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第2章 8歳の大聖女
6 大聖女の寝室にて
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大聖女付きの侍女であるヤスミンはとある男爵家の三女だった。実家は裕福ではなく、ヤスミンは貴族の通う学園の中等部のみ通学した後、伝手を使って教会の侍女に就職した。
教会侍女とは聖女や神官、騎士たちに仕える侍女のことで、その中でも優秀な者は大聖女や神官長、騎士団長に専属として仕えることができる。
貴族に由縁をもつヤスミンも将来的にはそのような重要なポジションにつきたいと考えていた。
しかし、ヤスミンの目から見ても、前任のマルシャローズ様は大聖女として敬えるような人ではなかった。
白騎士を侍らせ、見目のいい侍女を何人も仕えさせ、聖女にふさわしくないきらびやかな衣装を着ていた。名誉な職だと言われても、マルシャローズ様に仕えたいとは思えなかった。
そんな時に突然の大聖女引退。後任をわずか7歳の妹に押し付けた。
信じられない…。人の心があればこんなことはしない。
後任の大聖女様付きの侍女にはマルシャローズ様についていた5人がそのまま選ばれ、新しい大聖女様に紹介されたが、マルシャローズ様の下で甘い蜜をすすっていたあんな人たちでは、幼い大聖女様を正しく導けないだろう。
私だったら……まだ幼い大聖女様を正しく導けるのに。
ヤスミンは侍女長にも認められた同期では一番の侍女だ。しかし、ぴっちりしすぎた容姿をマルシャローズに嫌がられ、前回の大聖女付きの選考からは落ちてしまった。
「ヤスミン、新しい大聖女様付きをお願いできますか?」
だから、侍女長にそういわれたときには跳びあがらんばかりに嬉しかった。
「な、なぜ私に?確か5人の侍女がつくことになっていたと…?」
「クリスローズ様がマルシャローズ様についていた侍女というのに難色を示されてね。侍女はいらないと言われたそうなの。とりあえず人を変えて一人だけつけることになって、あなたを推薦したの。
頼めるわね?」
「はい!心をこめてお仕えします!」
まだ幼い大聖女様を、立派な大聖女様に育てるのだ。強い思いを持って仕事に臨んだ。
臨んだのだが…。
ー---
「恐らく、お心が弱っていらっしゃって、体の回復に時間がかかっているのでしょう。」
「お心が…。」
医師の診察に侍女長と神官長は難しい顔をしている。ヤスミンは真っ青だ。
「ヤスミン、何か気づいたことは?」
「大聖女様は毎日歌の稽古に結界術、強化術の修行を励まれていました。」
「お休みの日には何を?」
「飼い猫と戯れたり、修行の復習をされたり…。」
「それだけ?クリスローズ様はまだ8歳にもなっていないのよ?何かもっと遊びの時間はないの?お出かけを所望されることは?」
確かに侍女長にそういわれるとおかしい。クリスローズ様から我儘を聞いたことがない。我儘を言わない高潔な大聖女に育てているつもりだったが、その結果、大聖女様を苦しめていたのだろうか。
青ざめるばかりのヤスミンの様子に侍女長はため息をつくと、神官長に向き直った。
「新しい侍女を雇いましょう。子育ての経験があり、侍女としても優秀な。私に心当たりがあります。」
ヤスミンは侍女として不合格だと言われたようなものだった。
ー---
新しく着た侍女は侍女長の妹だそうで、以前はさる貴族の家で侍女をしていたそうだが、子育てのために引退していたが、この度復帰を決めたそうだ。年のころは30代半ばといったところだろう。
「はじめまして、クリスローズ様。私は新しくクリスローズ様付きになりました、サーシャと申します。」
熱に苦しんでいた大聖女様の容態が落ち着いたところでサーシャは挨拶をした。部屋にはヤスミンも控えている。ヤスミンは解任にはならず、サーシャの補佐につくことになった。
大聖女様はぼんやりした様子でサーシャを見る。サーシャは優しい表情で大聖女様の汗をぬぐい、水を飲ませ、食べ物を食べさせた。
大聖女様はサーシャの顔を見ながらおかしなことを言い始めた。
「サーシャは下女さんのお友達?」
「下女さん?ですか?」
「クリス、大聖女になる前は下女さんたちと水汲みしてたの…。」
またその信じられない話だ。ヤスミンが配属されてすぐのころの大聖女様はしつこく「下女さんたちに会いに行きたい」と言っていたが、ヤスミンが何度も注意するとやがて言わなくなった。
大聖女という教会で一番身分の高い存在が下働きの下女と馴れ合うだなんて、あってはならないことだ、と。
部屋の隅にいるヤスミンは大聖女様からは見えていないようだ。
「でも、大聖女になったら突然いけなくなったの…。心配してるかもしれないからクリスは元気って伝えてほしいの…。」
「クリスローズ様は”元気”ではありませんね。私が確実に下女さんたちに伝えますから、早く元気になって一緒に会いにいきましょうね。」
ヤスミンは思わず声をあげそうになったが、サーシャの鋭い目線で制されて、ぐぐぐっと押し黙った。
一方の大聖女様はとても驚いた顔になった。
「下女さんたちに会いに行ってもいいの?」
「もちろんです。クリスローズ様のお友達、なのですよね?」
「うん!」
大聖女様のあんなに嬉しそうな顔は初めて見るかもしれない。
「他に会いたい人はいますか?」
「エマに会いたいの。エマはね、私の聖女の先輩で毎日会ってたのに急に会えなくなっちゃったの。」
「聖女のエマ様ですね。お見舞いに来ていただきましょうか。」
「あと、黒騎士見習いのみんなにも会いたい。黒騎士団で強化術の修行がしたいの。ヒューゴがね、秋から学園に行っちゃうから今のうちにたくさん遊んでおかないと。」
「たしかクリスローズ様は白騎士の方と強化術の修行をしていましたね?」
その話になると、大聖女様は途端に青ざめて震え始めた。サーシャが慌てて「大丈夫ですよ」と大聖女様の頭を優しくなでて、震えを止める。
「あのね…みんなには内緒にしてほしいの…。」
「もちろん。誰にも言いませんよ。」
「私、白騎士に強化術、かけれないの…。みんなかかってもない強化術にかかりましたって言ってほめてくるの…。クリス、それが怖くて…。」
ニャーと鳴く猫の頭をなでながら、「黒騎士団で修行がしたいの」と大聖女様は目に涙をためて言った。ヤスミンも修行の様子は見守っていたが、大聖女様がそのような怖さを感じていたことには全く気付かなかった。
「もちろん。このサーシャにお任せください。誰にも言いませんし、黒騎士団にも元気になったら一緒に行きましょうね。」
「うん。早く立派な大聖女にならなきゃ…。」
大聖女様は眠たそうに目をこすりながらそう呟く。
「急ぐ必要はありませんよ。」
「でもクリスはお姉さまのスペアだから…。」
なんて悲しい言葉を言うのだろうとヤスミンもサーシャも少し顔をしかめる。
再度、ベッドに寝かしつけられた大聖女様は小さい声で、「忙しくなかったらアリシラお姉さまにも会いたい」とつけくわえて穏やかな表情で寝息をたて始めた。
教会侍女とは聖女や神官、騎士たちに仕える侍女のことで、その中でも優秀な者は大聖女や神官長、騎士団長に専属として仕えることができる。
貴族に由縁をもつヤスミンも将来的にはそのような重要なポジションにつきたいと考えていた。
しかし、ヤスミンの目から見ても、前任のマルシャローズ様は大聖女として敬えるような人ではなかった。
白騎士を侍らせ、見目のいい侍女を何人も仕えさせ、聖女にふさわしくないきらびやかな衣装を着ていた。名誉な職だと言われても、マルシャローズ様に仕えたいとは思えなかった。
そんな時に突然の大聖女引退。後任をわずか7歳の妹に押し付けた。
信じられない…。人の心があればこんなことはしない。
後任の大聖女様付きの侍女にはマルシャローズ様についていた5人がそのまま選ばれ、新しい大聖女様に紹介されたが、マルシャローズ様の下で甘い蜜をすすっていたあんな人たちでは、幼い大聖女様を正しく導けないだろう。
私だったら……まだ幼い大聖女様を正しく導けるのに。
ヤスミンは侍女長にも認められた同期では一番の侍女だ。しかし、ぴっちりしすぎた容姿をマルシャローズに嫌がられ、前回の大聖女付きの選考からは落ちてしまった。
「ヤスミン、新しい大聖女様付きをお願いできますか?」
だから、侍女長にそういわれたときには跳びあがらんばかりに嬉しかった。
「な、なぜ私に?確か5人の侍女がつくことになっていたと…?」
「クリスローズ様がマルシャローズ様についていた侍女というのに難色を示されてね。侍女はいらないと言われたそうなの。とりあえず人を変えて一人だけつけることになって、あなたを推薦したの。
頼めるわね?」
「はい!心をこめてお仕えします!」
まだ幼い大聖女様を、立派な大聖女様に育てるのだ。強い思いを持って仕事に臨んだ。
臨んだのだが…。
ー---
「恐らく、お心が弱っていらっしゃって、体の回復に時間がかかっているのでしょう。」
「お心が…。」
医師の診察に侍女長と神官長は難しい顔をしている。ヤスミンは真っ青だ。
「ヤスミン、何か気づいたことは?」
「大聖女様は毎日歌の稽古に結界術、強化術の修行を励まれていました。」
「お休みの日には何を?」
「飼い猫と戯れたり、修行の復習をされたり…。」
「それだけ?クリスローズ様はまだ8歳にもなっていないのよ?何かもっと遊びの時間はないの?お出かけを所望されることは?」
確かに侍女長にそういわれるとおかしい。クリスローズ様から我儘を聞いたことがない。我儘を言わない高潔な大聖女に育てているつもりだったが、その結果、大聖女様を苦しめていたのだろうか。
青ざめるばかりのヤスミンの様子に侍女長はため息をつくと、神官長に向き直った。
「新しい侍女を雇いましょう。子育ての経験があり、侍女としても優秀な。私に心当たりがあります。」
ヤスミンは侍女として不合格だと言われたようなものだった。
ー---
新しく着た侍女は侍女長の妹だそうで、以前はさる貴族の家で侍女をしていたそうだが、子育てのために引退していたが、この度復帰を決めたそうだ。年のころは30代半ばといったところだろう。
「はじめまして、クリスローズ様。私は新しくクリスローズ様付きになりました、サーシャと申します。」
熱に苦しんでいた大聖女様の容態が落ち着いたところでサーシャは挨拶をした。部屋にはヤスミンも控えている。ヤスミンは解任にはならず、サーシャの補佐につくことになった。
大聖女様はぼんやりした様子でサーシャを見る。サーシャは優しい表情で大聖女様の汗をぬぐい、水を飲ませ、食べ物を食べさせた。
大聖女様はサーシャの顔を見ながらおかしなことを言い始めた。
「サーシャは下女さんのお友達?」
「下女さん?ですか?」
「クリス、大聖女になる前は下女さんたちと水汲みしてたの…。」
またその信じられない話だ。ヤスミンが配属されてすぐのころの大聖女様はしつこく「下女さんたちに会いに行きたい」と言っていたが、ヤスミンが何度も注意するとやがて言わなくなった。
大聖女という教会で一番身分の高い存在が下働きの下女と馴れ合うだなんて、あってはならないことだ、と。
部屋の隅にいるヤスミンは大聖女様からは見えていないようだ。
「でも、大聖女になったら突然いけなくなったの…。心配してるかもしれないからクリスは元気って伝えてほしいの…。」
「クリスローズ様は”元気”ではありませんね。私が確実に下女さんたちに伝えますから、早く元気になって一緒に会いにいきましょうね。」
ヤスミンは思わず声をあげそうになったが、サーシャの鋭い目線で制されて、ぐぐぐっと押し黙った。
一方の大聖女様はとても驚いた顔になった。
「下女さんたちに会いに行ってもいいの?」
「もちろんです。クリスローズ様のお友達、なのですよね?」
「うん!」
大聖女様のあんなに嬉しそうな顔は初めて見るかもしれない。
「他に会いたい人はいますか?」
「エマに会いたいの。エマはね、私の聖女の先輩で毎日会ってたのに急に会えなくなっちゃったの。」
「聖女のエマ様ですね。お見舞いに来ていただきましょうか。」
「あと、黒騎士見習いのみんなにも会いたい。黒騎士団で強化術の修行がしたいの。ヒューゴがね、秋から学園に行っちゃうから今のうちにたくさん遊んでおかないと。」
「たしかクリスローズ様は白騎士の方と強化術の修行をしていましたね?」
その話になると、大聖女様は途端に青ざめて震え始めた。サーシャが慌てて「大丈夫ですよ」と大聖女様の頭を優しくなでて、震えを止める。
「あのね…みんなには内緒にしてほしいの…。」
「もちろん。誰にも言いませんよ。」
「私、白騎士に強化術、かけれないの…。みんなかかってもない強化術にかかりましたって言ってほめてくるの…。クリス、それが怖くて…。」
ニャーと鳴く猫の頭をなでながら、「黒騎士団で修行がしたいの」と大聖女様は目に涙をためて言った。ヤスミンも修行の様子は見守っていたが、大聖女様がそのような怖さを感じていたことには全く気付かなかった。
「もちろん。このサーシャにお任せください。誰にも言いませんし、黒騎士団にも元気になったら一緒に行きましょうね。」
「うん。早く立派な大聖女にならなきゃ…。」
大聖女様は眠たそうに目をこすりながらそう呟く。
「急ぐ必要はありませんよ。」
「でもクリスはお姉さまのスペアだから…。」
なんて悲しい言葉を言うのだろうとヤスミンもサーシャも少し顔をしかめる。
再度、ベッドに寝かしつけられた大聖女様は小さい声で、「忙しくなかったらアリシラお姉さまにも会いたい」とつけくわえて穏やかな表情で寝息をたて始めた。
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