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冬真からの呼び出しはその後もコンスタントに続いた。悠里は憂鬱で重苦しい気持ちのまま、感情を押し殺して冬真の元へ通った。全ては母のためだと言い聞かせながら。入院費用を稼ぐためだ。最期の時まで、できる限り何の心配もかけずにいたい。ただでさえ辛い体なんだ。余計なことは何も考えず、せめてゆっくり過ごしてほしい。これはそのために、必要なことだから。冬真に組み敷かれ屈辱を味わうたび、必死で自分にそう言い聞かせた。
その日母を見舞いに行くと、病室の奥にある母のベッドの周りのカーテンが閉められていた。そっとカーテンの隙間から中を覗くと、母は静かに眠っていた。
「…………。」
最近は見舞いに来てもこうして眠っていることが増えた。悠里はベッドの横に置いてある椅子に音を立てずに座り、眠る母の顔をじっと見つめた。
母は日に日に痩せていく。悠里の母はまだ43歳だ。あまりにも若過ぎる。自分さえ自立していれば、もっといくらでも人生を楽しませてあげられたのに。旅行に連れて行ってあげたり、綺麗な洋服を買ってあげたり。いつも最低限の食料品や日用品だけを買って生活し、自分の身の回りのものは常に質素にしていた母を思うたびに胸が締め付けられ、悠里もまた心身ともに日に日に弱っていった。
そんな悠里の姿に、ついに冬真が苛立ちを爆発させた。呼び出して会いに来るたびに痩せて顔色が悪くなっていく。愛想も全くない。それも当たり前の状況なのだが、他人の心情を慮ることなど人生で一度もなかった冬真は悠里の立場になってその気持ちを考えることなどできなかった。
「てめえいい加減にしろよ」
その日、服を脱がせようとするとあからさまに不愉快そうに顔をしかめプイッと顔を背けた悠里の目の下の隈を見て、突如冬真の怒りが爆発した。ベッドの上で悠里に馬乗りになりバシッと頬を張り飛ばすと、シャツの胸ぐらを掴んでグイッと乱暴に引き起こし、強引に顔を近づけた。
「誰のおかげで生活できてると思ってんだてめえ!少しはマシな顔して媚びろよ、おい」
悠里は唇の端に血を滲ませながら、目の前の冬真をキッと睨みつけた。冬真は不愉快でたまらなかった。睨みつけられたことではない。会うたびに悠里がどんどんやつれていくのを見ていると、心臓のあたりに無遠慮に手を突っ込まれて掻き回されているような形容し難い不快感を覚えるのだ。自分との行為が嫌でしょうがないという態度にも腹が立っていた。今までこんなにも冬真を拒んだ人間はいなかった。思い通りにならない歯がゆさと苛立ちのままに、辛辣な言葉をぶつける。
「何回言わせりゃ気が済むんだ。男に媚びて施しを貰わねぇと生きていけねぇ立場だろ。てめえも、てめえの母親もな。弁えろよ。可愛げのねぇクソガキが」
「…………っ!!」
悠里の目にじわりと涙が滲む。こんな男の言葉で泣きたくなんかないのに、母をまた侮辱されたことが弱った悠里の心を深く突き刺した。その傷に全く気付かない冬真はさらに悠里を追い詰める。
「分かるか?クソガキ。てめえは今俺の機嫌を損ねたら生死に関わるんだよ。少しは頭使って先のこと考えろ。今俺に見放されたらどうなるのかをよ。てめえと同様、親父から巻き上げた金を後先考えず遣い切っちまっていざというときに無一文でのたうち回ってるバカな母親もな。計画性がなさすぎるんだよ、てめえら親子は」
「─────っ!!」
ドンッ!!
悠里は目一杯の力で冬真の胸を突き飛ばした。だがか細い悠里の弱り切った力では冬真には大した衝撃は与えられなかった。少し後ろによろけた冬真が悠里を見つめる。悠里は嗚咽しながら滝のように涙を流していた。
「……お、おれの、母親は……、…あなたのっ、父親から、い、一度も、金なんか、…受け取ってない!!……う゛ぅっ……、……ただ……、ただ、好きになった、だけだ!!…それだけ、なのに……っ!!」
「…………。」
「……は、母を……、……侮辱するな!!……うわぁぁぁぁっ!!」
悠里の頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。今の自分の行動が、母と自分の今後の生活をどれだけ脅かすことになるか、よく分かっているはずなのに。一度決壊した感情はもう抑えることは不可能だった。
悠里の母は、門倉社長から何度も生活の支援を申し込まれていた。だが母は頑なに拒んだのだ。お金のやり取りはしたくない、と。そんなことは少しも望んでいない。ただあなたを愛してしまっただけだから。奥様のいるあなたを愛してしまって、こうして時折会っては幸せな時間を与えてもらっている。これ以上自分の良心に恥じることはしたくない。
悠里が高校生の時、倒れた母を門倉社長がアパートまで送ってきてくれた後、悠里は一度だけ門倉社長から「二人きりで話したい」と言って呼び出され、このことを打ち明けられたのだ。
「…君たち親子の生活が楽ではないことは知っている。春美はああ言っていたが、もし、本当に困ることがあったら、せめて君から私に知らせてもらえないだろうか。……どうか、頼むよ」
「……はい。…ありがとうございます」
その時悠里はそう返事をしたが、そんなことをするつもりはなかった。母の思いを踏みにじりたくなかったからだ。親子二人で、質素に懸命に生きてきた。
それなのに。
もうどうなってもいい。悠里は思った。こいつに金なんか貰わなくていい。どんな手を使ってでも、俺が母を最期まで守ってみせる。消費者金融から借りてもいい。ホストでも何でもやってやる。大学を辞めることになってもいい。体を売ることになっても……、こいつ以外にならいくらでも差し出してやる、こんな汚い体。
悠里は嗚咽を堪えきれないままヨロヨロとベッドから這い降りる。
「……おい」
冬真が後ろから声をかけてくるが、どうでもいい。悠里はボロボロと涙を零しながら脱ぎ捨ててあったジャケットを手に取り、ふらふらと立ち上がった。
「おいって言ってんだろ。どこに行く気だ」
無視してドアに向かって歩きながら、足がもつれてラグの上にドサリと倒れ込んだ。しゃくり上げながらまた立ち上がり、歩き出そうとしたその時。
後ろから、ふわりと抱きしめるように腕を回された。冬真の腕が悠里の体をしっかりと抱き留めていた。
「はっ!!はなせ……っ、…離せぇ…っ!!」
「バカかてめえ。ちょっとは落ち着け」
「ひっ……ぐ、…ひっ……、は、離せ……う゛ぅっ!う゛ぅ……」
疲れきった悠里の体から力が抜け、冬真の腕の中でガクッと垂れ下がった。
「…………ちっ。マジでめんどくせぇなてめえ」
そう言うと冬真は悠里の体をズルズルとソファーに運び放り投げ、どこかに電話をかけ始めた。
その日母を見舞いに行くと、病室の奥にある母のベッドの周りのカーテンが閉められていた。そっとカーテンの隙間から中を覗くと、母は静かに眠っていた。
「…………。」
最近は見舞いに来てもこうして眠っていることが増えた。悠里はベッドの横に置いてある椅子に音を立てずに座り、眠る母の顔をじっと見つめた。
母は日に日に痩せていく。悠里の母はまだ43歳だ。あまりにも若過ぎる。自分さえ自立していれば、もっといくらでも人生を楽しませてあげられたのに。旅行に連れて行ってあげたり、綺麗な洋服を買ってあげたり。いつも最低限の食料品や日用品だけを買って生活し、自分の身の回りのものは常に質素にしていた母を思うたびに胸が締め付けられ、悠里もまた心身ともに日に日に弱っていった。
そんな悠里の姿に、ついに冬真が苛立ちを爆発させた。呼び出して会いに来るたびに痩せて顔色が悪くなっていく。愛想も全くない。それも当たり前の状況なのだが、他人の心情を慮ることなど人生で一度もなかった冬真は悠里の立場になってその気持ちを考えることなどできなかった。
「てめえいい加減にしろよ」
その日、服を脱がせようとするとあからさまに不愉快そうに顔をしかめプイッと顔を背けた悠里の目の下の隈を見て、突如冬真の怒りが爆発した。ベッドの上で悠里に馬乗りになりバシッと頬を張り飛ばすと、シャツの胸ぐらを掴んでグイッと乱暴に引き起こし、強引に顔を近づけた。
「誰のおかげで生活できてると思ってんだてめえ!少しはマシな顔して媚びろよ、おい」
悠里は唇の端に血を滲ませながら、目の前の冬真をキッと睨みつけた。冬真は不愉快でたまらなかった。睨みつけられたことではない。会うたびに悠里がどんどんやつれていくのを見ていると、心臓のあたりに無遠慮に手を突っ込まれて掻き回されているような形容し難い不快感を覚えるのだ。自分との行為が嫌でしょうがないという態度にも腹が立っていた。今までこんなにも冬真を拒んだ人間はいなかった。思い通りにならない歯がゆさと苛立ちのままに、辛辣な言葉をぶつける。
「何回言わせりゃ気が済むんだ。男に媚びて施しを貰わねぇと生きていけねぇ立場だろ。てめえも、てめえの母親もな。弁えろよ。可愛げのねぇクソガキが」
「…………っ!!」
悠里の目にじわりと涙が滲む。こんな男の言葉で泣きたくなんかないのに、母をまた侮辱されたことが弱った悠里の心を深く突き刺した。その傷に全く気付かない冬真はさらに悠里を追い詰める。
「分かるか?クソガキ。てめえは今俺の機嫌を損ねたら生死に関わるんだよ。少しは頭使って先のこと考えろ。今俺に見放されたらどうなるのかをよ。てめえと同様、親父から巻き上げた金を後先考えず遣い切っちまっていざというときに無一文でのたうち回ってるバカな母親もな。計画性がなさすぎるんだよ、てめえら親子は」
「─────っ!!」
ドンッ!!
悠里は目一杯の力で冬真の胸を突き飛ばした。だがか細い悠里の弱り切った力では冬真には大した衝撃は与えられなかった。少し後ろによろけた冬真が悠里を見つめる。悠里は嗚咽しながら滝のように涙を流していた。
「……お、おれの、母親は……、…あなたのっ、父親から、い、一度も、金なんか、…受け取ってない!!……う゛ぅっ……、……ただ……、ただ、好きになった、だけだ!!…それだけ、なのに……っ!!」
「…………。」
「……は、母を……、……侮辱するな!!……うわぁぁぁぁっ!!」
悠里の頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。今の自分の行動が、母と自分の今後の生活をどれだけ脅かすことになるか、よく分かっているはずなのに。一度決壊した感情はもう抑えることは不可能だった。
悠里の母は、門倉社長から何度も生活の支援を申し込まれていた。だが母は頑なに拒んだのだ。お金のやり取りはしたくない、と。そんなことは少しも望んでいない。ただあなたを愛してしまっただけだから。奥様のいるあなたを愛してしまって、こうして時折会っては幸せな時間を与えてもらっている。これ以上自分の良心に恥じることはしたくない。
悠里が高校生の時、倒れた母を門倉社長がアパートまで送ってきてくれた後、悠里は一度だけ門倉社長から「二人きりで話したい」と言って呼び出され、このことを打ち明けられたのだ。
「…君たち親子の生活が楽ではないことは知っている。春美はああ言っていたが、もし、本当に困ることがあったら、せめて君から私に知らせてもらえないだろうか。……どうか、頼むよ」
「……はい。…ありがとうございます」
その時悠里はそう返事をしたが、そんなことをするつもりはなかった。母の思いを踏みにじりたくなかったからだ。親子二人で、質素に懸命に生きてきた。
それなのに。
もうどうなってもいい。悠里は思った。こいつに金なんか貰わなくていい。どんな手を使ってでも、俺が母を最期まで守ってみせる。消費者金融から借りてもいい。ホストでも何でもやってやる。大学を辞めることになってもいい。体を売ることになっても……、こいつ以外にならいくらでも差し出してやる、こんな汚い体。
悠里は嗚咽を堪えきれないままヨロヨロとベッドから這い降りる。
「……おい」
冬真が後ろから声をかけてくるが、どうでもいい。悠里はボロボロと涙を零しながら脱ぎ捨ててあったジャケットを手に取り、ふらふらと立ち上がった。
「おいって言ってんだろ。どこに行く気だ」
無視してドアに向かって歩きながら、足がもつれてラグの上にドサリと倒れ込んだ。しゃくり上げながらまた立ち上がり、歩き出そうとしたその時。
後ろから、ふわりと抱きしめるように腕を回された。冬真の腕が悠里の体をしっかりと抱き留めていた。
「はっ!!はなせ……っ、…離せぇ…っ!!」
「バカかてめえ。ちょっとは落ち着け」
「ひっ……ぐ、…ひっ……、は、離せ……う゛ぅっ!う゛ぅ……」
疲れきった悠里の体から力が抜け、冬真の腕の中でガクッと垂れ下がった。
「…………ちっ。マジでめんどくせぇなてめえ」
そう言うと冬真は悠里の体をズルズルとソファーに運び放り投げ、どこかに電話をかけ始めた。
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