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 僕がコンビニに行くことは滅多にない。
 質素倹約をモットーに慎ましく暮らしている僕は、会社にも自分で作ったお弁当を持参しているし、必要な買い物は極力休日に安いスーパーやドラッグストアで済ませている。
 でも先日、珍しく寝坊してしまった。会社に遅刻はしなかったけど、さすがにお弁当まで作る時間はなかった。急いで身支度を済ませバタバタと家を出て、通勤途中にあるコンビニに寄り、お昼休みに食べるパンやカフェオレ、お茶などを買った。久しぶりにコンビニスイーツを見るとなんか食べたくなっちゃって、美味しそうなモンブランプリンも買った。僕は甘党なのだ。誘惑には弱い。あーあ、無駄遣いしちゃったかなー、まぁいっかたまには、自分へのプチご褒美だ、などと自分に言い訳しながら会社に行った。

 そしてその日も普段通りの一日を順調に過ごした。残業もなく、夕方、いつものように事務員さん達と、お疲れさまでしたーと声をかけ合って帰路につく。
 今日の晩ごはんは何にしようかな。こないだ料理番組でやってた白身魚のから揚げに野菜の餡をかけるやつ、すごく美味しそうだったな。あれ作ってみたいけど…やっぱり平日の仕事終わりって手のかかる料理する気分じゃなくなるな。どうせ食べるのは僕ひとりだし。パパッと作れるのがいい。うーん…親子丼にでもしようかなぁ。
 あとはもうレトルトのお味噌汁でいいかな…などとぼんやり考えながら歩いていると、いつの間にかアパートの前に着いていた。会社が近いのってありがたい。徒歩20分くらいなのだ。
 サビた鉄製の階段をできるだけ足音を立てずに静かに上る。二階に上がって部屋のドアが見えた時、

 ……ドクッ

 心臓が大きく鳴り、僕は目を見張った。

 ドアノブに、白い袋がかかっているのが見えた。途端に嫌な記憶が蘇る。足が動かない。心臓がドクドクと大きく鳴り続けて、じんわりと背中に汗が滲む。
 …でも、ここにずっと立っているわけにもいかない。僕はゴクリと固唾を呑み、一歩、ドアに向かって小さく踏み出す。

「…………。」

 どうにかドアの前までゆっくりと歩いてきた。袋に触れず、上からそっと中を覗いてみる。そして中の物がチラリと見えた途端、体がズンと重くなった。やっぱり。

 袋は、僕が今朝立ち寄ったコンビニのレジ袋だった。そしてその中には、僕が今朝買った物と全く同じ物が全て入っていたのだ。

 一年前と、同じだ。また始まった。
 どうして……



「…おい、璃玖。…璃玖?」

 はっ。
 しまった。ボーッとしてた。

「どーしたんだよ。最近なんかおかしいぞお前。さっきから何回目だよ、ボケーッとして話聞いてねーの」
「…疲れてるの?体調悪いんじゃない?」

 顔を上げると、圭介と葵さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。

「う、ううん。大丈夫だよ。ちょっと…考え事してた。ごめんね」

 僕は慌てて笑って返事をする。

 “あの恐怖”が再開した日から数週間が経った。最近恒例となりつつある、圭介と葵さんとの週末の食事。普段は僕よりもだいぶ仕事が忙しい二人だが、最近はタイミングよく一緒に食事ができる週末が続いている。だいたい圭介から誘いがあって、二人が近くまで迎えに来てくれることが多い。
 夕食は家で一人で食べるのが当たり前になっていたから、こうやって誘ってもらえるのはとても嬉しい。友達と食べるのは楽しいし。でも。

「いや、明らかに大丈夫じゃねーだろ。何かあるなら言え」
「俺も、気になる…。最近の璃玖、元気ない」
「いえ、すみません、本当に……ぁ、」
「……。」
「だ、大丈夫だよ。ごめん…ね、ぁ、……葵…」
「…ん」

 葵さんにじーっと見つめられて、慌てて言い直す。先日言われたのだ。敬語はやめて欲しいと。圭介と同級生なら、俺の一個下でしょ?歳。大して変わらないんだから、普通に話して欲しい、と。あと“葵さん”もやめて、と言われてしまったのだ。…そうは言われても…相手は信じられないくらいイケメンのモデルさんなのだ。普通に考えたら雲の上の人だ。めちゃくちゃ緊張する。でも、葵さんはそういうのが嫌なんだよね、きっと。立場とか仕事とか関係なく、フラットに接して欲しいと思ってる人だ。最近そういうの分かってきた。
 …とは言え、呼び捨てはさすがに緊張する…。全然慣れない…。でも間違ってさん付けで呼んじゃうと、すごいジーッと見つめてくるんだよね…何か言いたげに。葵、葵だ。あおい、あおい…。

「何かあるならちゃんと言えよ。お前は何でも一人で抱え込みすぎなんだよ」
「…困ったことがあるなら、俺相談に乗るから。いつでも」
「あ、あはは。ありがとう、二人とも。ホントに何でもないんだ。ごめんね。ちょっと疲れが溜まってるのかな」

 二人があまりにも真剣に見つめてくるから僕はドギマギしてしまう。どうにか誤魔化さないと。心配かけたくない。

「ならいいけどよ。お前が疲れてんなら、今日は早めに切り上げるか」
「そうだね。食べたら送っていくから」
「あ、うん…。ありがとう」

 二人の優しさがありがたい。こんなにいい友達が二人もできて、僕は幸せ者だな。葵さんも、いや、葵も、圭介に負けず劣らず優しい気遣いの人だ。やっぱり類は友を呼ぶのかな。すごいな。二人ともなかなか肉眼でお目にかかれないレベルのイケメンだし…。

 家の近くまで来ると、僕は迷った。今日もまたドアノブに何かかかっていたら冷静さを保つ自信がない。少し手前でバイバイしようかな…。

「あの、この辺でいいよ。もう近いから。ありがとね、二人とも」
「いいのかよ。お前なんか頼りねーから心配だ。痴漢に遭いそうで」
「ひ、ひどいな。頼りなくないよ。一応僕だって男だし」

 なんかいっつも彼女みたいに送ってもらってるなーと思ってたら、そんな風に思ってたのか、圭介。ひどいよ。圭介に言い返していると、葵がまた僕をじっと見ている。

「…ここまで来たんだから、最後まで送ってくよ」
「え、う、うん」

 そう言われて断り切れない。どうしよう。今日は何もありませんように。


 結局、今日は何もかかっていなかった。アパートの下に着いてからチラリと二階のドアを見て、僕はホッと息をついた。
 二人にもう一度お礼を言ってから、階段を上がる。帰って行く二人が下に見えた。葵が振り返って僕を見た。目が合うと、ヒラヒラと手を振ってくる。僕も同じように手を振り返してから、玄関の鍵を開けた。

 ドアを開けた、その途端。

 バサバサバサッ

「!」

 玄関のドアに付いている郵便受けから、たくさんの紙が下にこぼれ落ちた。びっくりした…。え?郵便物?なんでこんなに多いんだろう……
 驚いて電気を点けて床を見ると、

「……っ!!」

 そこには、郵便物からこぼれた大量の紙が。チラシなどではない。白い紙が折り畳まれたものがたくさん落ちている。何か書いてあるのが分かり、僕は震える手でその一つを手に取る。喉がぎゅうっと詰まったような感覚がして、唾を飲み込めない。おそるおそる開く。

『裏切り者。淫乱。変態。許さない。』
『僕がいるのに、また他の男と会ったね。許さない。絶対に許さない。許さない許さない許さない許さない許さない』

 はぁ、はぁ、はぁ…

 息が上手くできない。手がガクガクと震える。何これ。何でこんなことばかり…。怖い。怖くてたまらないのに、僕は次々と紙を開いてしまう。どれも同じようなこと恨み言ばかり書かれている。一つの紙に、こう書かれていた。

『君の裏切りには耐えられそうもない。もういっそ、二人で死のうか。』

 大きな手で胃袋をぐっと捕まれたような気がした。そのままひくひくと痙攣し始め、僕は一気に込み上げてきた吐き気に抗えずトイレに駆け込んだ。

「うっ……。ぐっ…えっ………」

 胃の中のものを残らず嘔吐した。涙がボロボロと零れてくる。嗚咽が止まらず、しばらく立ち上がることができなかった。

 一体、誰が、どうしてこんなことを…?
 せっかく、穏やかな日々に戻っていたのに。
 僕は誰の恨みを買っているの…?この正体不明の相手から殺されるんだろうか。どうして…?

 心当たりが全然ない。
 怖い。怖いよ。
 誰か、助けて……



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