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1.瓦解する世界の中で
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一日、二日、三日。
その間、街に出るにはリアンリルトとノキアの二人が一緒だった。
そして、四日目。
ラナは外へでても大丈夫だと理解し、一人で出かけて良いかとリアンリルトに尋ねた。
けれど答えは。
「ダメ」
「どうして? 大丈夫そうだし……」
「ダメだ」
リアンリルトはもちろん首を縦にふらない。
ラナはどうしてもダメ? とじっと見つめてくる。
「じゃあ……ノキアちゃんと一緒、男の格好を絶対する。それでも、ダメ?」
少し首をかしげて、不安そうに見上げる瞳。
その紺碧が揺れて、リアンリルトはぐっと息をのんだ。
リアンリルトは二人だけで出ることに不安を少し持っていた。
そもそも、今のところ約束は守られているが、それを信じきることができない。
けれど、だ。外に出たいというラナの気持ちもわかる。
それに一人で、と言っているのは自分に迷惑をこれ以上かけたくないという気持ちの表れであることも察していた。
渋い顔をしたまま、リアンリルトは考える。
彼女は自分のものでもない、縛るわけにもいかないのだから妥協しなければいけないのも、わかっていた。
「絶対、守る?」
「うん」
ノキアが一緒にいれば何かがあればすぐに知らせるだろう。何かしらの対処もできないわけでもない。
まぁ、大丈夫だろうと最終的に思ったのだ。
「……いいよ」
「ありがとう! リアンも、お仕事あるのにずっと私につきっきりじゃダメだものね」
「いや、別に問題ないけど……」
そうして嬉しそうな顔を見て笑ってしまった。
そこでもう、リアンリルトの負けだったのだ。
早速ラナは男の格好をして、ノキアを連れて外へ出てゆく支度をする。
きゃっきゃと楽しそうな様子をリアンリルトは眺め、見送った。
「ノキアちゃん、これでいいかなぁ」
「はい、おいしそうな果物です。あと、これも!」
「ん、なんだかいっぱいになって……リアンに怒られそう」
「大丈夫ですよ! ラナさんに甘いから……」
話すのが楽しくて、買い物が楽しくてどちらも気がついてはいなかった。
じっと観察するように向けられている視線があったことを。
いつもなら、少しでも周りに気を配っていれば気がつくほどの視線。
何も起こらない、その状態が続いていたからこそ気持が警戒することを忘れていた。
二人で買い物にでて、粗方必要なものを揃えて、そろそろ帰ろうかと道を歩いていた時だった。
目の前に、勢いよく馬車が止まり、馬の嘶く声が響く。
ラナの背筋に走る忌避感、恐怖。
ここにいてはダメだと思うが身体は動かない。
そして、目の前にある馬車の扉がゆっくりと開いてゆく。
ラナは、自分の心臓が跳ねあがるのを感じた。
忘れたくても忘れられない、自分に向けられる、あの視線の色。
「ラナ、いったいどこで何をしていたんだ? そんな恰好をしていても、逃げられないよ」
「っ……!! あ、あぁ」
「ラナさっ……!!」
体が動かない。
ミハイの舐めあげるような視線に、すべての動きが止まった。
ラナは、ああもうだめだと思う。
目の前にいるのは悪夢の塊だ。思考が停止して逃げる事ができない。
手早く後ろから捕まえられ口へと何か布を当てられた。声も出せぬまますぐさま馬車へと押し込まれてしまう。
人の姿をしていたノキアにはどうすることもできなかった。
その力は非力で男たちにはじかれ、馬車は走り去り追いかけても追いつけはしない。
自分では助けることはできないと理解して、リアンリルトのもとへと走った。
魔将の君ならば、助けられると思って。
「ま、魔将の、君っ……!」
息を切らせながら、ひとり、転がるように戻ってきたノキア。
それだけで、リアンリルトは理解した。
何があったのかを。一人で行かせたのは、やはり間違いだったのだ。
「つ、つれ……もしわ、け……」
息は整わない。しかしそれよりも、目の前の相手の怒気に押し潰されるような感覚しかない。
それは自分に直接的に向けられているものではないとわかっていても、こらえきれるものではなかった。
「くそ……人間のくせに……」
リアンリルトは、目の前にあったものを乱暴に蹴った。 蹴って、憤りを押し止めた。
一瞬で、乱れた気持ちを整える。 カッと膨れ上がった憤りはそのまま身の内でふつふつと存在したままに。
リアンリルトは一つ長い息を吐き、すぅっと、その瞳が、細く、閃いた。
「……ノキア、来い」
「は、はいっ」
ノキアの姿は、リアンリルトの一言で元の姿へと戻る。
形のあってない、影。 ノキアの身はゆるりと踊る。
その様を目にし、リアンリルトはひどく、好戦的に口端をあげて表情を歪めた。
「殺しに、行くよ。あの人間」
ざわりざわりと空気が揺れる。
冷たく突き刺すような雰囲気に、ノキアは畏れた。 畏れると同時に恐れもした。
これが魔将の君だと、震えた。 震えると共に従いたいと思う、安堵感がある。
「ミハイ・アラハルド、やってくれる」
はは、と薄く笑うリアンリルトの表情は、魔将のものだった。すべてを薄ら笑って気にとめはしない。
そんな、表情だ。
そして人間の姿を保ちつつも、魔将の力を使う。
思えば、簡単にミハイのもとへなどいける。 場所と制約など、魔族として、魔将としてあれば何の問題もないのだ。
しかし、人の世界にいる間は、人としてと決めた。己を律する為にだ。それを破るほどには、心は怒りに満ちている。
どこへ行くか、思うだけでその場へ飛べる。リアンリルトの視界は一瞬で、見慣れた部屋から外の風景。
そしてその足元には、ミハイの屋敷。
「そうだ、ノキアの一族を助けるんだったな……」
どこにいる、とリアンリルトは低い声で問う。
ノキアはそれに、地下だと短く答えた。
地下、とリアンリルトは少しだけ探る。するとすぐ、何かを押さえるには過分な力を感じ取った。
「ああ……そこそこ強力な術で抑えられている、か……それに……ミハイの持っているものを壊せばいいのか」
ただ、思って感じようとしただけでリアンリルトは理解する。
影の一族を解放するにはミハイのもっているものを壊せばいいだけだと。
そんなものは本人の目の前にいけばわかる。
「存分に蹂躙して、殺してやる」
リアンリルトは歪んだ笑みを浮かべる。昏い、人として持つものではない笑みだった。
「俺のものに手を出したんだ。それ相応以上で償え人間」
リアンリルトは、魔将のリアンリルトは、凄絶を纏い笑う。
いつもの、リアンリルトとしてではなく魔に身を置く者の立場で笑っていた。
魔に属しているものは、最高に最悪で、醜悪な、本気の遊びを始めるために動き始めた。
「目が覚めた時、どんな顔をするのか……楽しみだ」
ミハイは眠るラナの頬をなぞり、歪んだ表情を浮かべた。
今はもう、男の格好など取り払い、召使たちに言って身を綺麗にさせ着飾った彼女。
クーデター前、王宮で幾度となく見た姿だ。
白いシーツの上に、銀色の髪が流れる。 それも、変わらない。
どんなに落されても朽ちることない色をしていた。
「ああ、ラナ、とても綺麗だ……可愛がってあげるからね、早く目覚めるといい」
ゆるりと頬を撫でるミハイの指には、ラナの瞳と同じ色をした宝石のついた指輪がついていた。
早く瞳をあけて、この同じ色で自分をみればいいと思いながら笑む。
「ん……」
「おお、ラナ」
「リ……っ……!!」
うっすらと瞳に映った人影。 ラナは共にいりリアンリルトだと思ったのに、それは打ち砕かれる。
その人影はそれは、大好きな人のものではない。
ぼやける意識は嫌でも覚醒して、受け入れたくない事実がそこにあった。
声は詰まり、顔は青ざめ身体は自分の意識とは関係なく、がくがく小刻みに震えだす。
「おはよう、ラナ。私から隠れてしばらく、何をしていたのかな」
「やだっ……いっ」
「言ってごらん」
嫌だと拒絶で伸ばした腕は掴まれ頭上へまとめ上げられ、抑えこまれてしまった。
嫌だと首をふって、瞳からは涙が止まらない。
「……言いたくなるように、してあげるよ」
「やっ……」
顎を掴まれ、無理やりむかされた顔。真っ向から向けられた視線にラナは脅えた。
近づくミハイに嫌悪の涙は止まらない。
ありえないと、無理だとわかっていてもラナはリアンリルトに助けてほしいと、思った。
思ってしまったのだ。そしてそれは、言葉になってしまう。
「リアンッ……」
「リアン? 誰だ、それがラナを今までかくまっていたやつか?」
「あ、や……ちがっ……」
否定の言葉は肯定と同じだ。
ミハイはすぅっと瞳を細める。
「頭のいいラナはわかるだろうね。この私がやろうと思えばこの街にいるものなんて……」
「あ……あ、いや、だめ、やめ、て……」
言葉の続きはわかっている。
ミハイがリアンリルトを探せばすぐに、見つかる。
そして、何らかの理由を作ってリアンリルトをどうすることもできるのだと、ラナにはわかっていた。
「どう、すれば、いいのです、か……」
「素直でいいね」
ふっと、ラナの力が抜けた。
それは暗に言うことをきくといっているのと同じだ。
「素直でいい……御褒美は、お前をかくまっていたやつをボロボロにして目の前に引きずり出すというプレゼントでいいかな」
「っ!!!」
楽しげにミハイが紡いだ言葉。新しい遊びを見つけたような、そんな目の輝きだった。
ラナは自分の望まない方向に進んでいく事に言葉失う。
自分のせいでリアンリルトが傷つけられる事はどうあっても、受け入れがたい事なのだ。
それで怒って、自分から離れてくれるならまだしも、そうならず気にするなと、言われるような気がして苦しくなる。
そして会いたいと願った。
「今以上の暗闇に叩き落して、私に逆らえないようにしてあげよう」
君はお人形で十分なんだよと笑いかけられる。酷く、醜悪な笑みだ。
言葉がもう出ずラナはぎゅっと瞳を閉じて、リアンリルトを思った。
あの時、ノキアは逃げた。
向かうのはリアンリルトの所以外にない。
リアンリルトは自分がどうなっているか理解しているはずだ。
助けに来てくれるかもしれない。でも、生きてほしいから逃げてほしい。
複雑な、気持ちだった。
しかし心を一番占めている想いは、会いたいという気持ちだった。
「リア……ン」
瞳を閉じてしまうのは、逃げだとは思う。けれど瞳閉じて思い浮かべてしまった。
ちゃんと、顔を見て笑って名前を呼びたいと思っていたら、声がもれた。
届くはずのない、声が。
「ラナ、呼んだ?」
けれどもそれに、くすぐったい響きが返る。
ここに、いるはずはないのに。 幻聴かと、ラナは自嘲するように笑った。
「!? な、貴様、どうやってここへ!?」
けれどミハイの、慌てたような声を聞いて。
ラナはまさかと、そんなと思いながら瞳を開く。
するとミハイの後ろに、リアンリルトがいた。
けれど、リアンリルトであって、そうではないのだとラナは感じてしまった。
瞳に宿る光が、仄暗い。
何事かと、ミハイはラナの上から起き上がり、リアンリルトを睨んだ。
「お前がラナを俺から奪おうとした、ミハイか……は、いい度胸だ」
「け、警備のものはどうした!? 何故、ここに……!」
「警備? そんなもの、俺にはあって無きものだ。お前たちの基準で言われても、な。人間、ラナを返せば楽に殺してやる」
「リアッ……」
名を呼ぼうとして、ラナのその声は途切れた。
それは本能的に、だ。
本人だと、わかる。 けれども別人のような雰囲気。
ああこれなのだと、ラナは思った。
リアンリルトに感じていた、何らかの、違和感。
リアンリルトが隠していたものはこれなのだと、ラナは察した。
「ラナ、すぐ助けるから」
「リアン……」
でも、そんなもの吹き飛ばすように、安心させようと優しい声色が送られる。それはいつもとかわらない。
それだけでラナは安心した。感じていた何かなんてどうでもよくなった。
「くそがっ」
リアンリルトの姿にラナが安堵しているとミハイは近くに置いていた小銃をリアンリルトへと向ける。
そして、ラナがそれに気が付き邪魔をする間を与えることなくその引き金を引いた。引き金を引いた瞬間、勝ったというようにミハイは思った。
バァン、と発砲音とともにその弾はリアンリルトへと向かう。
けれどもリアンリルトはただ笑うだけだ。
にぃ、と口の端をあげてそんなもの意味はない、と。
その弾はリアンリルトの前でぐしゃりと潰され地に落ちる。
「え? ひっ!? な、なん……」
「俺に銃を向ける? いい度胸だな、俺を誰だと思っている。俺は、リアンリルトだぞ」
意味はわかるか、と笑うそれは凄絶。
悪意もない、善意もない。等しく、何もない色をもってリアンリルトはミハイを見ていた。
「リアン、リル……ト……ま、魔の……」
魔の君のリアンリルト、とミハイは呟いた。その言葉はラナにも聞こえていて、それを聞いて納得できた。
ああ、やっぱり、自分とは違う存在の人だったのだと。
でも、それがリアンリルトなのだと。
変わらない事実なのだと。
リアンリルトという名を知らないものは、いない。
魔王と、魔王に従う将のひとり。
魔王の腹心、序列は上から数えたほうが早い、魔将。
リアンがリアンリルトだった。
ラナにとっては、彼はリアンで魔の君ではないのだ。
ただそうであることが付随しただけ。それだけにすぎないと、逆に今までの違和感がなくなったようにラナに感じていた。
ゆっくりとリアンリルトは二人に近づく。
ミハイはガタガタと震え、ベッドからずり落ちる。
それをわざとらしくリアンリルトは笑い、ミハイと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ああ、これか……」
「ひっ……」
リアンリルトはミハイの指輪の一つに目を止める。
ラナの瞳と同じ色の宝石。それから明らかに、何かしらの力を感じた。
リアンリルトはミハイの手をつかみ、その指輪を外す。
「ラナと同じ色か。壊したくないが、しょうがない……」
壊れろ、と一言だった。それだけでその宝石が砕け散る。
それは影の一族を縛るものの要であるもの。
「地下の術はすでに壊した、影の一族はもうお前のものじゃない。もう用もないし……お前、死ねよ」
リアンリルトは言って、ミハイの首を掴んで立ちあがる。
何でもないことのように紡いだ言葉は、絶対であるように響く。
やすやすと持ちあがる体に、リアンリルトは笑った。苦しげにもがいて、抵抗しようとするがそれは戯れのようなものだ。
「うぐっ、がっ……」
「このまま締めるてやる。ああ、でも力あまって首折りそうだなぁ」
リアンリルトは楽しそうに言う。
呻くミハイの体からだんだんと力が抜けて、重みが増してくるようだった。
「だ、だめっ……!」
「っ!」
早く死ねばいいのに、と思っていたリアンリルトの体にどん、と衝撃がくる。
リアンリルトがそちらをみると、ラナが自分の体へと抱きついていた。
見下ろして、リアンリルトはできるだけやさしい声色を探して紡ぐ。
「ラナ、どうして? 酷いこと、こいつにされたんだろ?」
「それ、でもっ! で、も……リアンが、ひとを殺すのを、見るのなんて、いや」
「俺はリアンリルトだ。人間を今まで数え切れないほど殺している。今更一人増えても、かわらないよ」
「それでもっ……わ、私、は私のため、に、見たくないのっ」
ラナは本心から言った。 すがりつく手は小さく震えていた。
リアンリルトが人を殺すのを、自分が見たくないからやめてほしいと。
リアンリルトはその言葉に、笑む。正直だ、と。
そして乱暴にミハイを床へと落とした。
「わかった、ラナのために殺さない」
「リアン……ありがとう」
小さくほほ笑むラナに笑み返した表情を、リアンリルトはすぐに消してミハイを見下ろした。
「……人間、これ以上ラナに手をだしたら、わかっているな」
まだ意識がかすかに残っているであろうミハイにリアンリルトは言い放つ。
言葉に、力を乗せて圧した。その言葉の強制力は人の力で振り払えるものではない。
これでもうラナに関わることはないはずだとリアンリルトは静かに、ラナの頭を撫でる。
そして頭を撫でながら、さびしそうに言った。
「もう一緒にいられないね」
「え……」
「俺となんて、いたくないだろう? 俺は人じゃない。魔物だ、魔将だ、ラナとは、違うものだ」
「やだっ、リアンと、リアンといたい……!」
「ラナ……」
ラナが震えている、と彼女をみながらリアンリルトは思った。
思って、愛おしいと思った。
この子を守りたいと思った。
ラナのリアンリルトを掴む手に力が、こもる。
精一杯、力を込めるせいで白んだその指を見て、リアンリルトは嬉しくなった。
求めてくれているのだと。
「俺も一緒にいたい。けど、もう本当の俺をしったラナに俺は抑えがきかないよ。酷いこと、痛いこと、するよ」
「いい、それでも、いい」
「傷つけるよ、たくさん」
「リアンにされるなら、いい」
「……俺はラナの全部がほしいから、いやだって言ってももらうよ」
「わた、私の全部……リアンにあげる」
その言葉にラナを抱え上げ、言ってしまったねとリアンリルトは笑った。
それはもう、幸せそうに。
その言葉は、言質だ。 魔の君に対してそんなことを言ってしまうなんて馬鹿だと思いつつも愛しくてたまらない。
これでもう逃がさない、逃げられないのだと心の底から、嬉しさが湧き上がってくる。
この幸福は何だと、いうように。こんな喜びは、リアンリルトの中に今までまったく、無いものだった。
もうどんなにラナが自分を嫌いになって離れたいといっても、その言葉で縛り続けられる。
リアンリルトはラナを抱え上げてその額にキスを落とす。
「帰ろうか」
「……うんっ」
たまらなくなる、もう抑えられないとリアンリルトは思った。
無邪気に笑って、自分にすがる彼女に自分が抱く感情がどんなに暗く汚いものか、知られたくはなかった。
けれども、もう無理だ。知られていい。知られて、どんな顔をするのか見てみたくて、たまらなくもある。
さっき、ミハイに抑え込まれているときに思った。
誰かに渡したくはないと一層強く思った。
そして、あれが自分ならどんなにいいかとも思った。
「リアン」
「何?」
呼ばれる声が、とてもくすぐったい。ラナはリアンリルトの肩口に顔を埋めて、表情は見せてくれない。
そのことは少しばかり、不満だ。
「私、どんなリアンでも、好き……だから」
「ラナ」
「リアン」
「ラナ、愛してる」
さらりと、一言。
けれどもどんな言葉よりも重い意味をもって。
リアンリルトはラナに想いを告げる。告げるつもりなどなかったはずなのに。
好きじゃなくて、愛だと。もっと深いものを持ってしまったと。
「ラナ、ラナは、俺のものだよ。俺もラナのものだ。だから、ラナを頂戴」
「……はい」
ラナはリアンリルトの首に回した腕の力を強める。
リアンリルトの言っている意味が分からないほど子供ではない。
その意味を理解して答えた。
「ああ、もうダメだ。たまんねぇ……家になんて帰るなんてめんどくせぇ」
「リアン?」
距離なんて本当は関係ないのだけれども。
リアンリルトは思えばそこへすぐにでも行ける。
「あんな硬いベッドでお前を貰いたくない」
「ふぇっ、リリリ、リアンッ」
耳元でわざとらしく、吐息に熱を込めて言い放てば顔は真っ赤になる。
リアンリルトはその様子に笑って 、だから寝心地のいい場所にいく、と告げた。
向うのはディストだ。
正面から入らず、一番良い部屋へと勝手に向かう。
ラナにとっては何が起こったのか、と瞳を瞬く瞬間もなかった。
「一分一秒惜しいんだけど、ちょっと待ってて」
「う、うん」
リアンリルトは柔らかい寝台にぽすりとラナをおろすと額にひとつ、キスをして離れる。
その姿はラナの瞬きの間に消えていた。
くるりと見回せば、かつて自分が暮らしていた家よりも豪奢な作り。
重厚な装飾の寝台、触れる寝具の肌触りも高級品だとわかる。一体ここがどこなのかという疑問はあったが、どうしても知らなければいけない事ではない。
「……魔物さんって、とっても便利な力をもっているのね……」
ほぅ、とラナがずれた関心している間に、リアンリルトはイーシュの元にいた。
突然現れたリアンリルトにイーシュは驚くが、何も言わない。
「部屋借りるから、誰も近づけるな」
「はい、仰せのままに……失礼ですが、リアンリルト様」
「何だ」
「あの……顔が、ものすごく緩んでおります……」
「……誰にも言うなよ」
「はい」
リアンリルトは自分でも気が付いていなかったのか、片手で顔を隠す。
ここまで、表情にでるとは思っていなかった。
そして言い放ち、ラナのもとへと戻る。あの子を早く自分のものにしてしまいたいのだと、気は急くばかりだ。
ラナはまた、瞬きの間に現れたリアンリルトに微笑む。
「おかえりなさい」
「ただいま」
おかえりなさいといいながら伸ばされた腕に、リアンリルトは身をゆだねる。
ラナの心地よい匂いを、ただ感じていた。
「……俺の本当の名前はリアンリルト。魔将の三番目」
「うん……」
「それでも好きか」
「好き、です」
今更、ここで拒否されてももう言質はとったと言いくるめられる。
どうにでもなると思って紡いだ言葉はあっさりと受け入れられリアンリルトは安堵する。
リアンリルトはとろけるような笑みをラナに向けゆっくり、唇を重ねた。
「ああ、ひとつあの男に感謝することがあるな」
「え……」
ラナの綺麗な姿が見れた、とリアンリルトは言って、瞳細め幸せそうに微笑んだ。
その間、街に出るにはリアンリルトとノキアの二人が一緒だった。
そして、四日目。
ラナは外へでても大丈夫だと理解し、一人で出かけて良いかとリアンリルトに尋ねた。
けれど答えは。
「ダメ」
「どうして? 大丈夫そうだし……」
「ダメだ」
リアンリルトはもちろん首を縦にふらない。
ラナはどうしてもダメ? とじっと見つめてくる。
「じゃあ……ノキアちゃんと一緒、男の格好を絶対する。それでも、ダメ?」
少し首をかしげて、不安そうに見上げる瞳。
その紺碧が揺れて、リアンリルトはぐっと息をのんだ。
リアンリルトは二人だけで出ることに不安を少し持っていた。
そもそも、今のところ約束は守られているが、それを信じきることができない。
けれど、だ。外に出たいというラナの気持ちもわかる。
それに一人で、と言っているのは自分に迷惑をこれ以上かけたくないという気持ちの表れであることも察していた。
渋い顔をしたまま、リアンリルトは考える。
彼女は自分のものでもない、縛るわけにもいかないのだから妥協しなければいけないのも、わかっていた。
「絶対、守る?」
「うん」
ノキアが一緒にいれば何かがあればすぐに知らせるだろう。何かしらの対処もできないわけでもない。
まぁ、大丈夫だろうと最終的に思ったのだ。
「……いいよ」
「ありがとう! リアンも、お仕事あるのにずっと私につきっきりじゃダメだものね」
「いや、別に問題ないけど……」
そうして嬉しそうな顔を見て笑ってしまった。
そこでもう、リアンリルトの負けだったのだ。
早速ラナは男の格好をして、ノキアを連れて外へ出てゆく支度をする。
きゃっきゃと楽しそうな様子をリアンリルトは眺め、見送った。
「ノキアちゃん、これでいいかなぁ」
「はい、おいしそうな果物です。あと、これも!」
「ん、なんだかいっぱいになって……リアンに怒られそう」
「大丈夫ですよ! ラナさんに甘いから……」
話すのが楽しくて、買い物が楽しくてどちらも気がついてはいなかった。
じっと観察するように向けられている視線があったことを。
いつもなら、少しでも周りに気を配っていれば気がつくほどの視線。
何も起こらない、その状態が続いていたからこそ気持が警戒することを忘れていた。
二人で買い物にでて、粗方必要なものを揃えて、そろそろ帰ろうかと道を歩いていた時だった。
目の前に、勢いよく馬車が止まり、馬の嘶く声が響く。
ラナの背筋に走る忌避感、恐怖。
ここにいてはダメだと思うが身体は動かない。
そして、目の前にある馬車の扉がゆっくりと開いてゆく。
ラナは、自分の心臓が跳ねあがるのを感じた。
忘れたくても忘れられない、自分に向けられる、あの視線の色。
「ラナ、いったいどこで何をしていたんだ? そんな恰好をしていても、逃げられないよ」
「っ……!! あ、あぁ」
「ラナさっ……!!」
体が動かない。
ミハイの舐めあげるような視線に、すべての動きが止まった。
ラナは、ああもうだめだと思う。
目の前にいるのは悪夢の塊だ。思考が停止して逃げる事ができない。
手早く後ろから捕まえられ口へと何か布を当てられた。声も出せぬまますぐさま馬車へと押し込まれてしまう。
人の姿をしていたノキアにはどうすることもできなかった。
その力は非力で男たちにはじかれ、馬車は走り去り追いかけても追いつけはしない。
自分では助けることはできないと理解して、リアンリルトのもとへと走った。
魔将の君ならば、助けられると思って。
「ま、魔将の、君っ……!」
息を切らせながら、ひとり、転がるように戻ってきたノキア。
それだけで、リアンリルトは理解した。
何があったのかを。一人で行かせたのは、やはり間違いだったのだ。
「つ、つれ……もしわ、け……」
息は整わない。しかしそれよりも、目の前の相手の怒気に押し潰されるような感覚しかない。
それは自分に直接的に向けられているものではないとわかっていても、こらえきれるものではなかった。
「くそ……人間のくせに……」
リアンリルトは、目の前にあったものを乱暴に蹴った。 蹴って、憤りを押し止めた。
一瞬で、乱れた気持ちを整える。 カッと膨れ上がった憤りはそのまま身の内でふつふつと存在したままに。
リアンリルトは一つ長い息を吐き、すぅっと、その瞳が、細く、閃いた。
「……ノキア、来い」
「は、はいっ」
ノキアの姿は、リアンリルトの一言で元の姿へと戻る。
形のあってない、影。 ノキアの身はゆるりと踊る。
その様を目にし、リアンリルトはひどく、好戦的に口端をあげて表情を歪めた。
「殺しに、行くよ。あの人間」
ざわりざわりと空気が揺れる。
冷たく突き刺すような雰囲気に、ノキアは畏れた。 畏れると同時に恐れもした。
これが魔将の君だと、震えた。 震えると共に従いたいと思う、安堵感がある。
「ミハイ・アラハルド、やってくれる」
はは、と薄く笑うリアンリルトの表情は、魔将のものだった。すべてを薄ら笑って気にとめはしない。
そんな、表情だ。
そして人間の姿を保ちつつも、魔将の力を使う。
思えば、簡単にミハイのもとへなどいける。 場所と制約など、魔族として、魔将としてあれば何の問題もないのだ。
しかし、人の世界にいる間は、人としてと決めた。己を律する為にだ。それを破るほどには、心は怒りに満ちている。
どこへ行くか、思うだけでその場へ飛べる。リアンリルトの視界は一瞬で、見慣れた部屋から外の風景。
そしてその足元には、ミハイの屋敷。
「そうだ、ノキアの一族を助けるんだったな……」
どこにいる、とリアンリルトは低い声で問う。
ノキアはそれに、地下だと短く答えた。
地下、とリアンリルトは少しだけ探る。するとすぐ、何かを押さえるには過分な力を感じ取った。
「ああ……そこそこ強力な術で抑えられている、か……それに……ミハイの持っているものを壊せばいいのか」
ただ、思って感じようとしただけでリアンリルトは理解する。
影の一族を解放するにはミハイのもっているものを壊せばいいだけだと。
そんなものは本人の目の前にいけばわかる。
「存分に蹂躙して、殺してやる」
リアンリルトは歪んだ笑みを浮かべる。昏い、人として持つものではない笑みだった。
「俺のものに手を出したんだ。それ相応以上で償え人間」
リアンリルトは、魔将のリアンリルトは、凄絶を纏い笑う。
いつもの、リアンリルトとしてではなく魔に身を置く者の立場で笑っていた。
魔に属しているものは、最高に最悪で、醜悪な、本気の遊びを始めるために動き始めた。
「目が覚めた時、どんな顔をするのか……楽しみだ」
ミハイは眠るラナの頬をなぞり、歪んだ表情を浮かべた。
今はもう、男の格好など取り払い、召使たちに言って身を綺麗にさせ着飾った彼女。
クーデター前、王宮で幾度となく見た姿だ。
白いシーツの上に、銀色の髪が流れる。 それも、変わらない。
どんなに落されても朽ちることない色をしていた。
「ああ、ラナ、とても綺麗だ……可愛がってあげるからね、早く目覚めるといい」
ゆるりと頬を撫でるミハイの指には、ラナの瞳と同じ色をした宝石のついた指輪がついていた。
早く瞳をあけて、この同じ色で自分をみればいいと思いながら笑む。
「ん……」
「おお、ラナ」
「リ……っ……!!」
うっすらと瞳に映った人影。 ラナは共にいりリアンリルトだと思ったのに、それは打ち砕かれる。
その人影はそれは、大好きな人のものではない。
ぼやける意識は嫌でも覚醒して、受け入れたくない事実がそこにあった。
声は詰まり、顔は青ざめ身体は自分の意識とは関係なく、がくがく小刻みに震えだす。
「おはよう、ラナ。私から隠れてしばらく、何をしていたのかな」
「やだっ……いっ」
「言ってごらん」
嫌だと拒絶で伸ばした腕は掴まれ頭上へまとめ上げられ、抑えこまれてしまった。
嫌だと首をふって、瞳からは涙が止まらない。
「……言いたくなるように、してあげるよ」
「やっ……」
顎を掴まれ、無理やりむかされた顔。真っ向から向けられた視線にラナは脅えた。
近づくミハイに嫌悪の涙は止まらない。
ありえないと、無理だとわかっていてもラナはリアンリルトに助けてほしいと、思った。
思ってしまったのだ。そしてそれは、言葉になってしまう。
「リアンッ……」
「リアン? 誰だ、それがラナを今までかくまっていたやつか?」
「あ、や……ちがっ……」
否定の言葉は肯定と同じだ。
ミハイはすぅっと瞳を細める。
「頭のいいラナはわかるだろうね。この私がやろうと思えばこの街にいるものなんて……」
「あ……あ、いや、だめ、やめ、て……」
言葉の続きはわかっている。
ミハイがリアンリルトを探せばすぐに、見つかる。
そして、何らかの理由を作ってリアンリルトをどうすることもできるのだと、ラナにはわかっていた。
「どう、すれば、いいのです、か……」
「素直でいいね」
ふっと、ラナの力が抜けた。
それは暗に言うことをきくといっているのと同じだ。
「素直でいい……御褒美は、お前をかくまっていたやつをボロボロにして目の前に引きずり出すというプレゼントでいいかな」
「っ!!!」
楽しげにミハイが紡いだ言葉。新しい遊びを見つけたような、そんな目の輝きだった。
ラナは自分の望まない方向に進んでいく事に言葉失う。
自分のせいでリアンリルトが傷つけられる事はどうあっても、受け入れがたい事なのだ。
それで怒って、自分から離れてくれるならまだしも、そうならず気にするなと、言われるような気がして苦しくなる。
そして会いたいと願った。
「今以上の暗闇に叩き落して、私に逆らえないようにしてあげよう」
君はお人形で十分なんだよと笑いかけられる。酷く、醜悪な笑みだ。
言葉がもう出ずラナはぎゅっと瞳を閉じて、リアンリルトを思った。
あの時、ノキアは逃げた。
向かうのはリアンリルトの所以外にない。
リアンリルトは自分がどうなっているか理解しているはずだ。
助けに来てくれるかもしれない。でも、生きてほしいから逃げてほしい。
複雑な、気持ちだった。
しかし心を一番占めている想いは、会いたいという気持ちだった。
「リア……ン」
瞳を閉じてしまうのは、逃げだとは思う。けれど瞳閉じて思い浮かべてしまった。
ちゃんと、顔を見て笑って名前を呼びたいと思っていたら、声がもれた。
届くはずのない、声が。
「ラナ、呼んだ?」
けれどもそれに、くすぐったい響きが返る。
ここに、いるはずはないのに。 幻聴かと、ラナは自嘲するように笑った。
「!? な、貴様、どうやってここへ!?」
けれどミハイの、慌てたような声を聞いて。
ラナはまさかと、そんなと思いながら瞳を開く。
するとミハイの後ろに、リアンリルトがいた。
けれど、リアンリルトであって、そうではないのだとラナは感じてしまった。
瞳に宿る光が、仄暗い。
何事かと、ミハイはラナの上から起き上がり、リアンリルトを睨んだ。
「お前がラナを俺から奪おうとした、ミハイか……は、いい度胸だ」
「け、警備のものはどうした!? 何故、ここに……!」
「警備? そんなもの、俺にはあって無きものだ。お前たちの基準で言われても、な。人間、ラナを返せば楽に殺してやる」
「リアッ……」
名を呼ぼうとして、ラナのその声は途切れた。
それは本能的に、だ。
本人だと、わかる。 けれども別人のような雰囲気。
ああこれなのだと、ラナは思った。
リアンリルトに感じていた、何らかの、違和感。
リアンリルトが隠していたものはこれなのだと、ラナは察した。
「ラナ、すぐ助けるから」
「リアン……」
でも、そんなもの吹き飛ばすように、安心させようと優しい声色が送られる。それはいつもとかわらない。
それだけでラナは安心した。感じていた何かなんてどうでもよくなった。
「くそがっ」
リアンリルトの姿にラナが安堵しているとミハイは近くに置いていた小銃をリアンリルトへと向ける。
そして、ラナがそれに気が付き邪魔をする間を与えることなくその引き金を引いた。引き金を引いた瞬間、勝ったというようにミハイは思った。
バァン、と発砲音とともにその弾はリアンリルトへと向かう。
けれどもリアンリルトはただ笑うだけだ。
にぃ、と口の端をあげてそんなもの意味はない、と。
その弾はリアンリルトの前でぐしゃりと潰され地に落ちる。
「え? ひっ!? な、なん……」
「俺に銃を向ける? いい度胸だな、俺を誰だと思っている。俺は、リアンリルトだぞ」
意味はわかるか、と笑うそれは凄絶。
悪意もない、善意もない。等しく、何もない色をもってリアンリルトはミハイを見ていた。
「リアン、リル……ト……ま、魔の……」
魔の君のリアンリルト、とミハイは呟いた。その言葉はラナにも聞こえていて、それを聞いて納得できた。
ああ、やっぱり、自分とは違う存在の人だったのだと。
でも、それがリアンリルトなのだと。
変わらない事実なのだと。
リアンリルトという名を知らないものは、いない。
魔王と、魔王に従う将のひとり。
魔王の腹心、序列は上から数えたほうが早い、魔将。
リアンがリアンリルトだった。
ラナにとっては、彼はリアンで魔の君ではないのだ。
ただそうであることが付随しただけ。それだけにすぎないと、逆に今までの違和感がなくなったようにラナに感じていた。
ゆっくりとリアンリルトは二人に近づく。
ミハイはガタガタと震え、ベッドからずり落ちる。
それをわざとらしくリアンリルトは笑い、ミハイと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ああ、これか……」
「ひっ……」
リアンリルトはミハイの指輪の一つに目を止める。
ラナの瞳と同じ色の宝石。それから明らかに、何かしらの力を感じた。
リアンリルトはミハイの手をつかみ、その指輪を外す。
「ラナと同じ色か。壊したくないが、しょうがない……」
壊れろ、と一言だった。それだけでその宝石が砕け散る。
それは影の一族を縛るものの要であるもの。
「地下の術はすでに壊した、影の一族はもうお前のものじゃない。もう用もないし……お前、死ねよ」
リアンリルトは言って、ミハイの首を掴んで立ちあがる。
何でもないことのように紡いだ言葉は、絶対であるように響く。
やすやすと持ちあがる体に、リアンリルトは笑った。苦しげにもがいて、抵抗しようとするがそれは戯れのようなものだ。
「うぐっ、がっ……」
「このまま締めるてやる。ああ、でも力あまって首折りそうだなぁ」
リアンリルトは楽しそうに言う。
呻くミハイの体からだんだんと力が抜けて、重みが増してくるようだった。
「だ、だめっ……!」
「っ!」
早く死ねばいいのに、と思っていたリアンリルトの体にどん、と衝撃がくる。
リアンリルトがそちらをみると、ラナが自分の体へと抱きついていた。
見下ろして、リアンリルトはできるだけやさしい声色を探して紡ぐ。
「ラナ、どうして? 酷いこと、こいつにされたんだろ?」
「それ、でもっ! で、も……リアンが、ひとを殺すのを、見るのなんて、いや」
「俺はリアンリルトだ。人間を今まで数え切れないほど殺している。今更一人増えても、かわらないよ」
「それでもっ……わ、私、は私のため、に、見たくないのっ」
ラナは本心から言った。 すがりつく手は小さく震えていた。
リアンリルトが人を殺すのを、自分が見たくないからやめてほしいと。
リアンリルトはその言葉に、笑む。正直だ、と。
そして乱暴にミハイを床へと落とした。
「わかった、ラナのために殺さない」
「リアン……ありがとう」
小さくほほ笑むラナに笑み返した表情を、リアンリルトはすぐに消してミハイを見下ろした。
「……人間、これ以上ラナに手をだしたら、わかっているな」
まだ意識がかすかに残っているであろうミハイにリアンリルトは言い放つ。
言葉に、力を乗せて圧した。その言葉の強制力は人の力で振り払えるものではない。
これでもうラナに関わることはないはずだとリアンリルトは静かに、ラナの頭を撫でる。
そして頭を撫でながら、さびしそうに言った。
「もう一緒にいられないね」
「え……」
「俺となんて、いたくないだろう? 俺は人じゃない。魔物だ、魔将だ、ラナとは、違うものだ」
「やだっ、リアンと、リアンといたい……!」
「ラナ……」
ラナが震えている、と彼女をみながらリアンリルトは思った。
思って、愛おしいと思った。
この子を守りたいと思った。
ラナのリアンリルトを掴む手に力が、こもる。
精一杯、力を込めるせいで白んだその指を見て、リアンリルトは嬉しくなった。
求めてくれているのだと。
「俺も一緒にいたい。けど、もう本当の俺をしったラナに俺は抑えがきかないよ。酷いこと、痛いこと、するよ」
「いい、それでも、いい」
「傷つけるよ、たくさん」
「リアンにされるなら、いい」
「……俺はラナの全部がほしいから、いやだって言ってももらうよ」
「わた、私の全部……リアンにあげる」
その言葉にラナを抱え上げ、言ってしまったねとリアンリルトは笑った。
それはもう、幸せそうに。
その言葉は、言質だ。 魔の君に対してそんなことを言ってしまうなんて馬鹿だと思いつつも愛しくてたまらない。
これでもう逃がさない、逃げられないのだと心の底から、嬉しさが湧き上がってくる。
この幸福は何だと、いうように。こんな喜びは、リアンリルトの中に今までまったく、無いものだった。
もうどんなにラナが自分を嫌いになって離れたいといっても、その言葉で縛り続けられる。
リアンリルトはラナを抱え上げてその額にキスを落とす。
「帰ろうか」
「……うんっ」
たまらなくなる、もう抑えられないとリアンリルトは思った。
無邪気に笑って、自分にすがる彼女に自分が抱く感情がどんなに暗く汚いものか、知られたくはなかった。
けれども、もう無理だ。知られていい。知られて、どんな顔をするのか見てみたくて、たまらなくもある。
さっき、ミハイに抑え込まれているときに思った。
誰かに渡したくはないと一層強く思った。
そして、あれが自分ならどんなにいいかとも思った。
「リアン」
「何?」
呼ばれる声が、とてもくすぐったい。ラナはリアンリルトの肩口に顔を埋めて、表情は見せてくれない。
そのことは少しばかり、不満だ。
「私、どんなリアンでも、好き……だから」
「ラナ」
「リアン」
「ラナ、愛してる」
さらりと、一言。
けれどもどんな言葉よりも重い意味をもって。
リアンリルトはラナに想いを告げる。告げるつもりなどなかったはずなのに。
好きじゃなくて、愛だと。もっと深いものを持ってしまったと。
「ラナ、ラナは、俺のものだよ。俺もラナのものだ。だから、ラナを頂戴」
「……はい」
ラナはリアンリルトの首に回した腕の力を強める。
リアンリルトの言っている意味が分からないほど子供ではない。
その意味を理解して答えた。
「ああ、もうダメだ。たまんねぇ……家になんて帰るなんてめんどくせぇ」
「リアン?」
距離なんて本当は関係ないのだけれども。
リアンリルトは思えばそこへすぐにでも行ける。
「あんな硬いベッドでお前を貰いたくない」
「ふぇっ、リリリ、リアンッ」
耳元でわざとらしく、吐息に熱を込めて言い放てば顔は真っ赤になる。
リアンリルトはその様子に笑って 、だから寝心地のいい場所にいく、と告げた。
向うのはディストだ。
正面から入らず、一番良い部屋へと勝手に向かう。
ラナにとっては何が起こったのか、と瞳を瞬く瞬間もなかった。
「一分一秒惜しいんだけど、ちょっと待ってて」
「う、うん」
リアンリルトは柔らかい寝台にぽすりとラナをおろすと額にひとつ、キスをして離れる。
その姿はラナの瞬きの間に消えていた。
くるりと見回せば、かつて自分が暮らしていた家よりも豪奢な作り。
重厚な装飾の寝台、触れる寝具の肌触りも高級品だとわかる。一体ここがどこなのかという疑問はあったが、どうしても知らなければいけない事ではない。
「……魔物さんって、とっても便利な力をもっているのね……」
ほぅ、とラナがずれた関心している間に、リアンリルトはイーシュの元にいた。
突然現れたリアンリルトにイーシュは驚くが、何も言わない。
「部屋借りるから、誰も近づけるな」
「はい、仰せのままに……失礼ですが、リアンリルト様」
「何だ」
「あの……顔が、ものすごく緩んでおります……」
「……誰にも言うなよ」
「はい」
リアンリルトは自分でも気が付いていなかったのか、片手で顔を隠す。
ここまで、表情にでるとは思っていなかった。
そして言い放ち、ラナのもとへと戻る。あの子を早く自分のものにしてしまいたいのだと、気は急くばかりだ。
ラナはまた、瞬きの間に現れたリアンリルトに微笑む。
「おかえりなさい」
「ただいま」
おかえりなさいといいながら伸ばされた腕に、リアンリルトは身をゆだねる。
ラナの心地よい匂いを、ただ感じていた。
「……俺の本当の名前はリアンリルト。魔将の三番目」
「うん……」
「それでも好きか」
「好き、です」
今更、ここで拒否されてももう言質はとったと言いくるめられる。
どうにでもなると思って紡いだ言葉はあっさりと受け入れられリアンリルトは安堵する。
リアンリルトはとろけるような笑みをラナに向けゆっくり、唇を重ねた。
「ああ、ひとつあの男に感謝することがあるな」
「え……」
ラナの綺麗な姿が見れた、とリアンリルトは言って、瞳細め幸せそうに微笑んだ。
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