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エール号、出航

広場で

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 ゆのかとうみが、船に乗った直後、船がゆっくり動き始めた。

「見て。」

 うみは、廊下にある窓の外を指さした。
 絶壁に囲まれた島が、少しずつ、少しずつ…ゆのかから離れていく。

(家出…本当に、成功したんだ……
 ギターも…返ってきた………)

 それまで漠然としていた気持ちが、はっきりと輪郭を描く。
 監獄のような家。戻ってきたかけがえのない宝物。
 これから、どうしていくのか。ののかには、会えるのだろうか。
 不安と安堵が入り交じる。そうしている間にも、窓枠に囲まれた世界で、ホペ州は海の彼方へ追いやられていた。
 そして、窓の全てが海と空で埋め尽くされた時…ゆのかはようやく我に返った。

(ぼーっとしていて、待たせちゃったけど……大丈夫…かな………)

 おそるおそる、うみを見ると…うみはニコッと笑った。

「そろそろ行こっか。
 揺れるから気をつけて?」

 うみが歩く。ゆのかは慌てて後を追った。

(絶対、怒ってる…
 あ…謝らないとっ…!!)

 そう思ったものの、声が上手く出せない。
 そうこうしているうちに、うみはあるドアの前に立ち止まってしまった。

「ここなんだけど……ゆのか?
 どうしたの。何かあった?」
「っ…!」

 うみは、明らかに不安そうな顔をしているゆのかと目線を合わせた。

「あ……ご……ごめん…なさい……」
「何が?
 ゆのかは何か、謝るようなことしたっけ?」

 困ったように笑ううみを見て、ゆのかはさらに慌てた。

「い…いっ…ぱい……時間、とらせて…迷、惑……かけ…て……」
「そんなこと気にしてたの?真面目だなぁ。」

 うみは、持っていた黒い帽子をゆのかに被せた。

「ひゃ…」
「迷惑だなんて思ってないから。大丈夫だよ。
 もし本当にそう思ってるなら…初めからギターとりに、知らない家に行かないって。」
「……!!!」

 ゆのかは、ハッと気づいた。

(今までずっと、考えてこなかったけど……“壊すためにギターちょうだい”って言ってたあの嘘は……まさか、ギターを取り返すことに反対だった私を、説得させるため……?)

 冷静になって考えると、音楽を聞かないうみが、それ以外に嘘をく理由がない。

……私の宝物を、取り返すつもりでいたってこと………?
 でも、私は…この人に…散々、迷惑かけて…裏切られたって思い込んだことも、あったのに…)

 何もかもが申し訳なくなって、ゆのかは黙ってしまった。

(あれ?まさか、また振り出しに戻ってる??
 結構仲良くなれたと思ってたんだけど…全部、気のせいだった?)

 だが今まで培ってきた対人スキルが、ゆのかには通用しないことを、うみは思い知っている。今更、怖がられたところで、めげることはなかった。

「ねぇ、ゆのか。
 約束、覚えてる?」

 抜き打ちテストされるように言われ、ゆのかは頭をフル回転させた。

(“気分が悪くなったら、すぐ言う”と…“作戦は、星さんに内緒”と…“うみの傍から離れない”……
 大丈夫…何を聞かれても、絶対、答えられる…)

 “約束”を忘れて、怒られることはまず無い。ゆのかは頷いた。

「俺の説明不足で、ゆのかを怖がらせちゃったこともあったよね。それは、本当にごめん。
 でもゆのかは、そんな俺から逃げないで、傍を離れなかったから…無事に帰ってこれたんだよ。
 だから、迷惑だなんて思わないで?むしろ、ありがと。」

 だが、うみが、その内容を聞くことはなかった。

(それどころか……私は、この人のこと…“人殺し”って思って…手を振り払ったのに……それを責めずに、謝られて、お礼まで言われるなんて…)

 胸が、ギュッと苦しくなる。

「いろいろ、思うことはあるかもしれないけど…今は素直に、宝物を取り返せて、家出も成功したことを喜ぼ。」
「っ……」
「ね?」

 うみの気遣いに、何も反論することができなかった。

(もう…これ以上、この人に迷惑かけちゃ、駄目。
 これからは、失敗しないように…気をつけなきゃ……)

 ゆのかは頷いた。気が引き締まるような思いを胸にして。

「紹介するね。
 ここ、船員達が食事したり、休憩したり、話したりする部屋で、みんな“広場”って呼んでるんだ。」

 うみは、広場の説明を簡単にすると、ドアを開けた。
 ドアはどこにでもあるような普通のドアだったが、中はとても広い。境界は定かではないが、およそ二分割されている部屋だ。
 目の前のスペースには、奥行きが長いテレビや、くつろぐためのソファーが置いてある。また、カードゲームをするようなテーブルがいくつもある。遊んだり休んだりするスペースのようで、家と同じ名称をつけるとすれば、リビングにあたる。
 左のスペースに目を向けると、どこまでも続くような長いテーブルに、たくさんの椅子が向かい合って並んでいる。そのさらに奥で、料理している音が聞こえてくる。
 おそらく、食事をするためのテーブルであろう。そして奥はキッチンとなっている。こちらは、ダイニングのようだ。

(広場…そっか。
 場所の名前…船員さんの名前…ちゃんと、覚えなきゃ………)

 キョロキョロと辺りを見渡すと、ソファーに人影が見えた。

「ただいまー。」

 ソファーには5人の男達がいた。皆、エール号の船員で、体格が良く顔も強面だ。うみが軽く挨拶をすると、船員達はギロリとうみを睨みつけた。
 その迫力に、ゆのかは、ビクン!と体を震わせた。

「……おい。
 うみが、またオンナ連れてるぞ。」
「テメェ、いくら女好きだからって、船乗せるのはダメだろ?!」
「お嬢ちゃん!アンタ、その男にダマされてるよ!」
「くそ!どーして17のガキにはポンポン彼女ができて、いい歳したオレらにできねぇんだよ?!」
「ふざけんな!!!」

 船員達は、一斉に怒鳴り声をあげた。どうやらゆのかは、ここでも“うみの彼女”と勘違いされてしまったらしい。

(どう…しよう………違う、って…言わなきゃ……
 ただでさえ…たくさん、迷惑かけてるのに……うみが、怒られちゃう…)

 だが、話そうと思えば思うほど頭が真っ白になる。心臓がざわついて、落ち着かない。
 ゆのかは思わず、ギュッと目を閉じた。それでもまだ、周りはガヤガヤしている。
 うみは、完全に萎縮してしまったゆのかを見て、船員達に爽やかに笑った。

「初めて来た州で、流石に彼女作るわけないでしょ。それにもう、出航してるの気づかなかった?」
「え、マジ?」
「そういや船が動いてんな。」
「出発の合図汽笛がなかったから、気づかなかったわ!!」

 うみは、溜め息をきながら言った。

「このは、今日から仲間になるだよ。あんま大声出さないでくれる?」
「はぁ?!」
「マジで?!!」
「女の子?!!!!」
「しかもわけぇ!!」
「うみっ、それなら早く言えっつーの!紹介しろよ!!!!!」

 大声を出すなと言った直後に、船員達は一気にテンションが上がった。
 エール号の船員の8割は男で、女が新しく乗船することは滅多にない。うみの彼女だったら、嫉妬ゆえにこの船に乗るのは大反対だが、見ての通り、エール号の船員としてなら大歓迎なのだ。
 誰もが、ゆのかを迎え入れる雰囲気になったものの…当の本人は、まだ震えている。

「それがさぁ。俺も、いかりさんを呼びに行く間、広場ここで待っててもらおっかなって、思ったんだけど」
「だろっ?!」
「うみ、分かってるぅ!!」
「考えたら、うるさいバカ人達がいる上に、初めての場所で1人にするのも、可哀想じゃん?
 ゆのか。一緒に、船長室行こっか?」

 うみが優しく言う。縋るような目で、ゆのかはうみを見上げた。

「船…ちょ…う………室…?」
「うん。
 エール号の船長に、挨拶しに行こ。見た目は怖い人だけど、どっかのバカ船員みたいに、嫉妬にまみれて初対面から怒鳴る人じゃないから。」
「はぁああ?!!」
「ふざけんなよっ、うみ!!」
「いーじゃん!ここに置いてけよ!!」

 途端に、ブーイングの嵐が巻き起こった。

「あの世界一テキトーな船長だぜ?!んな、かったるい挨拶なんて、後でもいいだろ!!」
「つーか、うみがここに船長呼んでこいよ!!!どーせ、暇してんだろ?!」

 ゆのか若い女と仲良くしたいという、下心見え見えの船員に、うみは口を開いた。

「俺が女の子が好きなのも、その気になれば彼女がポンポン作れるのも、否定しないけど…」

 今日一番の爽やかな嫌味ったらしい笑顔を船員に向ける。

「きっと、そういうとこだよ。30過ぎてもみんなに彼女できない原因は。」

 広場は、それまでの騒がしさが嘘のように一瞬で静かになった。
 うみは、入ってきたドアを開けてゆのかに出るように促す。とりあえずゆのかは、うみの言う通りにして、広場を後にした。


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