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8.彼女が来てからの一週間

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(人手が増えたからといって、楽になるわけじゃないんだな)

 シェラを遠い目で見ながら、エリンは心の中でそう呟いた。
 初日は怯えるシェラを連れて一通り屋敷の中を案内した。と言っても、炊事場・洗濯場・浴場くらいにしかエリンは行かないので、それだけだ。
 シェラの部屋は、エリンの部屋――――と言っても正確にはアクセルの部屋だが、の続き間を使用するらしい。赤子の世話は時間で区切れるものではなく、夜中にも業務が発生する恐れがあるからだそうだ。シェラは恐縮しながらエリンにそう伝えてきたが、エリンは正直どうでもいい。以前、同じようにソフィアがいたから、そんな感じになるのだろうと思っていた。

 そして、一週間。

(まっっっったく使えねぇ……!!)

 最初は簡単なことから、と思いエリンはアクセルの食事を炊事場から取ってくるように頼んだ。元気よく返事をして出て行ったシェラは、しかし待てど暮らせど戻ってこない。どんなにゆっくり歩いても5分もかからず戻って来れる距離のはずなのにだ。
 30分が経過した頃、腹が減っていよいよ我慢ができなくなったアクセルが号泣しだしたことで、ついにエリンは部屋を出た。
 そして、窓の外をうろうろするシェラを見つけて、廊下から身を乗り出して怒鳴った。

 これが始まりだった。

 シェラは、そそっかしく、手に持ったものは落とす。そしてよく転ぶ。なので生傷が絶えない。割れ物の被害も絶えない。
 最初はにやにやと、「仕方ないですねぇ」と笑っていたリアムも、あまりに破損が立て続くので、遂には口元を引きつらせていた。そして、なぜかエリンに「シェラには高価なものは触らせないように」と厳命してきた。その場では「自分で言え」と突き放したが、言われなくても、エリンはもうシェラに割れるようなものに、近づかせる気はなかった。
 値段に関係なく、シェラがケガをするし、アクセルが危ない。さらに片付けはエリンの仕事になるため、食器のような割れ物を使用する仕事は、自分が引き受けることにした。
 他にも、シェラは道や人の顔を覚えられず、良く迷子になる。お陰でエリンは、何度も戻ってこないシェラを迎えに行く羽目になった。

 シェラは失敗するたびにすまなさそうにエリンを見るが、一向に事態は改善されない。
 エリンは大きくため息を吐いた。

 (こんなことなら、一人の方が余程楽だった……)

 エリンは、この1週間、シェラの尻拭いが増えたせいで、ろくに眠れていない。気づいたら、少し休憩のつもりで座り込んだソファでそのまま寝てしまった。

 ◆

「何をしている」

 後ろから突如かけられた声に、そっとエリンに近づいていたシェラはびくりと肩を震わせた。

「あ、あ、あ、その。エリン様が寝てしまわれたので、何かかけるものをと……」
「手ぶらでか?」
「あ、」

 おろおろするシェラを横目に、アイザックは無言でエリンを抱き上げた。

「俺が運ぶ。お前は、息子を見ていろ」
「は、はい!すみませんでした!!」

 土下座せんばかりに頭を下げるシェラに、しかしアイザックはそれ以上反応せずに、続き部屋の寝室の扉を開けた。

(軽いな)

 屋敷に来た時にも思ったが、エリンは病的に痩せている。最初よりは幾分ましになったとは思うが、まだまだ人ひとり分の重さにしては心もとない。
 瞳は貴族を示す青。と言うことは、恐らく貴族の血は入っているのだろう。しかし、言動も身のこなしも、まともな教育を受けているようには思えなかった。

(伯爵家はいったい何を隠しているのやら……)

 アイザックは夫の最低限の務めとして、エリンから助けを求められれば応えるつもりだったが、エリンにはその気はないようで、息子のことで怒鳴り込んできた時以外は、静かなものだった。

(あのメイドも何やら含むところがありそうだ……)

 エリンはいつも四面楚歌だからであろう。
 毛を逆立てた猫よりも警戒心が強いエリンは、アイザックのことも信用していないようで、何も言ってこない。これまでの生い立ちも、今の状況も。
 だから、アイザックには彼女の置かれている状況が、全くつかめなかった。
 それでも、引き絞られ切った弓のように張り詰めたエリンは、いつまでも持たないだろうとも思う。

 誰もが怯えるアイザックをまっすぐ見据え、啖呵を切った彼女を面白く思い、彼女が失われることを惜しむ自分がいる。同情か、何なのか。
 その気持ちが何にせよ、アイザックはエリンを取り巻く状況を改善してやろうと思うくらいには彼女のことを気に入っていた。

 ゆっくりとベッドにエリンを降ろした。
 寝顔はあどけなく、彼女の幼さを浮かび上がらせた。
 顔にかかった髪を払ってやると、ばちりとエリンは目を開けアイザックの手を掴んだ。

「気分はどうだ?」
「……何であんたがここに?」
「たまたまだ」

 フーンと言いながらエリンはアイザックの手を放し体を起こすと、ガシガシと頭を掻く。
 アイザックは先ほど掴まれた手を眺めながら、薄く笑う。

「手負いの獣みたいなやつだな。先ほど抱き上げた時には、気づかなかったのに」
「いや?意識はあったぞ。眠すぎて体が動かなかっただけだ」
「……疲れているようだな。何か俺にしてほしいことは?」
「何でもいいのか?」
「あぁ」
「本当だな?」
「くどい」

 エリンは少し考えてから、ためらいがちに口にした。
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