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第3章 12歳の公爵令嬢
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「ヒューゴが私の愛人…?」
その噂がクリスの耳にも入ったのはヒューゴとパンケーキを食べに行った5日後のことだった。ランチ中にニコレットが気まずそうに教えてくれた。
「違うわ!ヒューゴは私の護衛をしてくれていた黒騎士見習いだよ?」
「でも、食べ物を食べさせあっていたとか、音楽祭の親族席に招待したとか、いろんな目撃談がでているそうなの。だから信じてしまった人も相当いるみたい。
相手がヒューゴ・クレマン様というのもね。人気のある方だから注目度が高いみたい。」
「ヒューゴ、人気があるの?」
それは全く知らなかった。最近はお留守番の多かった猫型精霊のフィフィも驚いたようにクリスの膝の上でニャーと鳴いた。
「ええ。人当たりがよくて、顔立ちも整っているし、成績も学園で一番よ。嫌われる要素がないわ。男爵家の三男というのは嫁ぎ先としてはマイナスポイントだけど、婿を探している一人娘のご令嬢に大人気よ。それに令息のご友人は多い方なんじゃないかしら。」
なんと。じゃあ先日カフェで視線を集めていたのはやはりクリスだけが理由じゃないのだろう。ヒューゴはクリスがアミュレットに願った通りに友達をたくさん作っているようだ。
「でも、これはあまり良いことではないと思うわ。」
ニコレットは諭すようにクリスに言った。
「貴族令嬢が婚約者でもない殿方と噂になるだなんて。結婚する可能性のある方ならいいけれど、さすがにクリスとクレマン様では釣り合わないし、クリスが婚約前から愛人を囲っているなんて話になったら縁談に響くわ。」
「私はいつか教会に戻るから、縁談は必要ないの。」
「「え??」」
それまで話を静かに聞いていたイザベルとニコレットの声がきれいに重なった。
「どういうことですか?」
クリスはまずかったかもというように給仕をしていたヤスミンを振り返ると、仕方ありませんというように頷いてくれたので、クリスが体調を崩したのが大聖女の仕事のせいかもしれないということと、そのためにマルシャローズの我儘を利用して大聖女を一度やめたのだという経緯を話した。
「まあ、そうでしたの…。たしかにクリスは小柄すぎるかもしれないわね。」
「そのような事情があったのでしたら、数年はマルシャローズ様で構いませんわ。」
二人は納得してくれたが、ヒューゴとの噂については話は別だと顔を厳しくした。
「”評判”の力を舐めてはいけませんわ。クリスが公爵令嬢としては拙い礼儀作法でありながらも学園で好意的に受け止められているのは、マルシャローズ様の評判が悪いからですわ。
所詮は妹、中身は同様にお粗末、なんて評価がなされたら、教会に戻った後も生きづらいと思いますわ。」
しれっとイザベルがマルシャローズをこき下ろしているが、それは放っておこう。
でも、これにはクリスも思うところがあった。
学園で悪意のある感情をクリスに向ける人は少数派で大多数が好意的にクリスのことを迎えてくれている。しかし、クリスがニコレットやイザベルと仲良くし始めると好意的だった人が負の感情を向けてくるようになったのだ。
この大多数からの好意は簡単に揺らぐものなのだろう。
「ヤスミンはどう思う?」
「そうですね。お二人の意見に賛成です。まさかここまでの噂になってしまうとは思わず、お止めできずに申し訳ございません。」
ヤスミンが頭を下げてくれるが、クリスは気にするなと首を横に振る。
「気にしないで。ヤスミンは注意してくれていたもの。守らなかった私が悪いの。このままだとヒューゴの交友関係にも問題がでるかもしれないし…。どうすればいいかな?」
「そうですね。まず、音楽祭でヒューゴ様が特別席にいらっしゃっては噂を肯定してしまいますから、チケットはお返しいただくのがいいでしょうね。」
「護衛がヒューゴ様なのはいいけれど、これからは二人で同じ席に着くことはしない方がいいと思いますわ。ヤスミン殿のように後ろに控えてもらうのがよいでしょう。」
「平日の護衛のお二人も距離が近いですから、一歩控えてもらった方がいいかもしれないわね。彼らとクリスが恋仲だと感じたことはないけれど、低位の貴族をたくさん愛人にしているなんて噂が立つのは困るもの。」
ヤスミン、イザベル、ニコレットの意見をきいてクリスは悲しそうにため息をはいた。
『安心しなさいよ、クリス。ヒューゴは器のでかい男だわ。理解してくれるし、これぐらいのことでクリスから離れたりしないわよ。もちろんテオドールとルイもよ。』
フィフィの慰めにもちろんそうだとクリスは頷く。
「…でも、やっぱり寂しい。」
ポツリとつぶやいた言葉はその場にいた全員にしっかり届いていた。
ー---
後日、事態を重く受け止めたヒューゴから特別席のチケットの返却があった。仕方がないのでサーシャにもう一枚送って誰か好きな人を誘うように頼んだ。
ちなみに父であるルロワ公爵をさそうという考えはクリスには全くなかった。
貴族令嬢として生きるとはこういうことなのだと、クリスは目が覚める思いだった。これまでの甘え切っていた態度を見直し、自分も公爵令嬢としてふさわしいふるまいを常に考えて動いた。
本来、聖女にならなければ最初からこのように生きていたのだ。できないことはない。
「クリスの最近の作法は目に見えて綺麗になりましたわ。」
イザベルが少し心配そうな顔でそうほめてくれた。
「ただ…、またお痩せになられたのではなくて?初めてお会いした時に戻られたようですわ。」
「公爵令嬢ですもの。そんなにがつがつと食べられないわ。」
「でも、クリスは体調を戻すために大聖女をやめたという経緯があるのだから、そこはしっかり食べないといけないと思うわ。せめて自室では以前のように食べたられたら?」
ニコレットも心配そうな顔をしている。それはそうなのだが、そもそもクリスには最近、あまり食欲がなかった。自室でも外にいるときと同様に気を張り詰めていて安らげる時間もあまりなかった。
「体調を万全にしないと、音楽祭で見に来てくださる皆さんにも心配させてしまうわ。」
ニコレットはイザベルと困ったように顔を見合わせた。
その噂がクリスの耳にも入ったのはヒューゴとパンケーキを食べに行った5日後のことだった。ランチ中にニコレットが気まずそうに教えてくれた。
「違うわ!ヒューゴは私の護衛をしてくれていた黒騎士見習いだよ?」
「でも、食べ物を食べさせあっていたとか、音楽祭の親族席に招待したとか、いろんな目撃談がでているそうなの。だから信じてしまった人も相当いるみたい。
相手がヒューゴ・クレマン様というのもね。人気のある方だから注目度が高いみたい。」
「ヒューゴ、人気があるの?」
それは全く知らなかった。最近はお留守番の多かった猫型精霊のフィフィも驚いたようにクリスの膝の上でニャーと鳴いた。
「ええ。人当たりがよくて、顔立ちも整っているし、成績も学園で一番よ。嫌われる要素がないわ。男爵家の三男というのは嫁ぎ先としてはマイナスポイントだけど、婿を探している一人娘のご令嬢に大人気よ。それに令息のご友人は多い方なんじゃないかしら。」
なんと。じゃあ先日カフェで視線を集めていたのはやはりクリスだけが理由じゃないのだろう。ヒューゴはクリスがアミュレットに願った通りに友達をたくさん作っているようだ。
「でも、これはあまり良いことではないと思うわ。」
ニコレットは諭すようにクリスに言った。
「貴族令嬢が婚約者でもない殿方と噂になるだなんて。結婚する可能性のある方ならいいけれど、さすがにクリスとクレマン様では釣り合わないし、クリスが婚約前から愛人を囲っているなんて話になったら縁談に響くわ。」
「私はいつか教会に戻るから、縁談は必要ないの。」
「「え??」」
それまで話を静かに聞いていたイザベルとニコレットの声がきれいに重なった。
「どういうことですか?」
クリスはまずかったかもというように給仕をしていたヤスミンを振り返ると、仕方ありませんというように頷いてくれたので、クリスが体調を崩したのが大聖女の仕事のせいかもしれないということと、そのためにマルシャローズの我儘を利用して大聖女を一度やめたのだという経緯を話した。
「まあ、そうでしたの…。たしかにクリスは小柄すぎるかもしれないわね。」
「そのような事情があったのでしたら、数年はマルシャローズ様で構いませんわ。」
二人は納得してくれたが、ヒューゴとの噂については話は別だと顔を厳しくした。
「”評判”の力を舐めてはいけませんわ。クリスが公爵令嬢としては拙い礼儀作法でありながらも学園で好意的に受け止められているのは、マルシャローズ様の評判が悪いからですわ。
所詮は妹、中身は同様にお粗末、なんて評価がなされたら、教会に戻った後も生きづらいと思いますわ。」
しれっとイザベルがマルシャローズをこき下ろしているが、それは放っておこう。
でも、これにはクリスも思うところがあった。
学園で悪意のある感情をクリスに向ける人は少数派で大多数が好意的にクリスのことを迎えてくれている。しかし、クリスがニコレットやイザベルと仲良くし始めると好意的だった人が負の感情を向けてくるようになったのだ。
この大多数からの好意は簡単に揺らぐものなのだろう。
「ヤスミンはどう思う?」
「そうですね。お二人の意見に賛成です。まさかここまでの噂になってしまうとは思わず、お止めできずに申し訳ございません。」
ヤスミンが頭を下げてくれるが、クリスは気にするなと首を横に振る。
「気にしないで。ヤスミンは注意してくれていたもの。守らなかった私が悪いの。このままだとヒューゴの交友関係にも問題がでるかもしれないし…。どうすればいいかな?」
「そうですね。まず、音楽祭でヒューゴ様が特別席にいらっしゃっては噂を肯定してしまいますから、チケットはお返しいただくのがいいでしょうね。」
「護衛がヒューゴ様なのはいいけれど、これからは二人で同じ席に着くことはしない方がいいと思いますわ。ヤスミン殿のように後ろに控えてもらうのがよいでしょう。」
「平日の護衛のお二人も距離が近いですから、一歩控えてもらった方がいいかもしれないわね。彼らとクリスが恋仲だと感じたことはないけれど、低位の貴族をたくさん愛人にしているなんて噂が立つのは困るもの。」
ヤスミン、イザベル、ニコレットの意見をきいてクリスは悲しそうにため息をはいた。
『安心しなさいよ、クリス。ヒューゴは器のでかい男だわ。理解してくれるし、これぐらいのことでクリスから離れたりしないわよ。もちろんテオドールとルイもよ。』
フィフィの慰めにもちろんそうだとクリスは頷く。
「…でも、やっぱり寂しい。」
ポツリとつぶやいた言葉はその場にいた全員にしっかり届いていた。
ー---
後日、事態を重く受け止めたヒューゴから特別席のチケットの返却があった。仕方がないのでサーシャにもう一枚送って誰か好きな人を誘うように頼んだ。
ちなみに父であるルロワ公爵をさそうという考えはクリスには全くなかった。
貴族令嬢として生きるとはこういうことなのだと、クリスは目が覚める思いだった。これまでの甘え切っていた態度を見直し、自分も公爵令嬢としてふさわしいふるまいを常に考えて動いた。
本来、聖女にならなければ最初からこのように生きていたのだ。できないことはない。
「クリスの最近の作法は目に見えて綺麗になりましたわ。」
イザベルが少し心配そうな顔でそうほめてくれた。
「ただ…、またお痩せになられたのではなくて?初めてお会いした時に戻られたようですわ。」
「公爵令嬢ですもの。そんなにがつがつと食べられないわ。」
「でも、クリスは体調を戻すために大聖女をやめたという経緯があるのだから、そこはしっかり食べないといけないと思うわ。せめて自室では以前のように食べたられたら?」
ニコレットも心配そうな顔をしている。それはそうなのだが、そもそもクリスには最近、あまり食欲がなかった。自室でも外にいるときと同様に気を張り詰めていて安らげる時間もあまりなかった。
「体調を万全にしないと、音楽祭で見に来てくださる皆さんにも心配させてしまうわ。」
ニコレットはイザベルと困ったように顔を見合わせた。
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