群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

41 校舎内へと

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「こっちはどうする?」

 香月に問い掛けながらも、直樹は周囲を見回す。

 校門前であるこの場に留まり、学園内の空間が正常化するのを待つのが最善だ。
 校舎内を満たしている霞もこの場では相当に薄く、自身の爪先までしっかりと視認できているのはありがたい。

 姿を消した二人もそのために来ているのだろうし、そこは当てにしても良いだろう。
 他力本願だと誹りを受ける謂われもない。

 落ち着きのない香月は不満を口にするかもしれないが、退屈を口にするのならば時間を忘れるような行為に耽るのも悪くないと、直樹は内心で密かな笑みを漏らす。

「そうねぇ。待つだけってのも退屈よねえ?」

 気付いているのかどうか、直樹の思惑に沿うような言葉を返す香月。

 香月としても校舎内が得体の知れない状態である事は身を以て経験しており、中に入ろうとするような言動は避けている。

「なぁ、香月…」

 幸いとばかり、香月の腰に腕を回して抱き寄せる。

「…え? …あー。……うん」

 突然といえば突然の事に驚きの顔を見せた香月だったが、すぐに直樹と同じ考えに至ったらしく、控え目ながらも同意の返答を口にして身を寄せてきた。

「なんか、こういう事をするのも久し振りな気がするな」

 直樹の言葉に、香月からの反応はない。唇を塞がれてしまっては当然といったところであるが。
 実際、最後に肌を重ねたのは何日前であったろうか。直樹は自身の胸の鼓動を感じながら香月の唇を貪る。
 うるさいくらいの鼓動は、やがてガリガリと耳障りな程の音程へと変化した。
 まるで硬い物でコンクリートを削っているかのような。

「……んん?」

 生身の身体が脈打つ音が、そんな音になるのだろうか。
 香月の甘い感触に溺れるあまりに五感がおかしくなってしまったのかとも思ったが、そうではなかったようだ。
 触れ合っていた唇を離してひと呼吸置いてみた直樹だったが、耳障りな音は止む事なく周囲に響いている。

「ちょっと、直樹。あれ……!」

 ほんの数秒前まで濡れた吐息を漏らしていた香月だったが、驚きに見開かれた瞳にはそんな名残は欠片もない。
 せっかくの盛り上がった気分を台無しにされたせいか、香月の指す方を見遣る表情にも険が入ってしまう直樹だが――

「――あぶねっ!!」

 何の前触れもなく飛び掛ってきたもの・・を、咄嗟に蹴り返していた。

  ギャギャッ

  ギャギャギャ

「って、おいっ!?」

 雪乃が入院している病院前で遭遇した怪物が、二人を包囲していた。
 たった今蹴り返した個体も、ダメージを受けた箇所をさすりながらのっそりと起き上がった。

「どうすんの…。すっかり囲まれてるじゃない」

 香月が息を呑む音が聞こえた。
 四方八方という程ではなかったが、数えるのも面倒になるくらいの怪物が直樹らを囲んでいる。
 背にしている校舎のみが、怪物の姿がない唯一の道だ。

「なんなのよ。御守だなんて言ってたけど、御利益ないわね。ぶーぶー!」

 香月が口を尖らせて悪態を吐く。
 軽口まで交ぜるあたり本当に肝が据わっていると、直樹は素直に感嘆する。
 そこまで落ち着いているのは大したものだが、実際には戦力に数えられるものでもなく、今は逃げの一手しかない。

(…面倒だな)

 逃げるとなれば校舎以外の選択肢はなく、それはそれで困った状況に陥ってしまう。

「仕方ない。行こう」

 とはいえ、迷ってみたところで他の選択肢が出てくるとも思えなかった。
 香月の手を掴むと校舎内に続く入り口に向かって駆け、そのまま霞の壁を突き抜ける。

「うひゃっ!」

 見た目は霞でありながら物理的な抵抗を感じさせる突破感に、香月が悲鳴のような、そうでないような声を発する。
 駆け込んだ勢いのままに二人は区画の中ほどまで進み、足を止めて振り返った。

「追ってはこない……みたいね」

 油断は禁物だが、すぐに現れないところから見ると追ってくる気はないのかもしれない。
 相当な頭数であったし、獲物である直樹らに対して慎重に追い詰めようという周到さを持ち合わせているとは思えなかった。

「まったくもー。あんな場所で直樹が盛り上がったりするからー」

 直樹の背を指先で突きながらも、香月はどことなく楽しげだった。

「悪かったよ。次からは気をつけるから」

 何をどう気をつけるというのか。
 香月はあえて問い質すような事はしないし、直樹自身も補足などしない。

 それにしてもと、香月のスカートに視線を落としながら直樹は考える。

 御利益が無いと香月は文句を口にしたが、玲怏から渡された巾着袋――中身は知らないが――は間違いなく本物だ。
 滲むように漏れ出ている加護の力を明確に感じ取れる。

 香月に意識を集中しすぎたせいで怪物どもの接近に気付かなかったのは認めなければならないが、あの御守を持っていながら怪物の襲撃を受けてしまうとなれば、何者かの意思によってけしかけられたと見るべきだ。

(誰かに……誘導されている?)

 どちらかと言えば追い立てられている、の方が近いのだろうと直樹は思った。
 そして、それが誰かなど分かりきっている。
 この空間を造り出している存在だ。
 問題は、それが何者で、何を目的としているかだ。

(まぁ、ロクな事でないのは確かだな)

 怪物を使役して追い立てるなど、とてもではないが友好的であるとは言い難い。
 最悪、殺しにきていると考えておいた方が良い。
 いや、殺すだけではなく、魂を奪おうだとか、死後の安寧すら望めない事を計画しているのかもしれない。
 正体不明の怪物を使役できるのだから、そういったオカルト的な思惑が絡んでいたとしても納得できそうだ。

「……あー」

 香月的な発想をしている自身に気付き、直樹は小さく呻いた。
 自分は常識人だという自負はある直樹だった。
 しかし同時に、世間一般大多数の市民の中に溶け込めている存在であるかと言えば、それは否である。
 自分の持つ能力故か、はたまた両親の教育の賜物か。

「ん? 何? どうしたの?」

 直樹の呻き声に気付いた香月が、心配そうな視線を向けてきた。
 香月の言葉に思考を中断された形だったが、中途半端な考えはそのまま投げ捨てた。

「いや、これからどうしようかと」

 後回しにしていた考えを、さも最優先案件とばかりに口にした。
 直樹らの状況が追い立てられているものだとすれば、進んだところで安全とは縁遠い場所に出るだけかもしれない。

「あいつらが追って来ないなら、ここに居ればいいんじゃないかな?」

 香月の提案に、直樹は唸るように返事をした。
 香月の言葉は無難ではあるが、この場で選択できる最良のものだろう。事実、香月が言わなければ直樹が言っていたものだ。
 ただし、怪物どもが追って来なければ、だ。

 怪物が自分達を追い込んでいるという予想は、決して見当違いではないだろうと考えている直樹だった。
 そして、こういった悪い予想というものは、的中するようにできているものなのだ。

  ギャギャギャギャギャ……
    ギャギャギャ
     ギャギャギャギャ…

 耳障りな声が、霞の壁の向こうから漏れ聞こえてきた。
 その合唱ぶりから、相当な数が押し寄せているのだと判断できてしまう。

「なんなのよ、もうっ!」

 ヒステリック気味に叫ぶ香月の手を引き、直樹は次の区画に続く霞の壁を突き抜ける。
 あの二人が早々に、原因の排除をしてくれる事を祈りながら。
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