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第五章: 闇と光の境界
しおりを挟む翌朝、私は目が覚めるとすぐに決断した。黒崎直人に会わなければならない。彼こそが私の記憶に隠された真実の鍵だ。優斗の言葉や手紙の警告にもかかわらず、私はこのまま自分が何者かもわからない状態で生き続けることには耐えられなかった。
黒崎直人――この名前を思い出した瞬間から、心の中で何かがざわめき続けていた。彼は私にとって危険な存在であることは間違いないが、それでも、彼と向き合わなければ、私は前に進めない。自分を取り戻すためには、過去と対峙するしかないのだ。
私は手紙の最後に記されていた手がかりをもう一度見直した。手紙には、黒崎の居場所について何も具体的なことは書かれていなかったが、何かしらの意図が感じられる言葉があった。
「すべてが終わる場所へ」
それが何を意味するのか、私は考え続けていた。どこかに私が向かうべき場所があるのだろうか? 黒崎と再び対峙するための場所――もしかすると、もう一度あの草原に戻るべきなのかもしれない。
その日の午後、私は再び森へと足を運んだ。木々の間を進むたびに、心臓が早鐘のように打ち始める。前回とは異なる緊張感が全身を包み込み、歩を進めるたびに足が重くなる。しかし、私は止まらなかった。すべての答えが、ここにあるのだと信じていた。
草原にたどり着くと、そこにはやはり変わらぬ風景が広がっていた。古びたベンチ、広がる草地、そして静寂――だが、今日は何かが違う。空気が張り詰めていて、まるでこの場所そのものが私を試しているかのように感じられた。
しばらくその場に立ち尽くしていると、ふと背後から誰かが近づいてくる気配を感じた。私は振り返った。
そこには、黒崎直人が立っていた。夢の中で見た通りの姿。黒いコートを身にまとい、冷静な表情で私を見つめている。彼の瞳は暗く、どこか悲しみを帯びているようにも見えた。
「……黒崎。」
私の声は震えていた。恐怖とも不安ともつかない感情が心を揺さぶっている。彼は一歩、私に近づいてきた。
「来ると思っていたよ、美咲。」
その声は低く、しかしどこか親しげでもあった。まるで、長い間会っていなかった友人に再会したかのような響きがあった。けれど、その裏には冷たい感情が隠れているのを感じた。
「あなたが……私の記憶を消した理由なの?」
私は問いかけた。彼は答えず、ただじっと私を見つめた。その沈黙が、ますます私の不安を煽る。
「なぜ、私はあなたを忘れたの? なぜ……私の中にあなたがいるの?」
黒崎は小さくため息をつき、静かに語り始めた。
「君が自分で忘れることを選んだんだ、美咲。君は、自分の意志で記憶を消した。」
その言葉に、私は一瞬息を呑んだ。やはり、私自身が記憶を消した――それは手紙にも書かれていた通りだった。だが、なぜ?
「どうして……? 私が何を知って、何を忘れたの?」
黒崎はゆっくりとベンチに座り、私を招くように手を伸ばした。私は戸惑いながらも、その誘いに応じて彼の隣に腰を下ろした。彼の隣に座ると、胸の中でますます緊張が高まるのを感じた。
「君は、ある事実を知った。君自身に関わる重大な事実だ。それを知った時、君はあまりにも深く傷つき、自分を守るために記憶を封じたんだ。」
「どんな……事実?」
私は恐る恐る尋ねた。心臓が激しく鼓動し、胸が締めつけられるような感覚がした。
黒崎は一瞬だけ目を伏せ、そして再び私を見つめた。
「君が巻き込まれた実験――それがすべての始まりだ。私はその研究に関与していた。そして、その結果として君は……」
黒崎の言葉が詰まった。彼は苦しそうに顔を歪め、しばらくの間黙り込んだ。その沈黙が、私の不安をさらにかき立てた。
「何? 何があったの? 私に何が起きたの?」
私は声を震わせながら問いかけた。彼は深く息を吸い、ゆっくりと話し始めた。
「君はあるプロジェクトの被験者だった。それは、人間の記憶を操作する実験だった。私はその実験の責任者の一人だった。最初は、ただの研究だったが……君に起きたことは予想外だった。」
「どういうこと?」
「君は、他の被験者と違って、極端な反応を示したんだ。君の記憶は一時的に封じられ、そして……」
彼は言葉を止め、私の顔を見つめた。その目には、深い悲しみが宿っていた。
「……君は自分の意志で、その記憶を完全に消し去ることを望んだ。」
「どうして……そんなこと……」
私は頭を抱え、混乱に陥っていた。実験? 記憶の操作? すべてが現実離れしていて、何を信じていいのかわからなかった。だが、彼の言葉には真実味があり、その真実が私を引き裂こうとしている。
「美咲、君は知りたくないかもしれないが、君があの時選んだのは――自分を守るためだったんだ。君が知った真実は、君にとってあまりにも重すぎた。だから、君は記憶を消した。そして、私は君を守るためにその選択を尊重した。」
「……私を守る?」
黒崎は深く頷いた。
「そうだ。君が記憶を取り戻すことが、どれだけ危険なことか、君自身が一番理解していた。だから、私は君を遠ざけ、君が選んだ道をサポートした。」
その言葉が、私の胸に重くのしかかった。自分自身を守るために記憶を消した――だが、それでも私はその記憶を取り戻すことを選んだのだ。
「でも、今の私は、その真実を知りたい。たとえそれがどれほど辛いものであっても、私はそれを受け入れなければならない。」
私は自分の中で燃え上がる強い意志を感じていた。これ以上逃げるわけにはいかない。私は自分が何者であり、何を失ったのかを知る必要があった。
黒崎は私をじっと見つめたまま、静かに頷いた。
「分かった。君がそれを望むのなら……すべてを話そう。」
彼の言葉を聞いた瞬間、私は覚悟を決めた。すべての真実を知るために、私は彼の言葉に耳を傾ける準備ができていた。
黒崎はゆっくりと過去の出来事を語り始めた。彼が話した内容は、私にとって信じ難いものでありながら、同時にどこかで覚えているような気もした。
「私たちの実験は、記憶を操作することで、特定のトラウマを取り除くことができるかどうかを研究するものだった。君はその実験の一環で、意図せず自分の過去に深く潜り込みすぎた。そして――君自身が抱えていた痛みが、君の精神を崩壊させかけた。」
黒崎の言葉に、私は衝撃を受けた。実験によって引き出された記憶が、私を壊したというのか?
「君が見た真実は、君自身にとってあまりにも重すぎた。だから、君はその記憶を封じ込めることを選び、私は君の願いを叶える形で、君の記憶を操作した。」
私は言葉を失った。自分が知りたかった真実が、私自身を壊したのだとしたら――それを再び知ることが、どれほどの代償を伴うのだろうか。
「でも、私は知りたい。自分が何を忘れたのか、それを乗り越えるために。」
私は再び黒崎を見つめ、その瞳の奥に真実を求めた。彼は深く息をつき、静かに頷いた。
「分かった。君が覚悟を決めたのなら――すべてを話そう。」
その瞬間、私の中で何かがはじけるような感覚が広がった。すべての真実が、今まさに私の手の中に差し出されようとしていた。
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