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…ガチャ
冬真は今度は静かに、控えめにドアを開ける。…鍵はかかっていなかった。
奥の畳の部屋で泣いている悠里と目が合う。その瞬間、またもや傷付けてしまったことに対する後悔の念が冬真を襲う。しかし悠里はプイッとそっぽを向いてしまった。
(…………この野郎……)
腹は立ったが、冬真は少し成長していた。
「……悪かった、悠里」
部屋に上がって目の前に座り、素直に謝る。悠里はその言葉に少しだけピクンと、肩を震わせる。
「…俺が言いたかったのは、つまり、…なんだ、…こうやってまた、別々に暮らすことになるわけだろ、今日から」
「……。」
「……今までは俺が仕事の合間の時間を縫ってお前を呼び出してたから、会う時間があったわけだ。…でもな、お前がよそでバイトなんか始めちまったら、もうなかなか都合つけようがねぇだろうが。俺が会いた……呼べる時が、あっても、お前がその時よそで働いてたんじゃ、全然時間合わねぇだろ」
「……。」
冬真はそっと悠里の頬に触れる。
「……俺の言いたいこと、分かるか」
「……うん」
悠里が素直に頷いたので、冬真はホッとする。よし。だが問題はここからだ。冬真は一歩も引く気はなかった。どうにか悠里を説得して、今までの関係を続けたかった。
「……だから、な。……別にいいじゃねぇか。そんな援助交際みたいなだのどうのこうの、卑屈なこと言うなよ。金持ってる男ができたんだから、多少は甘えてりゃいいんだよ。お前まだ学生なんだし。な?」
「嫌だ」
「……………………っ!!」
こ、こいつ、マジで……!!冬真は思わずギリッと歯を食いしばる。落ち着け。キレたら負けだ。
「…………んなムキになるなよ。…社会人になってからたっぷり働きゃいいだろうが」
「ムキになってない」
なってるだろうが!ふざけやがって!冬真は拳をぐっと握り、耐える。
「……母さんに、……顔向けできない。母さんは……、母さんだって……、どんなに生活が苦しくても、……し、社長から、お金なんて、いちえんも、も、貰わなかった、んだ……。……っく……」
悠里が顔を背けたまま、ポロポロと涙を零し始めた。
「……っ、」
母親を持ち出されたら、冬真も反論しづらくなる。だがこのままでは、今後悠里と今までように会うことは間違いなく難しくなる。どうするべきか……。
…………あ。
「そうだ。お前、うちで働けよ」
「……。……え?」
冬真は突如思いついた自分の名案に歓喜した。そうだ。屋敷で何か仕事らしきものをさせればいい。そして給与というかたちで金を与えよう。
「…俺の部屋の…、……掃除をしろ、お前。俺にコーヒー入れたり。それで俺がお前に給料を払う。それなら文句ないだろ」
「ないわけないじゃん!そんなの、神谷さんが全部してるでしょう。俺が横から仕事取ることになるじゃん」
「あいつは忙しいんだよ!」
「でも毎日してるじゃん」
「だから!そろそろそういう仕事を手伝う人間を探そうとしてたところなんだよちょうど!しつけぇなてめえ!いい加減黙って言うこと聞けよ」
「なっ……!!……あんた何なの?!本当に!いい加減にしてほしいのはこっちの方なんだけど!!」
ダメだ。このままじゃまた喧嘩して飛び出してのループだ。冬真はもう悠里の声に耳を貸さず、神谷に電話した。
『神谷でございます』
「上がって来い」
15秒後に、ドアがノックされた。冬真は神谷を招き入れ、
「あの件を話せ、神谷。……あれだ、うちで仕事する人間を、探してただろうが。…使用人を」
「その件でございますね。ええ、確かに、先日ちょうど清掃を担当しておりました者が一人退職いたしましたので、その穴を埋める人手を探さなければと思案しておりました」
冬真と悠里から少し離れたところで背筋をピンと伸ばし正座をしていた神谷は淀みなくそう答えた。実際には特に使用人を新たに募集するつもりはなかった。例の、冬真が女を引き入れて事に及んでいた現場。それを悠里が目撃するという修羅場の根本的原因を作るという粗相をしてしまった清掃担当の女は確かにクビにしていたが、わざわざ代わりを探さなくても事足りていた。
しかし神谷は頭の回転がすこぶる速かった。現在の二人の状況と、主人が神谷に求めている返答を瞬時に読み取った。
冬真はほれ見たことかと言わんばかりの顔で悠里に言う。
「な?…そういうことだ。うちで働け」
「……。ほ、本当なんですか?神谷さん」
「はい。悠里さんさえよろしければ、屋敷の清掃の仕事を引き受けていただけるのでしたら、こちらとしても非常に助かります」
「…………。」
翌週から、悠里は大学の講義が終わると使用人としての仕事をするために冬真の屋敷に通うことになった。日々の就業開始時刻は大学の講義の終わる時間次第。就業終了時刻はだいたい夜の19時から21時の間。これも悠里の都合によって日々好きにして良いとのこと。仕事内容は主に屋敷内の清掃を、その日にできる範囲で。土日祝日は休みだ。こんな悠里にとってかなり都合の良い条件で、破格と言っても過言ではない給料が毎月与えられることになった。
あまりにも都合が良すぎて、悠里はすぐに気付いた。やはり使用人を探そうとしていたというのは詭弁であったのだろうと。それなのにこんなにも良い給料を提示してもらって…、と、悠里は気が引けたが、ここはもう冬真と神谷の気遣いに感謝し、せめてしっかり働こうと腹をくくり、日々懸命にあらゆるところを掃除した。
冬真は屋敷にいる日もあれば、不在で会わない日もあった。
屋敷にいる日は早々に勤務終了を命じられ、冬真の部屋に呼び寄せられた。一緒に食事をし、ベッドに入り、体を重ね、恋人としての限られた時間をともに過ごした。
冬真が屋敷にいない日は、本当は寂しくて、少しがっかりしてしまう。だがそんな日は時間いっぱい黙々と働いた。普段甘やかされているのだから、せめて冬真が不在の日ぐらいは精一杯対価に見合う仕事をしようと思った。
最後まで真面目に大学に通い講義を受け、冬真や神谷に見守られ、時に甘やかされながらも懸命に働いた。時折冬真と衝突しては泣き、また仲直りしては絆を深め、卒業までの約一年間、悠里はそうやって日々を過ごした。
冬真は今度は静かに、控えめにドアを開ける。…鍵はかかっていなかった。
奥の畳の部屋で泣いている悠里と目が合う。その瞬間、またもや傷付けてしまったことに対する後悔の念が冬真を襲う。しかし悠里はプイッとそっぽを向いてしまった。
(…………この野郎……)
腹は立ったが、冬真は少し成長していた。
「……悪かった、悠里」
部屋に上がって目の前に座り、素直に謝る。悠里はその言葉に少しだけピクンと、肩を震わせる。
「…俺が言いたかったのは、つまり、…なんだ、…こうやってまた、別々に暮らすことになるわけだろ、今日から」
「……。」
「……今までは俺が仕事の合間の時間を縫ってお前を呼び出してたから、会う時間があったわけだ。…でもな、お前がよそでバイトなんか始めちまったら、もうなかなか都合つけようがねぇだろうが。俺が会いた……呼べる時が、あっても、お前がその時よそで働いてたんじゃ、全然時間合わねぇだろ」
「……。」
冬真はそっと悠里の頬に触れる。
「……俺の言いたいこと、分かるか」
「……うん」
悠里が素直に頷いたので、冬真はホッとする。よし。だが問題はここからだ。冬真は一歩も引く気はなかった。どうにか悠里を説得して、今までの関係を続けたかった。
「……だから、な。……別にいいじゃねぇか。そんな援助交際みたいなだのどうのこうの、卑屈なこと言うなよ。金持ってる男ができたんだから、多少は甘えてりゃいいんだよ。お前まだ学生なんだし。な?」
「嫌だ」
「……………………っ!!」
こ、こいつ、マジで……!!冬真は思わずギリッと歯を食いしばる。落ち着け。キレたら負けだ。
「…………んなムキになるなよ。…社会人になってからたっぷり働きゃいいだろうが」
「ムキになってない」
なってるだろうが!ふざけやがって!冬真は拳をぐっと握り、耐える。
「……母さんに、……顔向けできない。母さんは……、母さんだって……、どんなに生活が苦しくても、……し、社長から、お金なんて、いちえんも、も、貰わなかった、んだ……。……っく……」
悠里が顔を背けたまま、ポロポロと涙を零し始めた。
「……っ、」
母親を持ち出されたら、冬真も反論しづらくなる。だがこのままでは、今後悠里と今までように会うことは間違いなく難しくなる。どうするべきか……。
…………あ。
「そうだ。お前、うちで働けよ」
「……。……え?」
冬真は突如思いついた自分の名案に歓喜した。そうだ。屋敷で何か仕事らしきものをさせればいい。そして給与というかたちで金を与えよう。
「…俺の部屋の…、……掃除をしろ、お前。俺にコーヒー入れたり。それで俺がお前に給料を払う。それなら文句ないだろ」
「ないわけないじゃん!そんなの、神谷さんが全部してるでしょう。俺が横から仕事取ることになるじゃん」
「あいつは忙しいんだよ!」
「でも毎日してるじゃん」
「だから!そろそろそういう仕事を手伝う人間を探そうとしてたところなんだよちょうど!しつけぇなてめえ!いい加減黙って言うこと聞けよ」
「なっ……!!……あんた何なの?!本当に!いい加減にしてほしいのはこっちの方なんだけど!!」
ダメだ。このままじゃまた喧嘩して飛び出してのループだ。冬真はもう悠里の声に耳を貸さず、神谷に電話した。
『神谷でございます』
「上がって来い」
15秒後に、ドアがノックされた。冬真は神谷を招き入れ、
「あの件を話せ、神谷。……あれだ、うちで仕事する人間を、探してただろうが。…使用人を」
「その件でございますね。ええ、確かに、先日ちょうど清掃を担当しておりました者が一人退職いたしましたので、その穴を埋める人手を探さなければと思案しておりました」
冬真と悠里から少し離れたところで背筋をピンと伸ばし正座をしていた神谷は淀みなくそう答えた。実際には特に使用人を新たに募集するつもりはなかった。例の、冬真が女を引き入れて事に及んでいた現場。それを悠里が目撃するという修羅場の根本的原因を作るという粗相をしてしまった清掃担当の女は確かにクビにしていたが、わざわざ代わりを探さなくても事足りていた。
しかし神谷は頭の回転がすこぶる速かった。現在の二人の状況と、主人が神谷に求めている返答を瞬時に読み取った。
冬真はほれ見たことかと言わんばかりの顔で悠里に言う。
「な?…そういうことだ。うちで働け」
「……。ほ、本当なんですか?神谷さん」
「はい。悠里さんさえよろしければ、屋敷の清掃の仕事を引き受けていただけるのでしたら、こちらとしても非常に助かります」
「…………。」
翌週から、悠里は大学の講義が終わると使用人としての仕事をするために冬真の屋敷に通うことになった。日々の就業開始時刻は大学の講義の終わる時間次第。就業終了時刻はだいたい夜の19時から21時の間。これも悠里の都合によって日々好きにして良いとのこと。仕事内容は主に屋敷内の清掃を、その日にできる範囲で。土日祝日は休みだ。こんな悠里にとってかなり都合の良い条件で、破格と言っても過言ではない給料が毎月与えられることになった。
あまりにも都合が良すぎて、悠里はすぐに気付いた。やはり使用人を探そうとしていたというのは詭弁であったのだろうと。それなのにこんなにも良い給料を提示してもらって…、と、悠里は気が引けたが、ここはもう冬真と神谷の気遣いに感謝し、せめてしっかり働こうと腹をくくり、日々懸命にあらゆるところを掃除した。
冬真は屋敷にいる日もあれば、不在で会わない日もあった。
屋敷にいる日は早々に勤務終了を命じられ、冬真の部屋に呼び寄せられた。一緒に食事をし、ベッドに入り、体を重ね、恋人としての限られた時間をともに過ごした。
冬真が屋敷にいない日は、本当は寂しくて、少しがっかりしてしまう。だがそんな日は時間いっぱい黙々と働いた。普段甘やかされているのだから、せめて冬真が不在の日ぐらいは精一杯対価に見合う仕事をしようと思った。
最後まで真面目に大学に通い講義を受け、冬真や神谷に見守られ、時に甘やかされながらも懸命に働いた。時折冬真と衝突しては泣き、また仲直りしては絆を深め、卒業までの約一年間、悠里はそうやって日々を過ごした。
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