紺碧のイグジスト

ナギ

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1.瓦解する世界の中で

待ち望んだ笑顔

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「おかえりなさ……あれ、その子は……」
「親戚の子。預かることになった」
「そうなの……はじめまして、ラナといいます」
 リアンリルトの気配に顔をのぞかせると、初めて見る顔。親戚の子と聞いてラナは瞬く。
 しゃがみこんで、ノキアと視線を合わせるラナ。
 ノキアは、直観でこの人はいい人だと理解し、笑みを浮かべた。
「ノ、ノキアです」
「ノキアちゃんね、よろしく」
「は、はい!」
 リアンリルトはそんな様子をみて笑う。
 ノキアに性があるとするなら女だ。そして過ごした年月はきっと少女という程度だろう。ラナに恋慕を抱くなんてことはなさそうだと思える。だからこそ余裕があった。
 抱いたとしても、せいぜい信愛だろう。
 それならば、許そうとリアンリルトは思う。
 そして、ノキアがいることで自分への抑止力にもなる。
 今にもラナのすべてを奪ってしまいたいと思う自分への抑止力――そちらの方が意味があった。
「ノキア、もう遅いから寝ろ」
「あ、はい!」
 あっちだ、とリアンリルトは示す。
 ノキアはそれにすぐに従って、ラナとリアンリルトは二人になる。
「ラナ」
 静かにラナを呼ぶ声には、知らずの内に熱がこもる。
 その熱に、ラナは浮かされた。
「おいで」
 おいでと言われたらその言葉の通りに。
 決して命じているわけではないのだ。誘っているだけ。
 けれどその言葉にあらがうという選択肢はない。望んで、ラナは一歩近づく。
 そして広げられた腕の中へとおさまり、きゅっと遠慮がちにリアンリルトの背に腕をまわしてしがみついた。
「ラナ」
「んっ……」
「ラナ」
「はっ、リア……」
 名前を呼びながら、リアンリルトはラナの唇を奪う。
 それは触れるだけなのに、何度も何度も繰り返され、ラナの吐息を熱くさせた。
「ラナ、俺のラナ」
「リアン」
「ラナ」
 もう一度、と唇を合わせると、ラナの少し開いた口へとリアンリルトの舌が入ってくる。
 驚いて身を引こうとしたラナだったが、抗うことはできなくてそのまま流れに身をゆだねることにした。
 ラナの舌を捕まえて、リアンリルトは自分のそれを絡める。戸惑いが見て取れるのに応えようと、必死だ。
 少し苦しそうに洩れる声を愛おしいと思いながらだ。
 最後にちゅ、と音をたてて二人の唇は離れる。
 ラナは恥ずかしそうに、顔を伏せつつ、リアンリルトの胸によりかかった。
「いや?」
「ううん……リアンなら、いい」
 内心、リアンリルトは拒まれるのではないかと思っていた。
 まだミハイから受けた傷はふさがっているはずもない。なんとなくだが、どんなことをされたのかは予想がついていた。
 嫌がられてもしょうがないと思ったけれども、受け入れてくれたラナを愛おしいと思う。
 愛おしくて、しょうがな。
 でも、これ以上はしない。しないと決めていた。
「ラナもお休み、さすがに三人じゃ無理だから、二人でベッド使いな」
「え、でも……」
「いいから、俺にカッコつけさせて」
「……うん、ありがとう」
 ラナは笑顔を浮かべて言う。
 リアンリルトは頭を撫で、そして額へとキスをひとつ。
 ラナが眠るまで、ベッドに腰掛けその姿をみていた。
 そんな様子を、ノキアはひっそりと伺う。眠りはあまり必要でないのだから。
「起きているんだろう、ノキア」
「は、はい」
 声をかけられたノキアはゆっくり起き上がった。
 リアンリルトの様子をこっそり伺えば、その表情は想像できないような、優しいものだった。
「この女を守れ」
「はい……あ、あの……」
 なんだ、と視線を向けられて一瞬言葉を止めた。
 けれども、ノキアはその続きを紡ぐ。まだ幼いからこそ、それはできた事だ。
 ある程度、育っている魔の者なら問うなどということは恐ろしくて、逆にできない。
「……魔将の君は、この方が……お好き、なのですか」
「ああ」
「やっぱり! やっぱり! 私がんばって守ります!」
「あ、ああ……」
  何故だか、きゃあきゃあとはしゃぐノキアを不思議に思いながらリアンリルトは頷く。
 恋には、恋ならば、それが他人のものであっても若い女ははしゃぐものだ。
 それがリアンリルトには理解できなかった。
 誰にも傷つけさせたくはない。
 傷つけるなら、自分だけがいい。
 そんなことを思いながらリアンリルトはラナの髪を静かに梳いた。
「ラナを苦しめるもの、苦しめたもの、俺はそれを許さない」
 小さく零した言葉。うっすらと口の端は上がっている。
 暗い、とても暗い感情だった。
 好きだからこそ、好きだからゆえに、抱いた感情。
 いとおしいいとおしい。
「人間が、俺のものに手をだすなんて、許さない」
 愛しい人は、自分のもの。
 本当は誰の目にも触れさせたくない。
 そんな欲を抑え込んで、大事にすると決めた。
 囲ってしまうのは簡単なことだ。
 すべて奪って、穿って、心のままに、好きにしてしまえばいいだけのことだから。
 でもそれではきっと、ラナは死んでしまう。
 それは肉体ではなく心の死。
 その心が死んでしまっては意味がないのだと――リアンリルトは知っていた。
 リアンリルトが仕事の約束をした次の日、黒服の男たちの姿はなかった。
 街の中からその気配は完全になくなっていることを、街を歩き回ってリアンリルトは確認した。
 本当は待たずとも、昨晩あったであろう話を聞くことなどたやすいことだったが、そうはしなかった。
 できるだけ、人間の世界にいる間は人と同じでいようと、最初に決めたルールのようなものをアホらしくも守っていたのだ。
「ラナを街に出してやれる、な……」
 よし、とリアンリルトは笑いながら一度家へと帰る。
 そして迎えたラナの手を引いて外に出ようとした。
「やっ、リアンっ……! わた、私、はっ」
「大丈夫、ラナを探してるやつらはいない」
「でも……でもっ」
「俺が守るから。心配なら……そうだなぁ……」
 リアンリルトは楽しそうな笑みを浮かべ、変装すればいいと言った。
「変装……?」
「ああ、男の格好。髪は帽子の中に隠せばいい」
 そして言いくるめられるように、ラナはいつのまにか男の格好をしていた。
 ズボンをはき、髪は帽子の中にすべて入れて、ゆったりした服をきて体のラインを隠してゆく。
「ほら、いくぞ」
「うん……ノキアちゃんも、行こう?」
「は、はいっ!」
 ラナにがそう言った瞬間、リアンリルトが微妙そうな視線をノキアに向けた。
 ノキアはその視線にどきりとびびる。
 だが断りきれないと思い、一緒に外へとでた。
 ラナが久しぶりに浴びる日の光は、最後に浴びたときよりも気持のいいものだった。
「ん……」
「外にでて、よかっただろ?」
「うん……うん、嬉しい……」
 片方の手はリアンリルトに引かれ、もう一方の手はノキアを引いてラナは街を歩く。
 知らない世界がそこにはあった。
 昔は馬車越しの世界だったのに、今は近い。それが新鮮だった。
「リアン、あれ、なぁに?」
「ああ……待ってろ」
「うん」
 リアンリルトはラナの視線の先にあるものを見て笑う。
 それは店先で売られている棒にパンを巻きつけ、固めに焼いたものに甘い蜜をかけた菓子だった。
 リアンリルトはそれを買って差し出した。
「ほら」
「わ……」
「うまいから、ノキアも」
「あ、ありがとうございますっ」
 戸惑う視線に押し付けるように渡す。
 ぱく、と少し恐る恐る一口。
 口にした瞬間、ラナの表情は綻んだ。
「うまい?」
「おいしい、ありがとう」
「そ、よかった。俺にも一口くれる?」
「え」
 一口くれる? というと同時にラナの手にある菓子をぱくりと食べるリアンリルト。
 ラナは、それに驚きつつ、そして恥じらう。
 今までこんなことはなく、はじめての体験だったからだ。
「何?」
「な、なんでも、ないですっ」
「……真っ赤だよ」
 下から見上げたノキアはぽそっと呟く。
 それに、ラナは一層顔を赤くしてゆく。
 三人はその日、街の中を歩いて遊びまわった。
 陽が落ちるまで、時間を忘れて。
 そして本当に一瞬だけ、ラナが本当に笑ったような気がする瞬間にリアンリルトは出会う。
 その表情が――瞼の裏に焼きつく。
 焼きついて、離れない。
 本当に鮮やかな、一瞬だけの出来事だった。
 その笑顔を自分だけに向けたいとリアンリルとは思った。
「大丈夫、だっただろ?」
「うん、大丈夫、だった……」
「もう少ししたら、一人で出歩いても大丈夫になる」
 ふと柔らかい笑みを浮かべたリアンリルト。
 その言葉の意味を理解する前に、唇が軽く触れる。
「リッ、リアン」
「今度は、ノキアなしで、二人でデート、しような」
「っ、うん」
 こっそりと、お互いだけに聞こえるように。
 甘い甘い、言葉を囁く。
 やさしくやわらかく、それは響く。
 これは毒になるとわかっていても、紡がずにはいられなかった。
「俺、ラナのためなら、なんでもできそうだ」
 その言葉には少しだけ嘘を含んで。
 なんでも、なんて自分にはないことを理解しているのに、熱に浮かれた言葉を紡ぐ。
 いつかくる絶対の影を感じながら、リアンリルトは今感じる愛しさに幸せを感じていた。
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