群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

24 雪乃、遭遇

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『さて、どうしたものかな?』

 人気の無い屋上で、薄灰色の狼が唸るように呟いた。光の加減によって、時折体毛が銀色に煌めく。

「……」

 問われた少女にはその声が聞こえていたのかどうか。
 相槌のひとつもなしに、フェンス越しに中庭の様子を見下ろしている。

『……?』

 少女の視線を追い、中庭を見下ろしてみると――




「新條くぅん。近所の犬が吠えまくりで怖いのよ~」

「…! ……!!」

「ちょっとアンタ! いい加減に直樹にくっつくのやめなさいよ!」

「減るもんじゃなし、だいじょうぶよ~」

「大丈夫なもんですか! アンタに構ってると、こっちの時間が目減りするのよっ!!」



 直樹にべったりの奈紀美と、それを力ずくで引き剥がす香月。
 桂守学園の生徒からしてみれば、至って日常的な1コマが展開されている。

『…やれやれだな』

 ホームルーム時に注意を促していた教師の声は、開け放たれた窓を通って屋上にまで聞こえていた。
 学園側の危惧など、どこへやら。
 平和を通り越して、平和ボケという言葉が実に似つかわしい。

「……ふん」

 少女なりに思うところがある様子だったが、特に言葉も無く吐き棄てるように息を切ると中庭に背を向けて終わりだった。

(珍しいな)

 それが率直な感想だった。
 年端もいかぬ――それこそ自分から見れば赤子同然の――少女ではあるが、こと任務においては鉄だ氷だと揶揄されるまでに自らの感情を圧し殺す術を身につけているのだ。
 それが、ほんの僅かながらも垣間見せた素の表情。
 目にしていた光景の、何に対して吐き出した感情だったのか。
 聞いてみたくもあったが、はぐらかされるか、それとも逆にやり込められるか。

 軽く頭を振った。
 湧いて出た可能性のいくつかを思考から追い出すと、自分らがなすべき事に改めて向き合う。
 興味本位でしかない無駄話など、この一件が終わってから好きなだけすればよいのだ。

 数日前からの調査は、この学園敷地を中心に続けている。
 調査範囲としては町全体に及ぶのだが、人間の密集度が高く広大な敷地と許容範囲キャパの広い建造物をもつ学校というものは、目的とする対象が身を隠すための好条件が揃っている。
 気配を紛れさせるための人間が一気に減ってしまう事は対象の警戒具合を上げさせる事に繋がってしまうが、何かが起きた時に巻き込まれる人間が出てしまうよりは良い。
 そういった意味では、人払いをしてくれた学園上層部の判断に感謝すべきところだ。

『さて、どこから調べようか』

 学園側の指示により部活動は行われていないが、すべての生徒が学園から離れた訳ではない。
 むしろ、こういう事態こそを好む生徒がいても不思議ではないのだ。
 下手に動いて、教師や生徒の目に留まるような行為は避けねばならない。
 相手にもよるが、少女がここの生徒だという言い逃れが通じるかどうかはあまり期待できない。

「そうね。あまり人が寄り付かないあたり……校舎裏あたりから――」

 言いかけ、口をつぐんだ。
 校舎内とを隔てる鉄扉の向こうから人の気配を感じたのだ。
 その者はどうやら階段を駆け上がってきていたらしく、気配を感じて数秒も経たないうちに鉄扉に手をかけていた。

「……っと」

 屋上に姿を見せたのは、薄型のデジタルカメラを片手にした雪乃だった。
 無人の屋上を想像していたのだろう。扉を開けてすぐの場所にいた少女の姿に驚き、鉄扉にしがみつくようにして足を止めた。

「あー、ごめんなさい。驚かせちゃったかしら。誰か居るとは思ってなくて」

 照れ笑いを浮かべながらも、雪乃は見覚えのない少女の姿を観察する事を忘れない。

「大丈夫よ」

 もとより扉がぶつかりそうな場所には立っていない。
 たとえ雪乃が飛び掛ってきていたのだとしても、難なく対処できている。

「近いうちにこの学園に通う事になるかもしれないから、ちょっと見学させてもらっていたのだけれど。今日は早く帰るように言われているから」

 雪乃が自分の存在を疑っているのだと察し、香月に話した時と同じ理由を口にした。雪乃が香月の友人だという事はしっかり頭に入っている。
 自分はすぐに帰るつもりだという事と、雪乃が下校していない事にも言外に触れてみせた。

「私はね、取材……というか調査かしら。最近、やけに動物が騒ぎ立てる謎を突き止めたいのよ。大丈夫、先生の許可は取ってあるし」

 目的を隠さない雪乃だったが、許可を取っているとは口から出任せである。
 嘘でも何でも、堂々としていれば大抵の相手は納得してしまうものなのだ。

「そうなの? 気をつけてね?」

 もちろん雪乃の言葉が嘘である事は見抜いた上で、少女は真に受けたような素振りで屋上を後にした――ように見せかけ、雪乃の背後に歩み寄る。
 その動作には一切の気配が発生せず、後頭部に掌を向けられるに至っても、雪乃はその事に気付かない。

(好奇心は猫を殺す、なんて言葉もあるくらいなのよ?)

 雪乃の調査の果てに待つ存在に思い至っている少女からすれば、自らの身を守る技能を持たない雪乃の行動は命知らずにも程がある。

「少しばかり――退場していてもらえるかしら」

 そして、雪乃の意識は暗転した。
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