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第4話-1 鍋師の作法を見た日のこと

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 竹内ちゃんの歓迎会はとても楽しいものだった。
 茶屋町さんがいらぬ事を話して、私の妙な渾名あだながばれてしまっていたり不穏な事もあったけれど、竹内ちゃんが実はゲーム好きだと知ることができたり、琴科さんが鯖が苦手な事を知ったので、ここぞとばかりに締め鯖を頼んで口に押し込んでみたりした。
 二次会に竹内ちゃんが来なかったのは残念だったけれど、入社したばかりの若い子を深夜まで連れまわすのも悪い。私は途中で抜けたけれど、男性陣は何時まで飲み明かしていたのだろう。

 私は朝食の佃煮を食べながら、三鍋に昨日は何をしていたのかと聞いた。
 歓迎会があるので夕飯はいらないと事前に伝えてあったので、三鍋にとっては貴重な休日ということになったのだ。

「昨日は飲みにいっていたのだ」
「ああ、前に再会したって言ってた人?」

 そういえば、誘ってみると言っていたのを思い出した。こういう機会でもなければ誘えないとも言っていたが、別に私個人としては「今日は休む」と宣言してくれればそれでいいと思う。しかし、お決まりの "鍋師たるもの、そうはいかん" らしい。相変わらずよく分からん。

「それが、都合が合わなんだらしくてな」
「あら、残念。じゃあ一人寂しく飲んでた訳ね」
「そうでもなかったぞ。行きつけの店で偶然、師匠の姪御に会った。今年から社会人なのだそうだ。大きくなったものだ」
「へえ。鍋師って普通に働いたりするのね」

 なんというか、こう、鍋にまつわるあれこれをひたすら追い求める職人のようなイメージがあった。三鍋が笑った。

「鍋師といえども、普段は社会人として働いている。師匠は会社を経営しているぞ」
「え、じゃあ働いてないアンタってかなり例外じゃないの」
「何を言う。今は修行中なだけだ」
「……本当かしら」

 私の脳裏には三鍋 = ニート説が浮かんでおり、またそれを押し隠そうとするつもりもさらさら無かったので、怪訝な顔がありありと浮かんでいたのだろう。
 そんな私に向かって三鍋は自らの正当性を切々と説いた。具体的には、鍋師の歴史から、一人前の鍋師として認められるまでの数々の試練とやらを語ったのである。
 しかし、朝の出勤前にそんな与太話を聞いている時間はない。私は見たものしか信じないのだ。いくら信憑性の高そうな話でも、実感が伴わなければただの妄言である。

「見ていないものはね、無いのと同じなのよ。私は、まだ完全に鍋師とやらの存在を信じてないの。でも、この佃煮は美味しい。今日もごちそうさま」

 そう、見たもの、感じたものは理不尽でも信じなければならない。三鍋は胡散臭い男ではあるが、出てくる料理は美味いのだ。

「ならばカタコよ。鍋道会に行くぞ」
「なべどうかい?」

 なんぞそれは。鍋パーティーでもするつもりか。

「鍋師の作法を学び、研鑽する場だ。鍋師が現実であると見せてやろう」
「へえ。ちょっと面白そうね」

 鍋師とは、実在するのか。そして、全員が三鍋のように奇妙な人種なのか。それを実際に見られる場があるというのは興味深い。

「修行の事を考えれば多少リスクはあるが、カタコも納得した上での方が気が良いだろう」
「ああ、そういえば、修行先がばれちゃダメってルールがあったっけ」

 まあ大丈夫だろうと三鍋は言って、食べ終わった膳を片付け始めた。時計を見ると、家を出る時刻が近づいている。詳しい話はまた帰ってからと、私は慌てて準備を始めた。



   ○   ○   ○



 出社一番に、竹内ちゃんが「香奈子センパイ、ありがとうございますっ」と眩しい笑顔を向けてきてくれたが、私には一体何のことやら分からなかった。なんでも、昨日の歓迎会の帰りにイイことがあったらしい。私は何もした覚えがないので、イイことがあったのなら、それは自分の日ごろの行いのお蔭だと頭を撫でておいた。うん、役得役得。

 そして今日も仕事は順調である。
 私にできる事と言えば、皆の仕事の手助けのようなものなので、上手く滑り出した仕事にはあまり手を出せないと言うのが実情なのだ。
 それに、ゴールデンウィーク前の時期にはあまり大型の案件もない。連休が明けてから仕事が増えだすのが例年の流れだ。
 おかげで、私は竹内ちゃんに色々な事を教えてあげられる。人を育てる余裕があるというのは素晴らしいことだ。即戦力がなければ立ち行かないようなギリギリの会社も多い中で、うちがこれほどまでにまったりとやっていられるのは、間違いなく社長の人生経験による手腕なのだろう。社長の人生経験も、いつか聞いてみたいものだ。

 美和子さんが社長からの用事を頼まれて出かけているので、今日の昼食女子会は二人だけである。今日は竹内ちゃんもお弁当らしい。可愛らしいランチボックスには少し形の崩れた玉子焼きなどが入っていた。竹内ちゃんのお手製弁当、いいなあ。
 おかず交換をしながら幸せタイムを満喫していると、急に彼女が妙な事を言い出した。

「あのう、香奈子センパイ。昔、ここの社員に伊賀さんって方はいませんでしたか?」
「聞いた事無いなあ」

 社長が興したこの会社は、はじめは美和子さんと二人だけで業務を行っていたと聞いたことがある。今現在は従業員数10名だが、これまでに辞めていった人はいないらしい。

「増えた人はいても、辞めた人はいないみたいよ。ちなみに私は八番目の社員。九番目が大和田くんね。で、十番目の竹内ちゃん。どうしたの、急に」
「伯父の知り合いに、伊賀さんという方がいるんです。とっても素敵な方なんですよう」

 頬を少し赤くして答える竹内ちゃんは可愛いがちょっと待て。なんだと。どこの馬の骨だそいつは。社長の知り合いということはそれなりの年齢の御仁ではないのか。

「た、竹内ちゃんって枯れ専だったの?」
「あぅ、違いますよ! 伊賀さんは三十代……だと思います、たぶん」

 なるほど、つまり私から竹内ちゃんを奪おうとする不届き者か。厳罰に処したい所だが、ここはまず情報収集である。敵を知らねば戦はできない。

「ふふ、センパイに話して御覧なさい。そういえば、恋バナなんて初めてね」
「じゃあ、香奈子センパイも教えて下さいね」
「私!? 私はいないわよ、今は」
「あ、じゃあ昔はいたんですねっ」

 しまった、語るに墜ちた。いや、身を削ってでも聞き出す価値のある話だ。あまり思い出したくない過去ではあるが、というかあまり覚えていないが、三鍋、あんたとの思い出は私の都合の良いように改変して供物にしてもいいだろうか。もちろん、拒否権はないので悪しからず。
 よし、三鍋に(想像の上で)許可は取った。さてさて、それでは伊賀さんとやらの話をお聞かせいただこうかしらね。

 順番に話すということを条件に、私は竹内ちゃんから伊賀さんとやらの情報を聞き出せることになった。
 食べ終わった弁当を片付け、来客用のお茶請け菓子を持ち出して女子会モードを作り出す。菓子は先日、社長がやけに大量に持ってきたもので、偶然にも、私が軽トラで夜通し荷物を運んだ県のものだった。来客時以外でも適当に食べて良いと言ってくれたのでちょいちょい戴いている。

「といっても、あたしもあんまり知らないんです。だから、この会社の人だったのかなと思って」
「社長の知り合いなんだから、社長に聞けばいいのに」
「いや、その、ちょっとワケがありまして」

 視線を逸らしてさらに頬を染める竹内ちゃん。なんだなんだ。いったい二人はどういう関係なんだ。

「……内緒ですよ?」
「約束するわ」

 私は即答した。竹内ちゃんが頬を寄せ、内緒話をするように囁く。

「実は、伯父に内緒にする代わりに、連絡先を交換してもらったんです」
「え、それだけ?」

 私は拍子抜けした。てっきり、イケナイ関係になってしまったとか、相手が妻子持ちだとかそういった方面を想像してしまっていた。
 しかし確かに、社長と仕事の付き合いがあるというならば、取引先の親戚に手を出すというのは考えにくい。ならばそれを理由に連絡先の交換を断ってくれても良いのだぞ、伊賀とやら。内心、まんざらでもない気持ちがあるのではなかろうな。減点1、だ。

 竹内ちゃんは連絡先を交換した時のやりとりを詳細に教えてくれた。
 聞けばなるほど、たまたま連絡先を知られてしまった体裁をとった訳か。竹内ちゃんが伊賀とやらにアプローチをかけたようにも聞こえるし、そしてその気持ちをないがしろにするでもなく、苦肉の策のような方法で連絡先を交換したということなのだろう。竹内ちゃんを困らせていないのならば、加点1をしておこう。変な所に気が利くあたり、ちょっと三鍋に似ているな。まあ、今はあいつの事は捨て置いていいと思う。
 
「なかなかカッコいいじゃない。ねえ、どんな所に惚れたの?」

 内心、若干気障ったらしい所はあるような気もするが、直截に言いすぎるとこれ以上相手の情報を得られなくなる可能性がある。ここは褒めておくのが正解だろう。

「そうですねえ……。すごく物知りな人なんです。でも、全然それをひけらかしたりしなくて」
「ほうほう」
「すごく自信に溢れてるというか、なんでしょう。自分の芯をしっかり持ってる人なんです」

 自己顕示欲、および承認欲求の塊のような男も世の中にはたくさんいるからなあ。竹内ちゃんは大学を卒業したばかりだったと思い出す。大学生と言えば、私の中では行動力溢れる男性諸君が多かったように思える。そしてそれが良い男の標準装備だと思っていた者も多かっただろう。そういった連中と比べれば、落ち着いた三十代の男が魅力的に見える気持ちはとてもよく分かる。
 しかしそこにつけ込む悪い男も一定数以上は存在するのだ。私は竹内ちゃんを守らなければならない。その、伊賀という男が果たしてどんな男であるのか私には見極める必要があるのだ。

「ねえ、写真とかないの、写真」
「それが持ってないんですよう」

 がっくりと肩を落とす竹内ちゃん。いつも、次こそは写真におさめようと思うものの、話をしている内にペースに飲まれて忘れてしまうのだと彼女は言った。

「写真が撮れたらお見せしますねっ! さあ、次は香奈子センパイの番ですよ」
「う、覚えてたのね。どこにでもいるような男……ではなかったわね」

 いくつかエピソードを思い出してみても、大学のサークルで好き勝手に食べ歩いていた姿がまず浮かんでくる。待てよ、そもそもどうして付き合うようになったんだっけ。

 記憶をさかのぼってみても、よく思い出せない。

「大学で同じサークルにいて……」
「はい」
「あいつがサークル代表で、私は経理担当で……」
「わ、香奈子センパイっぽいです」
「財布の紐を締める私を、あいつが "金庫女" って言った」
「……え?」

 竹内ちゃんが固まる。そうだろうそうだろう。ほのぼのエピソードや、ときめき体験談が来るとおもうだろう。そうはいかない。だって、三鍋だもの。

「いくら言っても聞かなかったのよ。いつの間にかサークル費持ち出して」
「あの、センパイってダメ男専門なんですか?」
「ち、違うわよ! でも、どうして付き合ってたんだっけなあ」
「別れる時は、やっぱりセンパイから振ったんですよね」
「いや、実はそれも曖昧なのよ。あいつが海外に行くって言ったのは覚えてるの。まあ、結局連絡もなかったから自然消滅だと思ってるけどさ」
「ダメですよ!」

 竹内ちゃんの顔がずいっと近づく。
 お、おおう? いったいどうした竹内ちゃん。いつになく真剣な眼差しだ。

「そういう手の男は、海外になんか行ってないんですよ。それで、生活に困ったら何事もなかったようにまた近寄ってくるんです!」
「見てきたように話すわね」
「ヒモダメ男のテンプレですよ。雑誌に書いてありました。再会しても、関わっちゃダメですよ、香奈子センパイ!」
「え、いや、海外にはちゃんと行った……と思うわよ」

 やっべえ。すでに再会して、あげく同棲まがいの生活だなんて言えねえ。なんなら弁当もそのヒモダメ男のお手製だ。

「それでも、ちゃんとお別れをしていないんだったら、そこに付け込んでくるんです!」

 なんか、変なスイッチ入れちゃったみたい。どうしよう。これは、色んな意味で三鍋の存在を秘密にしなければならない。
 お昼休憩が終わるまで、竹内ちゃんはダメ男からの回避方法を熱弁してくれた。そして話を聞くにつれ、ダメ男の条件に三鍋がどんどん当てはまって、どうにも肩身の狭いような不思議な感覚になった。いやまあ、別に私と三鍋は現在付き合ってる訳じゃないし。生活費払ってもらってるから、別にヒモって訳でもない。どちらかと言えば家政婦。同棲ではなくルームシェア。うん、そうとも、そうですとも。

「アドバイスありがとう、竹内ちゃん。でも、今は仕事が恋人だから大丈夫。伊賀さんの写真が手に入ったら教えてね」

 私は意図的に話をすり替えて場を逃れた。伊賀、の名前が出たことでようやく竹内ちゃんも暴走状態から戻ってきてくれた。

 まあ、三鍋を見られなければ大丈夫だろう。基本的に家にいるし、あいつ。うん、大丈夫大丈夫。私は頼れる先輩でありたい。その為に三鍋の存在を隠し通すことをこっそりと胸に誓った。

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