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2 永遠姫と帰ってこない両親
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国の名門貴族である九条家には四歳になる可愛いお姫様がいた。今日も元気に両親への愛を叫びながら大きなお屋敷で暮らしていた。
お姫様の名前は永遠。母からプレゼントされたウサギのぬいぐるみを背中にたすきで背負う姿がキュートな女の子である。
「ちちうえ?」
永遠は食堂の机の下をのぞく。そこは女中たちによってしっかり掃除されており、塵一つない。
「ははうえ?」
本邸とつながる離れ”瑠璃殿”の中をくまなく見て回るが、主のいない建物も女中たちによりしっかり掃除されており、塵一つない。
「ちちうえ?」
食堂の裏手にある台所に入ろうとするが、火を使って危ないからと女中たちがすぐに永遠を連れ戻してしまう。
「ははうえ?」
庭にある畑に穴を掘ってみるが、ミミズが出てきただけだった。背中のウサギのぬいぐるみもとても汚れてしまった。ちなみに女中たちが毎夜こっそり洗っている。
「あさこ、ちちうえとははうえはいつかえってくるの?」
「姫様、お帰りになる際にはお手紙をくださると言っていましたよ。」
「でも、もう二人とも三日もいないよ?」
「まだ三日ですよ。ちゃんとお留守番できるって、お約束されたじゃありませんか。」
そう、それは三日前のこと。
いつになくしっかりと戦闘服に身をつつみ、剣を持った父と母が二人して出発前に永遠の前にしゃがみこんだ。
「永遠、これから父上と母上はお仕事に行ってくる。」
「うん、いってらっしゃい!何じにかえってくる?」
「三月ぐらい帰ってこれないんだ。」
「三つきって何日?」
母に「90日」と言われて、永遠はヒッというなさけない声をあげた。
「ちちうえはすぐかえってくる?」
父も困ったように眉を寄せて笑って首を横に振った。父と母が二人そろってそんなにも長く屋敷にいなかったことはこれまでになかった。ここ一年ほど、どちらかが長く屋敷をあけることは度々あったが。
母が初めて一月ほど帰らなかった時にくれたのが今、永遠の背にあるうさぎのぬいぐるみ、”うさちゃん”である。
「父上も同じぐらいになるかな。その間、永遠は朝子とお留守番できるかい?」
「永遠がちゃんとお留守番してくれてたら、母上たちも安心して仕事に行けるんだ。」
「とわもいっしょにいっちゃだめ?」
「「危ないから絶対にダメだ。」」
永遠がむうっと涙目になってむくれるが、これで父と母が折れてくれたこともない。
「おるすばんしてたらすぐにかえってくる?それならうさちゃんとおるすばんする。」
二人は三月と言っているのに、永遠はしぶとい。父と母は顔を見合わせて苦笑し、永遠の頭を優しくなでてくれた後に「なるべく早く帰るよ」と言って出かけて行った。
そう、それはまだたったの三日前のこと。しかし、永遠にとってはもう三日も前のこと。
「おしろまでちちうえとははうえをむかえにいってもいい?」
「お二人は今お城にはいらっしゃいませんよ。」
永遠は首をひねる。じゃあどこにいるんだろう。尋ねると朝子は答えることを渋る。
「…北西州の方に行っておられますよ。」
そう言ってその日の午前中は地理の授業をしてくれた。北西州はこの国の北側に位置しており、冬は雪で道が閉ざされるのだそうだ。今はまだ夏だが、父と母の仕事が長引けば今年中には帰ってこれないかもしれない。
それから一週間、永遠は毎日てるてる坊主を作って雪が降らないようにお願いした。もちろん今は夏なので振るはずがないのだが、通り雨が降るだけで、永遠は大騒ぎした。
毎日両親のことを考えていた永遠は、お天気を維持することよりも、仕事を早く終わらせることの方が両親に帰ってきてもらうために必要なことだと気付いた。
「ほくせいしゅうで何してるの?」
「お仕事をされていますよ?」
「へいか、のごえい?」
朝子は少し考えた後、無駄に賢い永遠が変なところから両親の仕事を聞いて、変に勘違いするのは良くないと思ったのだろう。永遠に真剣な顔で話し始めた。
「姫様、よく聞いてください。旦那様と奥様は、反乱を鎮めにいかれたのです。」
「はんらん?」
「戦争です。」
「せんそう?」
「旦那様たちが帝に仕えていることは姫様もご存知ですね。帝がこの国を治めるお方であるということも。帝の政治に反対する者たちが、北で兵を起こしたのです。戦いによって、帝の政治を変えようとしているのです。」
数年後に永遠も知るのだが、この反乱は昨年の春ごろに始まっており、すでに一年以上続いていた。反乱を完全に鎮静化する決定打として送り込まれたのが帝の側近である永遠の両親というわけだ。
もちろん今の永遠にはそんなことはわからない。
「せんそうって何するの?」
「武器を使ってたくさんの人が戦います。死人も出ます。」
「ちちうえとははうえもしんじゃうの?しんじゃうとどうなるの?」
「…お屋敷には帰ってこられません。」
「そんなのやだ!!」
永遠はダンっと立ち上がった。「いますぐむかえにいく!とわがいけばかえってくる!」と叫んで部屋を飛び出していこうとする永遠を朝子は女中とは思えない俊敏な動きで引き留めた。
「姫様、奥様のお言葉をお忘れですか?『ちゃんとお留守番していたら、安心してお仕事ができる』とおっしゃっていましたよ?」
「…とわ、おるすばんするだけ?」
「はい。」
永遠はむうと唸って考え込む。父と母が怪我無く屋敷に帰ってくるためには永遠も何かしなければならないという強い意志を持って。
思い出したのはお正月に行く神社だ。『神様にお願いごとをするんだよ』と父は言っていて、永遠も毎年『ちちうえとははうえがとわを大すきでいてくれますように』とお願いしている。
…これだ!この手があった!神様にお願いすればいいんだ!
「とわ、これからじんじゃにいく!」
「神社?」
「かみさまにちちうえとははうえをはやくかえしてっておねがいする!」
まあそれなら、という朝子の了解を得て永遠はうさぎのぬいぐるみを背負って揚々と神社へでかけた。
ー---
「ちちうえとははうえはいつかえってきますか!?」
「はい?」
お参りした後捕まえた神主に永遠は勢いよく質問する。神主はきょとんとした顔で急に服の裾を引っ張ってきた永遠を見下ろしている。永遠の背中のうさぎのぬいぐるみにちらりと目を向ける。
「姫様!…すみません、神主。」
城下で一番大きな神社ということで、貴族の参拝も多い。両親が一緒ではなくとも、神主はすぐに永遠が九条家の一人娘であるとわかったようだ。
そして、もちろん神主は北で大きな反乱が起きていることも、九条家の当主夫妻が鎮静のために旅だったことも知っていた。
「ご両親の無事のお帰りをお願いされたのですか?」
「うん!いつかえってきますか!?」
「それは神様のみが知るところ…私にもわかりかねます。」
永遠は見るからに落ち込んで、参拝客の方を見た。そして、参拝客がそこそこいることに気づく。…そうか、これでは神様も永遠の願いを見つけて聞き届けるのに時間がかかるにちがいない。
「たくさんの人がおねがいしたら、とわのおねがい、かみさまにとどかない?」
「そんなことはありませんよ。神様は皆の願いをちゃんと聞いてくれますよ。」
「とわのおねがい、すぐにきいてもらうにはどうすればいいですか?あしたもきたらいい?」
「そうですね…。どうしても叶えたいお願いには百度参りというものがありまして…。」
「ひゃくどまいり?」
「百回神様にお参りするということです。」
「今からひゃっかいおまいりすればいい?」
「神社の入口から鳥居をくぐってお参り、そして入口まで戻る。これを一度と考えます。」
「じゃあ、あのかいだんを…。」
永遠は登ってきた道を振り返った。そこには永遠が数えたこともないほどの階段がある。この有名な神社は小高い山の上にあり、永遠にはちょっと大変な数の階段を上ってこないといけないのだ。
永遠は今年の正月に初めて一人ですべての階段を上り、両親に驚かれたものだ。
付き添いの朝子は永遠の顔を覗き込む。そこには決意した瞳の我らのお姫様の姿があった。
「とわ、きょうからまいにち、おまいりする!」
ちなみに百日参ったら、約束の三月をこえてしまうことに永遠は気づいていない。
ー---
毎日せっせと神社に通う永遠の姿は城下中で話題になった。人懐こい永遠は声をかけられればそのたびに愛想よく返事をした。
「姫様、今日もお参りですか?」
「ちちうえとははうえのために百回おまいりするの!きょうは6回目だよ!」
ある時は神社の出入り口から出た瞬間に向きを変えて再びあの長い階段に突進する様子も見られた。
「姫様、また来られたのですか?」
「きょうはおべんきょうがないからもういっかいおまいりするんだよ!19回目だよ!」
時にはひどく雨が降って、永遠の他に参拝客がいない日もあった。雨で滑る階段に時間がかかるがなんとかお参りを成し遂げる永遠の姿に神主は感動した。
「姫様、今日もいらっしゃったのですね。」
「まだ32回目だから!でも、きょうは二回おまいりするのはだめだって、あさこにいわれてるの…。」
やがて永遠と同じように家族が反乱の鎮圧に出ている者たちが同じようにお参りに来るようになった。
「姫様のお話を聞いて感動しましたわ。私も夫のために帰ってくるまで毎日お参りしたいと思います。」
「うん!とわはね、きょうで57回目だよ!」
永遠が階段で転んだ時にはわらわらと人が集まってきて、朝子に声をかけられて起き上がる永遠をおろおろと見守った。
「姫様、お怪我はありませんか?今日はもう帰りますか?」
「やだ!とわはきょうも上までいく!きょうで81回目だから!」
そうしてついに待ち望んだ手紙が永遠の下に届けられた。
「旦那様と奥様が一週間後に帰られますよ。」
「ほんと!?ちちうえとははうえかえってくる!?」
「はい。もうお参りに行かれなくても大丈夫ですよ。」
女中は永遠のためにと提案したのだが、当の本人はプルプルと首を横に振った。
「あと5回で100回だもん。とわ、今日もいく!」
そうして三日で百度参りを終えた永遠は、両親が帰ってくる日まで何もしていない時間は門の前に立ち続けた。
「…姫様?お帰りになるのはもう少し先ですよ?お帰りになる日はちゃんとお知らせしますから、屋敷の中でお待ちになっては?」
「もしかしたらはやくかえってくるかもしれないから、ここでまつの!」
そう言って門の外で待っている永遠の様子はあっという間に城下に広まり、九条家の並びの屋敷から人が出てきてかわるがわる永遠の話し相手をしてくれた。
城に仕える使用人たちも帰り道にわざと九条家の前を通って永遠に話しかけていくほどだ。
そんな永遠の思いが届いたのか、両親の帰宅予定日の一日前のことだ。その日も永遠はいつものようにうさぎのぬいぐるみを背負って門の前に立っていた。
「きょうこそ!ちちうえとははうえ、かえってくるよね、うさちゃん!」
いつも話しかけてくれる隣の屋敷のお姉さんたちはなぜか今日は門のところでにこにこしながらこちらを眺めるだけで近寄ってはこない。不思議に思っていると城の門の方から騒がしい声がし始めた。「将軍万歳!」みたいな声も聞こえてくる。
「あ!!」
永遠の視界にも城の方から10人ほどの武装した人たちが馬に乗ってやってくるのをとらえた。その先頭には大好きな父と母の姿がある。永遠の瞳をみるみるうちに涙の膜が覆った。
「ちっち…っえ!はは…っえ!」
「「永遠!?」」
べそべそしながら走ってくる永遠に、両親二人は慌てて馬から降りて出迎えてくれたが、二人の直前で永遠はなぜかべしゃりとこけてしまった。周囲から女性の悲鳴があがる。
めげない永遠はむくりと起き上がり、砂で汚れた服のままにしゃがんで待ってくれていた母に抱き着いた。
「うううう~っ!ちちっえ!はは…っ!おぞぉ!どわ…ずっ…っ!」
大号泣した永遠は全く上手に話せていないが、母は言いたいことを察したのか、抱きしめてよしよしと永遠の頭をなでてくれた。父も横から抱きしめてくれた。
「ごめんよ、永遠。心配かけたね。」
「ううううぅ~っ!」
「屋敷に入ろうか。」
「う~ううぅ~っ!」
母の腕の中から永遠を抱き上げた。永遠は今度は父の首にひしっと抱き着いて泣き続けている。横では母が朝子に話しかけている。「朝子、屋敷をありがとう。」「もちろんです。姫様、今日まで一度も泣かなかったんですよ?」「ああ、それは今日は仕方ないな。」みたいな話をしている。
べそべそしながら父に抱えられて屋敷に入っていく永遠は周辺の住民からの拍手で見送られた。
ー---
「信じられないな…。神社に百回もお参りしたなんて…。しかもあの永遠には長い階段のある神社を。」
夕飯の席で母の膝の上でうとうとしてしまった永遠の頭を母がなでてくれた。思わず半分寝ながら「えへへ」と笑ってしまう。
「お礼参りに行かないといけないね。」
反対隣からするのは父の声だ。ああ、二人とも帰ってきたんだ。そのまま永遠は深い眠りにいざなわれていく。
翌朝目覚めて、父と母がいなくて大泣きして二人を困らせることになるのだが、しばらくはそれもご愛嬌だろう。
お姫様の名前は永遠。母からプレゼントされたウサギのぬいぐるみを背中にたすきで背負う姿がキュートな女の子である。
「ちちうえ?」
永遠は食堂の机の下をのぞく。そこは女中たちによってしっかり掃除されており、塵一つない。
「ははうえ?」
本邸とつながる離れ”瑠璃殿”の中をくまなく見て回るが、主のいない建物も女中たちによりしっかり掃除されており、塵一つない。
「ちちうえ?」
食堂の裏手にある台所に入ろうとするが、火を使って危ないからと女中たちがすぐに永遠を連れ戻してしまう。
「ははうえ?」
庭にある畑に穴を掘ってみるが、ミミズが出てきただけだった。背中のウサギのぬいぐるみもとても汚れてしまった。ちなみに女中たちが毎夜こっそり洗っている。
「あさこ、ちちうえとははうえはいつかえってくるの?」
「姫様、お帰りになる際にはお手紙をくださると言っていましたよ。」
「でも、もう二人とも三日もいないよ?」
「まだ三日ですよ。ちゃんとお留守番できるって、お約束されたじゃありませんか。」
そう、それは三日前のこと。
いつになくしっかりと戦闘服に身をつつみ、剣を持った父と母が二人して出発前に永遠の前にしゃがみこんだ。
「永遠、これから父上と母上はお仕事に行ってくる。」
「うん、いってらっしゃい!何じにかえってくる?」
「三月ぐらい帰ってこれないんだ。」
「三つきって何日?」
母に「90日」と言われて、永遠はヒッというなさけない声をあげた。
「ちちうえはすぐかえってくる?」
父も困ったように眉を寄せて笑って首を横に振った。父と母が二人そろってそんなにも長く屋敷にいなかったことはこれまでになかった。ここ一年ほど、どちらかが長く屋敷をあけることは度々あったが。
母が初めて一月ほど帰らなかった時にくれたのが今、永遠の背にあるうさぎのぬいぐるみ、”うさちゃん”である。
「父上も同じぐらいになるかな。その間、永遠は朝子とお留守番できるかい?」
「永遠がちゃんとお留守番してくれてたら、母上たちも安心して仕事に行けるんだ。」
「とわもいっしょにいっちゃだめ?」
「「危ないから絶対にダメだ。」」
永遠がむうっと涙目になってむくれるが、これで父と母が折れてくれたこともない。
「おるすばんしてたらすぐにかえってくる?それならうさちゃんとおるすばんする。」
二人は三月と言っているのに、永遠はしぶとい。父と母は顔を見合わせて苦笑し、永遠の頭を優しくなでてくれた後に「なるべく早く帰るよ」と言って出かけて行った。
そう、それはまだたったの三日前のこと。しかし、永遠にとってはもう三日も前のこと。
「おしろまでちちうえとははうえをむかえにいってもいい?」
「お二人は今お城にはいらっしゃいませんよ。」
永遠は首をひねる。じゃあどこにいるんだろう。尋ねると朝子は答えることを渋る。
「…北西州の方に行っておられますよ。」
そう言ってその日の午前中は地理の授業をしてくれた。北西州はこの国の北側に位置しており、冬は雪で道が閉ざされるのだそうだ。今はまだ夏だが、父と母の仕事が長引けば今年中には帰ってこれないかもしれない。
それから一週間、永遠は毎日てるてる坊主を作って雪が降らないようにお願いした。もちろん今は夏なので振るはずがないのだが、通り雨が降るだけで、永遠は大騒ぎした。
毎日両親のことを考えていた永遠は、お天気を維持することよりも、仕事を早く終わらせることの方が両親に帰ってきてもらうために必要なことだと気付いた。
「ほくせいしゅうで何してるの?」
「お仕事をされていますよ?」
「へいか、のごえい?」
朝子は少し考えた後、無駄に賢い永遠が変なところから両親の仕事を聞いて、変に勘違いするのは良くないと思ったのだろう。永遠に真剣な顔で話し始めた。
「姫様、よく聞いてください。旦那様と奥様は、反乱を鎮めにいかれたのです。」
「はんらん?」
「戦争です。」
「せんそう?」
「旦那様たちが帝に仕えていることは姫様もご存知ですね。帝がこの国を治めるお方であるということも。帝の政治に反対する者たちが、北で兵を起こしたのです。戦いによって、帝の政治を変えようとしているのです。」
数年後に永遠も知るのだが、この反乱は昨年の春ごろに始まっており、すでに一年以上続いていた。反乱を完全に鎮静化する決定打として送り込まれたのが帝の側近である永遠の両親というわけだ。
もちろん今の永遠にはそんなことはわからない。
「せんそうって何するの?」
「武器を使ってたくさんの人が戦います。死人も出ます。」
「ちちうえとははうえもしんじゃうの?しんじゃうとどうなるの?」
「…お屋敷には帰ってこられません。」
「そんなのやだ!!」
永遠はダンっと立ち上がった。「いますぐむかえにいく!とわがいけばかえってくる!」と叫んで部屋を飛び出していこうとする永遠を朝子は女中とは思えない俊敏な動きで引き留めた。
「姫様、奥様のお言葉をお忘れですか?『ちゃんとお留守番していたら、安心してお仕事ができる』とおっしゃっていましたよ?」
「…とわ、おるすばんするだけ?」
「はい。」
永遠はむうと唸って考え込む。父と母が怪我無く屋敷に帰ってくるためには永遠も何かしなければならないという強い意志を持って。
思い出したのはお正月に行く神社だ。『神様にお願いごとをするんだよ』と父は言っていて、永遠も毎年『ちちうえとははうえがとわを大すきでいてくれますように』とお願いしている。
…これだ!この手があった!神様にお願いすればいいんだ!
「とわ、これからじんじゃにいく!」
「神社?」
「かみさまにちちうえとははうえをはやくかえしてっておねがいする!」
まあそれなら、という朝子の了解を得て永遠はうさぎのぬいぐるみを背負って揚々と神社へでかけた。
ー---
「ちちうえとははうえはいつかえってきますか!?」
「はい?」
お参りした後捕まえた神主に永遠は勢いよく質問する。神主はきょとんとした顔で急に服の裾を引っ張ってきた永遠を見下ろしている。永遠の背中のうさぎのぬいぐるみにちらりと目を向ける。
「姫様!…すみません、神主。」
城下で一番大きな神社ということで、貴族の参拝も多い。両親が一緒ではなくとも、神主はすぐに永遠が九条家の一人娘であるとわかったようだ。
そして、もちろん神主は北で大きな反乱が起きていることも、九条家の当主夫妻が鎮静のために旅だったことも知っていた。
「ご両親の無事のお帰りをお願いされたのですか?」
「うん!いつかえってきますか!?」
「それは神様のみが知るところ…私にもわかりかねます。」
永遠は見るからに落ち込んで、参拝客の方を見た。そして、参拝客がそこそこいることに気づく。…そうか、これでは神様も永遠の願いを見つけて聞き届けるのに時間がかかるにちがいない。
「たくさんの人がおねがいしたら、とわのおねがい、かみさまにとどかない?」
「そんなことはありませんよ。神様は皆の願いをちゃんと聞いてくれますよ。」
「とわのおねがい、すぐにきいてもらうにはどうすればいいですか?あしたもきたらいい?」
「そうですね…。どうしても叶えたいお願いには百度参りというものがありまして…。」
「ひゃくどまいり?」
「百回神様にお参りするということです。」
「今からひゃっかいおまいりすればいい?」
「神社の入口から鳥居をくぐってお参り、そして入口まで戻る。これを一度と考えます。」
「じゃあ、あのかいだんを…。」
永遠は登ってきた道を振り返った。そこには永遠が数えたこともないほどの階段がある。この有名な神社は小高い山の上にあり、永遠にはちょっと大変な数の階段を上ってこないといけないのだ。
永遠は今年の正月に初めて一人ですべての階段を上り、両親に驚かれたものだ。
付き添いの朝子は永遠の顔を覗き込む。そこには決意した瞳の我らのお姫様の姿があった。
「とわ、きょうからまいにち、おまいりする!」
ちなみに百日参ったら、約束の三月をこえてしまうことに永遠は気づいていない。
ー---
毎日せっせと神社に通う永遠の姿は城下中で話題になった。人懐こい永遠は声をかけられればそのたびに愛想よく返事をした。
「姫様、今日もお参りですか?」
「ちちうえとははうえのために百回おまいりするの!きょうは6回目だよ!」
ある時は神社の出入り口から出た瞬間に向きを変えて再びあの長い階段に突進する様子も見られた。
「姫様、また来られたのですか?」
「きょうはおべんきょうがないからもういっかいおまいりするんだよ!19回目だよ!」
時にはひどく雨が降って、永遠の他に参拝客がいない日もあった。雨で滑る階段に時間がかかるがなんとかお参りを成し遂げる永遠の姿に神主は感動した。
「姫様、今日もいらっしゃったのですね。」
「まだ32回目だから!でも、きょうは二回おまいりするのはだめだって、あさこにいわれてるの…。」
やがて永遠と同じように家族が反乱の鎮圧に出ている者たちが同じようにお参りに来るようになった。
「姫様のお話を聞いて感動しましたわ。私も夫のために帰ってくるまで毎日お参りしたいと思います。」
「うん!とわはね、きょうで57回目だよ!」
永遠が階段で転んだ時にはわらわらと人が集まってきて、朝子に声をかけられて起き上がる永遠をおろおろと見守った。
「姫様、お怪我はありませんか?今日はもう帰りますか?」
「やだ!とわはきょうも上までいく!きょうで81回目だから!」
そうしてついに待ち望んだ手紙が永遠の下に届けられた。
「旦那様と奥様が一週間後に帰られますよ。」
「ほんと!?ちちうえとははうえかえってくる!?」
「はい。もうお参りに行かれなくても大丈夫ですよ。」
女中は永遠のためにと提案したのだが、当の本人はプルプルと首を横に振った。
「あと5回で100回だもん。とわ、今日もいく!」
そうして三日で百度参りを終えた永遠は、両親が帰ってくる日まで何もしていない時間は門の前に立ち続けた。
「…姫様?お帰りになるのはもう少し先ですよ?お帰りになる日はちゃんとお知らせしますから、屋敷の中でお待ちになっては?」
「もしかしたらはやくかえってくるかもしれないから、ここでまつの!」
そう言って門の外で待っている永遠の様子はあっという間に城下に広まり、九条家の並びの屋敷から人が出てきてかわるがわる永遠の話し相手をしてくれた。
城に仕える使用人たちも帰り道にわざと九条家の前を通って永遠に話しかけていくほどだ。
そんな永遠の思いが届いたのか、両親の帰宅予定日の一日前のことだ。その日も永遠はいつものようにうさぎのぬいぐるみを背負って門の前に立っていた。
「きょうこそ!ちちうえとははうえ、かえってくるよね、うさちゃん!」
いつも話しかけてくれる隣の屋敷のお姉さんたちはなぜか今日は門のところでにこにこしながらこちらを眺めるだけで近寄ってはこない。不思議に思っていると城の門の方から騒がしい声がし始めた。「将軍万歳!」みたいな声も聞こえてくる。
「あ!!」
永遠の視界にも城の方から10人ほどの武装した人たちが馬に乗ってやってくるのをとらえた。その先頭には大好きな父と母の姿がある。永遠の瞳をみるみるうちに涙の膜が覆った。
「ちっち…っえ!はは…っえ!」
「「永遠!?」」
べそべそしながら走ってくる永遠に、両親二人は慌てて馬から降りて出迎えてくれたが、二人の直前で永遠はなぜかべしゃりとこけてしまった。周囲から女性の悲鳴があがる。
めげない永遠はむくりと起き上がり、砂で汚れた服のままにしゃがんで待ってくれていた母に抱き着いた。
「うううう~っ!ちちっえ!はは…っ!おぞぉ!どわ…ずっ…っ!」
大号泣した永遠は全く上手に話せていないが、母は言いたいことを察したのか、抱きしめてよしよしと永遠の頭をなでてくれた。父も横から抱きしめてくれた。
「ごめんよ、永遠。心配かけたね。」
「ううううぅ~っ!」
「屋敷に入ろうか。」
「う~ううぅ~っ!」
母の腕の中から永遠を抱き上げた。永遠は今度は父の首にひしっと抱き着いて泣き続けている。横では母が朝子に話しかけている。「朝子、屋敷をありがとう。」「もちろんです。姫様、今日まで一度も泣かなかったんですよ?」「ああ、それは今日は仕方ないな。」みたいな話をしている。
べそべそしながら父に抱えられて屋敷に入っていく永遠は周辺の住民からの拍手で見送られた。
ー---
「信じられないな…。神社に百回もお参りしたなんて…。しかもあの永遠には長い階段のある神社を。」
夕飯の席で母の膝の上でうとうとしてしまった永遠の頭を母がなでてくれた。思わず半分寝ながら「えへへ」と笑ってしまう。
「お礼参りに行かないといけないね。」
反対隣からするのは父の声だ。ああ、二人とも帰ってきたんだ。そのまま永遠は深い眠りにいざなわれていく。
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