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しおりを挟む気候の良い今の季節、カフェのガラス扉は全て開け放たれていて、外にも席が用意されていた。
各テーブルにはパラソルがあり、周りは植え込みがあって、リゾートのような雰囲気だった。
その外のテーブル席の一番奥に、二つのカートが並べられて、輝也とモッコが楽しそうに会話をしていた。
「アハハハハハハ! それ、ほんとですか?」
輝也は涙を流しながら笑った。
「本当だってば! 失礼しちゃうのよ、まったく!」
モッコは口を尖らせて言った。
何を話していたのかというと、モッコが知らないうちに有名人になっていた…という話だった。
モッコがきさらぎヶ丘に引っ越してくるずっと以前、子供たちがまだ幼稚園に通っていた頃、モッコは送り迎えに電動自転車を使っていた。
前にリク、後ろにルイを乗せて毎朝坂道を必死に漕いでいた。
その頃から動画作りにハマって、朝の送迎の時も頭にgoProを付けて撮影しながら自転車を漕いでいた。
日焼けをしたくないから顔には黒いフェイスシールドをつけ、腕にはアームカバーをして電動自転車に三人乗りするその姿に、行きかう高校生たちが、モッコの事を宇宙人で頭のgoProで地球を監視しているだの、実は中国雑技団のスターだの、いろんなあだ名をつけ初め、挙句の果てにはモッコの姿を見たらその日良い事が起きる、などと言い始め、たまにモッコを拝む人まで出てくる始末だった。
「あなた、都市伝説になってるわよ!」ママ友に言われてモッコは初めて気づいた。
「俺も見たかったなぁ…。」
輝也はまだお腹を抱えて笑っている。
「笑い事じゃないんだってば!」
モッコは苦虫を噛みつぶしたような顔をして、輝也が奢ってくれた抹茶マキアートを飲んだ。
「あ! 私そろそろ行かなくちゃ! 子供たちがダンスのレッスンから帰って来る時間なの!」
モッコは腕時計を見て言った。
「じゃ、そろそろ出ますか! …名残惜しいけど…。」
輝也は少し照れながら言った。
「ご馳走さまでした! 沙也加によろしくお伝えください! それから、今度の女子会、楽しみにしてるって!」
モッコは笑顔でそう言うと、カートを押して去って行った。
輝也はモッコの姿が見えなくなるまでその後ろ姿を目で追っていた。
そして、さっきモッコが話していた都市伝説になった自転車での送迎姿を目に思い浮かべた。
輝也はまた笑いが込み上げてきて肩をひくつかせた。
すれ違う人からの気味悪そうな視線を受けて、頭をブルンと振り、真顔に戻した。
“丘の上の小さな暮らし by mocco ”
―これかぁ…モッコさんのvlog…。
真っ暗な書斎でパソコン画面だけが光っていた。
ゆったりとしたボサノバ調の音楽と共に、モッコが庭で育てているハーブを手入れしている様子や、そのハーブを使ってフレッシュハーブティーを淹れている様子が流れた。
穏やかな雰囲気の動画に輝也は癒された。そして自然に顔がほころんだ。かと思うと、また例の都市伝説になったという自転車乗りの姿を思い出して笑いが込み上げてくるのだった。
ーまいったな…。
輝也は頭を掻きむしった。そこへドアが勢いよくバタンと開いた。
「何回呼んだら分かるのよ! 純の塾の迎えに行ってって言ったでしょ! 何考えてんの、全く!」
沙也加が怒鳴り込んできた。
そうだった。純の迎えに行かなければならなかった。
輝也は反射的にパソコンを隠した。
「…何隠してんの? 私に見られたらマズい事あるの?」
沙也加はドスの効いた声で言った。
「バカな…そんな事ある訳ないだろ…」
「見せなさいよ!」
沙也加は力づくで輝也からパソコンを奪った。
画面にはモッコの動画が開かれていた。
「…モッコのvlogじゃん…。何であんたが見てんのよ…。」
「きょ…今日さ、スーパーで偶然会ったんだよ。そ、そうそう! 沙也加によろしくって言ってた。女子会、楽しみだってさ…。」
輝也は慌てた。
「ふ~ん…。隠すくらいだからてっきり浮気でもしてんのかと思った。でも、モッコじゃん! モッコと浮気なんて有り得ないのに何で隠す必要があるのよ! そんな事より速く純の迎え行ってよね!」
沙也加はパソコンを乱暴に返すと、そう吐き捨てるように言って部屋から出て行った。
―モッコさんと浮気なんて有り得ないって…我が嫁ながら…本当に失礼なヤツだな…。人を見下すにも程がある!
輝也は腹立たしく思った。
気を取り直して車のキーを取りにリビングへ行くと、取り込んだままの洗濯物が床に散乱し、紐でくくられてない通販の段ボールが山積みになっていた。
散らかり放題の部屋でソファに寝転び韓国ドラマに熱中する妻にうんざりを通り越して悲しくなってきた。
―あいつはこんな汚い部屋が気にならないのか? しょうがない…。帰ってから俺が片付けよう…。
輝也はさっき見たモッコの動画を思い出した。
―モッコさんの家は美しかった。家だけじゃない、生活全てが美しかった。そしてあの明るい性格と…飾らない笑顔…
そして目の前の自分の妻を見た。パジャマをまくり上げて背中を掻いている。
―尻じゃないだけましかもしれないが、夫がいる所でする所作か? いや違う…。もはや俺はこいつにとって男ではないのだ…。
現実の自分の生活を目の当たりにすると悲しい気持ちになった。
溜息をつきながら車のキーを手に取ると、輝也は玄関を出て行った。
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