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第3章 12歳の公爵令嬢
9 カフェにて
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音楽祭の前の最後の休日にヒューゴはクリスを護衛して、以前にも訪れたおいしいパンケーキのカフェに向かっていた。連れにはヤスミンもいる。
クリスは教会にいた頃には見たこともなかったすました顔でいる。公爵令嬢としてふさわしくあるべきという考えが、ヤスミンとヒューゴとクリスしかいない馬車の中でも抜けきらず、常にこのような顔をしているらしいとは、最近クリスファンクラブ運営メンバー内でも共有された情報だ。
「クリス、馬車の中だし、外からは見えないし、いつまでも気を張っていなくて大丈夫だ。」
「でも、いつもしていないと忘れそうで怖いわ。」
クリスはすまし顔を崩さずにそう言う。学園で少しふっくらしたかと思われた体型はすっかり逆戻りして、痩せてしまったクリスが青白いすまし顔をしているのだから、周りはとても心配だろう。
実際、最近増えているファンクラブ会員たちはこぞって最近のクリスの様子を心配していた。
「息抜きをすることも大切だよ。クリスのお姉さんのアリシラローズ様を思い出してごらん?」
「アリシラお姉さま?」
「アリシラローズ様は学園でも美しく誇り高いと評判の公爵令嬢だったけれど、クリスの前ではどうだった?すました顔で気を張っていたかい?」
「…いいえ。」
クリスは胸元に手をやりながら思い出すように首を傾げた。
「アリシラお姉さまはいつもお優しくて、笑顔で、私のことを抱きしめてはしゃいだり、からかって遊んだりしていらしたわ。」
「つまりはメリハリが大事なんだ。引き締めるところでは引き締める。緩めるところでは緩める。
さあ、カフェにつくよ。」
クリスをエスコートしてカフェに入るとニコレット嬢とイザベラ嬢が待ち構えていた。
「ニコレットにイザベラ?どうしたの?」
「クリスを待っていたのよ。今日は個室を貸切ってみんなでパンケーキパーティーしましょう!」
他の客からは見えない個室席に案内されて、クリスを席に着けると続々とパンケーキが運ばれてきた。
個室には黒騎士見習いのテオドールやルイも来ていた。二人もクリスに他人行儀な扱いを受けて陰ながらへこんでいたところをヒューゴが誘ってつれてきたのだ。
「テオドールとルイまで?」
「今日はクリスが公爵令嬢としてまだまだ礼儀作法がなっていないことや、本当は元気にそこら中を走ってとびまわっていたいことを知っている人しかここにいないよ。
だから、お作法は今日はお休みでいいんじゃないか?」
ヒューゴはクリスの頭をポンポンとなでる。これも人前ではやらないようにしている動作の一つだ。
「ヒューゴ…。」
クリスの宝石目にジワリと涙がたまる。そのまま隣に立っていたヒューゴにひしっと抱き着いた。
「クリスがヒューゴさんに抱き着いてるのもいつもの光景だね。」
「クリスは黒騎士見習いの中でヒューゴさんが一番に好きだから。」
テオドールとルイがにやにやとからかうようなことを言っているのを鼻で笑うように見やる。そして、ヒューゴはクリスの頭をなでながら、「何?うらやましいの?」と言ってやった。
ヒューゴよりも三つ年下の二人は顔を真っ赤にして慌て始めて、ヒューゴはなんだか満足した。
元気よくパンケーキを食べ始めたクリスにニコレット嬢もイザベル嬢も満足げだ。
「今日は特別ですよ!…それから、私たちとのランチの時も特別に許可しますわ!」
「クリス、今日はたくさん食べてね。」
「うん!ありがとう!ニコレット!イザベル!」
今回のパンケーキ会は二人が企画したものだ。私たちだけではクリスの態度を和らげるのは無理そうだとヒューゴにも声をかけてくれた。
以前のようにヒューゴにじゃれあうクリスに、これは恋仲と言われても致し方ない、あんたがちゃんと気をつけていないからよ、と鋭い視線を向けられて咳払いでごまかした。
…本当に申し訳ない。クリスに悪いうわさが立ったのは全てヒューゴの責任だ。なんのために高等部まで進学して貴族の中で生活しているのか。
ヤスミンはクリスの紅茶がなくなるとすぐにつぎ足し、口の端にクリームをつけてしまえばすぐにふき、と甲斐甲斐しく世話を焼く。
最初は厳しい印象のある人だったが、クリスにあてられたのか、サーシャを見習ったのか、クリスにはとても甘くなったな。
「え、私のファンクラブにルイとテオドールも入っているの?」
「ああ。僕が会員番号78で、ルイが会員番号82だよ。」
「まあ!二桁だなんて羨ましいわ!」
口をはさむのはニコレットだ。「私は114なの」と。
「え、クリスのファンクラブ、もう100人を超えているんですね!すごいな!」
「普通はいても50人ぐらいだもんな。100人超えたら大きいファンクラブだよ。」
「イザベルもファンクラブに入ったのでしょう?」
「私は記念すべき会員番号100をいただいたわ!クリスが大聖女をやめて学園に来られるって聞いた時にすぐに加盟したの!」
「じゃあ、イザベルは私と会ったときにはファンクラブ会員だったんだ…。」
クリスはちょっと微妙な顔をしている。ふとヒューゴを振り返った。
「ヒューゴは?もしかしてファンクラブに入ってるの?」
「あー。」
ヒューゴは困ったように頬をかいた。
「…入っているよ。」
「番号は?」
「………5。」
クリスがあっけにとられ、さらにその場が大いに盛り上がったのは言うまでもない。
ー---
音楽祭はクリスマス休暇直前にひらかれた。クリスの冬の雪景色の美しさを歌った歌は素晴らしく、クリスの周りがきらきらと光っているように見えた。
ヒューゴは特別席を辞退したが、必ず参加できるようにと早いうちに講堂に入り、クリスの歌を十分に鑑賞した。
自分が一般の席にいるのを見てひそひそと噂話をする学生もいたが、ヒューゴはつとめて平気な顔で前を向いていた。自分との関係がクリスにとって悪い噂となることはなんとしても避けねばならなかったから。
もちろん、他の黒騎士見習いの間にもそれは徹底させた。護衛の間は敬称をつけて公爵令嬢にふさわしくクリスを扱うこと、と。
今までの距離感が近すぎたのだ。
実家で冷遇されていた幼すぎる聖女は幼すぎる大聖女になった。その心を守るために気安い関係が許されていただけ。学園に通う年齢の公爵令嬢となった今はふさわしい距離感が求められる。
これは当然のことだ。
自分はクリスよりも4つも年上なのだから、しっかりしなければ。メリハリをつけて接していけばいい。
でも、やっぱりどうしても。どうしても寂しい気持ちは抑えられなかった。
クリスは教会にいた頃には見たこともなかったすました顔でいる。公爵令嬢としてふさわしくあるべきという考えが、ヤスミンとヒューゴとクリスしかいない馬車の中でも抜けきらず、常にこのような顔をしているらしいとは、最近クリスファンクラブ運営メンバー内でも共有された情報だ。
「クリス、馬車の中だし、外からは見えないし、いつまでも気を張っていなくて大丈夫だ。」
「でも、いつもしていないと忘れそうで怖いわ。」
クリスはすまし顔を崩さずにそう言う。学園で少しふっくらしたかと思われた体型はすっかり逆戻りして、痩せてしまったクリスが青白いすまし顔をしているのだから、周りはとても心配だろう。
実際、最近増えているファンクラブ会員たちはこぞって最近のクリスの様子を心配していた。
「息抜きをすることも大切だよ。クリスのお姉さんのアリシラローズ様を思い出してごらん?」
「アリシラお姉さま?」
「アリシラローズ様は学園でも美しく誇り高いと評判の公爵令嬢だったけれど、クリスの前ではどうだった?すました顔で気を張っていたかい?」
「…いいえ。」
クリスは胸元に手をやりながら思い出すように首を傾げた。
「アリシラお姉さまはいつもお優しくて、笑顔で、私のことを抱きしめてはしゃいだり、からかって遊んだりしていらしたわ。」
「つまりはメリハリが大事なんだ。引き締めるところでは引き締める。緩めるところでは緩める。
さあ、カフェにつくよ。」
クリスをエスコートしてカフェに入るとニコレット嬢とイザベラ嬢が待ち構えていた。
「ニコレットにイザベラ?どうしたの?」
「クリスを待っていたのよ。今日は個室を貸切ってみんなでパンケーキパーティーしましょう!」
他の客からは見えない個室席に案内されて、クリスを席に着けると続々とパンケーキが運ばれてきた。
個室には黒騎士見習いのテオドールやルイも来ていた。二人もクリスに他人行儀な扱いを受けて陰ながらへこんでいたところをヒューゴが誘ってつれてきたのだ。
「テオドールとルイまで?」
「今日はクリスが公爵令嬢としてまだまだ礼儀作法がなっていないことや、本当は元気にそこら中を走ってとびまわっていたいことを知っている人しかここにいないよ。
だから、お作法は今日はお休みでいいんじゃないか?」
ヒューゴはクリスの頭をポンポンとなでる。これも人前ではやらないようにしている動作の一つだ。
「ヒューゴ…。」
クリスの宝石目にジワリと涙がたまる。そのまま隣に立っていたヒューゴにひしっと抱き着いた。
「クリスがヒューゴさんに抱き着いてるのもいつもの光景だね。」
「クリスは黒騎士見習いの中でヒューゴさんが一番に好きだから。」
テオドールとルイがにやにやとからかうようなことを言っているのを鼻で笑うように見やる。そして、ヒューゴはクリスの頭をなでながら、「何?うらやましいの?」と言ってやった。
ヒューゴよりも三つ年下の二人は顔を真っ赤にして慌て始めて、ヒューゴはなんだか満足した。
元気よくパンケーキを食べ始めたクリスにニコレット嬢もイザベル嬢も満足げだ。
「今日は特別ですよ!…それから、私たちとのランチの時も特別に許可しますわ!」
「クリス、今日はたくさん食べてね。」
「うん!ありがとう!ニコレット!イザベル!」
今回のパンケーキ会は二人が企画したものだ。私たちだけではクリスの態度を和らげるのは無理そうだとヒューゴにも声をかけてくれた。
以前のようにヒューゴにじゃれあうクリスに、これは恋仲と言われても致し方ない、あんたがちゃんと気をつけていないからよ、と鋭い視線を向けられて咳払いでごまかした。
…本当に申し訳ない。クリスに悪いうわさが立ったのは全てヒューゴの責任だ。なんのために高等部まで進学して貴族の中で生活しているのか。
ヤスミンはクリスの紅茶がなくなるとすぐにつぎ足し、口の端にクリームをつけてしまえばすぐにふき、と甲斐甲斐しく世話を焼く。
最初は厳しい印象のある人だったが、クリスにあてられたのか、サーシャを見習ったのか、クリスにはとても甘くなったな。
「え、私のファンクラブにルイとテオドールも入っているの?」
「ああ。僕が会員番号78で、ルイが会員番号82だよ。」
「まあ!二桁だなんて羨ましいわ!」
口をはさむのはニコレットだ。「私は114なの」と。
「え、クリスのファンクラブ、もう100人を超えているんですね!すごいな!」
「普通はいても50人ぐらいだもんな。100人超えたら大きいファンクラブだよ。」
「イザベルもファンクラブに入ったのでしょう?」
「私は記念すべき会員番号100をいただいたわ!クリスが大聖女をやめて学園に来られるって聞いた時にすぐに加盟したの!」
「じゃあ、イザベルは私と会ったときにはファンクラブ会員だったんだ…。」
クリスはちょっと微妙な顔をしている。ふとヒューゴを振り返った。
「ヒューゴは?もしかしてファンクラブに入ってるの?」
「あー。」
ヒューゴは困ったように頬をかいた。
「…入っているよ。」
「番号は?」
「………5。」
クリスがあっけにとられ、さらにその場が大いに盛り上がったのは言うまでもない。
ー---
音楽祭はクリスマス休暇直前にひらかれた。クリスの冬の雪景色の美しさを歌った歌は素晴らしく、クリスの周りがきらきらと光っているように見えた。
ヒューゴは特別席を辞退したが、必ず参加できるようにと早いうちに講堂に入り、クリスの歌を十分に鑑賞した。
自分が一般の席にいるのを見てひそひそと噂話をする学生もいたが、ヒューゴはつとめて平気な顔で前を向いていた。自分との関係がクリスにとって悪い噂となることはなんとしても避けねばならなかったから。
もちろん、他の黒騎士見習いの間にもそれは徹底させた。護衛の間は敬称をつけて公爵令嬢にふさわしくクリスを扱うこと、と。
今までの距離感が近すぎたのだ。
実家で冷遇されていた幼すぎる聖女は幼すぎる大聖女になった。その心を守るために気安い関係が許されていただけ。学園に通う年齢の公爵令嬢となった今はふさわしい距離感が求められる。
これは当然のことだ。
自分はクリスよりも4つも年上なのだから、しっかりしなければ。メリハリをつけて接していけばいい。
でも、やっぱりどうしても。どうしても寂しい気持ちは抑えられなかった。
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