めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

056 東條の本性

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「あらあら。ここからじゃもう見えないわ。私達も移動しなきゃダメねぇ」

 生い茂る樹木の陰に、すっかり呑み込まれてしまった二つの影。
 それを追っていた双眼鏡から目を離し、千沙都がぼやいた。
 参道の屋根代わりとなっているだけでなく、その先も周囲には山林がひしめいている。
 この場に居座ったままでは、圭の行動が追えなくなってしまう。

「随分と余裕なんだな?」

 双眼鏡に頼らずとも肉眼で十分に観察できていたアレイツァだったが、さすがに透視能力までは備えておらず、移動しなくてはならないというのは千沙都と同意見だった。

 二人が居たのは山麓付近。校門前へと伸びる公道の岐路から少し離れた場所だった。
 圭と別れて下ってきた一樹に気取られないよう、少し離れた木立に隠れながら覗いていたのだが、既に二人とも石段を眼前に見上げる位置にまで進み出ている。

「余裕があれば、こんなコソコソと様子を見たりなんてしないわよ」

 千沙都はわざとらしく溜息を吐きながらかぶりを振ってみせた。
 とはいえ、問題の侵蝕者――ヒミカと遭遇した圭を見ても飛び出したりしないのは、まだ余裕があると踏んでいるからだ。
 最終的にアレイツァ頼みになってしまう可能性は相当に高いが、できる限りは圭に任せてみようという腹積もりなのだ。

(叩いてどこまで伸びるものだか)

 アレイツァは腹の底で呟いた。
 世の中には、鍛えようとして叩くとそのまま潰れてしまう者も多い。

 これまで見てきた歴代のザナルスィバは、実戦での叩き上げこそが最良の訓練法だった。
 圭も例に洩れず、訓練と実戦を経て飛躍的に能力が向上している。
 本人がどこまで自覚しているかは分からないが、戦闘に関する過去の知識を着実に己の血肉としているのだ。

 だが、これから戦おうとしている相手は、最悪と言える程に高いハードルなのは明白。
 今の圭は怒りにも似た感情に衝き動かされているようだが、間違いなく返り討ちだ。
 伸びるよりも先に叩き潰されてしまう事を考えれば、アレイツァ自身の判断で飛び出さねばならないだろう。

「まあいい。とっとと行くか」

 双眼鏡を仕舞い込む千沙都を待ちながら石段を見上げた瞬間、背後に千沙都以外の何者かが立つ気配を感じた。
 多少の距離はあったものの、誰かと一緒に行動する事が久しかったせいだろうか、第三者の接近をここまで許してしまった自分の迂闊さを呪った。
 そして、振り返るよりも先にその場から離れるという選択をしなかった事に、またしても己の怠慢さを痛感した。

 次の瞬間、背に強い衝撃を受けたアレイツァは吹き飛ばされていた。

「が…っ!」

 衝撃と同時に、何かが全身を拘束する動き。
 受け身すらままならず、石段に容赦無く叩きつけられる。

「アレイツァっ!?」

 突然の事態に、目を丸くする千沙都。
 思わず駆け寄ろうとする衝動を抑え込み、腰を低くしながら襲撃者へと向き直った。

「…そう急がずに、もう少しゆっくりしていってもいいだろう?」

 手にした無骨な銃器で肩を叩きながら、公道脇の木立から歩み出る男の姿が認められた。

「東條……さん…?」

 所属する組織こそ違えど、その最終目標は同じくするところである。
 哨戒部隊を束ねる男の顔と名前くらいは、千沙都も見知っていた。

 装填弾数が一発きりの、弾切れとなった銃を東條は無造作に投げ捨てた。

「今すぐに向かわずとも、あの少年なら大丈夫だろう? なに、いざとなれば我々があの侵蝕者を始末するさ」

 マンション前での交戦は、圭達が何処いずこへかと去った事を察したヒミカが退いた事で終了していた。
 東條としては追っても良かったのだが、住宅街では障害物の多さのために追跡が困難を極める事は確実だった。

 正面からの力勝負。討ち取れる自信があっただけに、戦闘の中断を余儀無くされた事に苛立ちを覚えていたのだ。
 その点ではヒミカとの再戦は望むところであろう。

「だからって、これは何っ!?」

 身体を起こせずにいるアレイツァを指して、千沙都は東條を睨みつける。
 アレイツァを襲った衝撃の正体は、暴徒鎮圧用のゴムベルト弾だった。
 強い衝撃で相手を昏倒させる上、大きく展開した四本の硬質ゴムベルトが全身を拘束する特殊弾である。

 千沙都には東條の暴挙が理解できなかった。
 侵蝕者排除ももちろんだが、退魔師である千沙都はザナルスィバとなった圭の育成も同じく主題にしている。
 排除、討伐を最優先に掲げる哨戒部隊の意見も分からないものではないので、そうと言って貰えれば十分に譲歩する用意はあるのだ。

 確実な成果を期したいのであれば共闘でもなんでもやりようはある筈なのだが、それをこうも問答無用で攻撃を仕掛けてくるなど、アレイツァが一般人であれば哨戒部隊の存続さえ危ぶまれる大問題に発展しかねない行為だ。

(アレイツァを…攻撃した!?)

 その意味するところを察し、千沙都は驚愕した。
 それは憶測でしかなかったが、東條がアレイツァの正体を知っているのならば。攻撃の理由がいくつもの可能性となって浮かび上がる。

「東條――!」

 場合によっては戦闘も辞さない覚悟で詰問しようとした千沙都だったが、口にしようとした言葉を言い終える事も適わず倒れ込んだ。

「君と、この場で論争する気はないのだよ」

 抑揚のない言葉を紡ぐ東條の右手には、黒光りする小型の銃が握られていた。
 話し合いの結果如何で戦闘を覚悟していた千沙都と、最初から撃つ気でいた東條。
 その差は明確な結果となって展開された。

「ち、千沙都っ!」

 指先ひとつ動かさぬ千沙都を前に、自由の利かないアレイツァが首だけを起こしながら叫ぶ。

「なに、ただの麻酔弾だ。桂木女史ほどの上等な女ならば、それだけでも価値がある。まぁ、数時間は目覚めないと思うがね」

 言葉とは裏腹に、酷くつまらなさそうに吐き捨てる東條。
 千沙都を見下ろすその視線も冷淡そのものであり、およそ同志を見る色ではない。

「……貴様あっ!」

 本当の意味で異種族のアレイツァだったが、目の前の男が常軌を逸しているという事だけは理解した。
 生来のものなのか、何者かとの邂逅がその思想を捻じ曲げてしまったのかは分からない。
 しかし、こういった輩に一定以上の権力を持たせると大抵ろくな結果にならないという事例は長年の人間界生活の中で嫌という程に見てきた。

 なにより、付き合いこそ浅いが仲間と認めた千沙都を傷つけられたのだ。
 この男はここで屠らなければならないと、アレイツァは結論づけた。

「そこを、動くなよ…!」

 全身を拘束する硬質ゴムは厄介な代物だったが、アレイツァが本気を出せばこんなものは段ボール紙同然だ。

「が――あああああっ!!!!!」

 しかし次の瞬間、背骨が折れそうなほどに仰け反らせ、アレイツァの身体は宙に跳ね上がっていた。
 石造りの地に落ち、鈍い音を上げながらバウンドする。

「ぐ……は…っ」

 明滅し、焦点の定まらない視線を東條へと向ける。
 全身の筋肉が笑うように震え、首を動かすだけでも激痛が走った。
 自身を襲ったのがゴムベルト弾の中心にある装置より発せられた高圧電流だと理解したものの、今のこの状態では回避できる道理がない。

「君のその規格外れの力、既に見せて貰っているからな」

 アレイツァに先制攻撃を加えたのは、千沙都の危惧した通り、その力を無効化する事にあったのだ。

「…古より、雷は神の怒りと畏れられてきた。圧倒的なエネルギーの前に岩は砕かれ、大樹は裂かれ、森は焼き尽くされ、水はその姿を失う」

 どこか恍惚さを漂わせる表情で東條は言った。

「だから――どうしたっ!」

 既に身体の震えは収まり、焦点も定まっていた。
 芋虫のような動きしかできないのは屈辱でしかなかったが、この際そんな事を気にしてはいられない。
 先程はゴムベルトを引き千切ろうとした加圧にゴムベルト弾の装置が自動反応したようだが、予備動作なしで飛び掛かれば高圧電流の洗礼を受けずに済む。
 過剰な動きに反応してしまうのだとしても、東條に密着した状態に持ち込めれば御の字だ。
 どれだけ肉体を鍛えたところで、先の電流は人間には耐え切れるものではない。

「――ぐがああああああっ!!」

 しかし、飛び掛かるために身体の向きを変えようとした時点で、再度の衝撃がアレイツァの全身を襲う。
 装置の自動反応を警戒したアレイツァだったが、東條の手には掌に収まる程のスイッチが握られていた。

「意外と間抜けなのだな。少々がっかりだ」

 全身の水分が煮え立つような激しい痛みが脳髄を直撃し、肌の灼ける振動が神経を引き裂かんばかりに擦り込まれる。
 服は爆ぜ、視界は白と黒とで目まぐるしく塗り潰され、口、鼻、耳、目……体中の穴という穴から鮮血が迸る。
 先程よりも長く激しい暴力がこれでもかとアレイツァの肉体を蹂躙し、ゴムベルトすらも焼失しそうな限界までそれは続いた。

「…つまりだ。
 どれだけの力を内包しようとも、肉体という器に収まっている以上は神の怒りに触れて無事では済まないという事だ。その身をもって実感できただろう?」

 身体中から煙を上げ痙攣する異世界の女を睥睨し、口元を歪めながら東條は語るも、白目を剥き泡を吹くアレイツァにその言葉が届く筈もない。

「ほぅ、これでまだ息があるとは凄いな。思いがけない貴重なサンプルだ」

 酸素を求めて小刻みに上下する胸元を見て、東條は素直に感心した。
 これだけの生命力ならば放置しておいても回復するだろうが、千沙都と同様に数時間は虫の息だろう。
 仮に死んでしまったとしても、得る事のなかった偶然の拾い物だと思えばどちらでも構わない。

「こいつらを見つからないように転がしておけ。後で回収するからな。こっちは生体サンプルだが、桂木女史は生き残れた連中で好きにしていいぞ」

 そう、生き残れたならば――な。
 自分達が勝つという結果は疑いようもないが、全員揃って無傷で済むとは東條も考えてはいなかった。

 その部分を正しく汲み取れたのかどうか。東條の言葉を受け、背後の山林から下卑た歓声が上がった。
 部下である十数人の哨戒部隊員が茂みを掻き分けながら現れ、アスファルトを削る音と共に数台の装甲車輌が集結する。
 侵蝕者潜伏の可能性が高いという名目で公道は封鎖済みである。
 実際に退魔師の身体を乗っ取った強力な侵蝕者が存在しているので、誰に憚る事のない作戦行動に分類されるのだが、その実は東條の私欲によるものであると言っても過言ではない。

「さぁて、できれば少年には頑張って欲しいところだな。生きていて貰わねば餌としての価値もなくなる」

 言葉では圭を応援しているようにも聞こえるが、実のところ東條にとっては圭の安否もどうでも良い事だった。

 ザナルスィバなどという不安定極まりない存在を、後生大事にしようとする退魔師連中の時代錯誤ぶりも甚だしい。
 近代兵器を使いこなす東條から見れば、連中は英雄的ヒロイック思想に酔った馬鹿の集まりだ。

(そう、俺はこの手で成し遂げる。絶対的な力を、この手に――)

 近い将来の自身を想起し、悦に入るその背からは黒いオーラが立ち上っているかのようだった。
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