上 下
1 / 13

1.突然の転機

しおりを挟む
「痛い!ちょっと、痛いって言ってるだろうが!?」
「そのような事を申されましても、わたくし共も、あなたを何とか見られるように整えなければ叱られてしまいますので」

 つんと澄ました顔で、メイドがそっぽを向く。完全にこちらをなめたその態度に、エリンは苛立つ。

「誰が見られるようにしてくれって頼んだよ!」

 悪態をついたが、エリンの言葉は鮮やかに無視された。先ほどと同じ、いやむしろ少し力を入れて、髪を梳られたエリンは鏡越しにメイドを睨みつける。
 そして、どうしてこんなことになったのかと、自分の真っ青な目を押さえてため息を吐いたのだった。

 ◆

 エリンの人生は冴えない。

 生きてきたのはたったの15年だが、もし自分が全く自分とは関係のない他人であったなら、絶対にごめんこうむりたいと思うであろう人生を送っている。

 エリンの一番小さい頃の記憶は、多分3,4歳頃だと思う。お腹が空いて空いて、大声で泣いているところを酒瓶を抱えて歩いてきた義父にこっぴどく折檻された記憶だ。
 とはいっても、常にむしゃくしゃしていた義父は、しょっちゅうエリンに暴力を振るっていたので、本当に3、4歳の頃の記憶かは怪しい。
 義父は、いつも昼間から飲んだくれていて、仕事をしているんだかしていないんだか分からないありさまだったが、貧民街スラムにたくさんの手下を抱えた破落戸だった。
 エリン自身は破落戸ジェイのことをこれっぽっちも親だとは思っていないが、育ててくれた人を親と言うのなら、あいつがエリンの親となる。
 自分の本当の親には棄てられたらしい。
 いつだったか、義父がにやにやと笑って話してくれた。

「お前のその眼。真っ青で気味がわりぃが、それは貴族の証よ。お前はな、貴族の父と平民の女の間に生まれたんだ。子が出来て、捨てられた女が育てきれずに借金の形に売った。それがお前よ」

 そう言って、最後の締めくくりにとびっきり下卑た顔で「だから、お前は13になったら娼館に売る」と、言うのがお決まりだった。

 貧民街には沢山の親無し子がいて、彼らは義父の命令で、物乞いやをしていた。
 皆、自分の食い扶持は自分で何とかするのだ。そうしないと、誰も養ってなどくれない。
 誰も彼も苛々していて、生きるのに必死だった。
 エリンも殴り、殴られ、何とか生き延びていた。そうするしかなかったから。
 義父は、自分の機嫌でエリンに暴力をふるったが、エリンが嫌だったのはそれよりも厭らしく撫でまわされることだった。下卑た顔で笑いながら、撫でまわされると触れられたところに虫唾が走ったが、ここを出て生きていける当てもなかったエリンはじっと耐えた。

 それでも、限界は来る。

 エリンが、11歳になったばかりの頃だ、酒に酔った義父に押し倒された。本能的な危険を察知したエリンは、死に物狂いで逃げ出した。おかげで何も持ち出せなかった。

 日の暮れた街で一人途方に暮れたエリンは、ふと、自分の唯一の持ち物を思い出した。

 生まれた時に耳に付けられたピアス。
 そのグリーンの石は恐らく宝石で、何度も他の孤児たちに狙われてきたが、何となく守ってきたものだった。

 売るなら今だろう、と決意して質屋に入る。それでも、何となく両方手放すのは惜しくて、外したピアスの片方をポケットに突っ込んだ。

 閉店間際に駆け込んできたエリンは、相当怪しかったのだろう。襲われた成りで飛び出したので、服装はいつにもましてボロボロだった。結局、盗品と疑われ、二束三文になったが、それでも、当座は凌げるくらいの金になった。

 この金がある間に、何とか生きていく方法を考えないと……。その金で、生まれて初めて馬車に乗り、義父から逃げるために街から出た。

 そうして彷徨った先で、エリンは老婆に拾われたのだった。街はずれで薬屋を営んでいる偏屈な老婆で、金はないが、手足が不自由になったので、安く使える働き手を欲していた。
 孤児で世間知らずのエリンはちょうど良い鴨だったのだろう。エリンとしても、雨露を凌げさえすれば、どこでも良かった。こうして、エリンは、老婆の世話になることになった。

 そこでもろくに食べられなかったが、殴られることもなかったし、何より、厭らしく撫でまわされることがなかったのでエリンは、満足だった。このまま老婆が死ぬまでここでいるのかな、と思っていた。その時には、老婆に拾われて、5年が経っていた。
 
 急に、来たのだ。迎えが。

 老婆はほくほく顔で金貨で膨らんだ袋を片手に、エリンを送り出した。売られる仔牛のように、乱暴に馬車に乗せられたエリンが連れてこられたのが、この伯爵家だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

竜人王の伴侶

朧霧
恋愛
竜の血を継ぐ国王の物語 国王アルフレッドが伴侶に出会い主人公男性目線で話が進みます 作者独自の世界観ですのでご都合主義です 過去に作成したものを誤字などをチェックして投稿いたしますので不定期更新となります(誤字、脱字はできるだけ注意いたしますがご容赦ください) 40話前後で完結予定です 拙い文章ですが、お好みでしたらよろしければご覧ください 4/4にて完結しました ご覧いただきありがとうございました

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

異世界転生したら幼女でした!?

@ナタデココ
恋愛
これは異世界に転生した幼女の話・・・

溺愛されていると信じておりました──が。もう、どうでもいいです。

ふまさ
恋愛
 いつものように屋敷まで迎えにきてくれた、幼馴染みであり、婚約者でもある伯爵令息──ミックに、フィオナが微笑む。 「おはよう、ミック。毎朝迎えに来なくても、学園ですぐに会えるのに」 「駄目だよ。もし学園に向かう途中できみに何かあったら、ぼくは悔やんでも悔やみきれない。傍にいれば、いつでも守ってあげられるからね」  ミックがフィオナを抱き締める。それはそれは、愛おしそうに。その様子に、フィオナの両親が見守るように穏やかに笑う。  ──対して。  傍に控える使用人たちに、笑顔はなかった。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

モブはモブらしく生きたいのですっ!

このの
恋愛
公爵令嬢のローゼリアはある日前世の記憶を思い出す そして自分は友人が好きだった乙女ゲームのたった一文しか出てこないモブだと知る! 「私は死にたくない!そして、ヒロインちゃんの恋愛を影から見ていたい!」 死亡フラグを無事折って、身分、容姿を隠し、学園に行こう! そんなモブライフをするはずが…? 「あれ?攻略対象者の皆様、ナゼ私の所に?」 ご都合主義です。初めての投稿なので、修正バンバンします! 感想めっちゃ募集中です! 他の作品も是非見てね!

処理中です...