合う。
 力はほぼ五分ごぶ。だが、彼女は先程の魔法で残り少ない体力を大幅に使ってしまっている。このままでは、押し負けるだろう。
 
 それでいい。
 
 これは、サムの葬送の儀なのだから……。
 
 抵抗がなくなったのは、覚悟を決めた矢先の事だった。
 マリーが暗黒あんこくに呑み込まれる。
 
 なにが起こったのか、理解できなかった。

 まったく思考が回転しないまま、目を見開いて倒れ伏した少女を見つめる。
 
 ようやく事態を把握はあくしたのは、数瞬後。
 慌てて駆け寄り、友の上体じょうたいを抱き起こす。
「マリー、しっかろ!」
 彼女がはなった魔法は、相手の体をいちじるしく弱らせ、衰弱死すいじゃくしさせる――禁呪きんじゅだった。しかし反面、全力の威力を出してもすぐに致命傷には至らない。マリーの力なら、直撃を受けても間に合う。もしもの時のために、禁をおかしてまで使うことを選んだ魔法だった。
「レベッカさん……」
しゃべるな!今ぐ魔法を掛けろ」
 しかし、マリーは弱々しく首を左右に振った。
 突きつけられた現実に、頭が真っ白になる。
「そんな表情カオ、しないで下さい。あなたは何も悪くありません。わたしのわがままに付き合わされただけなんですから」
 難儀そうに手を伸べ、優しく彼女のほおれる。
「……村でのわたしは、孤独でした。幼い頃から隔離されて育ち、わたし自身も、周囲の期待に応えようとする余り、自分を押し殺していました。気兼きがねなく話せたのはサムぐらい……。旅に出て、お二人と知り合って。生まれて初めて、立場にとらわれることなく、素のままのわたしでいられました。とても、楽しい時間でした。日に日にわたしは、村へ帰るのが嫌でたまらなくなりました。自由に生きたい、そう、願うようになってしまったのです」
嗚呼ああ。分かって居る……」
 こんなに違うのに、こんなに相似そうじな彼女の事だから。
 歯止はどめだったのだろう。サムは。ずっと。
 人らしくるための。
 人形になり果ててしまわないための。
 彼女にとっての、エリスのように……。
「だから、わざと負けたのか」
 かすれた声でささやく。
「ええ」
 かすかにうなずく。
 微笑ほほえもうとしたその目から、涙がこぼれ落ちた。
「わたしは……弱い人間です。結局、逃げることを選んでしまいました」
 マリーが深い深い吐息といきを吐く。
 次に口を開いた時には、その声はほとんど聞き取れないほどに、小さくなっていた。
「レベッカさん、お願いがあります。もし、村に万が一の事があったら、魔法書まほうしょを頼みます。嫌な予感が、するんです。この腕輪があれば、『防壁ぼうへき』を通過出来ますので」
 苦しげに息をつく。
 それから、最後の力を振り絞るようにして、
「魔法書は…………ごく微量の魔力を発しているので…………行けば…………分かるはず…………です。そして…………それを…………持つに…………相応ふさわしいかた…………に」
 了解りょうかいしるしに、握った手に力を込める。
 胸がつかえて、言葉はどうしても出てこなかった。 
 マリーが安心したように目を閉じる。
「おと…………う様。おか…………様。サ……ム。御免………………なさい」
 イヤリングが、チリリと揺れた。
 美しいブロンドの髪が、木漏こもれ日にらされて、キラキラと輝く。
 光をまとったその姿は、とても神々こうごうしくて。もうあの美しい笑みをたたえることは無いなどということが信じられないくらい、安らかなかんばせで。
 時が止まったように、レベッカは動かなかった。
 ただ、そよ吹く風に揺れるこずえのざわめきだけが、空間を支配していた。


 『闇』の神授しんじゅ魔法による空間転移の副作用で、レベッカは大きくフラついた。
 近くの木に手をついて倒れることをなんとか防いだ彼女は、漂ってきた臭気に眉をひそめる。
 顔を上げて、愕然がくぜんとした。
 村人が、死んでいた。一人や二人ではない。
 リネスの仕業しわざかと咄嗟とっさに考えたが、すぐにそれが誤りであることを悟る。光魔法ひかりまほうの気配が、全くしないのだ。
 呆然ぼうぜんと踏み出した爪先つまさきに、何かが触れた。
 
 髪飾りだ。エメラルドとダイヤがふんだんに使われた、なかなか豪華な………… 
 妹がいつも大事に持っていた、彼女の両親の唯一の形見かたみ――
 
 血のが引く。
 心臓が飛びねる。
 なまりのように重かった身体からだは、疲労のことなど忘れて駆け出していた。
 
 族長の家の前まで来たとき、耳に人の話し声が入ってきた。
 本能的に、近くの木陰こかげに身を隠す。
 声が近づいてきた。
 そっとそちらをうかがう。
 二人の男が話をしていた。
 一人はよく知った顔だった。族長の側近そっきんのロバートだ。もう一人は、甲冑かっちゅうを着た銀髪の男だった。かぶとを被っているため人相にんそうわからないが、声色こわいろからしてそう若くはないだろう。
「して、リネスの方はどうなりましたか?」
首尾しゅびよく殲滅せんめつできたとのことだ」
「それはそれは」ロバートがほおを緩ませる。「予定通り、華々しい幕開けをすることができた訳ですな。……ところでエリス――村の入口でとらえたあの娘はどうするのです?」
「無論、生かしておくつもりはない。ただ、レジナルドがおもしろい方法を考えついたようでな。しばらく生き長らえさせることになった」銀髪の男が足を止める。「お前はもう一度生存者の確認を。その後は指示を待て」
 ロバートが慇懃いんぎんに頭を下げる。男は足早あしばやに去っていった。
 一つだけ、分かったことがある。それは――。
 レベッカは剣を抜き放ち、地をった。
「ロバァァト‼の、裏切うらぎり者っ!」
 恐怖に顔を引きつらせた元側近を情け容赦ようしゃなくり伏せ、そのまま、押し寄せる絶望に支配されて、膝をつく。
 血のように赤い夕日が、村を赤く染めあげていた。


 風が、レベッカの涙を遠くへ運び去っていった。
 村の裏手の、岩棚いわだなの上。ここからだと、故郷がよく見渡せた。
「わたしは、これから如何どうれば――」
 呆然ぼうぜんと、言葉が漏れる。
 簡単な埋葬まいそうも終えて、やることがなくなってしまうと、あとはただ、ひたすら空虚なだけだった。
 この手は、守りたいものを何一つとして守れなかった。故郷も、家族も、友も――何もかも、うしなってしまった……。
「……いや
 目を見開いて、顔を上げる。
 ふと、銀髪の男の言葉が思い出された。
だ、エリスは生きて居る」
 禁呪きんじゅとなえたこの身に残された時間は、もう長くはないかもしれない。でもせめて、妹だけでも救いたかった。それだけが、彼女の手の中に残された唯一のものだった。
 うつろだった瞳に、強い意志の光が戻る。
 レベッカは涙をぬぐい、毅然きぜんとした表情でくびすを返す。
 村を後にしたところで、不意に軽い羽音はおとがして、何かが肩に止まった。
「ホースケ!……良かった。御前おまえは、御前だけは無事で居てれたのだな……」その小さな、けれども確かに暖かい命をそっと胸に抱きしめ、肩を震わせる。「わたしは……わたしは、御前の主人を、して、マリーをあやめた――咎人とがにんだ。それでも、わたしと共に来ると言うのか?」
 力強い、それでいて柔らかく、包み込むような、慈愛じあいに満ちた鳴き声が、彼女の鼓膜こまくを揺らす。
「然うか」レベッカははかなく笑む。「有難ありがとう、ホースケ」
 雲間くもまから伸びた一条の光が、レベッカの行く手を明るく照らす。彼女の進む道にさちあれと願うかのように――。

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