いとしのわが君

ナギ

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意識

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 ブランシュは困っていた。
 最近、ムゥが人の形をとるようになったからだ。
 それを見た蒼公は羨ましげにしていたので、まだできないのだろう。
 あの学園祭での王子たちが襲われる事件ーーそもそも、その前にバティストの仕掛けたことに関わらなければなかったのだが。
 あの事件に巻き込まれてから、ブランシュはムゥがまともに見れないのだ。
 心の内にある気持ちが何かよくわからなくて、それを誤魔化すように一心不乱にちくちくと刺繍を行っている。
 それはもう、わき目もふらず手元しか見ずに。
 ムゥはその様子を幻獣の姿で眺めていたのだが、ブランシュが動いた時に糸がひとまき落ちた。
 どうやらそれには気づいていない様子。
 少し離れた場所でみていたムゥは立ち上がり、人の身に変じてそれを拾い上げた。
「落ちたぞ、ブランシュ」
「ありが……と……」
 拾い上げ、膝をついたまま渡す格好になる。
 下から笑みととみにどうした、と視線を投げかけられるブランシュはその意味をわかっていない。
 かーっと顔が熱くなるような、今までそれを忘れていたのに突然、視界の中に飛び込んできた。
 一気に色々な気持ちが、膨れあがるのだ。
 一言で言うなら、心臓に悪い。
「……ち、近いわ。離れて」
 その言葉にショックを受けるも、言い縋るものどうかと思いムゥは引き下がる。
 何故だと問い詰めてもきっと困ってしまって良い結果にならないことがわかっているのだ。
 けれど、やはり気持ちとしてはそっけなくされ、冷たくされ。
 ムゥとしては何か嫌われるようなことをしただろうか!? と荒れ狂う嵐の様なのだ。
 幻獣の姿をとり、とぼとぼとブランシュが用意した寝床に戻る。
 ブランシュはその姿をそっと盗み見た。
 あの、かわいらしい幻獣が。
 あの、男になる。
 私は幻獣のムゥを撫でまくったのだ。それはもう思い切りもふもふを楽しんだのだ。
 そんな相手が、あの男になる。
 自分だけ映す瞳で笑いかけて嬉しそうにする。
 もう、たまらなくしんどい。心臓は早鐘を打ち保たないのだ。しんどくて、たまらない。
 何故自分でもこんな風に対してしまうのかブランシュ自身もわからないのだ。
 自然とそういう態度になってしまう、といったほうが正しいのかもしれない。
 なんだか一緒にいるのもと思い、ブランシュは手を止めて立ち上がった。
 ムゥはどうしたのか、と一緒に行こうとするがブランシュはそれを制した。
「ちょっと、散歩してくるだけだから」
「しかし、何かあっては」
「大丈夫」
 そう言って、そっけなくブランシュは扉を閉めた。
 それから寮を出て、ふらふらと歩く。
 考えてしまうのはどうしても、ムゥのことになっていた。
 と、ぽつりと。
 鼻先に一粒。それを始まりとして雨がざぁざぁと振り始めた。
 通り雨だろうが雨脚は早い。ブランシュは慌てて、近くに見えたあのレンガの建物、その入り口の屋根の下に避難した。
「びしょ濡れだわ……」
 ぼやきながら水滴を払っていると人の気配。
 ブランシュが視線を向けると、傘を持った男が一人。
 着ているものは制服だから、学園の生徒だろう。
「おや、参ったな……」
 顔は見せないつもりだったんだがと苦笑まじり。
 ブランシュはその声に瞬いた。
「窓際さん? あなたが、そうだったの」
「ああ。誰か知らない方が良かっただろう?」
「そうね」
 知らない方が良かったわとブランシュは頷く。
 目の前にいる生徒は、休戦はしているがいつ戦線が再び開いてもおかしくない。
 そんな国からの留学生だ。
 その身分は伏せられているが、高位のものであることは明らかだ。
「面割れしてしまったしな。入ると良い」
 またタオルを貸そうと窓際さんーーカイルは笑った。
「中はこうなっていたのね」
 立ち並ぶ書棚。さまざまな本が置かれているのは背表紙を見ただけでもわかる。
 ブランシュはそれらに少し、興味を惹かれていた。
 タオルを渡され、座るように促される。
 いつもの窓際ではなく、座り心地のよさそうなソファにだ。
 しばらく髪を拭いていると差し出されたのはマグカップ。
「コーヒーしかここにはないんだ」
「ありがとう」
 熱い、と少しずつ飲んでいると、ふと息吐くような笑い声が聞こえた。
「なに?」
「いや、かわいらしいなと思って」
「お世辞はいらないわ」
 つれないなとカイルは笑った。
「なぁ、あの王子たちとはどういう関係なんだ?」
「……知り合い? 友人、ではないわね。あ、でもバティストさまは、茶飲友達かしら」
「まったく意識してないんだな」
「意識?」
「ああ、男として」
 そう言われて、瞬くブランシュ。
「考えたこと、なかったわ」
「ときめいたりもないのか?」
「ない、わね」
「では、俺はどうだ?」
 突然どうしたのとブランシュは笑った。
 本気ではなくからかっているのでしょうと。
 カイルはその反応に脈なしかと苦笑する。
「誰にも靡かなさそうだな……ああ、そういえば」
 幻獣が人の形をとると聞いた。
 もし、幻獣に好きだと言われ、詰め寄られたらどうする、と。
「ブランシュは、あの赤い幻獣に何も思わないのか?」
「え?」
 この人は何を言っているのだろう。ブランシュの体はぴたりと硬直している?
 カイルは突然、様子の変わったブランシュを見て瞬いた、
 そしてへぇ、と意地悪く笑ったのだ。
「ム、ムゥがそんな、詰め寄るとか、な、ないし……そ、そんなのないし……」
 しどろもどろ。
 いつものブランシュとは様子が明らかに違うのだ。
「お前……好きなのか?」
「っ!」
「……好きなんだな」
「そ、そんなことないわ。好きだけどそれはかわいいしその」
 もういいとカイルは笑う。
 もっといじってもいいが、ブランシュがいじけてしまうかもしれない。
 カイルとしては面白いのだが、ブランシュはうーと唸っていた。
「そんな風にたじたじしているのは初めて見たな」
 多少の嫌がらせは気にしていなかったのに今は違うなと。
「べ、別になんとも思ってないし!」
「顔、真っ赤だが?」
「っ! ま、真っ赤じゃないし!」
 はいはいとカイルは苦笑して、そんな態度ではなんでもないなんて言えないだろうと紡ぐ。
「恋だなんて、青春だな」
「こ、恋?」
「ん? 恋だろ」
「こ、恋……」
 恋、とブランシュは何度もつぶやく。
 そうするうちにすとんと、その言葉が突然自分のうちに響いた。
 恋している。
 ブランシュはそのことに、心のうちに溢れるものがある。
 そしてその相手がムゥであることに少しの戸惑いと幸せを感じていた。
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