6 / 245
箱庭編【過去編】(読まなくても問題ありません)
6
しおりを挟む
「アーデルハイト」
振り返ればそこには一番上のお兄様がいらっしゃいました。
と言っても、歳は20程離れていますので親子と言ってもいいくらいではあるのですが。
将軍の一人であるお兄様は、きっちりと軍服を着こなした鼻の下のお髭がとてもチャーミングな男性です。
「さっきのは何だ」
「思うままを告げただけですが」
「言うにしてもあのような場所でする必要はなかっただろう」
「いえ、ありましたのよ。あれでわたくしに視線が集まりましたので、矢面に立たされた令嬢をそっと逃がしてさしあげることができました」
お答えすると、そのためかとお兄様はため息をひとつ落とされました。
「そのような事、お前がしなくてもいいだろうに」
「できるのはわたくしだけでしたから」
そうだがと言いながら、お兄様はため息をひとつ。まぁ悪いことをしたわけではないかと仰りました。
「けれどもうあちらにはいくな。賓客ももうすぐ到着される。騒ぎを起こしてはいけないからな」
騒ぎを起こしてはいけないというなら、ミヒャエルとハルモニア嬢をどうにかするべきでしょうとわたくしは思うのですが、ぐっと飲み込みます。
「いや丁度良い、来なさい。別室で歓談している方が多くいる。誰かしらの目にひっかかるかもしれない。殿下と噂がたって、何の話もこないからな」
「お兄様……わたくし、お嫁入りなどしなくて良いのですけど」
「アーデルハイト」
強く名前を呼ばれてしまうと、わたくしは従うしかありません。
お兄様の手に手を重ね、煙草の匂いが満ちた部屋へと連れていかれました。
そちらにいらっしゃったのは国の重役や、将校の方達です。皆様、わたくしよりも一回り以上、年上の方がほとんどなのですがお兄様は本気なのでしょうか。
皆様面白がってわたくしとお話くださいました。何人かは下心があるようでしたが、お兄様のお目に適う方ではなかったので追い払われてしまいましたが。
けれど、お兄様のお目に適う方もいらっしゃったようです。数人の方に囲まれ、わたくしはそのうちのおひとりとその場を離れることになったのです。
わたくしより8ほど年上の、きりっとしたお顔立ちの方で子爵との事。お話も上手でいらっしゃいますし、感じの良い方でした。こちらの方はわたくしに興味をもっていらっしゃるようです。
そのまま休憩できる部屋に足を向けられこれはまずいと思いました。もっとゆっくり座ってお話できる場所にいきましょうと言われて、寝台のある部屋だとわたくしは思いません。煙草の匂いが満ちた部屋から脱出する口実だとばかり思っていましたもの。
こういったお誘いだと察することができなかったのは、初めての事だったからです。
おそらくお兄様が、体の関係を持ってさえすればどうとでもなるとでも仰ったのでしょう。お兄様はさっさとわたくしを嫁にだしたいと思ってらっしゃるようなので。
しかし、わたくしは初対面の方にそういった事を許すような女ではないのです。
ですのできっぱりと、嫌ですとお断りしました。わたくしに触れようとする手を叩き落とし、その気など全くないことをお伝えしました。
相手の方は最初はあっけにとられていましたが、面白いと笑いだされ手はださないと約束してくださいました。
わたくしがそう言えたのは、この方が怒って手をあげたりしないと思えたからですが。
ではどうすればいいのかと問われ、きちんと手順を踏んでくださればとお答えしました。
お父様にまず確認を、そして本人を引き合わせ、互いが良いと言えばお付き合いを。
そして婚約、結婚という至極真っ当な形をわたくしは提示いたしました。
「なに、結婚するまで触れてはいけないと?」
「口付け程度は許しますけれど」
身持ちの硬い女だなとその方はおっしゃられました。
それからしばらく、お話をいたしました。
先程ホールであったことを話すと、その方は殿下がと不快を露わにされました。
「そのご令嬢は?」
「さぁ、わたくしが殿下に声をかけている間に帰られたのではないでしょうか。お姿はもうありませんわ」
「ひどいことを……」
ええ、本当にひどいことなのでしょう。
ミヒャエルはひとりの令嬢を傷つけたのです。その心もですが、彼女にはミヒャエルが捨てた令嬢という肩書がついてしまったのですから。
それからその方はわたくしを出口まで見送ってくださいました。
次の日、お兄様がどうだったとにこやかに尋ねてきましたので、何もありませんでしたとお答えしました。残念そうな顔をしておりましたがどうやらまだめげていない様子。
「して、どなたと一緒だったのかな?」
わたくしはその方のお名前を告げました。するとお兄様はんん、と変な顔をされたのです。
「誰だそれは」
「え? お兄様が連れてきた方では?」
わたくしは昨夜お会いした方のお名前を憶えている限り連ねました。
その方たちは、お兄様の部下や知り合いだったようです。
「……調べる」
どうやら、わたくしがお相手をしていた方は存在しない方だったようです。
どこのどなたか、という事を知る必要はわたくしにはありませんでした。
お兄様はまた違う方を探して来ようと仰いました。そのような必要、ありませんのに。
そして――セレンファーレさんの姿を、それから箱庭で見かけることはなくなったのです。
ジークにあの後のことを聞けば、馬車に乗せて一緒に家まで送ったそうです。
泣き始めてしまったので一人にすることはできなかったと。
わたくしはそれでいいのよ、ありがとうと礼を言って褒めました。
これがハインツとフェイルだったら馬車に乗せて終わりだったでしょう。ちゃんと家まで送り届けてくれた事は幸いです。
「アーデはあの後、すぐに家に?」
「いえ、一番上のお兄様に捕まって……」
と、そのあとのことを話すと、犬達の顔色が変わりました。
何もなかったんだよね、と問い詰めるような視線です。もちろん何もなかったと言ったのですが、本当かどうか調べないとわからないと。
ええ、調べられてしまいました。三人がかりで。本当に、ひどい。
何もなかったと知った後は謝ってきましたがしばらく怒ったフリをしておきました。
しゅんとする姿がかわいらしかったので。
しかし、のほほんといつも通り、東屋でじゃれているわけにもいかなくなりました。
わたくしがミヒャエルに口をだしたのは、ハルモニア嬢に嫉妬してだという噂が流れたのです。
ハルモニア嬢は、わたくしに水をかけられたとか呼び出されて暴言をとか。
そういった事を人前で、ミヒャエルに喚いたそうです。
わたくしがいつそんなことをしたのでしょう。アーデルハイトという方が別にいらっしゃるのならそちらの方ですが、あいにく同名の方はいらっしゃいません。
そのハルモニア嬢の話は尾ひれがついて、箱庭中に広がりました。セレンファーレさんの噂も相変わらず流れています。
他の方から遠巻きに見られることはいつものことでしたので良いのですが、その視線を向けられるのは居心地が悪いものでした。
そしてあろうことか、ハルモニア嬢はわたくしから犬達も奪い取ろうと、セレンファーレさんの時と同じような手を使ってきました。
それにはまる犬達ではありません。逆にはまったふりして、締めてきて良い? というくらいで。
後始末が大変なのでやめておきなさいとわたくしは彼等をなだめました。
しかし、一週間ほどそれが続き相手をするのも馬鹿らしいと思い始めました。
そこでしばらく箱庭を休むことにしたのです。
休暇届を提出し、しばらくはこちらに来なくていいと思うと清々しい気分でした。犬達も一緒に届を出したので、どこかに旅行でも行こうかしらと思っていました。
しかし、その前にわたくしにはやることがありました。
振り返ればそこには一番上のお兄様がいらっしゃいました。
と言っても、歳は20程離れていますので親子と言ってもいいくらいではあるのですが。
将軍の一人であるお兄様は、きっちりと軍服を着こなした鼻の下のお髭がとてもチャーミングな男性です。
「さっきのは何だ」
「思うままを告げただけですが」
「言うにしてもあのような場所でする必要はなかっただろう」
「いえ、ありましたのよ。あれでわたくしに視線が集まりましたので、矢面に立たされた令嬢をそっと逃がしてさしあげることができました」
お答えすると、そのためかとお兄様はため息をひとつ落とされました。
「そのような事、お前がしなくてもいいだろうに」
「できるのはわたくしだけでしたから」
そうだがと言いながら、お兄様はため息をひとつ。まぁ悪いことをしたわけではないかと仰りました。
「けれどもうあちらにはいくな。賓客ももうすぐ到着される。騒ぎを起こしてはいけないからな」
騒ぎを起こしてはいけないというなら、ミヒャエルとハルモニア嬢をどうにかするべきでしょうとわたくしは思うのですが、ぐっと飲み込みます。
「いや丁度良い、来なさい。別室で歓談している方が多くいる。誰かしらの目にひっかかるかもしれない。殿下と噂がたって、何の話もこないからな」
「お兄様……わたくし、お嫁入りなどしなくて良いのですけど」
「アーデルハイト」
強く名前を呼ばれてしまうと、わたくしは従うしかありません。
お兄様の手に手を重ね、煙草の匂いが満ちた部屋へと連れていかれました。
そちらにいらっしゃったのは国の重役や、将校の方達です。皆様、わたくしよりも一回り以上、年上の方がほとんどなのですがお兄様は本気なのでしょうか。
皆様面白がってわたくしとお話くださいました。何人かは下心があるようでしたが、お兄様のお目に適う方ではなかったので追い払われてしまいましたが。
けれど、お兄様のお目に適う方もいらっしゃったようです。数人の方に囲まれ、わたくしはそのうちのおひとりとその場を離れることになったのです。
わたくしより8ほど年上の、きりっとしたお顔立ちの方で子爵との事。お話も上手でいらっしゃいますし、感じの良い方でした。こちらの方はわたくしに興味をもっていらっしゃるようです。
そのまま休憩できる部屋に足を向けられこれはまずいと思いました。もっとゆっくり座ってお話できる場所にいきましょうと言われて、寝台のある部屋だとわたくしは思いません。煙草の匂いが満ちた部屋から脱出する口実だとばかり思っていましたもの。
こういったお誘いだと察することができなかったのは、初めての事だったからです。
おそらくお兄様が、体の関係を持ってさえすればどうとでもなるとでも仰ったのでしょう。お兄様はさっさとわたくしを嫁にだしたいと思ってらっしゃるようなので。
しかし、わたくしは初対面の方にそういった事を許すような女ではないのです。
ですのできっぱりと、嫌ですとお断りしました。わたくしに触れようとする手を叩き落とし、その気など全くないことをお伝えしました。
相手の方は最初はあっけにとられていましたが、面白いと笑いだされ手はださないと約束してくださいました。
わたくしがそう言えたのは、この方が怒って手をあげたりしないと思えたからですが。
ではどうすればいいのかと問われ、きちんと手順を踏んでくださればとお答えしました。
お父様にまず確認を、そして本人を引き合わせ、互いが良いと言えばお付き合いを。
そして婚約、結婚という至極真っ当な形をわたくしは提示いたしました。
「なに、結婚するまで触れてはいけないと?」
「口付け程度は許しますけれど」
身持ちの硬い女だなとその方はおっしゃられました。
それからしばらく、お話をいたしました。
先程ホールであったことを話すと、その方は殿下がと不快を露わにされました。
「そのご令嬢は?」
「さぁ、わたくしが殿下に声をかけている間に帰られたのではないでしょうか。お姿はもうありませんわ」
「ひどいことを……」
ええ、本当にひどいことなのでしょう。
ミヒャエルはひとりの令嬢を傷つけたのです。その心もですが、彼女にはミヒャエルが捨てた令嬢という肩書がついてしまったのですから。
それからその方はわたくしを出口まで見送ってくださいました。
次の日、お兄様がどうだったとにこやかに尋ねてきましたので、何もありませんでしたとお答えしました。残念そうな顔をしておりましたがどうやらまだめげていない様子。
「して、どなたと一緒だったのかな?」
わたくしはその方のお名前を告げました。するとお兄様はんん、と変な顔をされたのです。
「誰だそれは」
「え? お兄様が連れてきた方では?」
わたくしは昨夜お会いした方のお名前を憶えている限り連ねました。
その方たちは、お兄様の部下や知り合いだったようです。
「……調べる」
どうやら、わたくしがお相手をしていた方は存在しない方だったようです。
どこのどなたか、という事を知る必要はわたくしにはありませんでした。
お兄様はまた違う方を探して来ようと仰いました。そのような必要、ありませんのに。
そして――セレンファーレさんの姿を、それから箱庭で見かけることはなくなったのです。
ジークにあの後のことを聞けば、馬車に乗せて一緒に家まで送ったそうです。
泣き始めてしまったので一人にすることはできなかったと。
わたくしはそれでいいのよ、ありがとうと礼を言って褒めました。
これがハインツとフェイルだったら馬車に乗せて終わりだったでしょう。ちゃんと家まで送り届けてくれた事は幸いです。
「アーデはあの後、すぐに家に?」
「いえ、一番上のお兄様に捕まって……」
と、そのあとのことを話すと、犬達の顔色が変わりました。
何もなかったんだよね、と問い詰めるような視線です。もちろん何もなかったと言ったのですが、本当かどうか調べないとわからないと。
ええ、調べられてしまいました。三人がかりで。本当に、ひどい。
何もなかったと知った後は謝ってきましたがしばらく怒ったフリをしておきました。
しゅんとする姿がかわいらしかったので。
しかし、のほほんといつも通り、東屋でじゃれているわけにもいかなくなりました。
わたくしがミヒャエルに口をだしたのは、ハルモニア嬢に嫉妬してだという噂が流れたのです。
ハルモニア嬢は、わたくしに水をかけられたとか呼び出されて暴言をとか。
そういった事を人前で、ミヒャエルに喚いたそうです。
わたくしがいつそんなことをしたのでしょう。アーデルハイトという方が別にいらっしゃるのならそちらの方ですが、あいにく同名の方はいらっしゃいません。
そのハルモニア嬢の話は尾ひれがついて、箱庭中に広がりました。セレンファーレさんの噂も相変わらず流れています。
他の方から遠巻きに見られることはいつものことでしたので良いのですが、その視線を向けられるのは居心地が悪いものでした。
そしてあろうことか、ハルモニア嬢はわたくしから犬達も奪い取ろうと、セレンファーレさんの時と同じような手を使ってきました。
それにはまる犬達ではありません。逆にはまったふりして、締めてきて良い? というくらいで。
後始末が大変なのでやめておきなさいとわたくしは彼等をなだめました。
しかし、一週間ほどそれが続き相手をするのも馬鹿らしいと思い始めました。
そこでしばらく箱庭を休むことにしたのです。
休暇届を提出し、しばらくはこちらに来なくていいと思うと清々しい気分でした。犬達も一緒に届を出したので、どこかに旅行でも行こうかしらと思っていました。
しかし、その前にわたくしにはやることがありました。
1
お気に入りに追加
1,564
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる