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1章
18.善人は減点、悪人は加点 律編①
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丑三つ時、有馬律という大学生の青年はいつも通り、コンビニでアイスを購入する。
睡眠をきちんと取っているのかと問いてしまいたくなるくらいに酷い隈と顔色。
容姿で一番初めに目のつく黒髪は癖のある髪質で整えていないのにも関わらず、肌触りは柔らかくとてもサラサラだ。
これは好きな人はとても好きな容姿というのが一番的確な表現だろう。
因みにアイスの種類は個人的に気に入っている抹茶味である。
家に帰ってから食べよう、とコンビニの袋を片手に大きな欠伸をしながら早足で家へ向かっていた時だった。
隣に住んでいる男性理久が若い青年をおぶって、車から降りてきたのだ。
見た所おぶっている男は十代後半くらい……まあ、律と対して変わらないように見える。
普段なら滅多に自分から声を掛ける事はないのだが、あまり目にすることの無い彼の稀有な行動に思わず、丁寧に話し掛けてしまう。
「こんばんは、その人は仕事の同僚ですか?」
ボソリと呟きながらおぶわれている青年の方をちらりと見る。
しかし、彼が返事をする前に、その人が同僚ではない事に気づいてしまった。
何故なら青年は学校の指定のものと思われる制服を着ていたからだ。遠くから見ると暗くてスーツのようにも見え、全く気付かなかったが、今目にしたそれは確かに学校の制服だった。
律の不思議そうな表情を見て、彼はふわりと微笑みながら話し始める。
「こんばんは。違うよ。今日からルームシェアをするんだ。兄の息子なんだけど、兄が出張で海外に行くことになって……」
ニコニコとしながら気前よく話す彼を律は正直"気持ち悪い"と感じた。
営業スマイル……とでも言えばいいのだろうか。
まるで一つ一つ繊細に作り込まれた仮面のような恐ろしい偽りの笑顔。
きっと心は少しも笑っていないのかもしれない。
「大変ですね……その制服どこの学校なんですか? 周りで見たこと無いなって思って……」
疑っているのではないが、何気なくそんな質問をする。"制服"──その言葉を発した瞬間に彼の眉がぴくりと動いた。
どこを如何見ても表情は先程と同じで綺麗な笑顔なのにも関わらず、もしかして自分を睨んだのではないか、と思ってしまう。
「あぁ。こっちの高校へ転入したんだけど、制服が届いて無いから今日はとりあえず此処から離れた前の学校のを。でも、この子不登校だから……ちゃんと通えるかは分からないけど」
台本を読んでいるかのようにペラペラと簡単に嘘を述べることができる彼はやはり、決して駆除できない根っからの悍ましさがある。
付け足すように彼は話す。
「今日は転入先の高校へ先生に挨拶をしに行ったんだけど、疲れちゃったみたい。気が弱い子だから」
普通、自分の甥っ子に気が弱いなんて悪口みたいな軽侮を他人に平然と呟くだろうか。
こんなに長い間、彼等のよく通る声で会話をしていても、おぶわれている少年はぴくりとも動かない。
まるで、死んだように眠っている。
──生きてる、よな……?
何とも奇妙な光景にその場から逃げ出したくなる。更には、恐怖心を刺激する孤独、暗闇、無音の三つが揃っているのだから。
「年齢も近いようですし、仲良くしようって伝えておいて下さい。それではまた。おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」
会話が終わった後、不図、律は思い出す。
──そういえば、ここ数日は七瀬さん、家に居なかったような……。
それほど遠い所に身内である青年が住んでいたというのか。こんな考えはとても現実的ではない。
何だか触れてはいけないような事に気付いてしまったような気がした。
***
その少年が来てからというもの、隣の部屋から呻き声や泣き声、物が壊れる音、加えて、人が壁にぶつかったような音がよく聞こえてくるようになった。青年が此処に来る以前は、こんなことは無かった筈。
──まさか、七瀬さん、不登校の男の子に暴力を振るわれているんじゃ……。
良からぬことまで考えてしまう。隣の部屋、つまり、自分にまで気を使う優しい男性が他人に暴力を振るうなんて思ってもいないからだ。
しかし、度々会う彼の身体には傷や痣一つ付いていない。
幾ら不登校だとしても、あれ以来あの青年とは一度も会っていない事も密かに疑問に思っていた。
その刹那、律はある一つの考察に辿り着く。
──もしかして、暴力を振るっているのは七瀬さん?
けれども、誰にもこの推理……考えを知人に話す事は決してなかった。
それは何故か。律が七瀬さんはいい人だ、という事を信じて疑わなかったからだ。
彼と始めて出逢った日、律は彼のことを顔が良いからきっと性格も悪そうだと、偏見的なことを思っていた。
──入居したてにも関わらず、自分の相談に親身に乗ってくれた七瀬さん……。
──家族が亡くなって精神が不安定なときに自分により添ってくれた七瀬さん……。
──自分が大学のレポートを忘れていたときに朝まで付き合ってくれた七瀬さん……。
──忙しいときは晩御飯を作ってきて一緒に食べようと言ってくれた七瀬さん……。
人によって解釈は異なるだろうが、第一印象が悪い人の後々の印象は加点しかされる事はない。
例え人を殺しても、お金をせびっても、その人の持つ印象に対しての点は減点されずに"まあ、こういう人だからな……"で終わってしまうのだ。
一方、第一印象が良い人の後々の印象は減点しかされる事はない。
その人が失敗したら"もっとできる人だと思ってたんだけどな……"と勝手に幻滅をして、何か悪い事をしたら"そんな事する人とは思わなかった……"と軽蔑するのだ。
そして、理久はこの事を痛いほど理解していた。はじめて自分の顔を見た異性が、高確率で自分に対して悪印象を持つことを。
その高確率の中に律も含まれていることも。
だから律の他人への価値観も利用した。そこにあったから利用したのだ。
睡眠をきちんと取っているのかと問いてしまいたくなるくらいに酷い隈と顔色。
容姿で一番初めに目のつく黒髪は癖のある髪質で整えていないのにも関わらず、肌触りは柔らかくとてもサラサラだ。
これは好きな人はとても好きな容姿というのが一番的確な表現だろう。
因みにアイスの種類は個人的に気に入っている抹茶味である。
家に帰ってから食べよう、とコンビニの袋を片手に大きな欠伸をしながら早足で家へ向かっていた時だった。
隣に住んでいる男性理久が若い青年をおぶって、車から降りてきたのだ。
見た所おぶっている男は十代後半くらい……まあ、律と対して変わらないように見える。
普段なら滅多に自分から声を掛ける事はないのだが、あまり目にすることの無い彼の稀有な行動に思わず、丁寧に話し掛けてしまう。
「こんばんは、その人は仕事の同僚ですか?」
ボソリと呟きながらおぶわれている青年の方をちらりと見る。
しかし、彼が返事をする前に、その人が同僚ではない事に気づいてしまった。
何故なら青年は学校の指定のものと思われる制服を着ていたからだ。遠くから見ると暗くてスーツのようにも見え、全く気付かなかったが、今目にしたそれは確かに学校の制服だった。
律の不思議そうな表情を見て、彼はふわりと微笑みながら話し始める。
「こんばんは。違うよ。今日からルームシェアをするんだ。兄の息子なんだけど、兄が出張で海外に行くことになって……」
ニコニコとしながら気前よく話す彼を律は正直"気持ち悪い"と感じた。
営業スマイル……とでも言えばいいのだろうか。
まるで一つ一つ繊細に作り込まれた仮面のような恐ろしい偽りの笑顔。
きっと心は少しも笑っていないのかもしれない。
「大変ですね……その制服どこの学校なんですか? 周りで見たこと無いなって思って……」
疑っているのではないが、何気なくそんな質問をする。"制服"──その言葉を発した瞬間に彼の眉がぴくりと動いた。
どこを如何見ても表情は先程と同じで綺麗な笑顔なのにも関わらず、もしかして自分を睨んだのではないか、と思ってしまう。
「あぁ。こっちの高校へ転入したんだけど、制服が届いて無いから今日はとりあえず此処から離れた前の学校のを。でも、この子不登校だから……ちゃんと通えるかは分からないけど」
台本を読んでいるかのようにペラペラと簡単に嘘を述べることができる彼はやはり、決して駆除できない根っからの悍ましさがある。
付け足すように彼は話す。
「今日は転入先の高校へ先生に挨拶をしに行ったんだけど、疲れちゃったみたい。気が弱い子だから」
普通、自分の甥っ子に気が弱いなんて悪口みたいな軽侮を他人に平然と呟くだろうか。
こんなに長い間、彼等のよく通る声で会話をしていても、おぶわれている少年はぴくりとも動かない。
まるで、死んだように眠っている。
──生きてる、よな……?
何とも奇妙な光景にその場から逃げ出したくなる。更には、恐怖心を刺激する孤独、暗闇、無音の三つが揃っているのだから。
「年齢も近いようですし、仲良くしようって伝えておいて下さい。それではまた。おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」
会話が終わった後、不図、律は思い出す。
──そういえば、ここ数日は七瀬さん、家に居なかったような……。
それほど遠い所に身内である青年が住んでいたというのか。こんな考えはとても現実的ではない。
何だか触れてはいけないような事に気付いてしまったような気がした。
***
その少年が来てからというもの、隣の部屋から呻き声や泣き声、物が壊れる音、加えて、人が壁にぶつかったような音がよく聞こえてくるようになった。青年が此処に来る以前は、こんなことは無かった筈。
──まさか、七瀬さん、不登校の男の子に暴力を振るわれているんじゃ……。
良からぬことまで考えてしまう。隣の部屋、つまり、自分にまで気を使う優しい男性が他人に暴力を振るうなんて思ってもいないからだ。
しかし、度々会う彼の身体には傷や痣一つ付いていない。
幾ら不登校だとしても、あれ以来あの青年とは一度も会っていない事も密かに疑問に思っていた。
その刹那、律はある一つの考察に辿り着く。
──もしかして、暴力を振るっているのは七瀬さん?
けれども、誰にもこの推理……考えを知人に話す事は決してなかった。
それは何故か。律が七瀬さんはいい人だ、という事を信じて疑わなかったからだ。
彼と始めて出逢った日、律は彼のことを顔が良いからきっと性格も悪そうだと、偏見的なことを思っていた。
──入居したてにも関わらず、自分の相談に親身に乗ってくれた七瀬さん……。
──家族が亡くなって精神が不安定なときに自分により添ってくれた七瀬さん……。
──自分が大学のレポートを忘れていたときに朝まで付き合ってくれた七瀬さん……。
──忙しいときは晩御飯を作ってきて一緒に食べようと言ってくれた七瀬さん……。
人によって解釈は異なるだろうが、第一印象が悪い人の後々の印象は加点しかされる事はない。
例え人を殺しても、お金をせびっても、その人の持つ印象に対しての点は減点されずに"まあ、こういう人だからな……"で終わってしまうのだ。
一方、第一印象が良い人の後々の印象は減点しかされる事はない。
その人が失敗したら"もっとできる人だと思ってたんだけどな……"と勝手に幻滅をして、何か悪い事をしたら"そんな事する人とは思わなかった……"と軽蔑するのだ。
そして、理久はこの事を痛いほど理解していた。はじめて自分の顔を見た異性が、高確率で自分に対して悪印象を持つことを。
その高確率の中に律も含まれていることも。
だから律の他人への価値観も利用した。そこにあったから利用したのだ。
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