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 毎朝悠里に花を持って行っていた神谷から、本日お連れいたします、と報告を受けた時には、心底驚いた。花なんか贈ったところでこの状況がどうにかなるわけないだろうと思っていたのだが、一体どうやって説得したのか。いずれにせよありがたい。こいつ、親父の代から元々かなり良い額を渡していたはずだが、さらに昇給してやらねば、と冬真は思った。

 上の空で仕事をしながら、冬真は夕方になるのを待っていた。もうすぐ来るだろうか。まさか、悠里の気が変わったりしていないだろうか。時々窓の外を見ながら、神谷が運転する車が帰ってくるのを待った。
 今朝、神谷から散々言われた。

「よろしいですか、冬真様。念のために確認させていただきますが、何を置いてもまずは謝罪の言葉を述べることです。今回の件は完全に冬真様が悪いわけですから、そのことを念頭に置き、常時下手に出て許しを請うことが重要です」
「……もう聞いただろうが、それ」
「悠里さんは深く傷ついているということをお忘れなく。短気は損気です。悠里さんの全ての言い分を聞き、愛の言葉を伝えてください」
「……ふん。アホらしい」

 口ではそう言いつつも、うるせえ黙れてめえ誰に向かってそんな口聞いてんだ俺が誰だか分かってんのか、などとは決して言わない。今回の件において、冬真は神谷に全幅の信頼を置いていた。

 
 やがて。

「失礼いたします。お連れいたしました」

 神谷の声だ。

「……入れ」

 軽く咳払いをして、冬真は答えた。信じがたいことに、冬真は緊張していた。落ち着け。失敗はできない。おそらくこれが最後のチャンスなのだ。

 ガチャリ

 ドアが開き、神谷が悠里を中に促す。…やはり、少しやつれている。冬真の方を見向きもしない。心なしかむくれたような顔で俯いている。

「……こっち来て座れよ」

 いつになく冬真の声が柔らかく響く。

「……………………。」

 悠里は来ない。音もなく神谷が出て行ったドアのそばに立ったまま、一歩も動かない。…あんなにドアのそばにいられては落ち着かない。交渉決裂したらすぐにでも踵を返して出て行きそうだ。

「…………おい、」

 来いっつってるだろうが、と今にも口をついて出そうになった時、気付いた。しまった。まずは謝罪の言葉だったな…。
 …くそ。気まずい。
 冬真は悠里のそばまで歩く。目の前に立っても、こちらを見向きもしない。だが冬真は、今目の前にようやく悠里がいることが嬉しくてたまらなかった。こいつが愛おしい。…もう素直に認めるしかない。

「…………悪かった、悠里」
「……っ」

 悠里の肩が、表情が、わずかに動く。

「……馬鹿なことをした。……二度とやらない」
「…………っ」

 悠里の頬が少し赤く染まり、唇をきゅっと噛みしめている。冬真はおそるおそる悠里の手を取る。冷たい。

「…来いよ」

 ひとまず手を引きソファーに連れて行く。…よかった。抵抗することなくトボトボとついてくる。ソファーに座らせ、隣に座り悠里の方を向くが、相変わらず俯いたまま一言も喋ってはくれない。……まだ何か言えってのか。くそ。これ以上何を言えばいいんだ。気まずい沈黙に冬真はそわそわする。謝罪をして下手に出てるぞ。…後は何をするんだったか。

『悠里さんは深く傷ついているということをお忘れなく。短気は損気です。悠里さんの全ての言い分を聞き、愛の言葉を伝えてください』

「………………。」

 ふざけるな。何だ、愛の言葉って。言えるかそんなもん。馬鹿らしい。早く許して欲しいが、これ以上どうすればいいのかは分からない。冬真はとにかく悠里に触れたかった。
 そっと頬に手を伸ばしてみるが、指先が触れるやいなや、悠里はプイッとそっぽを向き、拒絶する。

「おい」

 ……しまった。咄嗟に怒鳴ろうとしてしまった。冬真は慌てて付け足す。

「……お、まえの、言い分を全部聞く。…俺にどうしてほしいんだ」

 すると悠里は頬を染め、目を逸らしたままでぼそりと呟くように言う。

「…………どう思ってるの」
「……はっ?」
「……俺のこと」
「………………あ?」

 何を言わせたいのかはだいたい分かったが、冬真はごまかす。変な汗が背中にじわりと浮いてきた。

「…………俺は冬真にとって何なのかって聞いてるの」
「……っ。……何なのかって、何だ。……だいたい分かるだろうが、バカかてめえ」

 照れ臭さのあまり、今度は冬真がそっぽを向く。悠里は一気に涙ぐみ、冬真をキッと睨んだ。しまった。

「……反省してないじゃない。……お、俺は……、いまだにあの時の光景が……、頭を離れないのに。冬真は……、別に、お、俺じゃなくても……、結局、誰でもいいんだろ。所詮俺も冬真にとっては、…………っ、う、…あの女の人とか、他のたくさんの、……っく、そ、その辺にいる……ただの」
「……うるせえな!だから違うっつって謝っただろうが!しつけぇんだよてめえ」

 あの時の気まずい行為を掘り返され、人生で一度も口にしたことのない甘ったるい言葉を言えと追い立てられ、崖っぷちに立った冬真は気まずさのあまりついに怒鳴った。その瞬間、悠里がガバッと立ち上がった。

「!!お、おいっ」

 制止も聞かずに悠里がドスドスとドアに向かって歩き出した。しまった!冬真は慌てて悠里の前に立ち、両肩を掴む。

「お前の望みを言え!何でも聞くから!それで分かるだろうが…。だ、れが、他のヤツにここまでするかよ」
「…………っ」

 悠里は涙に濡れた赤い顔をプイッと背ける。

(…め、めんどくせぇなこいつ……!)

「……もう二度と、他の誰ともヤらねぇよ。どこの女とも、男とも、誰とも。……それならいいだろうが」
「………………。」

 ほんの僅かに、悠里の表情が和らぎ、ますます頬が染まる。……よし。この言葉は正解だったようだ。しかし、

「……信じられない、そんな言葉」
「…はっ?…………こ、」

(この野郎……!ならどうしろって言うんだ、クソ)

 冬真は焦った。苛立ちを必死に抑えつつ、これはと思われる提案をしてみる。

「……なら……、なんか、GPSとか、つけりゃいいだろ。俺のスマホに。そんなに信用できねぇならよ」
「そんなの……、どこにいたって何してるかなんて分からないじゃないか!」
「仕事してんだよ!!俺は基本的に仕事ばっかしてんだ!!」
「……嘘つき」
「あぁ?!」
「してなかったじゃないか!こないだ!ここの……、……っ、こ、この、ベッドで……」
「~~~~~っ!!だからもうヤらねぇっつってるだろうが!てめえも大概しつけーな!!ならてめえが相手しろよ!!」
「嫌だ!!ふざけるな!!このっ、無神経男!!だっ、誰が……、こ、このっ、この部屋のベッドでなんか、二度とするもんか!!もう見たくもない!!こんな……、こんな汚いベッド!!……うっ、う゛ぅぅぅ……っ」
「てっ、てめえ……!」

 互いにヒートアップし、完全に冷静さを失ってしまっていた。

(クソッ!!マジでなんでこうなるんだ)

 収集がつかなくなり、冬真が困り果てた、その時。




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