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42.山口県幼児ベランダ誘拐事件

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 一時間程ぶっ通しで泣いていた理久は泣き疲れからか、薄いマットレスもひいていないリビングの床に寝そべって、すやすやと深い眠りについていた。
 その様子を見ていると、やはり、どこか小さな子供を相手しているような気分になる。父性に近しい愛おしさからか、自身が親になったような気持ちになってしまう。

 一方で、ある決心をする。理久が寝ている内に、出来るだけ彼の過去について知るべきだ、と。

「……顔赤いな」

 洗面所にある、ピカピカの鏡を見ながら、愛斗はそっと小声で呟く。確かにいつもと違って、顔は綺麗な淡い桜色に色付いている。

 少しの間、鏡で自分の顔を見つめ続けると、弓道によって筋肉がついた手のひらを使い、そっと自身の唇に触れた。

 ──アイツの唇、柔らかかったな……。

 それに比べて栄養不足により、愛斗の唇は触れば嫌な音を立てそうなくらいにガサガサとしていて、少しムッとしてしまう。
 映っている自分を一度だけ、鋭い目つきで睨むと、愛斗は急いで理久の部屋へ真っ直ぐに向かった。

 ──確かここの中に……。あ、あった……!

 あの古い週刊誌と、たった一枚の新聞。然程時間も無い為、愛斗は周りを注意深く確認する間もなかった。
 迷わず、週刊誌の中身に目を凝らして、読み始めていく。

 ***

『山口県幼児ベランダ誘拐事件の真相・証言について迫る……!!』

 山口県幼児ベランダ誘拐事件の引用。
 山口県〇〇市で母親が当時三歳の少年を二階のベランダで放置してしまい、数時間後、行方不明に。母親の通報で直ぐに少年の捜索が行われたが、足取りは掴めず失踪事件として処理された。
 その四年後、犯人の隣人から『子供を誘拐している疑いがある』との通報があり、事件が発覚。
 犯人は警察が訪ねて来た後、少年と逃走を図ったが、事故で川に流された少年を助けようとして死亡した。犯人の男性は小児性愛障害の為、普段から一人でいた少年に目を止めて、誘拐したのでは、と警察は判断している。

 被害者の少年、七瀬理久くんは────

 ***

「──七瀬理久……? 七瀬ってアイツじゃないか……!!」

 途中までは、事件の概要に興味を惹かれて、黙々と読み込んでしまっていた。中々、こういった事件のことなんて自分から進んで調べないからだ。
 しかし、名前に気付いて焦った愛斗は、颯爽と隣にあった新聞を手に取る。

『山口県幼児ベランダ誘拐事件の被害者の少年、犯人の男性のことが好きだったと証言──。"お母さんから逃げたくて、僕が誘拐してと言った"と涙ぐみながらも訴える』

 容姿だけの美しさや格好良さばかりの今とは違い、どことなく内側にも可愛さを感じる幼い頃の理久の写真と共に、大きな見出しが載っていた。
 亡くなってからも、青年に罪を着せないように誘導させる発言の仕方も、事件後の一連の言動も、引き算をするのさえ必死になって指を使っていた小さな子供と同一人物だとは、とても思えない。

「誘拐犯の男が好き?? もしかしたらアイツはこれを見透かして俺を誘拐したのか……?」

 ***

 この少年はきちんと食事も与えられ、怪我もしていない事から────

 ***

「い、いや違うな。アイツは平気で暴力を振るうし……」

 暴力を振るうことへの怒りを静かに新聞へぶつける。
 そのイラつきようは新聞を事細かに破り捨ててしまおうか、と考える程だった。

 すると、突然、不思議なことに愛斗の心臓が不整脈とでもいうように聞いたこともない不審な音を立て始めた。

 ──俺、アイツの初恋じゃあなかったのか……。

 段々と小さかった心音は大会直前の時のように、大袈裟に荒げていく。そっと愛斗が心臓に手を当てると、まるで心臓がくり抜かれたかのような気分を味わった。

「って、何悲しんでるんだよ……!? これじゃあ、俺がアイツを好きみたいだろ……!!」

 身体が足元から段々と熱を帯びる。顔が熱くて熱くて、堪らなくて、目元に微かな涙が滲む。無慈悲な恥ずかしさから、この世から跡形もなく消えてしまいたくなった。

 愛斗の言葉とは反対に、心音は延々と鳴り止まない。
 先程の皮肉なキスの光景が、くっきりと脳裏に浮かび上がっている。

「──あのキスも、俺を好きだからっていう訳じゃあなかったんだよな……」

 先程よりは興奮が落ち着いた頃、ぽつり、と無意識にそんな言葉を発した。
 
 本当に無意識だったのだ。
 これが運命だというように、数秒経ってから、自分の発言の意味の真意に気付いてしまう。

「うっ、うわあああ!!!! 何でまたガッカリしてんだよ……! こんなの俺がアイツを……アイツを……」

 愛斗は冷静さを忘れて、頭を思い切り掻き毟っている。悲しいくらいに自分が性に強欲な獣のように感じたのだ。

 それから、ふと、目についた棚の金具に写っていた自分の顔。
 常に体内を悠々と遊泳し、誰もが生まれた瞬間から手の内に持っているもの──まるで血液のように鮮やか色をしていた。

「──愛斗くん……?? アイツを、なに……?」

 一瞬の内に身体にあった熱が消え失せ、頭の中が真っ白になる。

 声をした方へ反射的に振り向くと、そこには寝ぼけている理久が、目元を擦りながら立っていた。
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