上 下
45 / 55
1章

44.愛している瞳

しおりを挟む
 昔の夢を見てしまった。
 世界で一番思い出したくなくて、吐き気を覚えるくらいに嫌いで。でも、それを"もう一度"と求めてしまう自分が、彗は酷く憎らしく感じた。

 嗚呼、どうしてボクはこれほどまでに救いようのない人間なのだろうか、と。

「おーい、着いたぞ~!」

 聞き慣れた卓郎の声を耳にして、彗はやんわりと目を開ける。

 どうやら衣月に愛斗に関しての話を聞きに行った帰りに、疲れから車内で眠ってしまっていたようだ。変な体制で寝ていたからか、首や肩が少し痛む。
 辺りは既に暗闇に包まれていて、目の前にある卓郎の顔を街灯が明るく照らしていた。

「ていうかお前、寝ながら喘いでたけどエロい夢でも見てたのか?」

 嘲笑うように、卓郎は問う。
 まるで、未だに純粋で汚れのない青年を馬鹿にするような態度である。その夢の原因が間違えなく、自分だということには気付いていないのだろうか。
 
「……昔の夢を見てました、多分。もしかして、寝言を言ってたりしました?」

 もし、あのことを卓郎が知ってしまったら罪悪感で悔やんでしまうかも、と彗は考えたらしい。自分が傷付いても相手を第一に考える姿勢は、大切な長所と言える。
 けれども、それを拗らせすぎると、いつか自分までもが壊れてしまうことを、彗はきちんと理解すべきだ。
 声色は何処か焦っていて、さり気ない気遣いのようなものを感じられた。

「いや、寝言は言ってなかったぞ。起きる寸前まで、喘いでただけだ」

 卓郎は暫く彗の質問に対して、不可解な面持ちをしていたが、結局はいつものように疑いなく答える。

 良かった、と彗は安堵で胸を撫で下ろした。

 因みに衣月と話した後に違う事件の捜査の為、四駅先の民家に行っていた二人。
 だからこそ、帰りが遅くなったのである。

「それならいいです……」

 欠伸をしながら、寝呆けた返事をする彗。
 二人の間に田舎の墓場のような無音が響く。無意識な互いの吐息までもが、鮮明に聞き取ることができた。

 それと同時に、近くの自販機の取り出し口に飲み物が落ちる、賑やかな音がした。音の響き方からして、缶の飲み物だろう、と彗は瞬時に察する。

「──先輩って母さんのことが好きなんですか?」

 自販機の音に流されて、気付けば口から言葉がぽろりと溢れていた。自分が不可思議な言葉を発したことを彗が気付くのに数秒。

 対して、卓郎が彗の発したことを完全に理解するのは、数秒も掛からなかった。

「……はぁ、好きだったよ。昔はな。別に今は何とも思ってないぞ?」

 全く動揺することもなく、卓郎は過去の思い出を振り返るように淡々と呟きながら、ポケットから煙草を出し、火を付ける。
 暗闇の中心にある小さな炎は、ライトアップされた花みたいに麗しく、見惚れてしまう。それのお陰か、彗と卓郎の間が、ほんのりと暖かくて明るかった。

 まあ、二人の空気感はそうでもなかったようだが……。

 ──……嘘つき、今も好きな癖に。……ボクのことは眼中にもない癖に。

 彗は心の中で、遠回しに愛を叫ぶ。
 ひっそりと、誰にも気付かれず──そう、期待とは裏腹に本人にさえにも気付かれず、だ。
 彗の心は恋の痛みに怯えて、微かに湿っていた。目の前で涙を流さないよう、唇を噛んで必死に堪え、卓郎にくちゃっとした笑みを見せる。

「そうなんですね……!」

 決してこの気持ちを悟られないように。皮肉にも、人生で一番の満面の笑顔だったのかもしれない。
 そして、それは偽りの笑みでもあった。

「そう言えばお前、昔も俺の車で寝たことあったよな? えっと、いつだっけな……」

 吸った煙草を煙にして吐き出すと、彗の目の前にまで立ち籠める。
 一度は卓郎の体内に入っていたのだから、関節キスのようだ、と彗は思う。

 一方で、卓郎が言う寝たことには見覚えがないようで、首を傾げて不思議そうな顔をしていた。

「──あ、思い出した。六年前だよ。山口にしげちゃんと皆んなで旅行に行ったとき! あのときはお前、迷子になってさ。大変だったよなあ……」

 自分の言動に軽く相槌を打ちながら、卓郎は喋り続ける。
 今では一人、パズルピースが欠けてしまっているので、もう一度……と瓜ふたつの体験をすることは絶対にできないが、それを込みで、いい思い出なのだろう。

「あぁ、ボクも思い出しました。実は迷子になったとき、ボク海岸にいたんですよ──」

 当時のことを振り返っていこうとした、その時だった。
 突然、玄関の扉が勢いよく開く。其処には、この登場が当然かのように、風呂上がりの髪を靡かせた星が立っているではないか。

「あ、たくちゃん……! 彗を送ってくれて、ありがとね」

 笑顔で一言だけ卓郎に感謝を述べた後、星は彗の肩に触れて、家に入るように、と目配せをする。
 玄関に座り、二人が他愛もない会話をしている目の前で、丁寧に靴を脱いだ。

 ふと、何も考えずに彗が卓郎の方を見たとき、彼は星のことを、非常に優しい目で見つめていた。
 自分には特別なときですら、向けてくれないのにも関わらず……。

 彗は改めて感じてしまう。
 
 ──相手のことを、心から愛している目だ……。

 と。

 二人と自分の間にある距離は二メートルにも満たない筈だが、彗にはそれが物凄く長いものに感じた。

 沢山の人がお互いに愛を育み合う素敵な世界に、たった一人だけ、取り残されているような気分になっていたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ある日、彼女が知らない男と一緒に死んでいた

もりのはし
ホラー
「ある日、アパートの彼女の部屋を訪ねると――彼女と知らない男が一緒に死んでいた」 主人公・僕が、目の前の人物に、彼女が死んでいた時のことを思い出しながら語り始める。 *首吊り・自死表現あります。

這い寄る者

ツヨシ
ホラー
絶世の美少女。そして現れるストーカー。

カミシロ様

かがみゆえ
ホラー
 中学二年生の万夏《マナツ》と秋乃《アキノ》は双子の兄妹。  二人には6年前に行方不明になった姉・来々美《ココミ》がいた。  ある日、来々美に似た人物の目撃情報を得た秋乃は真相を確かめようとカミシロ山へと足を踏み入れる。  カミシロ山は《男子禁制》の山で男性が足を踏み入れるとその者は呪われると言われていた。  秋乃がカミシロ山へ向かったことを悟った万夏は自分が男でも構わず急いで秋乃の後を追い、祠の前で秋乃を発見する。  目撃されたのが来々美なのか確かめたい秋乃と一刻もカミシロ山から離れたい万夏が祠の前で言い合いをしていると、突然辺りが光に包まれて意識を失う二人。  次に万夏が目を覚ました時、近くに秋乃の姿はなかった。  その日、万夏は来々美だけでなく秋乃もいなくなってしまうのだった。  双子の兄妹が主人公のホラー小説です。  ホラーゲームのような展開を目指して執筆していきます。 ⚠️この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。 .

復讐するは鶴にあり

柘榴
ホラー
 昭和二十五年、終戦から五年が経過した頃、『鈴音村』では変死事件が立て続けに起こっていた。  一人目と二人目の被害者の少女二人は頭部を切断され、神社の井戸に晒されていた。  三人目の被害者は数千本にも及ぶ針を自ら飲み込み、それを喉に詰まらせて死んだ。  四人目の被害者は妊婦で、自ら腹を裂き、素手で我が子を腹から取り出した後、惨殺。最後は自らの臓物を腹から掻き出して死んだ。  五人目の被害者は自らの手足を三日三晩かけて食い尽くし、達磨の状態となって死んだ。  皆、鈴音村の中で死んだ。凄惨かつ異様な方法で。  閉鎖的な村で起こる連鎖的に起こる変死事件の真相とは。

あるある

ちょこぼーらー
ホラー
よくある怪談話。 あなたはこれ、聞いたこと、ある? 小説家になろうでも掲載。 前後と蛇足っぽいタイトル回収の全3話。 ホラー大賞に参加します。 よろしければぽちっと1票お願いします! 前中後+αになりました。 一話完結で書き始めたはずなのに……。 あるある!

鬼畜の城-昭和残酷惨劇録-

柘榴
ホラー
『怪物を、怪物と認識できない事が、最も恐ろしいのです』 昭和三十一年、戦後日本。青森から大阪へ移り住んだ湯川 恵子。 路頭に迷っているところを『池田 雄一』という男に優しく声を掛けられ、その温かさと人間性に惹かれ池田の経営する『池田昭和建設』に就職することを決意する。 しかし、これが地獄の始まりだった。 仕事に追われ、多忙な日々を送る恵子。しかし、恵子の知る優しい池田は徐々に変貌し始め、本性である狂気を露にし始める。 そしてある日、恵子は『池田昭和建設』の従業員の一人が殺され、池田によってバラバラに解体されている様子を目撃してしまい、池田の怪物としての本性を知ってしまう。 昭和最大の鬼畜・池田 雄一についての記録。

捨てられた聖女の告白 ~闇に堕ちた元聖女は王国の破滅を望む~

柚木崎 史乃
ホラー
伯爵令息ヒューゴは学園の卒業パーティーに参加していた。 ふと、ヒューゴの視界に以前から気になっていた同級生・ベルタの姿が映った。ベルタは力を失った元聖女で、王太子の元婚約者でもある。 どこか陰があってミステリアスな雰囲気をまとう彼女に、ヒューゴは不思議な魅力を感じていた。 思い切ってベルタに話しかけてみると、彼女は気さくな態度で応じてくれた。 ベルタは学園に入学してから今までずっと奇妙な仮面をつけて過ごしていた。理由を聞いてみれば、どうやらある出来事が原因らしい。 しかも、その出来事には王太子と聖女である彼の現婚約者も深く関わっているようだ。 熱心に話を聞いていると、やがて彼女は衝撃的な事実を告白し始めた。 そんな中、突然王太子と聖女が倒れ込んでパーティー会場内は騒然となるが……。

MLG 嘘と進化のゲーム

なべのすけ
ホラー
退屈な日常を送っていた彰は街で拾った、ミッシング・リンク・ゲームと呼ばれる、デスゲームに参加することになってしまう。その中で一人の少女と子供と出会う。ゲームを進ませていく中で、出会いと別れ。嘘と進化。どれが正しく、何が嘘なのか?予測不可能なデスゲームが今、ここで始まる。 ミッシング・リンク・ゲーム、MLG、嘘とだまし合いの果てに待っていたものは? 自由か?栄光か?大金か?進化か?

処理中です...