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「悠里、…あなた、大丈夫なの?」
「…え?…何が?母さん」
「…ううん、何となく…。最近少しやつれてるように見えるわ。あなたの方が病人みたいよ。ちゃんとご飯食べてるの?」
「ふふ。食べてるよ、大丈夫」
「…お金、大丈夫…?困ってないの?…私の入院費用だって、きっと相当かかってるんでしょう…?お願いだから、私にも明細を見せてちょうだい」
「心配いらないってば、母さん。入院費用もちゃんと払えてるんだよ。俺だってバイトしてるんだし、家賃も食費も、ちゃんと賄えてるよ」
「…本当に?」
「うん。まぁ、正直そんなに余裕はないけどね。でも今のところ困ってはないよ。お金のことは何も心配しないで。それよりも自分の体のことを気遣ってよ。今からまたリハビリでしょ」
「ええ…。それならいいんだけど…。お願いよ、無理はしないでね」
「心配性だなぁほんと」

 病室の窓際にある母のベッドの前で、悠里は可笑しそうにクスクスと笑ってみせた。母に気付かせたくはないが、食事が喉を通らないことが多く体重が少し減ってしまっている。しっかりしなきゃ。自分が今母の負担になるわけにはいかない。
 病院とよく相談して、金銭的なことは母に一切言わないでほしいと入院当初からしっかり念を押していた。心労をかけたくないし、支払いは相談できるつてがあるから自分がちゃんと払いますので、と。それでも一時滞ってしまって危なかったが、冬真に貰った金でどうにか母にバレずに支払うことができた。大学を休学しようかとも悩んでいたが、今のところまだ通っている。アルバイトは冬真の命令に従って、3件とも辞めてしまった。
 本当は辞めたくなかった。あの男の気まぐれなど全くアテにならないし、いつ「もう二度と来るな」と言われてもおかしくない。金は持っていても信用できる相手ではないのだ。だが歯向かうわけにはいかなかった。あいつの口ぶりでは、亡き社長の奥方は母とのことを知らないようだった。万が一、あいつに告げ口されてあちらの不興を買い多額の慰謝料など請求されてしまっては…、母の入院さえ危ぶまれる。
 悠里は溜息をつきたいのを堪え、母に笑顔を向ける。

「じゃあ、今日は帰るよ、俺。大丈夫?」
「ええ。毎日ありがとう、悠里。無理しないで、たまにはゆっくりしてね。母さんは来れるときだけ来てくれればそれで充分なんだから」
「ん。分かってる。俺が顔見に来たいだけ」
「もう、この子ったら…」

 そう言いつつも、母は嬉しそうに微笑んだ。

 病院からの帰り道はいつも気持ちが塞ぐ。母の容態は決して良くはない。背も以前より縮んでしまって、小さくなった。今のところ少しならまだ自力で歩くこともできるが、癌は母の体を確実に蝕みあらゆるところに転移してしまっている。…きっともう、そんなに長くはもたない。
 そのことを考えるたびに、嗚咽をぐっと堪える喉がヒリヒリと痛む。寂しい。たまらなく。その人生をかけてずっと悠里を愛し抜き、優しく接してくれた母のあらゆる場面が思い出される。
 ただでさえ母の病気が分かって以来心は塞ぎっぱなしなのに、冬真との一件でますます悠里は追い詰められていた。あの地獄のような夜から、もう一週間が経った。日々怯えて過ごしていた。次はいつ呼び出されるのか。呼び出しがなければ、金は貰えない。だが呼び出されれば、またあの屈辱と痛みの時間がやって来るのだ。
 どちらにせよ、地獄に変わりはない。
 悠里は深い溜息をつき、重い足を引きずって歩いた。ちょうどその時、悠里のスマホが短く震えた。

「…………。」

 ドクッと心臓が鳴る。嫌な予感がした。冷たくなる指先でカバンを漁り、そっとスマホを取り出す。

『今夜来い』

 クラリと目まいがした。手足がすぅっと冷たくなる感覚がする。やはり、あいつだ。短いそのメッセージを見ただけで、吐き気が込み上げてきた。怖い。行きたくない。行きたくない。でも行かないと。もうアルバイトは辞めてしまったんだ。あいつの言うとおりに。唇がぶるぶると震え始めた。気が付くと足が止まってしまっている。
 悠里は再び大きな溜息をつき、無理矢理足を動かした。

 案の定、アパートの前には黒塗りの車が停まっていて、横には秘書の男性が立っていた。前回と同様に、悠里が近づいてくるとスッと頭を下げた。…この姿、トラウマになりそうだ。

「お帰りなさいませ。もうこのままお連れしても大丈夫でしょうか」

 秘書は淡々と言うと、問答無用で後部座席のドアを開けた。嫌ですって言ったらこの人はどんな反応をするんだろう。なんてことが少し頭をよぎったが、そんなこと言えるはずもない。悠里は心を押し殺して、無言で後部座席に乗り込んだ。



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