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第三章
第29話 御波透哉の罪(2)
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2.
透哉と狼男は賑わい溢れる緑地公園を離れ、遊歩道を歩いていた。
移動の最中、狼男の口から語られる殉職した隊員の話。
「身なりは小柄であったが、強い正義心の持ち主であった。今年入隊したばかりながら、十二学区の治安維持のため奔走し、各地で活躍していたと聞く」
透哉にとって件の先輩隊員の話を聞かされることは磔刑に等しかった。
はっきりと確かめた訳ではないが、自分が殺してしまった、あの小柄な魔人に他ならない。
見知らぬ魔人と言う薄い存在から、知人の縁者であった事実が、罪の意識をより濃く大きくした。
身を切られるような痛みを覚えながらも、被害者の意図せぬ弾劾を、心を殺して受け止めた。
一人の魔人の未来を奪った重責が、透哉を苛んでいた。
「どんな最期を迎えたのかは聞かせてはもらえなんだが、それがしは誇りに思う」
故人の名誉のためか、事実は意図的に伏せられていた。
殺希に見せられた残骸を思い返すと、それも頷けた。
残された者に公開できないほどの仕打ちをしたのだ。
「そして、ゼロ学区で腐っていたそれがしを救ってくれた恩人なのである」
「(ゼロ学区、カラスがさっき言ってた場所か……)」
聞けば聞くほどに、知れば知るほどに、のしかかってくる罪の重さ。
透哉にできるのは、耳を傾けながら耐えることだけだった。
「先日会ったときにも、それがしが公正できたように、他のゼロ学区の者にも手を差し伸べると、尽力すると意気込んでいたのに」
正直、耳を塞ぎたかったし、真逆に全てを告白し、謝りたいとさえ思った。
この場で全ての罪を吐き出し、償いをしたかった。
逃げ出すように、楽になりたかった。
透哉の心中など知らず、疑いもしない狼男の言葉が、信頼が、恩情が――痛い。
「すまぬ、一人話し込んでしまったようであるな」
「俺は構わないぞ、話した方が楽になることってあるだろ」
責苦に耐えながら、慰めの言葉を絞り出すことしかできなかった。
「それがし、昔は見た目通りの相当なワルだったのである」
「……」
「どうしたのであるか?」
「いや、ワルって……お前の言い方が、大変に面白いのである」
親身になって聞き入っていたせいもあり、突然のカミングアウトに笑いを堪えながら言う。
「ま、真面目な話しであるぞ!?」
「分かってる、分かってる。根がいい奴なんだなって、ぷぷっ、思っただけだ」
「貴殿と言うヤツは……着いたのである」
怒っていると言うより呆れた声でぼやく内に目的地に着いたらしい。
しかし、緩んだ空気は現場に着いた途端に消え失せた。
緑地公園付近が嘘のように、一帯に賑わいはない。
時折通る自動車の騒音が遠くから耳をかすめる程度だった。誰もが息を潜めたように、設けられた献花台を粛々と見守っていた。透哉たちは示し合わせたわけでもなく、できた列の最後尾に並んだ。
五分足らずで捌けた群衆を抜け、献花台に向き合う。
そこは先客とも言える大量の花束や供えの品で埋め尽くされていた。
実際の現場から少し離れていたこともあり、殺陣の惨状は見えなかった。
道中で買ってきた小さな花束が、狼男の大きな手で供えられる。
目を硬く閉ざし、絞り出された涙を零しながら手を合わせる。歯を食いしばる横顔からは哀悼が滲み出ていた。
透哉は迷った。
しかし、偽装のため、倣って手を合わせた。嘘の礼節ではあったが、透哉は二人で献花台の前で揃って合掌する。
狼男は顔を上げ、再度献花台に向き合う。
「すまない、身勝手な頼みであった」
「気にするな……こう言うときはお互い様ってやつだ」
「そうか……貴殿は優しいのだな」
透哉の頬を伝う涙を見て、もらい泣きと勘違いした狼男はどこか救われたような顔をして言った。
合掌という仕草は素性を晦ますための偽装だった。しかし、自らが犯した罪への罪悪感までは偽ることができなかった。
「その先輩ってやつのことは知らないけど、一人のためにこんなたくさんの人を動かしている。命は重たいんだなって……」
他人事のような呟きの中で、透哉は殺希の言葉を思い出す。
『だからね、君はまだ一人しか殺していないんだよぉ?』
殺希の口から十年前の記憶が偽りであると知らされた透哉。
大量殺人を犯していないと言われ、まだ一人しか殺していないと知らされ、薄れた罪の意識は錯覚だったと知る。
問題なのは、数ではなかった。
目の前に広がるのは紛れもない『御波透哉の罪』が生み出し光景だった。
あの時殺希が浮かべていた笑みは慰めではなかった。偽りではない本当の罪に手を染めてしまったことに対する、憐れみだった。
外れたと思った足枷は始めからなく、呪いも呪縛も幻だった。
救われたと思ったことも、全て勘違いだったのだ。
代わりに、自らが手にした本当の罪に向き合わなければならなかった。
踏み外したのはたったの一歩だったが、その足は確実に深く深く罪の沼に埋まっていた。
そして、今更になって気付いた。
殺希のところで死体を見たときの右手の震え。
あれは人を殺した恐怖による震えだったのだ。
透哉が塞ぎ込んで黙っていると、狼男がある提案をした。
「……血なまぐさい話ばかりで申し訳ないな。食事でもいかがだろうか?」
「気にしないでくれ。と言うか、飯の誘い方が絶望的に下手だな……食べ物が喉を通らないんじゃないか?」
「さっきも言ったが、それがしは『戦犬隊』の候補生なのだ。恥ずかしい話、捜索部隊から外されてしまって何も出来ないのである」
気を遣ったつもりだったが、狼男は自虐的に笑う。
「しかし、居ても立ってもいられず、外に出てきたのである」
「あー、気を紛らわせるために散歩って言ってたもんな」
「平たく言えばそうである。正直、ここを訪れることも迷っていたのであるが。貴殿こそ散歩だったのでは?」
「ん? 似たようなもんかな。最近分からないことが多すぎてのんびり考える時間が欲しかったんだ」
一頻り意見交換をしたところで、透哉は小さな引っかかりに気付く。
「(再来年卒業してからどうとか言ってたな)……え、お前、俺と同学年かっ!?」
「貴殿も二年生であるか? なるほど、話がしやすいわけである。ならばもう暫し、時間つぶしに付き合ってくれぬか?」
「ああ、乗りかかった船だ。構わないぞ」
難題に苦慮する者同士は、暇を求めた先で偶然にも出会い、行動を共にする。
一つ情報の取り違えがあれば一触即発する間柄。
それでも、紆余曲折を経て透哉は誘いを受けることにした。
血生臭い戦闘から一夜が明け、許されない立場であっても休息は必要だった。
そして、傷心につけ込む形であり、騙し欺いていると言う後ろめたさは当然あった。
それでも、今はその腹黒さに身を委ねるしかなかった。
透哉と狼男は賑わい溢れる緑地公園を離れ、遊歩道を歩いていた。
移動の最中、狼男の口から語られる殉職した隊員の話。
「身なりは小柄であったが、強い正義心の持ち主であった。今年入隊したばかりながら、十二学区の治安維持のため奔走し、各地で活躍していたと聞く」
透哉にとって件の先輩隊員の話を聞かされることは磔刑に等しかった。
はっきりと確かめた訳ではないが、自分が殺してしまった、あの小柄な魔人に他ならない。
見知らぬ魔人と言う薄い存在から、知人の縁者であった事実が、罪の意識をより濃く大きくした。
身を切られるような痛みを覚えながらも、被害者の意図せぬ弾劾を、心を殺して受け止めた。
一人の魔人の未来を奪った重責が、透哉を苛んでいた。
「どんな最期を迎えたのかは聞かせてはもらえなんだが、それがしは誇りに思う」
故人の名誉のためか、事実は意図的に伏せられていた。
殺希に見せられた残骸を思い返すと、それも頷けた。
残された者に公開できないほどの仕打ちをしたのだ。
「そして、ゼロ学区で腐っていたそれがしを救ってくれた恩人なのである」
「(ゼロ学区、カラスがさっき言ってた場所か……)」
聞けば聞くほどに、知れば知るほどに、のしかかってくる罪の重さ。
透哉にできるのは、耳を傾けながら耐えることだけだった。
「先日会ったときにも、それがしが公正できたように、他のゼロ学区の者にも手を差し伸べると、尽力すると意気込んでいたのに」
正直、耳を塞ぎたかったし、真逆に全てを告白し、謝りたいとさえ思った。
この場で全ての罪を吐き出し、償いをしたかった。
逃げ出すように、楽になりたかった。
透哉の心中など知らず、疑いもしない狼男の言葉が、信頼が、恩情が――痛い。
「すまぬ、一人話し込んでしまったようであるな」
「俺は構わないぞ、話した方が楽になることってあるだろ」
責苦に耐えながら、慰めの言葉を絞り出すことしかできなかった。
「それがし、昔は見た目通りの相当なワルだったのである」
「……」
「どうしたのであるか?」
「いや、ワルって……お前の言い方が、大変に面白いのである」
親身になって聞き入っていたせいもあり、突然のカミングアウトに笑いを堪えながら言う。
「ま、真面目な話しであるぞ!?」
「分かってる、分かってる。根がいい奴なんだなって、ぷぷっ、思っただけだ」
「貴殿と言うヤツは……着いたのである」
怒っていると言うより呆れた声でぼやく内に目的地に着いたらしい。
しかし、緩んだ空気は現場に着いた途端に消え失せた。
緑地公園付近が嘘のように、一帯に賑わいはない。
時折通る自動車の騒音が遠くから耳をかすめる程度だった。誰もが息を潜めたように、設けられた献花台を粛々と見守っていた。透哉たちは示し合わせたわけでもなく、できた列の最後尾に並んだ。
五分足らずで捌けた群衆を抜け、献花台に向き合う。
そこは先客とも言える大量の花束や供えの品で埋め尽くされていた。
実際の現場から少し離れていたこともあり、殺陣の惨状は見えなかった。
道中で買ってきた小さな花束が、狼男の大きな手で供えられる。
目を硬く閉ざし、絞り出された涙を零しながら手を合わせる。歯を食いしばる横顔からは哀悼が滲み出ていた。
透哉は迷った。
しかし、偽装のため、倣って手を合わせた。嘘の礼節ではあったが、透哉は二人で献花台の前で揃って合掌する。
狼男は顔を上げ、再度献花台に向き合う。
「すまない、身勝手な頼みであった」
「気にするな……こう言うときはお互い様ってやつだ」
「そうか……貴殿は優しいのだな」
透哉の頬を伝う涙を見て、もらい泣きと勘違いした狼男はどこか救われたような顔をして言った。
合掌という仕草は素性を晦ますための偽装だった。しかし、自らが犯した罪への罪悪感までは偽ることができなかった。
「その先輩ってやつのことは知らないけど、一人のためにこんなたくさんの人を動かしている。命は重たいんだなって……」
他人事のような呟きの中で、透哉は殺希の言葉を思い出す。
『だからね、君はまだ一人しか殺していないんだよぉ?』
殺希の口から十年前の記憶が偽りであると知らされた透哉。
大量殺人を犯していないと言われ、まだ一人しか殺していないと知らされ、薄れた罪の意識は錯覚だったと知る。
問題なのは、数ではなかった。
目の前に広がるのは紛れもない『御波透哉の罪』が生み出し光景だった。
あの時殺希が浮かべていた笑みは慰めではなかった。偽りではない本当の罪に手を染めてしまったことに対する、憐れみだった。
外れたと思った足枷は始めからなく、呪いも呪縛も幻だった。
救われたと思ったことも、全て勘違いだったのだ。
代わりに、自らが手にした本当の罪に向き合わなければならなかった。
踏み外したのはたったの一歩だったが、その足は確実に深く深く罪の沼に埋まっていた。
そして、今更になって気付いた。
殺希のところで死体を見たときの右手の震え。
あれは人を殺した恐怖による震えだったのだ。
透哉が塞ぎ込んで黙っていると、狼男がある提案をした。
「……血なまぐさい話ばかりで申し訳ないな。食事でもいかがだろうか?」
「気にしないでくれ。と言うか、飯の誘い方が絶望的に下手だな……食べ物が喉を通らないんじゃないか?」
「さっきも言ったが、それがしは『戦犬隊』の候補生なのだ。恥ずかしい話、捜索部隊から外されてしまって何も出来ないのである」
気を遣ったつもりだったが、狼男は自虐的に笑う。
「しかし、居ても立ってもいられず、外に出てきたのである」
「あー、気を紛らわせるために散歩って言ってたもんな」
「平たく言えばそうである。正直、ここを訪れることも迷っていたのであるが。貴殿こそ散歩だったのでは?」
「ん? 似たようなもんかな。最近分からないことが多すぎてのんびり考える時間が欲しかったんだ」
一頻り意見交換をしたところで、透哉は小さな引っかかりに気付く。
「(再来年卒業してからどうとか言ってたな)……え、お前、俺と同学年かっ!?」
「貴殿も二年生であるか? なるほど、話がしやすいわけである。ならばもう暫し、時間つぶしに付き合ってくれぬか?」
「ああ、乗りかかった船だ。構わないぞ」
難題に苦慮する者同士は、暇を求めた先で偶然にも出会い、行動を共にする。
一つ情報の取り違えがあれば一触即発する間柄。
それでも、紆余曲折を経て透哉は誘いを受けることにした。
血生臭い戦闘から一夜が明け、許されない立場であっても休息は必要だった。
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