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第三章
第29話 御波透哉の罪(3)
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3.
「着いたのである」
「ん?」
五分ほど歩いた後、狼男が足を止め、店の看板を指した。そこは以前と同じオープンテラスがあるカフェだった。
店員に案内された席に着き、メニューを手にしたところで透哉が特に悪気なく疑問を口にする。
「また、甘いの沢山食べるのか?」
「む、それがし、甘党である事を話したことはあったか?」
「前回たまたま注文が耳に入ったんだよ」
「そうであったか。それがし男でありながら甘いものに目がないのである」
「んなもん、気にすることじゃないだろ?」
どこか気恥ずかしそうに言う狼男だが、魔人や人魔などとより難解な問題を抱えている手前、些細なものだった。
それぞれ注文を終えたところで、透哉は恐る恐る相手の顔色を窺う。
店の雰囲気の影響か、緊張が解け幾分リラックスして見えた。
反対に透哉には濃い緊張が見て取れた。
後々のためにも、これ以上波風は立てず、良好な関係を維持したまま十二学区を去りたかった。
しかし、短時間で構築された関係を壊してでも、情報を絞り取りたいという打算が勝った。
「なぁ、事件の話なんだが続きはないのか?」
「続きとは、どう言う意味であるか? 貴殿、興味本位であるならっ」
案の定、険しい顔つきに戻るが、それでも透哉は話を続ける。
知りたいのは事件の進展状況のみで、負傷したメンバーへの冷やかしの意図はないからだ。
「違う。事件全体の後という意味だ。犯人の目星とかは付いてないのか?」
「それがしでは分からん。ただ、恐らく外の者の仕業であろうな。似たことが以前にもあったのである」
「外って言うと、十二学区の外ってことか?」
「……そんな感じである」
狼男は何かを諦めたような、何かを憂いているような表情をして返事をする。
答えは曖昧だったが、透哉は冷や汗をかいていた。
クロウには捜査は進展していないと聞かされて安心していたからだ。捜査の矛先が自分たちを示していることに焦りを抱いた。
「じゃあ、朝松市からってことか?」
「む? それはあり得ぬであろう。接点がなければ動機もない」
透哉の踏み込んだ質問に、狼男はまるで見当違いと言わんばかりに否定した。
「それがしたちの言う『外』というのはゼロ学区の住人のことである」
「(カラス野郎の話にも出てきた名前だな。話では不良の溜まり場のような場所だっけか……)」
「貴殿は存ぜぬであろうが、一見、華やかに写る十二学区にも薄暗い場所があるのである」
「そうなのか……ん? でも今の説明だと学区が十三個あることにならないか?」
透哉の鋭い指摘に、狼男は肩を震わせた。どうやら、口にし難い話題に触れてしまったようだ。
「ゼロ学区とは、昔の第十一学区である」
「昔の?」
「二年ほど前に大規模な爆発事故が起きて主要機関が機能を失ったのである。大多数の住民は他の学区に身を寄せ、今も生活をしている。けれど、中には反発心からか、廃墟当然の町中に住み着き、悪事を働く輩がいるのである」
「あー、そう言うことか……悪かったな、変なこと聞いて」
「失礼します、ホットケーキセットになりまーす」
漂い始めた微妙な空気が、タイミングを計ったように現われた店員の柔らかな声によってかき消された。こちらの事情など知りもしない店員は、配膳を終えるとそそくさと去っていった。
透哉が顔を上げると、運ばれてきたホットケーキに目の色を変えて歓喜する狼男がいた。
どうやら本当に甘い物に目がないらしい。
その顔を見ていると、妙な詮索や暗い話題を蒸し返すのは憚られた。
透哉は「ふぅ」と息を吐き、肩の力を抜き、先程からずぅっと耳につくある音に頭を抱える。
『めんこーい! どっこいしょー!』
店内の音響として流れていたのは、十二学区で活躍するアイドルグループ、エレメントのデビュー曲『めんこい娘の麺恋!どっこいしょ音頭』である。
入店してからずぅっとこの調子で、真面目な話の邪魔をしていた。
「なんとかなんねぇのか、この曲……」
「む? 貴殿、どっこいしょ音頭が嫌いであるか?」
透哉の嘆きに、狼男はカレー嫌いの子供を見たような、大層不思議そうな顔で尋ねてきた。
「真面目な話をするときには、ちょっと不向きだな」
「むむ? 抜群に集中力が高まり、アガるではないか」
「おいおいおいおい、マジかよ」
「うむ。楽しいときは勿論、辛いときも悲しいときも、朝も夜もこの歌声さえあれば乗り越えられるのである」
「ほとんどずっとじゃねぇか!?」
狼男は食べる手を止め、目を閉じて耳で舌鼓を打つように満足気な顔を浮かべる。
ノリノリである。
「いや、えっと。元気になったらそれでいいか」
「そうであるな!」
快活な返事は見た目とは裏腹に、年相応の少年のものだった。なんだか毒気を抜かれた透哉もホットケーキを口に運びつつ、ちらりと正面に目を向ける。
てっきり手掴みでガツガツ口に放り込むかと思っていたが、大きな手でナイフとフォークを持ち、ホットケーキを切り分けて食べている。たまにぎこちない動きが見られるが、フォークしか使わない透哉よりは遥かにテーブルマナーが板についていた。
男二人、和やかに甘味に舌鼓を打つ。
ホットケーキを半分ほど食べた頃、今更過ぎる事実に透哉はぶち当たる。
「(そう言えば、コイツの名前知らねぇままだな)」
「どうしたのであるか?」
食べる手を止め、頭を悩ませる透哉に狼男が首を傾げる。
「ん? 俺たち、互いの名前を知らねぇなって」
「む、それがし名乗っていなかったのであるな」
「ああ、俺は御波だ。御波透哉だ」
「それがし、大神優である」
双方名乗り終わり、どちらからでもなく笑いが溢れた。
「順序、無茶苦茶だなっ!」
「うむ、全くであるっ!」
「「うははははっ!!」」
長年の友人のように一頻り笑ったところで、電子音が水を差す。
「すまぬ、それがしである……えっ?」
大神は断りを入れてスマホ取り、画面を目にした瞬間表情が硬くなる。
「もしもし、鮫崎隊長であるか?」
「……っ」
怖ず怖ずと通話を始めた大神を尻目に、透哉は食べる手は止めずに出来るだけ自然を装い、聞き耳を立てる。
大神の通話相手は『戦犬隊』の隊長だった。
昨晩の戦闘中に『戦犬隊』の面々が覗かせた粗野な素養は、とても警備隊とは言い難い。あんなごろつき紛いの発言をする連中だけで組織が真っ当に機能するとは思えなかったのだ。
それを束ねる者が通話相手。大神の態度の変わり様からも、余程の人物であることが見て取れた。
一分にも満たない通話を終えた大神が、険しい面持ちで顔を上げた。
「御波殿」
「用事でも出来たか?」
「うむ、隊長からの命令が入ってしまった故、向かわなければならない」
「隊長?」
「そうである。『戦犬隊』の鮫崎隊長である」
返事の声に力がこもっていた。
嬉しそうと言うより、使命を与えられ、意欲に満ちていた。
「随分ご執心だな。お前が慕うってことは熊みたいな魔人なのか?」
「どんな想像しているのであるか!? それがしは、その……えっと」
透哉は探りの一環として、適当な想像を半分押しつけるように大神に向けて投げた。それは単純に『戦犬隊』の外見や印象を誇張したに過ぎなかった。
しかし、大神は妙に紅潮した顔で声を上げると、照れたようにモジモジし始めた。
「……ははぁ~ん? なるほど、そう言うことか?」
「な、なんでござるか!?」
「隊長ってのは女なのか? つーか、なんだその急な侍口調は?」
「むむぅ!? 御波殿、鋭いでござる!? 確かに鮫崎隊長は美人で格好いいのである!」
誤魔化しを諦めた大神は席を立ち、フォークを左手に握ったまま褒めちぎる。
その様は選挙の応援演説だった。
「でも……」
「でも?」
「同時にとてつもなく怖いのである」
今度はしゃがみ込んで震えだした。それも、三角の耳を踏んづけたサンドイッチみたいに折り曲げて。
「おいおい、情緒不安定かよ!?」
「おっと、こんなことをしている場合ではないのである!」
「そうだな、美人隊長のお呼びとあらば従わないわけには行かねーもんなー」
「御波殿ぉ!? 違うのでござる!? 何度も言うがそれがしは候補生! つまり――っ」
「つまり?」
「これにてごめんっ!」
「誤魔化しやがった!?」
大神が釈明して去った後には、半分ほどしか食べられなかったホットケーキだけが残っていた。
好物を置き去りにし、支払いもせずに飛び出して行くほどの使命感。もしくは、必要とされ活躍の場を与えられた喜び。
大神の心中は定かではなかったが、透哉は深々と頭を下げて中座した大神の姿を思い浮かべながら自分の残りを咀嚼していた。
すると、配膳してきた店員が席を訪れていた。
「お客様?」
「え、俺? なんだ?」
「今出て行かれたお客様のお連れ様でしょうか?」
「そうだけど、なんか急ぎの用だと言っていたな」
透哉は雑談に興じている程度の感覚だったが、店員は言いづらいことでもあるみたいに顔色が優れない。
「お支払いをせずに出て行かれたのです」
「へぇ、そりゃ大変だな。慌ててたから忘れたんだろうな」
「ご一緒でよろしいですか?」
「ん? 何で俺がアイツの支払いまでしなきゃな……」
「ご一緒でよろしいですね?」
「――はい」
店員の剣幕に圧倒され、二人分の会計を済ませた透哉は疲労感たっぷりの顔で店を後にした。
難題を持つ者同士の会食は慌ただしくも、平穏のまま幕を閉じたのだった。
(妙な詮索をした罰ってことか? まぁ、それなら安いもんか……)
再び一人になった透哉は往来を行きながら、思う。
そして、質と形を変えた自らの罪に改めて向き合う。
罪は、戦場と被害者に刻まれた爪痕だけではなかった。
小さな爪痕や余波を受けて苦しむ姿を目の当たりにした。
その一つ一つは、学園や十二学区規模で見ると些細なものだったが、少年でしかない透哉の心には大きく、重く、深く刻まれた。
この時の透哉は知らない。
変質した罪が、形を変え新たな事件の引き金になることを。
再び事件にかかずらうことになろうとは知る由もなかった。
「着いたのである」
「ん?」
五分ほど歩いた後、狼男が足を止め、店の看板を指した。そこは以前と同じオープンテラスがあるカフェだった。
店員に案内された席に着き、メニューを手にしたところで透哉が特に悪気なく疑問を口にする。
「また、甘いの沢山食べるのか?」
「む、それがし、甘党である事を話したことはあったか?」
「前回たまたま注文が耳に入ったんだよ」
「そうであったか。それがし男でありながら甘いものに目がないのである」
「んなもん、気にすることじゃないだろ?」
どこか気恥ずかしそうに言う狼男だが、魔人や人魔などとより難解な問題を抱えている手前、些細なものだった。
それぞれ注文を終えたところで、透哉は恐る恐る相手の顔色を窺う。
店の雰囲気の影響か、緊張が解け幾分リラックスして見えた。
反対に透哉には濃い緊張が見て取れた。
後々のためにも、これ以上波風は立てず、良好な関係を維持したまま十二学区を去りたかった。
しかし、短時間で構築された関係を壊してでも、情報を絞り取りたいという打算が勝った。
「なぁ、事件の話なんだが続きはないのか?」
「続きとは、どう言う意味であるか? 貴殿、興味本位であるならっ」
案の定、険しい顔つきに戻るが、それでも透哉は話を続ける。
知りたいのは事件の進展状況のみで、負傷したメンバーへの冷やかしの意図はないからだ。
「違う。事件全体の後という意味だ。犯人の目星とかは付いてないのか?」
「それがしでは分からん。ただ、恐らく外の者の仕業であろうな。似たことが以前にもあったのである」
「外って言うと、十二学区の外ってことか?」
「……そんな感じである」
狼男は何かを諦めたような、何かを憂いているような表情をして返事をする。
答えは曖昧だったが、透哉は冷や汗をかいていた。
クロウには捜査は進展していないと聞かされて安心していたからだ。捜査の矛先が自分たちを示していることに焦りを抱いた。
「じゃあ、朝松市からってことか?」
「む? それはあり得ぬであろう。接点がなければ動機もない」
透哉の踏み込んだ質問に、狼男はまるで見当違いと言わんばかりに否定した。
「それがしたちの言う『外』というのはゼロ学区の住人のことである」
「(カラス野郎の話にも出てきた名前だな。話では不良の溜まり場のような場所だっけか……)」
「貴殿は存ぜぬであろうが、一見、華やかに写る十二学区にも薄暗い場所があるのである」
「そうなのか……ん? でも今の説明だと学区が十三個あることにならないか?」
透哉の鋭い指摘に、狼男は肩を震わせた。どうやら、口にし難い話題に触れてしまったようだ。
「ゼロ学区とは、昔の第十一学区である」
「昔の?」
「二年ほど前に大規模な爆発事故が起きて主要機関が機能を失ったのである。大多数の住民は他の学区に身を寄せ、今も生活をしている。けれど、中には反発心からか、廃墟当然の町中に住み着き、悪事を働く輩がいるのである」
「あー、そう言うことか……悪かったな、変なこと聞いて」
「失礼します、ホットケーキセットになりまーす」
漂い始めた微妙な空気が、タイミングを計ったように現われた店員の柔らかな声によってかき消された。こちらの事情など知りもしない店員は、配膳を終えるとそそくさと去っていった。
透哉が顔を上げると、運ばれてきたホットケーキに目の色を変えて歓喜する狼男がいた。
どうやら本当に甘い物に目がないらしい。
その顔を見ていると、妙な詮索や暗い話題を蒸し返すのは憚られた。
透哉は「ふぅ」と息を吐き、肩の力を抜き、先程からずぅっと耳につくある音に頭を抱える。
『めんこーい! どっこいしょー!』
店内の音響として流れていたのは、十二学区で活躍するアイドルグループ、エレメントのデビュー曲『めんこい娘の麺恋!どっこいしょ音頭』である。
入店してからずぅっとこの調子で、真面目な話の邪魔をしていた。
「なんとかなんねぇのか、この曲……」
「む? 貴殿、どっこいしょ音頭が嫌いであるか?」
透哉の嘆きに、狼男はカレー嫌いの子供を見たような、大層不思議そうな顔で尋ねてきた。
「真面目な話をするときには、ちょっと不向きだな」
「むむ? 抜群に集中力が高まり、アガるではないか」
「おいおいおいおい、マジかよ」
「うむ。楽しいときは勿論、辛いときも悲しいときも、朝も夜もこの歌声さえあれば乗り越えられるのである」
「ほとんどずっとじゃねぇか!?」
狼男は食べる手を止め、目を閉じて耳で舌鼓を打つように満足気な顔を浮かべる。
ノリノリである。
「いや、えっと。元気になったらそれでいいか」
「そうであるな!」
快活な返事は見た目とは裏腹に、年相応の少年のものだった。なんだか毒気を抜かれた透哉もホットケーキを口に運びつつ、ちらりと正面に目を向ける。
てっきり手掴みでガツガツ口に放り込むかと思っていたが、大きな手でナイフとフォークを持ち、ホットケーキを切り分けて食べている。たまにぎこちない動きが見られるが、フォークしか使わない透哉よりは遥かにテーブルマナーが板についていた。
男二人、和やかに甘味に舌鼓を打つ。
ホットケーキを半分ほど食べた頃、今更過ぎる事実に透哉はぶち当たる。
「(そう言えば、コイツの名前知らねぇままだな)」
「どうしたのであるか?」
食べる手を止め、頭を悩ませる透哉に狼男が首を傾げる。
「ん? 俺たち、互いの名前を知らねぇなって」
「む、それがし名乗っていなかったのであるな」
「ああ、俺は御波だ。御波透哉だ」
「それがし、大神優である」
双方名乗り終わり、どちらからでもなく笑いが溢れた。
「順序、無茶苦茶だなっ!」
「うむ、全くであるっ!」
「「うははははっ!!」」
長年の友人のように一頻り笑ったところで、電子音が水を差す。
「すまぬ、それがしである……えっ?」
大神は断りを入れてスマホ取り、画面を目にした瞬間表情が硬くなる。
「もしもし、鮫崎隊長であるか?」
「……っ」
怖ず怖ずと通話を始めた大神を尻目に、透哉は食べる手は止めずに出来るだけ自然を装い、聞き耳を立てる。
大神の通話相手は『戦犬隊』の隊長だった。
昨晩の戦闘中に『戦犬隊』の面々が覗かせた粗野な素養は、とても警備隊とは言い難い。あんなごろつき紛いの発言をする連中だけで組織が真っ当に機能するとは思えなかったのだ。
それを束ねる者が通話相手。大神の態度の変わり様からも、余程の人物であることが見て取れた。
一分にも満たない通話を終えた大神が、険しい面持ちで顔を上げた。
「御波殿」
「用事でも出来たか?」
「うむ、隊長からの命令が入ってしまった故、向かわなければならない」
「隊長?」
「そうである。『戦犬隊』の鮫崎隊長である」
返事の声に力がこもっていた。
嬉しそうと言うより、使命を与えられ、意欲に満ちていた。
「随分ご執心だな。お前が慕うってことは熊みたいな魔人なのか?」
「どんな想像しているのであるか!? それがしは、その……えっと」
透哉は探りの一環として、適当な想像を半分押しつけるように大神に向けて投げた。それは単純に『戦犬隊』の外見や印象を誇張したに過ぎなかった。
しかし、大神は妙に紅潮した顔で声を上げると、照れたようにモジモジし始めた。
「……ははぁ~ん? なるほど、そう言うことか?」
「な、なんでござるか!?」
「隊長ってのは女なのか? つーか、なんだその急な侍口調は?」
「むむぅ!? 御波殿、鋭いでござる!? 確かに鮫崎隊長は美人で格好いいのである!」
誤魔化しを諦めた大神は席を立ち、フォークを左手に握ったまま褒めちぎる。
その様は選挙の応援演説だった。
「でも……」
「でも?」
「同時にとてつもなく怖いのである」
今度はしゃがみ込んで震えだした。それも、三角の耳を踏んづけたサンドイッチみたいに折り曲げて。
「おいおい、情緒不安定かよ!?」
「おっと、こんなことをしている場合ではないのである!」
「そうだな、美人隊長のお呼びとあらば従わないわけには行かねーもんなー」
「御波殿ぉ!? 違うのでござる!? 何度も言うがそれがしは候補生! つまり――っ」
「つまり?」
「これにてごめんっ!」
「誤魔化しやがった!?」
大神が釈明して去った後には、半分ほどしか食べられなかったホットケーキだけが残っていた。
好物を置き去りにし、支払いもせずに飛び出して行くほどの使命感。もしくは、必要とされ活躍の場を与えられた喜び。
大神の心中は定かではなかったが、透哉は深々と頭を下げて中座した大神の姿を思い浮かべながら自分の残りを咀嚼していた。
すると、配膳してきた店員が席を訪れていた。
「お客様?」
「え、俺? なんだ?」
「今出て行かれたお客様のお連れ様でしょうか?」
「そうだけど、なんか急ぎの用だと言っていたな」
透哉は雑談に興じている程度の感覚だったが、店員は言いづらいことでもあるみたいに顔色が優れない。
「お支払いをせずに出て行かれたのです」
「へぇ、そりゃ大変だな。慌ててたから忘れたんだろうな」
「ご一緒でよろしいですか?」
「ん? 何で俺がアイツの支払いまでしなきゃな……」
「ご一緒でよろしいですね?」
「――はい」
店員の剣幕に圧倒され、二人分の会計を済ませた透哉は疲労感たっぷりの顔で店を後にした。
難題を持つ者同士の会食は慌ただしくも、平穏のまま幕を閉じたのだった。
(妙な詮索をした罰ってことか? まぁ、それなら安いもんか……)
再び一人になった透哉は往来を行きながら、思う。
そして、質と形を変えた自らの罪に改めて向き合う。
罪は、戦場と被害者に刻まれた爪痕だけではなかった。
小さな爪痕や余波を受けて苦しむ姿を目の当たりにした。
その一つ一つは、学園や十二学区規模で見ると些細なものだったが、少年でしかない透哉の心には大きく、重く、深く刻まれた。
この時の透哉は知らない。
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