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後日談
13年後 教会にて
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後日談のリクエストありがとうございました。クリスのその後がどうしても気になる!という方はお読みください。
蛇足になってないといいなあ…。
ー-----------------
教会で修行を始めたばかりのまだ幼い聖女たちを前に白地に青い小花柄の上品なワンピース姿で結界術の指導をする美しい女性の姿があった。
艶やかなシルバーブロンドを簡単にうなじでまとめ、ほっそりとした手には下町の少年たちが遊びに使うようなボールを持っている。その女性は幼い聖女が掲げる両手に向けてボールを投げては弾かせるということを繰り返している。
これはベテラン侍女であるヤスミンが20年以上仕える最愛の主人である彼女が考案した結界術の修行方法である。主人が結界術を習得した際の経験をもとに考案したそうだ。この修行法の効果なのか、主人の教え方の上手さなのか、新米聖女たちの結界術習得にかかる月日はやや短くなっていた。
「そうよ!ティリアは筋がいいのね!」
主人が今ボールを投げている相手はまだ7歳の幼い女の子だ。キラキラした青い瞳に主人そっくりのシルバーブロンドでまるで親子のようだが、実際は伯母と姪という間柄だ。
主人の弟君であり、現在はルロワ公爵家の当主となっているウィリアム・ルロワ公爵の長女であり、大聖女資格を持つことから新しい大聖女の就任と共に教会での修業をスタートさせた。
ヤスミンの主人は6歳で教会で暮らし始めたが、彼女は実家であるルロワ公爵家から通っている。時間が許せば彼女の母親であり、主人のご学友でもあるイザベル・ルロワ公爵夫人も一緒に教会にやってきて主人とお茶をして帰っていくなんていう微笑ましい光景もみられる。
「ブリジット、大丈夫よ!すぐにできない人もたくさんいるけれど、何か月も修行すればみんなできるようになるからね。」
もう一人の新米聖女は赤茶のくせ毛の可愛らしい女の子だ。上手く結界術をまだ使えなくて半べそをかいている。こちらは白騎士団長ノワール様と聖女のエマ様の娘だ。
白騎士団長の内示を受けたノワール様はエマ様に一緒に王都に行ってほしいとプロポーズをしたそうだ。その時はあっさり辺境聖女の仕事にやりがいを感じていることを理由に断られ一人で帰ってきたのだが、二年後にヤスミンの敬愛する主人から王都の教会へと復帰を求められたエマ様はあっさりと王都へ帰ってきた。
そして、すったもんだあって結婚して娘もいる、というわけだ。
ちなみにエマ様は結婚後も出産後も聖女として働き、新しい聖女のロールモデルを確立している。
「あなたのお母さまだって習得には一年ぐらいかかったんだから、ね?」
主人が困ったような顔でくせ毛の女の子を励ますが、女の子は今すぐできるようになりたいのだ首をぷるぷると振った。
「だって、クリスローズ様、けんこくさいが終わったら、へんきょうに行っちゃうんでしょう?クリスローズ様がいなくなる前にできるようになるところを見せたかったのに…。」
この可愛らしい主張には思わず主人も目を丸くした。そして嬉しそうにでれっとする。以前は年上の大人たちをデレデレさせていた主人も30歳にもなれば可愛い子供たち相手にこのような表情を見せる機会も多くなった。
「一年後の建国祭にはまた帰ってくるから、その時に成果を見せてくれるのを楽しみにしているわ。」
ヤスミンの敬愛する主人ことクリスローズ様は昨年の建国祭を最後に大聖女を引退された。合計で18回も祈りの結界を張ったのはここ数百年では最多であり、貴族・市民共に大量のファンを抱えたまま惜しまれながらの引退であった。
この引退を決めたのはクリス様自身だ。回数を重ねるごとに以前のようには結界の張れなくなってきたとおっしゃられていたが、引退する年までクリス様の結界は綻び知らずであった。
今年の建国祭では新しい大聖女が祈りの結界を展開する。無事に結界が張られるのを見届けられた後、クリス様は数か月前に籍を入れた夫とともに辺境へ旅立つ予定だ。
大半の期間を王都で過ごすクリス様は辺境聖女たちに自分の結界術と強化術を伝えられないことを以前から残念に思っており、大聖女の任を降りて自由に動けるようになったことから辺境を巡って指導を行うのだ。
引退されたのだから少しは休んでほしいとヤスミンは思うのだが、クリス様が楽しそうだから止めることもできない。
ー---
新米聖女たちに別れを告げたクリス様はその足で神官長室に向かった。神官長も5年ほど前に代替わりをし、今の神官長はカミーユ・モロー様だ。
13年前の大聖女交代騒動の後、白騎士団の大幅な改革が行われたが、それに合わせて神官たちの人事も大幅に見直された。前神官長が最後の仕事とばかりに改革の鉈をふるい、新人事が上手く回りだしたのを確認した後、すがすがしい顔で引退していったのをクリス様が『神官長、相当ストレスたまってたものね』なんて言って見送っていたのはヤスミンの記憶にも新しい。
クリス様の肩に乗るオッドアイの黒猫、感情の精霊であるフィフィは今も健在で、どうしてそんなことまで?みたいなことをクリス様が知っているのはもうお決まりのことである。
クリス様に代わって神官長室の扉をノックすると中から入室の許可が下りる。神官長室にはカミーユの他に白黒両騎士団長がそろっていた。
「お話は終わりましたか?」
クリス様は三人を見てにこりと笑顔を作る。
「ええ。クリスローズ様。」
カミーユ様も腹の内が読めないアルカイックスマイルだ。この三人が集まって今する話と言えば、隣国ルクレツェンの話だろう。
常に虎視眈々とオールディの領土への侵略を狙う魔法大国ルクレツェンはびくともしないクリス様の祈りの結界にここ13年、泣かされ続けてきた。今回新しい大聖女が祈りの結界を張れば、その強度試しに侵略してくる可能性があるのだ。
「建国祭後にやはり黒騎士団長殿にルクレツェンとの辺境に行ってもらうことにしました。なので、クリスローズ様の辺境巡りもルクレツェンとの辺境からですね。」
「わかりました。」
「クリスローズ様の立案で大幅に強化された黒騎士達がそう簡単に負けるとは思いませんが、非常時に備えて指揮がとれる黒騎士団長がそこにいる方がいいでしょう。」
クリスローズ様は辺境の騎士たちの怪我を減らすために、聖女のアミュレットの億万倍のご利益のある大聖女のアミュレットを開発した。
これはかつてクリス様がヒューゴ様にプレゼントしたアミュレットがもとになっており、持ち主である騎士たちの怪我を大幅に減らす効果があるのだ。ヤスミンにはその仕組みはわからないが、作り方は新しい大聖女様にも伝えられ、今後もオールディを守る騎士たちのお守りとして活躍するだろう。
「せっかくの夫婦水入らずの旅にこちらの私情を多分に盛り込んで申し訳ないですが…。」
カミーユ様はちらりと黒騎士団長を見てにやりとした。
黒騎士団長も2年前に代替わりをしている。今の黒騎士団長はクリス様の幼馴染であり、数か月前に秘密の恋人から夫に昇格したヒューゴ・クレマン様だ。
代替わりの際には前黒騎士団長様が、『俺を倒せないようなやつにクリスは任せられない!』とか言って決闘騒動になったが、無事に国で一番強い男になっていたヒューゴ様が黒騎士団長の座を勝ち取って今に至る。
ヒューゴ様はもうだいぶ前からクリス様の”秘密の恋人”であったが、二人とも自分の仕事を最優先にするのでお二人が一緒にいられる時間は長くはなかった。クリス様は王都を滅多に離れないが、ヒューゴ様は黒騎士として辺境を巡っていたからだ。黒騎士団長になられて多少王都にいられる時間は増えたが、あくまで多少でしかない。
新しい大聖女が結界を張る今年も辺境で忙しくなることが明らかだったのも、クリス様の辺境を巡りたいという提案につながったのだろう。
「帰ろうか、クリス。」
「うん。帰ろう、ヒューゴ。」
男爵家の三男であったヒューゴ様だが、黒騎士団長になるにあたって伯爵位と王都に屋敷を賜った。今はそこでクリス様と新婚生活を楽しんでいる。
皆が知っていたことではあるが、クリス様とヒューゴ様は秘密の恋人同士であったことから、目立つデートのようなことはしたことがなかった。ことあるごとにヒューゴ様と手をつなぎたがるクリス様の可愛いこと。
もう30もいくつか超えたいい大人であるヒューゴ様は恥ずかしそうにしていたが、クリス様に請われると断れない。ラブラブな姿は目に毒だと早々に神官長室を追い出された二人は帰路についた。
ヤスミンは二人の後ろを静かについていく。
「今朝アリシラお姉さまから手紙が届いたの。」
「なんだって?」
「二番目の甥っ子が無事に国を出発してオールディに向かってるって。」
「到着は建国祭後、だったな。会えないけれど本当に良かった?」
クリス様と姉であるアリシラローズ様はあれから一度も対面ではお会いになられていない。全て手紙でのやり取りのみだ。大聖女を引退したとは言え、クリス様が国外へ出ることは許されていない。お二人が対面することはもう二度とないだろう。
それでもクリス様の会話にはよくアリシラローズ様と会ったことのない甥っ子姪っ子たちが登場する。すくすくと元気に育っている様で、そのうちの一人が留学という名目でオールディに三年ほど滞在する。聖カリスト学園の高等部に通うそうだ。
「イザベルがいるから私がいなくても問題ないよ。」
クリス様の天秤が夫と甥っ子だったら夫に激しく傾いたその時を知っているのは、ずっとそばにいるヤスミンだけであろう。
……え?クリス様のもう一人の姉はどうしているかですか?
さあ?もうクリス様の人生には関わりないこと。クリス様に影響がないならどうなっていてもかまいません。私はあの女が嫌いなので。
「ところで連れて行く侍女は本当にヤスミン殿だけでいいのか?隊長級の居住する屋敷の一つを使わせてもらえるからもう一人か二人の侍女を連れていっても大丈夫だけれど?」
「ヤスミンだけでいいの!ヤスミンは絶対に連れて行くから!」
高給取りであるヒューゴ様はクリス様のためにお金を使いたいが、クリス様には貴族らしい浪費癖は最後までつかなかった。結婚式も『質素でいいからとりあえず早く結婚したい』との希望だったのでヤスミンが心をこめて半年で準備した。『全然早くないわ!』とぷりぷりしていらっしゃったが。
クリス様の結婚式の日、ヤスミンは目が溶けるのではないかというほどに泣きまくり、普段の半分も使い物にならなかったが、引退していたサーシャが舞い戻って手伝ってくれたのでなんとか最高に美しいクリス様をヒューゴ様にお届けできた。
…今思い出してもまた泣きそうである。
「もう、ヤスミンったら!また結婚式を思い出してるのね!もう三か月前なのに!」
ニャーという猫の鳴き声とともにクリス様が呆れた顔でヤスミンを振り返る。
クリス様の誕生日にあわせて行われた結婚式は春のことだ。領地におられた前公爵夫妻を始め、ルロワ公爵家の人々はもちろんのこと、結婚して隣国のエスパルで暮らすご学友のニコレット様も家族を連れて参加し、今は女王となられたコンスタンス陛下もお忍びで参列された。
空には大きな虹がずっとかかっていたし、フラワーシャワーをしなくても終始花びらが舞っていた。クリス様は文字通りに光り輝き…、結婚式を取り仕切ってくれていた前神官長様が目をやられたほどであった。
「クリス様が嫁がれる姿を見られるだなんて…。私の人生にもう悔いはありません。」
「ヤスミンは長生きしなきゃだめよ!私がヤスミンの老後の面倒を見るんだからね!」
クリス様とヤスミンの年の差は10歳ほどで老後の面倒を見てもらうような差ではないようにも思うが、これがクリス様の結婚した後の口癖だった。
「ご安心ください。私がクリス様の老後の世話も致しますので。まだまだ現役です。」
クリス様はこのヤスミンの自慢のお嬢様で奥様です。死ぬまでおそばでお仕えします。
そうヤスミンは心の中でつぶやくのだった。
蛇足になってないといいなあ…。
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教会で修行を始めたばかりのまだ幼い聖女たちを前に白地に青い小花柄の上品なワンピース姿で結界術の指導をする美しい女性の姿があった。
艶やかなシルバーブロンドを簡単にうなじでまとめ、ほっそりとした手には下町の少年たちが遊びに使うようなボールを持っている。その女性は幼い聖女が掲げる両手に向けてボールを投げては弾かせるということを繰り返している。
これはベテラン侍女であるヤスミンが20年以上仕える最愛の主人である彼女が考案した結界術の修行方法である。主人が結界術を習得した際の経験をもとに考案したそうだ。この修行法の効果なのか、主人の教え方の上手さなのか、新米聖女たちの結界術習得にかかる月日はやや短くなっていた。
「そうよ!ティリアは筋がいいのね!」
主人が今ボールを投げている相手はまだ7歳の幼い女の子だ。キラキラした青い瞳に主人そっくりのシルバーブロンドでまるで親子のようだが、実際は伯母と姪という間柄だ。
主人の弟君であり、現在はルロワ公爵家の当主となっているウィリアム・ルロワ公爵の長女であり、大聖女資格を持つことから新しい大聖女の就任と共に教会での修業をスタートさせた。
ヤスミンの主人は6歳で教会で暮らし始めたが、彼女は実家であるルロワ公爵家から通っている。時間が許せば彼女の母親であり、主人のご学友でもあるイザベル・ルロワ公爵夫人も一緒に教会にやってきて主人とお茶をして帰っていくなんていう微笑ましい光景もみられる。
「ブリジット、大丈夫よ!すぐにできない人もたくさんいるけれど、何か月も修行すればみんなできるようになるからね。」
もう一人の新米聖女は赤茶のくせ毛の可愛らしい女の子だ。上手く結界術をまだ使えなくて半べそをかいている。こちらは白騎士団長ノワール様と聖女のエマ様の娘だ。
白騎士団長の内示を受けたノワール様はエマ様に一緒に王都に行ってほしいとプロポーズをしたそうだ。その時はあっさり辺境聖女の仕事にやりがいを感じていることを理由に断られ一人で帰ってきたのだが、二年後にヤスミンの敬愛する主人から王都の教会へと復帰を求められたエマ様はあっさりと王都へ帰ってきた。
そして、すったもんだあって結婚して娘もいる、というわけだ。
ちなみにエマ様は結婚後も出産後も聖女として働き、新しい聖女のロールモデルを確立している。
「あなたのお母さまだって習得には一年ぐらいかかったんだから、ね?」
主人が困ったような顔でくせ毛の女の子を励ますが、女の子は今すぐできるようになりたいのだ首をぷるぷると振った。
「だって、クリスローズ様、けんこくさいが終わったら、へんきょうに行っちゃうんでしょう?クリスローズ様がいなくなる前にできるようになるところを見せたかったのに…。」
この可愛らしい主張には思わず主人も目を丸くした。そして嬉しそうにでれっとする。以前は年上の大人たちをデレデレさせていた主人も30歳にもなれば可愛い子供たち相手にこのような表情を見せる機会も多くなった。
「一年後の建国祭にはまた帰ってくるから、その時に成果を見せてくれるのを楽しみにしているわ。」
ヤスミンの敬愛する主人ことクリスローズ様は昨年の建国祭を最後に大聖女を引退された。合計で18回も祈りの結界を張ったのはここ数百年では最多であり、貴族・市民共に大量のファンを抱えたまま惜しまれながらの引退であった。
この引退を決めたのはクリス様自身だ。回数を重ねるごとに以前のようには結界の張れなくなってきたとおっしゃられていたが、引退する年までクリス様の結界は綻び知らずであった。
今年の建国祭では新しい大聖女が祈りの結界を展開する。無事に結界が張られるのを見届けられた後、クリス様は数か月前に籍を入れた夫とともに辺境へ旅立つ予定だ。
大半の期間を王都で過ごすクリス様は辺境聖女たちに自分の結界術と強化術を伝えられないことを以前から残念に思っており、大聖女の任を降りて自由に動けるようになったことから辺境を巡って指導を行うのだ。
引退されたのだから少しは休んでほしいとヤスミンは思うのだが、クリス様が楽しそうだから止めることもできない。
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クリス様の肩に乗るオッドアイの黒猫、感情の精霊であるフィフィは今も健在で、どうしてそんなことまで?みたいなことをクリス様が知っているのはもうお決まりのことである。
クリス様に代わって神官長室の扉をノックすると中から入室の許可が下りる。神官長室にはカミーユの他に白黒両騎士団長がそろっていた。
「お話は終わりましたか?」
クリス様は三人を見てにこりと笑顔を作る。
「ええ。クリスローズ様。」
カミーユ様も腹の内が読めないアルカイックスマイルだ。この三人が集まって今する話と言えば、隣国ルクレツェンの話だろう。
常に虎視眈々とオールディの領土への侵略を狙う魔法大国ルクレツェンはびくともしないクリス様の祈りの結界にここ13年、泣かされ続けてきた。今回新しい大聖女が祈りの結界を張れば、その強度試しに侵略してくる可能性があるのだ。
「建国祭後にやはり黒騎士団長殿にルクレツェンとの辺境に行ってもらうことにしました。なので、クリスローズ様の辺境巡りもルクレツェンとの辺境からですね。」
「わかりました。」
「クリスローズ様の立案で大幅に強化された黒騎士達がそう簡単に負けるとは思いませんが、非常時に備えて指揮がとれる黒騎士団長がそこにいる方がいいでしょう。」
クリスローズ様は辺境の騎士たちの怪我を減らすために、聖女のアミュレットの億万倍のご利益のある大聖女のアミュレットを開発した。
これはかつてクリス様がヒューゴ様にプレゼントしたアミュレットがもとになっており、持ち主である騎士たちの怪我を大幅に減らす効果があるのだ。ヤスミンにはその仕組みはわからないが、作り方は新しい大聖女様にも伝えられ、今後もオールディを守る騎士たちのお守りとして活躍するだろう。
「せっかくの夫婦水入らずの旅にこちらの私情を多分に盛り込んで申し訳ないですが…。」
カミーユ様はちらりと黒騎士団長を見てにやりとした。
黒騎士団長も2年前に代替わりをしている。今の黒騎士団長はクリス様の幼馴染であり、数か月前に秘密の恋人から夫に昇格したヒューゴ・クレマン様だ。
代替わりの際には前黒騎士団長様が、『俺を倒せないようなやつにクリスは任せられない!』とか言って決闘騒動になったが、無事に国で一番強い男になっていたヒューゴ様が黒騎士団長の座を勝ち取って今に至る。
ヒューゴ様はもうだいぶ前からクリス様の”秘密の恋人”であったが、二人とも自分の仕事を最優先にするのでお二人が一緒にいられる時間は長くはなかった。クリス様は王都を滅多に離れないが、ヒューゴ様は黒騎士として辺境を巡っていたからだ。黒騎士団長になられて多少王都にいられる時間は増えたが、あくまで多少でしかない。
新しい大聖女が結界を張る今年も辺境で忙しくなることが明らかだったのも、クリス様の辺境を巡りたいという提案につながったのだろう。
「帰ろうか、クリス。」
「うん。帰ろう、ヒューゴ。」
男爵家の三男であったヒューゴ様だが、黒騎士団長になるにあたって伯爵位と王都に屋敷を賜った。今はそこでクリス様と新婚生活を楽しんでいる。
皆が知っていたことではあるが、クリス様とヒューゴ様は秘密の恋人同士であったことから、目立つデートのようなことはしたことがなかった。ことあるごとにヒューゴ様と手をつなぎたがるクリス様の可愛いこと。
もう30もいくつか超えたいい大人であるヒューゴ様は恥ずかしそうにしていたが、クリス様に請われると断れない。ラブラブな姿は目に毒だと早々に神官長室を追い出された二人は帰路についた。
ヤスミンは二人の後ろを静かについていく。
「今朝アリシラお姉さまから手紙が届いたの。」
「なんだって?」
「二番目の甥っ子が無事に国を出発してオールディに向かってるって。」
「到着は建国祭後、だったな。会えないけれど本当に良かった?」
クリス様と姉であるアリシラローズ様はあれから一度も対面ではお会いになられていない。全て手紙でのやり取りのみだ。大聖女を引退したとは言え、クリス様が国外へ出ることは許されていない。お二人が対面することはもう二度とないだろう。
それでもクリス様の会話にはよくアリシラローズ様と会ったことのない甥っ子姪っ子たちが登場する。すくすくと元気に育っている様で、そのうちの一人が留学という名目でオールディに三年ほど滞在する。聖カリスト学園の高等部に通うそうだ。
「イザベルがいるから私がいなくても問題ないよ。」
クリス様の天秤が夫と甥っ子だったら夫に激しく傾いたその時を知っているのは、ずっとそばにいるヤスミンだけであろう。
……え?クリス様のもう一人の姉はどうしているかですか?
さあ?もうクリス様の人生には関わりないこと。クリス様に影響がないならどうなっていてもかまいません。私はあの女が嫌いなので。
「ところで連れて行く侍女は本当にヤスミン殿だけでいいのか?隊長級の居住する屋敷の一つを使わせてもらえるからもう一人か二人の侍女を連れていっても大丈夫だけれど?」
「ヤスミンだけでいいの!ヤスミンは絶対に連れて行くから!」
高給取りであるヒューゴ様はクリス様のためにお金を使いたいが、クリス様には貴族らしい浪費癖は最後までつかなかった。結婚式も『質素でいいからとりあえず早く結婚したい』との希望だったのでヤスミンが心をこめて半年で準備した。『全然早くないわ!』とぷりぷりしていらっしゃったが。
クリス様の結婚式の日、ヤスミンは目が溶けるのではないかというほどに泣きまくり、普段の半分も使い物にならなかったが、引退していたサーシャが舞い戻って手伝ってくれたのでなんとか最高に美しいクリス様をヒューゴ様にお届けできた。
…今思い出してもまた泣きそうである。
「もう、ヤスミンったら!また結婚式を思い出してるのね!もう三か月前なのに!」
ニャーという猫の鳴き声とともにクリス様が呆れた顔でヤスミンを振り返る。
クリス様の誕生日にあわせて行われた結婚式は春のことだ。領地におられた前公爵夫妻を始め、ルロワ公爵家の人々はもちろんのこと、結婚して隣国のエスパルで暮らすご学友のニコレット様も家族を連れて参加し、今は女王となられたコンスタンス陛下もお忍びで参列された。
空には大きな虹がずっとかかっていたし、フラワーシャワーをしなくても終始花びらが舞っていた。クリス様は文字通りに光り輝き…、結婚式を取り仕切ってくれていた前神官長様が目をやられたほどであった。
「クリス様が嫁がれる姿を見られるだなんて…。私の人生にもう悔いはありません。」
「ヤスミンは長生きしなきゃだめよ!私がヤスミンの老後の面倒を見るんだからね!」
クリス様とヤスミンの年の差は10歳ほどで老後の面倒を見てもらうような差ではないようにも思うが、これがクリス様の結婚した後の口癖だった。
「ご安心ください。私がクリス様の老後の世話も致しますので。まだまだ現役です。」
クリス様はこのヤスミンの自慢のお嬢様で奥様です。死ぬまでおそばでお仕えします。
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