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 それから二週間後の日曜日。
 俺は塾で行われた模試を受けに行っていた。無事に全ての科目が終わり、バス停に向かう。
 んー、まあまあできた方かな。きっと成績は悪くない、と思う。理系科目はちょっと心配だ。特に数学は自信ない問題が何問かあった。合ってればいいなぁ…答え。帰ったらちょっと確認してみよう。

 バス停の近くまで来たとき、ちょうど僕が乗る方面のバスが滑り込んできた。…だけど、人が多いな…。バスの扉が開くやいなや我先にと大勢の人がぎゅうぎゅう乗り込んでいる。
 …うーん…。あれに乗るべきか悩む。でもなぁ…どうせもう一本すぐに来るしな。…よし。いいや。次のにしよう。

 俺はそのバスを見送ってバス停の前の方に立った。これで次のバスにはすぐ乗れるだろう。この繁華街で一番大きな通りに面したこのバス停からは、向こう側の反対方面のバス停が見える。通りを挟んでほぼ真正面にあるのだ。
 俺はぼんやりと何気なくそちらの方を見ていた。すると、

「……。……っ!」

 ……あ!あれ、……樹だ!
 うそ!樹がいる!えぇ、すごい偶然だ!

 人でごった返す通りを、樹が歩いているのが見える。バス停に向かっているんだろう。すごい、さすが俺。こんなにたくさん人がいるのに樹を見つけた。子どもの頃からずっと見続けていただけのことはある。思いがけず姿を見られて、俺は嬉しくて胸が高鳴った。

「…………い、」

 思わず声が出そうになったけど、こっち側から声が届くはずもない。えぇ、どうしよう、気付かないかなぁ。樹ー。いつきー!
 どうしよう、電話かけてみようかな。スマホ…、カバンの中に……

 樹を見つめたままカバンの中を漁ろうとして、ふと気が付いた。…こちら側からはよく見えないけど…、樹の隣に、誰かがいる。樹の向こう側を並んで歩いている。…女の子?
 樹がバス停に着いた。もうほとんど俺の真正面にいる。片側4車線の道路が両方面に走っていて、距離は結構離れているけど。
 樹の隣を歩いていた人の姿が見えた。

「…………っ、」

 それはすごく可愛らしい女の子だった。バス停に着くと樹の真正面に立って、くるりと後ろを振り向くと、……樹にぎゅっと抱きついた。ポケットに手を突っ込んだままの樹が、その子を見下ろして何か喋っている。女の子は甘えた様子で樹を見上げている。

 次の瞬間。

「─────っ!!」

 自分の心臓の音が、ドクンッ、と全身を震わせる。俺は目の前が暗くなるほどの衝撃を受け、息をするのも忘れてその光景を見つめた。

 樹はさり気なく身をかがめると、その女の子にキスをした。

「……………………っ」

 そのしぐさはとても手慣れた様子で、俺は心臓をわしづかみにされたような衝撃を受けた。そんな。嘘だ。どうして……。
 あまりのショックに目の前がグラリと揺れた。今見たものが信じられなくて、信じたくなくて、脳が全てを拒否しているようだった。周囲の騒音が何も聞こえなくなる。俺は樹から目をそらすことができずに、身動きもせずただ見つめていた。

 身を起こして女の子から離れると、樹は何の感動もないようなつまらなさそうな顔で、何気なくこちらに視線をやった。大通り越しに、樹から目をそらせずに固まっていた俺と視線がぶつかった。

 目が合った瞬間、樹の顔が明らかに強張った。今までに一度も見たことがない表情だった。見られてはいけない悪事が見つかってしまったとでも言いたげなその顔は、俺をさらに失意のどん底に突き落とした。

 ……嘘をついていたんだ。

 樹の引きつった表情が、俺の心を引きちぎる。悲しくてたまらなくて、唇がブルブルと震えはじめた。こらえきれずに涙が溢れそうになったその時、突然樹の姿がふっと消えた。
 俺の目の前にバスが停まっていた。俺の視界を遮ってくれている。ここに逃げ込めと言わんばかりに扉が開く。俺は行き先も確認せずにフラフラとそのバスの中に入った。どこでもいい。とにかく今すぐここから離れたかった。もう何も見たくない。何も知りたくない。俺をここから今すぐ離れさせて。
 バスに乗り込んで一番後ろの端っこのシートに座り、下を向く。蹲ってカバンで顔を隠し、俺は涙を流した。樹が女の子にあんな風に触れていたことが、そして何より嘘をつかれたことが、悲しくてたまらなかった。



「もー、信じられないこの子ったら。バスの行き先ぐらいちゃんと見なさいよ」
「………………ごめん、なさい」
「……もういいから。心配したわ、あまりにも帰りが遅いんだもの。…珍しいわね、颯太がこんなミスするなんて」
「………………。」
「……。…疲れてるの?」
「………………ん…」
「…今夜はゆっくり休みなさい。あまり根を詰めなくてもいいから。ね?」
「………………。うん」

 迎えに来てくれた母が運転する車の後部座席に座り、真っ赤な目を隠すように目を閉じる。きっと様子がおかしいのはバレているだろうが、バスに乗り間違って知らない街に着き不安だったのだろうと解釈してくれた。……はずだ。そうだといいんだけど。

 目を瞑ったまま、先日の樹との会話を思い出す。


『……本当にいないの?樹』
『いねーってば』
『…そっかぁ』


「…………っ」
 
 あんなに自然に、俺に嘘をつくんだ。少しも疑わなかった。安心したのに。信じたのに。
 別に俺は樹の恋人でも何でもない。ただの幼なじみだ。責める資格なんてないのかもしれない。ただ言いたくなかっただけなのだろう。あるいは、…俺の気持ちがただの友情ではないと、気付かれていたのか。俺を刺激しないために、うわべだけの当たり障りのない返事をしたのかもしれない。
 …そんなこと、ないかもしれないけど。樹はそんなに器用じゃない。俺の気持ちに気付いていながら、気付かないふりで友達を続けられるはずがない。
 …そう思っていたけど、でも、そうじゃないのかも。案外樹は俺に簡単に嘘をつけるのかもしれない。俺が知らなかっただけで、今までも言いたくないことは適当に嘘をついてごまかしていたのかも……。

 だって、こんなに完全に騙された。あの子に自然にキスをしていた樹は、俺の知らない樹だった。
 樹は、あの子のことが好きなんだ。

「………………っ」

 母に気付かれないようにまた涙を零す。心の中が醜い泥に塗れたようにどす黒くてぐちゃぐちゃだった。


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