群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

52 香月に何があったのか

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 香月には、玲怏の発した言葉の意味が理解できなかった。
 何が当たりで、どうすれば外れなのか。
 そもそも、当たりであればどうだというのか。

「ともかく、こいつは返してもらおう。期待以上の効果があったようで何よりだ」

 香月の掌から今にも滑り落ちそうな巾着を掬い上げ、玲怏は無造作に背後に立つ少女へと投げ渡した。
 検分しろという事だろう。

「……ふぅん。
 これはまた、随分と酷使したものね」

 少女の声音は言葉に反し、素直に感心を含んだものであった。

 美しい光沢を放っていた布地からこうまで色を喪わせるなど、少女の記憶の中では誰も為し得ていない事である。
 文献による知識としては備えていたが、こうして実物を目にするまで誇張表現であると思っていたくらいだ。

「さて、中身は……と」

 巾着の口紐を緩め、中に収められていた物を掌に転がした。
 それは直径10ミリ程の丸い石。
 ビー玉のように綺麗な球体ではあったが、その色は巾着に溶け込んでしまいそうな鈍色。
 色だけ見れば、そのへんの道端に転がっていそうなものだった。

(もしかして……)

 巾着と同じように、元は光沢を放つ宝石のような石だったりしたのだろうか。
 直樹はあえて疑問を口にする事は避けた。
 そんな直樹の疑問は当たっていたのかどうか、少女も特に触れる事はなかった。

「……」

 少女は無言で掌に置いた石を指先で転がす――と、さして力を入れたようにも見えなかったが、石はあっさりと割れ、そのまま押し付けられた指先によって粉々に砕けた。

 その様子を直樹は呆然と見遣り、玲怏は当然といった表情をしている。
 香月は理解できているのかいないのか、とりあえず自分に矛先が向かなければいいな、程度の心境である。
 もちろん、そんな香月の希望は叶えられる事もなく。

もう片方の・・・・・、ポケットに入っている分も出してちょうだい」

 その言葉に、香月の両肩がビクリと震えた。
 香月は感情がすぐに表情や態度に出る。ポーカーフェイスなどできる筈もない。

 つまり、その態度が。
 少女が何を言っているのか、香月は理解できてしまっている。

「……?」

 この場でいちばん理解が及んでいない者が居るとすれば、それは直樹である。
 少女らにしてみれば予想していた事であり、先の玲怏の言葉からも、確信を得たのだと知る事ができる。

「………」

 そこはかとなく疎外感を抱きつつも、直樹は口を閉ざしたまま。
 何も分かっていない直樹が下手な質問をせずとも、少女らとのやり取りを見ていれば答えは出てくる筈なのだから。
 そして香月は求められるままに、先程とは逆側のポケットに手を差し入れる。

「もちろん、全部よ? もう貴女のポケットに収まっていたところで、ゴミにしかならないしね」

 わかってるわよと、香月は口を尖らせてみせる。
 鵺と直樹の死闘を目の当たりにした後となっては、雪乃の事についての怒りは治まっていた。
 むしろ病院送りになっていなければ鵺の餌食となった可能性がある以上、そこは少女に対して感謝しなくてはいけないだろう。
 とはいえ、手の平を返すように態度を変える事も気恥ずかしく――

「…ほら、これで全部よ」

 ――どうしても口調には若干の棘が隠しきれないでいる。

 香月は努めて軽い調子で渡したものの、それを見た直樹はぎょっとした。
 香月がポケットから無造作に取り出した物は、先のものと同じく色褪せた巾着。
 それもひとつではなく、香月の小さな手では取りこぼしてしまいそうな量だった。

(あ……)

 少女に手渡した傍から砕け、砂のように崩れては流れ落ちてゆく巾着。
 手渡した程度の衝撃で砕けるまでに風化していたとは思いもしなかった直樹は、香月が取り出した巾着の数を把握できなかった。
 すべての巾着が同じ大きさであったのならば、少なく見積もっても5個分はあった筈だ。

「7個だな。最初の分を入れて、都合8個だ」

 直樹の表情を読んだのか、玲怏が解説を差し挟んだ。

「もちろん、すべて同じ物だ」

 玲怏が続けた言葉に、直樹は違和感を覚えた。
 校門で巾着を受け取ったのはもちろん知っている。直樹もその場に居たのだから。

 しかし、8個などと。いつの間に香月は、それだけの量を手に入れていたのだろうか。
 校門での香月の反応を思い起こしてみるも、既に同じ物を所持していたとは思えない。
 校舎内で別行動をしていた際に入手したというのが妥当な線ではあるが、校舎内で少女らと遭遇したのであれば、さすがに保護されて然るべき状況なのではないだろうか。

「大丈夫? 理解できている?」

 少女が黒髪を揺らしながら、直樹に視線を向ける。

「校舎内で、香月と会っていたのか?」

 可能性としては低いと思いながらも、直樹には他に思いつかない。

「会ってはいないわ。それよりも、もっと根本的な部分を理解していないわね。いま見た巾着は、すべて同一のもの・・・・・よ」

「……は?」

 何を言っているのだと直樹は思った。鵺という脅威が去ったとはいえ、言葉遊びをする程に暇でもないだろうに。

「巾着が8つ、ではなく、1つの巾着を8回だ」

「え?」

 補足するように言葉を繋ぐ玲怏に、直樹はいよいよ分からなくなってきた。

「校門で巾着の受け渡しは8回、行われていたという事だ」

「この状況から推察できる限りでは、という条件つきだけどね。私達だって1回しか渡した覚えはないもの」

 つまり、どういう事だ?
 絵空事を現実だと突きつけられている感覚。
 否、感覚ではなく実際にそうなのだが、理性が常識で推し量れないものを排除しようとするかのように、直樹の思考を引っ掻き回す。
 だが、少女は直樹が落ち着くのを待ってはくれなかった。そんな事をしていれば、いつまでたっても話が進まない。

「そもそも、巾着に入れてあった石は特殊な物でね。希少さや価値で言えば、国宝程度じゃ釣り合いが取れないくらい」

「ええっ!?」

 国宝という単語に香月が驚きの声を上げるが、少女は事も無げに続ける。

「まぁ、石の持つ効果を思い通りに使えれば、って話ね。
 その効果は文献に記されているものの、本当にそんな現象が起きるのか。起きたのだとしても、誰にも……下手をすれば本人にも知覚できないときたものよ。
 あまりに眉唾すぎて、こうして持ち出したところで咎める人間なんていやしない。
 だけど、ここに1つしかない筈の石が複数揃い、私達の目の前で力を喪った石は砕けた」

 直樹はごくりと喉を鳴らした。
 この場で少女らが嘘を並べ立てる理由はない。
 少女自身が言っているように知覚できていないが故の推論だとしても、直樹の眼前で起きた現象は十分な証左となり得る。

「…そうね。細かな解説はその都度やっていくとして。とりあえず重要な事を伝えるわ」

 少女の視線が香月と直樹の顔を数往復し、直樹に定められた。

「貴方、8回死んでいるわ」
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