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15 「もう一つの人知れない恋の話」
しおりを挟む「やっぱりそうですよね?どうぞ!中へ入ってください!」
女性は笑顔に戻って、澄子に優しく言った。
澄子は遠慮して立ち去ろうとしたが、女性は澄子の手をとって家の中へ連れて行った。澄子を居間に通して、しばらくしてからお茶を持ってやってきた。
「びっくりさせてごめんなさい。私、夫から澄子さんのこと聞いてて…って、私が無理矢理話させたんですけど…、すみません、悪気は無いの。全て聞いておきたかっただけなんです。私、和夫さんの妻の良子です。」
「は…はあ…。」
澄子は混乱してしまって、返事をするのがやっとだった。
「もうすぐ夫も帰ってくると思いますので。」
良子は笑顔で言った。
澄子には何故自分のような者が家にやって来て、妻である良子がこんなに愛想良くできるのか信じられなかった。
「私、おいとましますので…。お茶、おご馳走様でした。」
澄子が立ち上がろうとすると、良子はそれを止めた。
「主人は今でも…、いえ、昔からずっとあなたの事だけを思い続けています。それは死ぬまで変わらないと思います。」
良子はきっぱりと言った。
澄子は益々わからなくなった。良子は澄子にソファに座ってもらうようにお願いして、話始めた。
「澄子さんはご存知無いと思うのですが、私は和夫さんが学生の時に下宿していたアパートの大家の娘なんです。和夫さんがうちに入居の挨拶をしに来た時、私は一目惚れしてしまって…。でも、私、こんな風で器量が良くないでしょ?これでも自分ってものをわきまえてるから下手な夢なんてこれっぽっちも持たないようにしてたの。だから、和夫さんの姿を見かけるだけで満足だったんです。そしてしばらくして澄子さんと和夫さんが一緒にいる所をよく見かけるようになって、悲しい気持ちはもちろんあったんですけどね…美しいなぁって。並んで歩く二人を見ると、ほんとに絵になるなぁって、本心でそう思っていたんですよ。」
良子は澄子に微笑みかけた。
庭からそよ風が入って、二人の頬を優しく撫でた。
「…ある時から和夫さんの生活が荒れて…事情を聞いて納得したんですけど。でも私はきっと澄子さんにはそうしなければならない事情があるんだと思ってました。私、こんなですけど一応女ですからね。」
良子の言葉を聞いて、澄子の目から大粒の涙が止めどなくこぼれた。
良子は慌てて奥から手ぬぐいを持ってきて澄子に渡し、むせび泣く澄子の背中をさすった。澄子が落ち着くのを待ってからまた話を続けた。
「和夫さん、ほとんど部屋から出なくて、たまに出たかと思えば酒屋に行ってお酒をたくさん買い込んで、またしばらく篭るような生活が続いていたんです。うちの親ったら口が悪いから、良子、ちょっと見といで!死んでるかもしれないよ!、なんて言うもんだから、私もなんだか心配になっちゃって、ある日和夫さんの様子を見に行ったんですよ。そしたらまあ酷い状態で。男前が台無しで…。あんた!何があったか知らないが、いい加減にしなさいよっ!って、私、叱り飛ばしたんですよ。」
良子がコントみたいに大げさな身振り手振りで言うので、澄子は思わずクスっと笑った。
良子もそんな澄子を見て少し安心した。
「でね、その時、勝手ながら申し訳ないのだけど、澄子さんとの一部始終を吐き出させたんですよ…。」
良子は早口で話して喉がカラカラになったので、お茶をぐいっと飲み干した。
そして澄子の目をじっと見つめてまた話を続けた。
「和夫さん、言ってたの。澄子さんが…自分を裏切る形になってしまって、罪悪感を抱かないように、俺は幸せになる。あの子にかわいそうな思いをさせたくないんだ、って。あの子には、ずっと笑顔でいてもらいたいんだ、って。」
あんな風に和夫を傷つけ痛めつけた自分に、和夫はそんな風に思ってくれていたことを知り、澄子はたまらない気持ちになった。
「澄子さん…ごめんなさい。私、そんな弱っている和夫さんに付け入ったの。和夫さんを幸せにする役目、私にやらせて!って言ったの。和夫さんが澄子さんだけをこの先もずっと想い続けてもかまわないから、私の事を好きじゃなくてもかまわないから、私と結婚して欲しい。絶対に和夫さんが腹の底から笑える日々を約束する。澄子さんが罪悪感を感じないくらい和夫さんを幸せにしてみせる!って。」
「良子さんって…すごいわ。」
澄子は良子から借りた手ぬぐいで涙を拭きながら微笑んで言った。
「半分…ていうか、ほぼ無理矢理に結婚させたみたいなもんなのよ。でも私は嬉しかった。憧れの人と結婚できるなんて夢にも思わなかったから。私の夢は叶ったのよ、澄子さん!…だから…。」
良子はうつむいて何か言いにくそうにしていた。
「…だから、和夫さんをあなたにお返しします。」
澄子は驚きで声が出なかった。
「私たちには子供はいないし。いつかこんな日が来ることはわかってたの。多分、神様が、私がよくがんばったから、一時の幸せの時間をプレゼントしてくれたんだと思うの。もともとあなたと和夫さんは好き同士で結ばれる運命なのよ。少しの間だけど、私に夢を見させてくれて、ほんとにありがとう。」
良子は目に涙を溜めてそう言った。
「良子さん!何を言ってるの?私はそんなつもりで来た訳では無いの。一生和夫さんに会うつもりなんて無かったの。ただ、ちょっと辛すぎる事が重なって…自分でもほんとに情けないのだけど、一目だけ和夫さんの姿を見られたらまたがんばれるような気がして…それで…。本当にごめんなさい。」
良子は思いつめた表情で澄子に言った。
「…澄子さん…。正直に言いますね。私は、あなたの事を思って言ってるんじゃないの。私は自分の愛する人が幸せでいて欲しいと思っているだけなの。今まで一緒にいて見ないふりをしていたけど、本当はわかっていた。私が和夫さんを幸せにすることは無理なんだって。だから…!」
「それは違うわ、良子さん。」
澄子は心の中にあった霧のような物が、日に照らされて消え去っていくような気がした。
「私…良子さんのような人になりたい。私、もっと強くなるわ。だから、良子さんも和夫さんも、元気で幸せに暮らしてください。」
和夫がもう少ししたら帰ってくるからと引き止める良子だったが、澄子は突然来てしまった事を詫び、自分と話しをしてくれた良子にお礼をし、深々と頭を下げて家を後にした。
澄子は来た道を駅へ向かって歩いていった。涙が止めどなく溢れてくるが、心はとても温かかった。良子の人柄に触れて、心の傷が癒されたのかもしれないと思った。駅で切符を買い、プラットホームで電車を待った。この街へは、もう来ることは無いだろう。和夫と良子に為にも、自分はここへはもう来てはいけないと思った。
電車がゆっくりホームへ入ってきた。ドアが開いて中へ入ろうとした時、視線を感じて振り返ると、和夫が立っていた。和夫はちょうどその電車でこの街に帰ってきたところだった。
「澄ちゃん!」
和夫は叫んだ。
しかし電車に乗る列に押されるように、澄子は中へ入ってしまった。和夫は急いで駆け寄ったが、ドアは既に閉まって警笛が鳴った。
和夫は動きだす電車を追いかけながら澄子を呼んだ。
澄子は和夫に頭を下げ、ありがとう、そしてごめんなさい、と心から詫びた。
二人は見つめあったまま、電車は遠く離れていった。
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