彼と彼女の選択

沢 美桜湖

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彼の

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「篠原さん、お話があるんですが、少しお時間をいただけませんか?」


そう、声を掛けられたのは会社を出てすぐだった。

外はすっかり日が暮れて、オフィスビルが立ち並ぶこの一帯はすでに人もまばら。出発前に片付けることが山のようにあって、毎日残業続きだ。

「君は、確か香奈子の…..?」
「はい。香奈子と同期の中川といいます。前に…一度お会いしました。」
「覚えていますよ。確か半年ほど前に、イタリアンレストランで…。香奈子が言っていました。仲のいい同期だと。」


「そう....ですか。あの、少しお時間をいただけませんか?」

彼女は一歩前に出てきて、こう言った。

「香奈子のことでお話があるんです。」









「それで?  話というのは?」

駅前のコーヒーショップで向かい合わせで座ったところで、切り出した。まっすぐ見つめてくる目に、何だか責められているような気分だった。気の強そうな子だ 。

「…わたしが言うべきことではないとわかっていますが…、香奈子は…きっと自分からは言えないと思ったので。」

「転勤のこと…かな?」


「はい。海外に転勤されると聞きました。…栄転、でいらっしゃることもわかります。きっと、香奈子を連れて行きたいと考えていらっしゃることも。真剣に香奈子と付き合ってることは、あの子の話から分かります。香奈子を…大事にしていることも。」

確かに、支社立ち上げの一員としてアメリカに行き、新事業の開拓に成功すればそれなりのポストが約束されている。しかし、栄転といえばきこえは良いが、このプロジェクトは10年計画だ。早く目処が立ったとしても、最短でも8年はかかるだろう。そんな長い時間を海外で過ごすことになる。



大事な人と離れ離れになって……。

それでも栄転と言えるのか、甚だ疑問だ。



「香奈子が、新規プロジェクトの一員に選ばれたことご存知ですか?」

「えっ、…そうか。選ばれたんだ…。」
俺の驚いた声に、彼女は悲しげに眉を眇めた。
「やっぱり、言ってなかったんですね…」


「会社あげての一大企画が動いているとはきいていましたが、その一人に選ばれていたことは知りませんでした。」

前に、大きな企画が立ち上がる、と確かに言っていた。やってみたい、とも。
そうか。香奈子が選ばれたんだ。

「先週決まったんです。」

そこで言葉を切った彼女は、意を決したように俺を見据えた。

「香奈子をどうするおつもりですか?」

真っ直ぐな瞳に挑むように見つめられ、問われた質問にテーブルの上で手をぐっと握りしめた。

この友達思いの子にごまかすわけにもいかず、口をひらいた。

「連れて行きたい。それが俺の本心。
…でも、香奈子の意思を無視する気はないよ。」









*************************


「それっていつのこと?」


「俺の転勤が決まってすぐだったと思うよ。おまえのプロジェクト参加が決まった頃じゃないの?」

ソファに移動して、シャンパンを飲みながら昔話だ。まあ、ネタバラシともいう。

香奈子は俺が触りまくるからと、やたら離れて座っている。俺はソファの隣の1人掛けに座らされた。
やっと手の届くところにいるというのに、何でこんな離れて座っているんだ。納得できない。

愛美、そんなこと一言も言わなかった、そう、ポツリとつぶやいた香奈子。

「うん。まあそうだろう。
俺が口止めしたからね。」

「なんで!?」

目を見開き、本当に驚いている香奈子。

「何で、って、おまえ、俺についてくる気なかっただろう?  転勤の話がきた時点で、おまえがどうするかなんてわかっていたんだ。そのプロジェクトの話が無かったとしてもな。」

立ち上がって香奈子のそばに腰をおろして。髪を撫でた。

「でも、言わずにはいられなかった。
一緒にきてくれないかって。」






香奈子は泣きだしそうな顔だ。泣かせたくてこんな話をしているわけじゃないのに。
眉間にしわを寄せる香奈子の頬を一撫でしてやる。

「香奈子、おまえがどんなにこの仕事をやりたかったかを知ってる。一生懸命頑張っていたのも側で見てきたんだ。俺の都合とわがままで、おまえの人生を奪うつもりはなかった。だから、あの時、どれだけ苦しくて寂しくても、おまえを置いていったんだ。」

ついに、香奈子の目から涙が落ちた。

いや、だから、泣かせたくないんだけど。
泣かせるのはベッドで、なんて考えてることが香奈子にバレたら、おっさん思考ね相変わらず、なんて言って笑ってくれるだろうか。







*************************




「でさ、愛美ちゃん、香奈子を置いていく代わりに、君にお願いがあるんだけど。」

いきなりちゃん付けで呼んだからだろうか。彼女の顔が若干引きつっている。
いやいや、まさかこんなに打って付けの人物が自分からやって来てくれるとは!

おっと、ここで愛美ちゃんの信用を無くしては元も子もない。
努めて誠実な男を前面に出さなければなるまい。

「香奈子に男がよってこないように見張っていてくれないかな。君ならできるよね。会社の飲み会、合コンなんて以ての外。話を持ってこようものなら片っ端から潰してくれ。」

努めて爽やかに笑顔を作りながら彼女に願えば、「…は?…」とポカンと口を開けて固まったあと、眉間にシワを寄せて嫌そうに睨みつけてくる。

「 そんなことできるわけないでしょう!  今あなた、香奈子の意思を尊重するって言ったばかりじゃないですか!」

「そう、香奈子の意思を尊重して、悪い虫は駆除するんだ。香奈子は俺に惚れてる。これも香奈子の意思だ。でも一緒に連れて行けないから、虫除けは必要だと思わない?」

彼女のこめかみがヒクヒクと動く。

「香奈子の人生だ。無理に連れて行くことはできない。わかってるよ。でも、だからと言って、香奈子を手放すつもりはない。」



「必ず迎えに来る。

だから、頼むよ。愛美ちゃん。」

ニヤニヤ笑いをひっこめて。
テーブルを挟んで座る、眉間にしわを寄せた香奈子の友人に、頭を下げた。








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