31 / 75
第四章 Side B
1 エリーと急転直下の知らせ
しおりを挟む
春が来た。
オルグレン公爵家の嫡男に嫁いだ、公式には次期公爵夫人であるエリザベス・オルグレンは春の一大イベントを迎えていた。
「種まきよ!」
大きな帽子に汚れてもいいエプロンドレスを着たエリーは、金髪を一つにまとめて腕まくりをし、自慢の家庭菜園の前に立っていた。
メアリー、ソフィー、ポピーの三人の専属侍女と家令のリチャード、侍女長のナンシーが控えている。家庭菜園の守主である案山子も変わりない。
「ヘンリーが持ってきてくれた、カブ、ニンジン、ピーマン、トマトの種をまくわ!」
エリーがオルグレン公爵家に嫁いできて早くも八か月が経過していた。すっかり屋敷に馴染んだエリーは素のままに気ままに過ごしていた。
社交は免除されており、友人となった王太子妃エスメラルダとの月に一度のお茶会をこなすだけ。それ以外はずっと屋敷に引きこもり、家庭菜園の世話や裁縫、実家で受けられなかった淑女教育の一部を学びながら過ごしていた。
充実…はしていないが、与えられた環境にはひとまず満足している。この調子であれば離縁する予定の三年などあっという間だろう。
種まきを終えるとエリーは侍女たちが用意したお茶とお菓子をガゼボで楽しんでいた。もはやこれは日課となっており、天候が許す限りお気に入りのガゼボにいた。
そこはエリー専用の家庭菜園に面したガゼボであり、幼馴染であり商人のヘンリー・エバンズ以外は呼んだことがない、完全なプレイべーとスペースだ。
そして、教育の成果を見せる優雅さでお茶を飲んでいたエリーのもとにその知らせはやってきた。
「ブルテン海軍がポートレット帝国に敗戦しました!参加した海馬部隊は全滅したそうです!」
エリーの頭は真っ白になった。
まず思い出したのは海軍の海馬部隊にいる幼馴染のことだ。でも、彼は辺境にいるはず。大丈夫だ。
次に思い浮かんだのは、海軍基地を有するアーチボルト領の隣に位置する実家のロンズデール領だ。敗戦した、ということはアーチボルト領が攻撃をうけているのだろうか。
「リチャード、敗戦ということは、帝国軍がブルテンに進軍しているということ?」
「いえ、沖合での戦闘で敗北しただけであり、すぐに本土が攻撃されるという事態にはならないと思われます。」
「そう…。だけれど、海馬部隊に大きな打撃を受けたということなのね?」
「はい。」
今すぐどうこうというわけではないのだと、ひとまず落ち着く。
「しばらく、旦那様は帰ってこられないということかしら?」
「そうなるかと思います。」
控えている専属侍女たちもそわそわとしている。無敵だと思っていた海馬部隊の敗北はブルテンに衝撃を与えるだろう。
ーーーー
知らせがブルテン中に広まったころに、幼馴染でお抱えの商人でもあるヘンリー・エバンズがエリーのところへとやってきた。
「海軍の総大将であるアーチボルト侯爵が戦死された。」
「なんですって!?」
エリー専用のガゼボでお茶をしながら、ヘンリーがもたらす最新の情報に息をのむ。
「ご嫡男が侯爵と大将を引き継いで、第二戦に向けて船を出したことはアーチボルト領の商会から情報を得ているから間違いない。」
「アーチボルト侯爵と言えば、常勝将軍でしょう?海馬部隊だけではなく、総大将までだなんて…。」
「この第二戦で敗北すれば、ブルテンの立場が危うい。エスパル国も海馬部隊が負けたことで援軍に及び腰になっているらしい。また負ければ同盟を破棄して、自国の守りを固めるかもしれない。」
「そんな…。エスメラルダ様がいらっしゃるのに?」
「国の方が大事だろう?」
エリーには続報を待つことしかできなかった。
ーーーー
それから二週間後、再びヘンリーがエリーのところへとやってきた。
「第二戦は無事に勝利した。」
「まあ!本当に!?」
「明日には貴族全体に知らせられると思う。ひとまずは安心だ。」
「新しい大将も優秀な方だったのね。」
エリーはアーチボルト前侯爵にあったことはある。快活な赤毛の大男だ。そういえば…。
「戦死されたアーチボルト侯爵はダンフォード公爵令嬢と婚約されていたのではなかった?」
「ああ。夏に挙式する予定だったが、白紙になると思う。他に相手も見つからないだろうし、国王陛下としても悩ましいことだろう。
それに、貴族たちからはアーチボルト侯爵家に敗戦の責任を取らせるべきだという声もあがっている。」
「国のために戦ってくれている兵にそんなことを?」
「ああ。主に内地の貴族たちだよ。安全なところで暮らしている、な。」
ヘンリーは真剣な顔でエリーの方を見てきた。
「な、なによ?」
「これは、エリーにも無関係な話じゃないぞ?」
「え?」
「アーチボルト侯爵家はおそらく降爵することになると思う。でも大事な家であることに変わりはないから、どこか高位貴族と縁を結ばせることで保護するんじゃないかと思うんだ。」
「後ろ盾をつけるということ?」
「そうなるな。」
ガゼボに用意されたお茶を飲みながらヘンリーは頷く。
「一番いい方法は、婚姻だ。アーチボルト家の末のご令嬢はまだ未婚で海軍で働いているんだ。俺たちと同い年で、アーチボルト家には珍しく、王立学園の中等部を卒業されている。」
「じゃあ、ヘンリーは一時期同級生だったのね?」
「そう。とても優秀なご令嬢だよ。おそらく、彼女がどこかの高位貴族に王命という形で嫁ぐことになると思うのだけれど…。」
エリーも思い当たる高位貴族を考えてみるが、ダンフォード公爵令嬢の時にも難航したように、同年代では空きがない。となると少し年下の世代か、後妻ということになるが。
「アーチボルト嬢はブラッドリー・オルグレン殿が好いている相手として中等部時代は陰で有名だった。」
「え?」
「オルグレン殿が相手として立候補するかもしれないってことだ。」
つまり、私は三年の契約よりも前に離縁される可能性があるということ…?
オルグレン公爵家の嫡男に嫁いだ、公式には次期公爵夫人であるエリザベス・オルグレンは春の一大イベントを迎えていた。
「種まきよ!」
大きな帽子に汚れてもいいエプロンドレスを着たエリーは、金髪を一つにまとめて腕まくりをし、自慢の家庭菜園の前に立っていた。
メアリー、ソフィー、ポピーの三人の専属侍女と家令のリチャード、侍女長のナンシーが控えている。家庭菜園の守主である案山子も変わりない。
「ヘンリーが持ってきてくれた、カブ、ニンジン、ピーマン、トマトの種をまくわ!」
エリーがオルグレン公爵家に嫁いできて早くも八か月が経過していた。すっかり屋敷に馴染んだエリーは素のままに気ままに過ごしていた。
社交は免除されており、友人となった王太子妃エスメラルダとの月に一度のお茶会をこなすだけ。それ以外はずっと屋敷に引きこもり、家庭菜園の世話や裁縫、実家で受けられなかった淑女教育の一部を学びながら過ごしていた。
充実…はしていないが、与えられた環境にはひとまず満足している。この調子であれば離縁する予定の三年などあっという間だろう。
種まきを終えるとエリーは侍女たちが用意したお茶とお菓子をガゼボで楽しんでいた。もはやこれは日課となっており、天候が許す限りお気に入りのガゼボにいた。
そこはエリー専用の家庭菜園に面したガゼボであり、幼馴染であり商人のヘンリー・エバンズ以外は呼んだことがない、完全なプレイべーとスペースだ。
そして、教育の成果を見せる優雅さでお茶を飲んでいたエリーのもとにその知らせはやってきた。
「ブルテン海軍がポートレット帝国に敗戦しました!参加した海馬部隊は全滅したそうです!」
エリーの頭は真っ白になった。
まず思い出したのは海軍の海馬部隊にいる幼馴染のことだ。でも、彼は辺境にいるはず。大丈夫だ。
次に思い浮かんだのは、海軍基地を有するアーチボルト領の隣に位置する実家のロンズデール領だ。敗戦した、ということはアーチボルト領が攻撃をうけているのだろうか。
「リチャード、敗戦ということは、帝国軍がブルテンに進軍しているということ?」
「いえ、沖合での戦闘で敗北しただけであり、すぐに本土が攻撃されるという事態にはならないと思われます。」
「そう…。だけれど、海馬部隊に大きな打撃を受けたということなのね?」
「はい。」
今すぐどうこうというわけではないのだと、ひとまず落ち着く。
「しばらく、旦那様は帰ってこられないということかしら?」
「そうなるかと思います。」
控えている専属侍女たちもそわそわとしている。無敵だと思っていた海馬部隊の敗北はブルテンに衝撃を与えるだろう。
ーーーー
知らせがブルテン中に広まったころに、幼馴染でお抱えの商人でもあるヘンリー・エバンズがエリーのところへとやってきた。
「海軍の総大将であるアーチボルト侯爵が戦死された。」
「なんですって!?」
エリー専用のガゼボでお茶をしながら、ヘンリーがもたらす最新の情報に息をのむ。
「ご嫡男が侯爵と大将を引き継いで、第二戦に向けて船を出したことはアーチボルト領の商会から情報を得ているから間違いない。」
「アーチボルト侯爵と言えば、常勝将軍でしょう?海馬部隊だけではなく、総大将までだなんて…。」
「この第二戦で敗北すれば、ブルテンの立場が危うい。エスパル国も海馬部隊が負けたことで援軍に及び腰になっているらしい。また負ければ同盟を破棄して、自国の守りを固めるかもしれない。」
「そんな…。エスメラルダ様がいらっしゃるのに?」
「国の方が大事だろう?」
エリーには続報を待つことしかできなかった。
ーーーー
それから二週間後、再びヘンリーがエリーのところへとやってきた。
「第二戦は無事に勝利した。」
「まあ!本当に!?」
「明日には貴族全体に知らせられると思う。ひとまずは安心だ。」
「新しい大将も優秀な方だったのね。」
エリーはアーチボルト前侯爵にあったことはある。快活な赤毛の大男だ。そういえば…。
「戦死されたアーチボルト侯爵はダンフォード公爵令嬢と婚約されていたのではなかった?」
「ああ。夏に挙式する予定だったが、白紙になると思う。他に相手も見つからないだろうし、国王陛下としても悩ましいことだろう。
それに、貴族たちからはアーチボルト侯爵家に敗戦の責任を取らせるべきだという声もあがっている。」
「国のために戦ってくれている兵にそんなことを?」
「ああ。主に内地の貴族たちだよ。安全なところで暮らしている、な。」
ヘンリーは真剣な顔でエリーの方を見てきた。
「な、なによ?」
「これは、エリーにも無関係な話じゃないぞ?」
「え?」
「アーチボルト侯爵家はおそらく降爵することになると思う。でも大事な家であることに変わりはないから、どこか高位貴族と縁を結ばせることで保護するんじゃないかと思うんだ。」
「後ろ盾をつけるということ?」
「そうなるな。」
ガゼボに用意されたお茶を飲みながらヘンリーは頷く。
「一番いい方法は、婚姻だ。アーチボルト家の末のご令嬢はまだ未婚で海軍で働いているんだ。俺たちと同い年で、アーチボルト家には珍しく、王立学園の中等部を卒業されている。」
「じゃあ、ヘンリーは一時期同級生だったのね?」
「そう。とても優秀なご令嬢だよ。おそらく、彼女がどこかの高位貴族に王命という形で嫁ぐことになると思うのだけれど…。」
エリーも思い当たる高位貴族を考えてみるが、ダンフォード公爵令嬢の時にも難航したように、同年代では空きがない。となると少し年下の世代か、後妻ということになるが。
「アーチボルト嬢はブラッドリー・オルグレン殿が好いている相手として中等部時代は陰で有名だった。」
「え?」
「オルグレン殿が相手として立候補するかもしれないってことだ。」
つまり、私は三年の契約よりも前に離縁される可能性があるということ…?
2
お気に入りに追加
71
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】母になります。
たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。
この子、わたしの子供なの?
旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら?
ふふっ、でも、可愛いわよね?
わたしとお友達にならない?
事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。
ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ!
だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜
清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。
クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。
(過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…)
そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。
移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。
また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。
「俺は君を愛する資格を得たい」
(皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?)
これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

嫁ぎ先(予定)で虐げられている前世持ちの小国王女はやり返すことにした
基本二度寝
恋愛
小国王女のベスフェエラには前世の記憶があった。
その記憶が役立つ事はなかったけれど、考え方は王族としてはかなり柔軟であった。
身分の低い者を見下すこともしない。
母国では国民に人気のあった王女だった。
しかし、嫁ぎ先のこの国に嫁入りの準備期間としてやって来てから散々嫌がらせを受けた。
小国からやってきた王女を見下していた。
極めつけが、周辺諸国の要人を招待した夜会の日。
ベスフィエラに用意されたドレスはなかった。
いや、侍女は『そこにある』のだという。
なにもかけられていないハンガーを指差して。
ニヤニヤと笑う侍女を見て、ベスフィエラはカチンと来た。
「へぇ、あぁそう」
夜会に出席させたくない、王妃の嫌がらせだ。
今までなら大人しくしていたが、もう我慢を止めることにした。

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる