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1章
44.愛している瞳
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昔の夢を見てしまった。
世界で一番思い出したくなくて、吐き気を覚えるくらいに嫌いで。でも、それを"もう一度"と求めてしまう自分が、彗は酷く憎らしく感じた。
嗚呼、どうしてボクはこれほどまでに救いようのない人間なのだろうか、と。
「おーい、着いたぞ~!」
聞き慣れた卓郎の声を耳にして、彗はやんわりと目を開ける。
どうやら衣月に愛斗に関しての話を聞きに行った帰りに、疲れから車内で眠ってしまっていたようだ。変な体制で寝ていたからか、首や肩が少し痛む。
辺りは既に暗闇に包まれていて、目の前にある卓郎の顔を街灯が明るく照らしていた。
「ていうかお前、寝ながら喘いでたけどエロい夢でも見てたのか?」
嘲笑うように、卓郎は問う。
まるで、未だに純粋で汚れのない青年を馬鹿にするような態度である。その夢の原因が間違えなく、自分だということには気付いていないのだろうか。
「……昔の夢を見てました、多分。もしかして、寝言を言ってたりしました?」
もし、あのことを卓郎が知ってしまったら罪悪感で悔やんでしまうかも、と彗は考えたらしい。自分が傷付いても相手を第一に考える姿勢は、大切な長所と言える。
けれども、それを拗らせすぎると、いつか自分までもが壊れてしまうことを、彗はきちんと理解すべきだ。
声色は何処か焦っていて、さり気ない気遣いのようなものを感じられた。
「いや、寝言は言ってなかったぞ。起きる寸前まで、喘いでただけだ」
卓郎は暫く彗の質問に対して、不可解な面持ちをしていたが、結局はいつものように疑いなく答える。
良かった、と彗は安堵で胸を撫で下ろした。
因みに衣月と話した後に違う事件の捜査の為、四駅先の民家に行っていた二人。
だからこそ、帰りが遅くなったのである。
「それならいいです……」
欠伸をしながら、寝呆けた返事をする彗。
二人の間に田舎の墓場のような無音が響く。無意識な互いの吐息までもが、鮮明に聞き取ることができた。
それと同時に、近くの自販機の取り出し口に飲み物が落ちる、賑やかな音がした。音の響き方からして、缶の飲み物だろう、と彗は瞬時に察する。
「──先輩って母さんのことが好きなんですか?」
自販機の音に流されて、気付けば口から言葉がぽろりと溢れていた。自分が不可思議な言葉を発したことを彗が気付くのに数秒。
対して、卓郎が彗の発したことを完全に理解するのは、数秒も掛からなかった。
「……はぁ、好きだったよ。昔はな。別に今は何とも思ってないぞ?」
全く動揺することもなく、卓郎は過去の思い出を振り返るように淡々と呟きながら、ポケットから煙草を出し、火を付ける。
暗闇の中心にある小さな炎は、ライトアップされた花みたいに麗しく、見惚れてしまう。それのお陰か、彗と卓郎の間が、ほんのりと暖かくて明るかった。
まあ、二人の空気感はそうでもなかったようだが……。
──……嘘つき、今も好きな癖に。……ボクのことは眼中にもない癖に。
彗は心の中で、遠回しに愛を叫ぶ。
ひっそりと、誰にも気付かれず──そう、期待とは裏腹に本人にさえにも気付かれず、だ。
彗の心は恋の痛みに怯えて、微かに湿っていた。目の前で涙を流さないよう、唇を噛んで必死に堪え、卓郎にくちゃっとした笑みを見せる。
「そうなんですね……!」
決してこの気持ちを悟られないように。皮肉にも、人生で一番の満面の笑顔だったのかもしれない。
そして、それは偽りの笑みでもあった。
「そう言えばお前、昔も俺の車で寝たことあったよな? えっと、いつだっけな……」
吸った煙草を煙にして吐き出すと、彗の目の前にまで立ち籠める。
一度は卓郎の体内に入っていたのだから、関節キスのようだ、と彗は思う。
一方で、卓郎が言う寝たことには見覚えがないようで、首を傾げて不思議そうな顔をしていた。
「──あ、思い出した。六年前だよ。山口にしげちゃんと皆んなで旅行に行ったとき! あのときはお前、迷子になってさ。大変だったよなあ……」
自分の言動に軽く相槌を打ちながら、卓郎は喋り続ける。
今では一人、パズルピースが欠けてしまっているので、もう一度……と瓜ふたつの体験をすることは絶対にできないが、それを込みで、いい思い出なのだろう。
「あぁ、ボクも思い出しました。実は迷子になったとき、ボク海岸にいたんですよ──」
当時のことを振り返っていこうとした、その時だった。
突然、玄関の扉が勢いよく開く。其処には、この登場が当然かのように、風呂上がりの髪を靡かせた星が立っているではないか。
「あ、たくちゃん……! 彗を送ってくれて、ありがとね」
笑顔で一言だけ卓郎に感謝を述べた後、星は彗の肩に触れて、家に入るように、と目配せをする。
玄関に座り、二人が他愛もない会話をしている目の前で、丁寧に靴を脱いだ。
ふと、何も考えずに彗が卓郎の方を見たとき、彼は星のことを、非常に優しい目で見つめていた。
自分には特別なときですら、向けてくれないのにも関わらず……。
彗は改めて感じてしまう。
──相手のことを、心から愛している目だ……。
と。
二人と自分の間にある距離は二メートルにも満たない筈だが、彗にはそれが物凄く長いものに感じた。
沢山の人がお互いに愛を育み合う素敵な世界に、たった一人だけ、取り残されているような気分になっていたのだ。
世界で一番思い出したくなくて、吐き気を覚えるくらいに嫌いで。でも、それを"もう一度"と求めてしまう自分が、彗は酷く憎らしく感じた。
嗚呼、どうしてボクはこれほどまでに救いようのない人間なのだろうか、と。
「おーい、着いたぞ~!」
聞き慣れた卓郎の声を耳にして、彗はやんわりと目を開ける。
どうやら衣月に愛斗に関しての話を聞きに行った帰りに、疲れから車内で眠ってしまっていたようだ。変な体制で寝ていたからか、首や肩が少し痛む。
辺りは既に暗闇に包まれていて、目の前にある卓郎の顔を街灯が明るく照らしていた。
「ていうかお前、寝ながら喘いでたけどエロい夢でも見てたのか?」
嘲笑うように、卓郎は問う。
まるで、未だに純粋で汚れのない青年を馬鹿にするような態度である。その夢の原因が間違えなく、自分だということには気付いていないのだろうか。
「……昔の夢を見てました、多分。もしかして、寝言を言ってたりしました?」
もし、あのことを卓郎が知ってしまったら罪悪感で悔やんでしまうかも、と彗は考えたらしい。自分が傷付いても相手を第一に考える姿勢は、大切な長所と言える。
けれども、それを拗らせすぎると、いつか自分までもが壊れてしまうことを、彗はきちんと理解すべきだ。
声色は何処か焦っていて、さり気ない気遣いのようなものを感じられた。
「いや、寝言は言ってなかったぞ。起きる寸前まで、喘いでただけだ」
卓郎は暫く彗の質問に対して、不可解な面持ちをしていたが、結局はいつものように疑いなく答える。
良かった、と彗は安堵で胸を撫で下ろした。
因みに衣月と話した後に違う事件の捜査の為、四駅先の民家に行っていた二人。
だからこそ、帰りが遅くなったのである。
「それならいいです……」
欠伸をしながら、寝呆けた返事をする彗。
二人の間に田舎の墓場のような無音が響く。無意識な互いの吐息までもが、鮮明に聞き取ることができた。
それと同時に、近くの自販機の取り出し口に飲み物が落ちる、賑やかな音がした。音の響き方からして、缶の飲み物だろう、と彗は瞬時に察する。
「──先輩って母さんのことが好きなんですか?」
自販機の音に流されて、気付けば口から言葉がぽろりと溢れていた。自分が不可思議な言葉を発したことを彗が気付くのに数秒。
対して、卓郎が彗の発したことを完全に理解するのは、数秒も掛からなかった。
「……はぁ、好きだったよ。昔はな。別に今は何とも思ってないぞ?」
全く動揺することもなく、卓郎は過去の思い出を振り返るように淡々と呟きながら、ポケットから煙草を出し、火を付ける。
暗闇の中心にある小さな炎は、ライトアップされた花みたいに麗しく、見惚れてしまう。それのお陰か、彗と卓郎の間が、ほんのりと暖かくて明るかった。
まあ、二人の空気感はそうでもなかったようだが……。
──……嘘つき、今も好きな癖に。……ボクのことは眼中にもない癖に。
彗は心の中で、遠回しに愛を叫ぶ。
ひっそりと、誰にも気付かれず──そう、期待とは裏腹に本人にさえにも気付かれず、だ。
彗の心は恋の痛みに怯えて、微かに湿っていた。目の前で涙を流さないよう、唇を噛んで必死に堪え、卓郎にくちゃっとした笑みを見せる。
「そうなんですね……!」
決してこの気持ちを悟られないように。皮肉にも、人生で一番の満面の笑顔だったのかもしれない。
そして、それは偽りの笑みでもあった。
「そう言えばお前、昔も俺の車で寝たことあったよな? えっと、いつだっけな……」
吸った煙草を煙にして吐き出すと、彗の目の前にまで立ち籠める。
一度は卓郎の体内に入っていたのだから、関節キスのようだ、と彗は思う。
一方で、卓郎が言う寝たことには見覚えがないようで、首を傾げて不思議そうな顔をしていた。
「──あ、思い出した。六年前だよ。山口にしげちゃんと皆んなで旅行に行ったとき! あのときはお前、迷子になってさ。大変だったよなあ……」
自分の言動に軽く相槌を打ちながら、卓郎は喋り続ける。
今では一人、パズルピースが欠けてしまっているので、もう一度……と瓜ふたつの体験をすることは絶対にできないが、それを込みで、いい思い出なのだろう。
「あぁ、ボクも思い出しました。実は迷子になったとき、ボク海岸にいたんですよ──」
当時のことを振り返っていこうとした、その時だった。
突然、玄関の扉が勢いよく開く。其処には、この登場が当然かのように、風呂上がりの髪を靡かせた星が立っているではないか。
「あ、たくちゃん……! 彗を送ってくれて、ありがとね」
笑顔で一言だけ卓郎に感謝を述べた後、星は彗の肩に触れて、家に入るように、と目配せをする。
玄関に座り、二人が他愛もない会話をしている目の前で、丁寧に靴を脱いだ。
ふと、何も考えずに彗が卓郎の方を見たとき、彼は星のことを、非常に優しい目で見つめていた。
自分には特別なときですら、向けてくれないのにも関わらず……。
彗は改めて感じてしまう。
──相手のことを、心から愛している目だ……。
と。
二人と自分の間にある距離は二メートルにも満たない筈だが、彗にはそれが物凄く長いものに感じた。
沢山の人がお互いに愛を育み合う素敵な世界に、たった一人だけ、取り残されているような気分になっていたのだ。
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