百戦錬磨は好きすぎて押せない

紗々

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「ご、ごめんね響さん。…大輝さんに、勝手に電話番号教えちゃって…。かかってきました?」
「いや、それどころか仕事から帰ったらマンションの前で待ち伏せされててドン引きしたわ。てめ勝手にマンションまで教えやがって」
「え……ええっ?!本当ですか?すっ、すみません!」
「まぁいいよ別に。普通に挨拶してどっか行ったし。変なヤツじゃねぇって分かってるから、お前も教えたんだろ?」
「は、はい。後味が悪いまま旅立ちたくないから、最後にちゃんと謝っておきたいって…」
「おぉ。普通に喋って帰ったぜ」
「よ、よかった……」

 大輝と会った数日後の平日の夜。俺と美晴は恒例の仕事帰りの食事に来ていた。今夜は中華だ。美晴に料理を取り分けて渡してやりながら、俺はさり気なく聞く。

「…もう大丈夫なのか?…お前の気持ち的には」
「えっ。…あ、ありがとうございます…」
「ん、どんどん食え。…寂しくねぇか?あいつがまたどっか行っちまって」
「…いえ、…なんか、はい。別に大丈夫です」
「そうか。ならまぁよかったわ」

 ……そうか。大丈夫なのか。その言葉が嘘ではなさそうで、俺は内心ホッとする。もうさほど未練みたいな感情は残っていないのかもしれない。

「たくさん迷惑かけちゃって本当にごめんなさい。…響さんに感謝してます。ホントに…」

 美晴はまた改めてそんなことを言う。思い出したら恥ずかしいのか、なんだか妙に頬を赤らめてモジモジしながら手元の料理を見つめている。

「いいっつってるだろそんなこと。そうだ、今度本当に行くか?夢の国。お前に似合いそうなキャラクターの着ぐるみ買ってやるよ。着たらますます元気出るだろ」
「…僕のこと何歳だと思ってます?着ぐるみ着て元気なんて出ませんよ」
「ははっ。いやだって、さっきからお前やたらフーフーフーフー子どもみてぇに冷ましやがって……ふふ」
「あ、……熱いんだもん……」

 餡かけが熱くて食べられないのか、さっきから唇を尖らせて料理にフーフーやってて可愛くてたまらん。あークソ。いちいち可愛すぎる。なんだよ「熱いんだもん」って。やめろその上目遣い。可愛すぎて理性が飛ぶわ。あー俺が一口ずつ食べさせてやりたい。




「ご馳走さまでした、響さん。いつもいつも…」
「おー。いっぱい食って大きくなれよ」
「またそういうこと言う」

 クスクス笑う美晴を車の助手席に座らせ、俺も運転席に乗り込む。駐車場まで歩くだけで寒い。

「おい、寒いからこれかけとけ」

 後部座席から取り出したブランケットを美晴の体にかける。

「あっ……ありがとう、ございます…」

(……?)

 なんか妙に照れてやがるな今日。何でだ?
 そんなことを思いながら俺はドアポケットに入れておいた駐車券を漁る。…………あれ?

「なぁ、駐車券ってお前に渡したっけ?俺」
「えっ?……え、たぶんもらってない…ですよ」
「あれ?そうか?」

 運転席側のドアポケットにはない。たぶん。

「そっちじゃねーのか?俺なんか渡した気がする」

 俺は美晴の返事を聞かずに助手席側に身を乗り出してドアポケットを見る。あ。

「ほれ見ろ、あるじゃねーか」
「えっ、そうでしたっけ?すみません。……あっ」
「あ!やべ」

 俺が手を伸ばして取ろうとした駐車場が、指先に当たってドアとシートの間に滑り落ちそうになる。咄嗟に大きく身を乗り出して掴もうとするが、結局隙間に落ちてしまった。

「あー、やっちまった。……よっ、と」
「……っ!」

 美晴の上に覆い被さるような体勢になっていた俺は運転席側に戻ろうとして、

「……。…………っ、」

 なぜか美晴の顔を見てしまった。

 ────ドクッ

(ちっ…………近っ……!)

 至近距離に美晴の綺麗な顔がある。しまった、近づきすぎた……

「…………っ、」
「………………っ」

 …………ドクッ、ドクッ、ドクッ……

 すぐに離れるべきなのに、俺はその美晴の表情に釘付けになったまま動けない。暗がりの中でも分かるほどに、美晴の頬は赤く色づき、潤んだその瞳は俺だけをじっと見つめていた。俺を誘うかのように薄く開いた唇はあまりにも扇情的で…………

「…………。」
「………………。」

 心臓の音が、美晴に聞こえてしまっているかもしれない。そう思えるほどに俺の心臓は激しく早鐘を打ち続けていた。美晴は何も言わない。ただじっと俺を見つめるその濡れた瞳は時折ゆらゆらと切なく揺らめき、俺の理性を剥ぎ取っていく。

 無言のまま、至近距離で見つめあう俺たち。

(…………あれ?…え、ちょっと待て。……もしかして、これ……)

 たとえ俺が百戦錬磨じゃなかったとしてもはっきりと分かるくらいに、これ、…………今これ、いっていい感じじゃね?美晴からめちゃめちゃOKのサインが出てる気が……

「…………っ、」

 ……ギシ…

 確証を得たくて、ほんのわずかに、ほんの少しだけ、美晴に体を寄せてみる。ほんのごくわずか、たぶん数ミリ程度。

「……っ」

 美晴の目が一瞬少しだけ大きく開いたかと思うと、今度は切なげに少しだけ閉じ気味になった。
 だけど、ちゃんと俺のことを見ている。
 互いに一瞬たりとも視線を外さない。

(……絶対に大丈夫だ)

 美晴の熱い吐息が誘うように俺の唇にかかり、体中が滾るように熱くなった。

(み…………みはる……っ)

 もう我慢できない。美晴が欲しい。
 その扇情的で形の良い唇に自分の唇を重ねようとした、その時。


 ピカッ


「────っ!!」

 駐車場に入ってきた車のライトが一瞬顔に当たった。

(し、しまった……!!)

 ハッと我に返った俺は慌てて両腕に力を込めて美晴から精一杯距離をとる。

「ごっ!ごめんっ!!」
「……っ!」

 美晴はビクッと肩を上げて俺を見た。滾っていた全身から一気にザァーッと血の気が引く。

「わ、悪ぃマジで!!えぇっと……、ち、駐車券!どっ、……どこだっけ……!あ、そ、そうか」

 俺は顔を背けて運転席のドアを開けると外に出て助手席側に回った。そして外から助手席のドアを開けると、隙間に落ちていた駐車券を拾い上げる。

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……

(ヤバい。ヤバい。またやってしまった……!!)

 運転席に戻りながら俺は冷や汗が止まらない。何をやってるんだ俺は!!何を!!馬鹿なのか!!美晴からサインなんか出るわけねーだろ!今度何かしようとしたらブロックするとまで言われてるんだぞ!
 い、いや、でも……、変な空気作っちまったとはいえ……、こ、今回は未遂だ……。まだ、許されるのでは…………。いやダメか?俺たぶん露骨にムラムラした顔してたはずだ。ヤバい。どうする。言い訳するべきか?それとも……一旦様子を見る……?

 駐車券を拾って運転席に戻るまでの数秒間、俺は狂ったように頭を回転させた。何がベストだ?分からねぇ。あぁ、馬鹿だマジで。俺のこれまでの経験が美晴に対してだけは何一つ活かされてねぇ!!
 どうすべきか決まらぬままに運転席に戻ってしまった。チラリと、おそるおそる美晴の様子を窺う。

「………………っ」

 ブランケットを首まで覆って真っ赤な顔をして俯いている。耳まで真っ赤だ。

(うぉぉぉダメだ。ヤバい。可愛すぎて見てるだけでものすごくムラムラする…)

 俺は慌てて前を向くとあのデカ男のようにできる限り爽やかに言った。

「よしっ。駐車券も拾ったことだし、そろそろ帰るか!」
「……………………。」

 …………な…………何も言ってくれねぇぇぇ……!
 え?何これ?怒ってる?……も、……もしかして、今度こそ本当に、……俺、嫌われた…………?もう死ぬしかないの?俺。

 どう声をかけていいのか分からず、帰りの車内は静まり返っていた。美晴は相変わらず赤い顔をしたまま全身ブランケットにくるまって俯いている。…………え、も、…もしかして、あのブランケットは、…………俺から身を守っている…………?嘘だろ…………?そうかもしれないと思った瞬間から、俺はショックのあまり呆然となった。

(……まさか、本当にもう、…………ダメなの、か…………?)


「……つ、……ゴホッ…つ、着いたぞ、美晴」

 アパートの前に着いてようやく口を開いた。緊張のあまり声が変に掠れた。

「……ぁ、…………ありがとうございました……」

 蚊の鳴くような声でそう言うと、美晴は俺に部屋の前まで送らせたくないと言わんばかりにドアを開けた瞬間飛び出していった。

「……………………。」

 愕然として後ろ姿を見守る。美晴は一度も振り返ることなく慌てて鍵を開けると、そのまま部屋に入ってしまった。
 



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