終末学園の生存者

おゆP

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第三章

第28話 空っぽな少年『絵』

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 透哉は、頬に痛烈な一撃を受けた。
 遡ること数十秒前。
 選んだメモリーカードを搭載したアカリ本体たる黒い球体。それが殺希の手によってアカリの胸部に納められたときのことだ。
 開胸部は魔力による発光を伴いながら自然と閉じ、縫合もされず傷一つなく塞がった。
 蝋のように白かった肌にも生気が宿り、熱を帯びた肌色に染まる。
 透哉の眼前で黒い球体と人形が、偽装された少女の肉体へと変じたのだ。
 感心よりも恐れが勝る光景を、透哉は固唾を飲んで見守っていた。

「んん……? あれ? わっ、透哉どうしたの? そんな怖い顔をして。あれ、私寝てた?」

 そして、呆気ないアカリの目覚めは、仕草こそ生物的であったが、通電された機械のようだった。

「ああ、寝てた」
「そう……っ」

 小さく言葉を返す透哉は、困惑で表情を曇らせていた。
 しかし、アカリにはそう映らなかった。
 何故かベッドにいる自分。
 何故か上半身が裸な自分。
 寝ていた自分の裸身を見ていた異性の友人。
 少年の心配は届かず、乙女の羞恥が勝った。
――つまり。

「――きっ」
「き?」
「きゃあっ!? 透哉のエッチぃ!」

 透哉の頬に平手打ちが炸裂した。
 
「アカリ、恩人に対する態度としては不適切だよぉ?」
「恩人? 女の子の寝込み襲おうとしたのに!?」



 殺希は肩を揺らして笑いを我慢しながら、アカリに倒れて一晩寝ていたことを告げ、透哉のために弁明を図る。

透哉君・・・が大慌てで私に連絡してきたときは慌てたよ。くっ、くくくっ」

 透哉の顔の惨状に、殺希は堪えられなくなった笑いを零しながら、状況説明を加える。殺希の口から出た怖気がする呼称はさておき、誤解は解けたようだ。
 しかし、アカリを次なる疑問を襲う。

「あれ、殺希さん透哉を知ってるの?」
「まぁね、コンサート会場の観客席がたまたま隣だったんだよ」
「へー」

 物言いたげなアカリに半眼で睨まれたが、何を言っても疑いをかけられそうなので透哉は黙って聞き入れた。
 殺希の説明も色々捏造されているが、事実より遥かに現実味があった。
 口裏を合わせ、黙って頷くことしかできなかった。
 そんな痴話喧嘩を終えたのが十分程前。
 アカリの無事を確認し、安心して帰路に着く振りをして部屋を去った。
 透哉は殺希に付いてエレベーターに乗ると口を開いた。

「どう言うことだ」

 俯いた透哉は、要望とは異なる結果・・・・・・・・・に殺希を問い詰める。
 今にも凶刃を構え、飛び込んできそうな声色で。
 実際は要望を足蹴にされたことにではなく、覚悟を不意にされたことにいかっていた。

「君を試したんだよ。メモリーカードの中身はどっちも同じ・・・・・・だったんだよ」
「じゃあ、どっちを使っても記憶は同じだったのかっ!」
「結果は見ての通り。天国も地獄もなかったんだよぉ?」

 目覚めたアカリは何も知らなかった。
 自分が殺されたことも、
 自分が人ではないことも、
 自分が透哉に殺されたことも、
 全部知らなかった。
 それは同時に、罪とアカリと向き合う覚悟を決めた透哉の心を圧し折った。
 誰も透哉を叱らない、咎めない。
 安寧という揺り籠は透哉をまだ、赦さない。

「母親としては、娘がどれくらい愛されているのか量りたかったんだよ。これが親心ってヤツかなぁ?」
「どの口がそんな人間染みたこと言ってんだよ……ちょっと待て、愛されているって俺はそんなんじゃねぇぞ!?」
「良かったじゃないか。内心、ほっとしたでしょう?」
「――っく」

 殺希は茶化すことなく油断を突いた。
 透哉は何一つ言い返せず歯噛みする。
 アカリに向き合うと覚悟を決めたにもかかわらず、安堵している自分がいるのは、紛れもない事実。

「アカリは『これからも』真っ直ぐな目で君を見続けるだろうねぇ」

 償う機会さえ奪われた透哉に、殺希は無慈悲にも続ける。

「困難から逃げる者には地獄を。困難に立ち向かう者には、さらなる地獄を。君はまだ罪を償ってはいけない。懺悔なんて赦さないよぉ? ずっと、自らが科した十字架を背負っていくんだよ」
「逃げるつもりなんてない。償えるような罪じゃないことなんて自分が一番理解してんだよ」
「……? あぁ、君は十年前の事も含めて言っているんだねぇ」

 険しい顔を作る透哉を、不思議そうな目で見ていた殺希は、思い当たる節に気付いたのか、一人納得して頷いた。

「それは別として、一人の少女の未来に逡巡する君の姿は滑稽だったよぉ? 君の方こそ、呆れるほど人間染みているじゃないか」

 殺希にしてみれば、軽い意趣返しのつもりだった。
 しかし、人間であることを捨て、数多の決意と覚悟の上で〈悪夢〉になると誓った透哉には最上級の侮辱だった。

「自覚はないかもしれないけど、君はこちら側の人間だよぉ?」
「馬鹿にするのも大概にしろ」

 決意と覚悟、その両方を踏みにじる言葉に透哉の我慢が切れかけていた。
 アカリを人質にされていたさっきまでと異なり、今の透哉には侮辱への怒りを抑えておく必要性がなかった。
 気配を察してなお、殺希は口を噤まない。

「君は、向こう側・・・・に居ちゃいけない。そう言ったんだよぉ?」
「今更人間ゴッコに戻れってか」
「ふふふっ、全く意味が違うよぉ?」

 嘲笑ではない、諭すような口調だった。

「さて、前置きはこれぐらいでいいかな?」
「前置き?」

 殺希の回りくどい言い方に、透哉は不穏な気配を感じ取った。会話の最中、エレベーターは依然として降下を続けていた。いくら十二階から降りてきたとは言え、長すぎる。
 どうやら、一階に到着したら、すんなり帰宅とはいかなくなったらしい。
 エレベーターが物々しい音を鳴らして停止すると、殺希は先に出て行く。
 エレベーターの中での挑発的な言動は、ここに連れ込むための姑息な時間稼ぎに過ぎなかったのだ。

「アカリの件は君をここに来させるための口実。本題はここからなんだよ」
「な、」

 完全にアカリのことで出し抜かれていた。
 つくづく抜け目がなく、掴み所のない〈悪夢〉に振り回されてばかりだった。
 エレベーターを降りると、昨晩訪れた地下の研究施設に直結していた。
 事務机と物資が詰め込まれた棚が乱立した、生活感の欠けた無機質な部屋だ。
 昨晩との差を上げるなら、傍らに置かれていたアカリの体がないことのみ。

「てめぇの根城じゃないと話せねぇってか?」
「そうだよぉ? 今からする話は、君だけに伝えたい。多言もしないと約束して欲しいねぇ」

 皮肉を真っ向から受け止められ、何故か口止めまで要求された。
 昨日のような直接的な身の危険は感じなかったが、不穏な空気は漂っていた。

「話を始める前に一つ確認するよぉ?」
「確認?」
「今朝の私からの電話を受けたのは学園の中?」
「ああ、廊下を歩いているときだ」
「そのとき、彼女は近くにいたのかな?」
「彼女って、流耶のことか?」

 殺希は無言で頷く。

「あいつは先に保健室を出て行ったから、電話していたときは俺一人だったよ。それがどうかしたのか? んだよ、聞かれちゃまずいことなのか?」
「私の根城じゃないと、耳聡いあの娘に聞かれてしまう可能性があるからねぇ」

 殺希は含みを持たせて言うが、透哉は不思議に思った。
 言葉を整理すると、殺希は流耶に内密な話をするため、アカリを餌に自分を誘き出したことになるからだ。

「お前ら裏で繋がってんだろ? また妙な誤魔化し――」
「確かに私は宇宮湊うみや みなとを介して、裏で草川流耶と内通していたねぇ。でもそれはミナミトウヤ視点の私たちの関係でしかないんだよぉ?」
「……していたって、なんだよ」
「私たちを結ぶ計画……いや、約束にほつれが生まれ始めたんだよぉ」

 殺希は話しながら床に転がると、リラックスした様子で「ふぅー」と息を吐いた。
 この状況から内密で重要な話しが始まると誰が予想できるのか。

「順序というものは大切だよね。今日君に話すことを決めたのも、順序を経た結果なんだよ。私自身、アカリの部屋を出る直前まで君に明かすかどうか迷っていたんだよぉ?」

 間延びした声は迷いや悩みとは無縁に見えた。しかし、ここ二日の殺希とのねんごろな付き合いから、透哉は変化を見つける。
 いつもなら三つ編みと一緒にだらしなく流れている腕を、胸の前で組んでいた。姿勢こそ変わらないものの、殺希なりの緊張、その機微が見て取れた。

「君の反応は、期待通りと言ったところかな?」
「全部思い通りってことかよ」
「あぁ。でも、喜ばしいことなんだよぉ? アカリへの反応、君自信の変化も。私の呼びかけに応じ、ここにいることも含めてねぇ」

 殺希は言いながら笑う。
 思惑が都合よく運んでほくそ笑んでいるのとは少し違った。
 事態の好転と進展への単純な喜びだった。

「その上でミナミトウヤ、君に聞くよ? 他人を傷つけることは、痛かったかい?」
「いきなりなんだよ。下らない経過観察を続けるならもう帰るぞ」
「答えるんだ」

 寝転び、 閉眼したまま凄む殺希の剣幕に圧倒された。姿勢でも眼光でもなく声色だけで、春日殺希と言う〈悪夢〉は少年に畏れを抱かせた。

「――ああ、痛いよ。白々しいことを聞くな」
「そうかぁ。そうだよねぇ」

 アカリたちにせよ『戦犬隊』と呼ばれる魔人の集団にせよ、理由や動機で濁らせても他人を傷つけたことに変わりはない。
 人間であることを捨てると決意しながら、他者を傷付ける行為に無感情ではいられなかった。
 透哉の返事に、殺希の口元が弧を描いた。
 まるで透哉の中に残されている人間性を喜ぶみたいに。

「君に見せたいものがあるんだ」
「なんだよ」

 殺希は髪の毛をバネのように使って跳ね起きると、とある方向を指差した。殺希が指で示した先、そこは分厚いガラスで隔絶された隣室。
 言われるがまま近づき、ガラス越しに隣室を覗き込み、ソレと再会した。
 始め透哉はソレが何か分からず、首を傾げた。
 ガラスの向こうにあったのは、手術室などにある巨大で無骨な銀色の寝台。
 その上を埋め尽くすように置かれているのは、二つの黒い山。
 目を凝らし再度、爪先・・から見て息を詰まらせた。同時に、震えだした右手が、脳より先に眼前の物体を理解した。
 寝台に置かれていたのは、縦に分断された巨大な魔人の肉体。

「これは昨晩、君が初めて殺した人の肉体だよ」

 残骸や肉屑と言って遜色ない塊を前に告げられる。
 透哉は釘付けになっていた視線を切り、殺希の方を焦燥と共に振り返った。
 驚愕に目を見開き震える透哉の反応を、殺希はどこか面白そうな目で見ていた。

「誰しも初めて・・・人を殺めたときはそんな反応だよねぇ」

 続く殺希の言葉で、透哉は驚愕に塗り潰されていた違和感に気付いた。
 怒りでもない、疑いでもない、それは戸惑いだった。

「……」
「君もコレで晴れて一人の人殺しになってしまったねぇ」
「何言ってんだ……俺は殺している。たくさん人を殺している。十年前のあの日、旧学園であんなに、たくさん」

 戻ってきた戸惑い。
 初めて人を殺した、と言う間違えようのない、間違い。
 透哉は脳裏に蘇る辛い記憶に耐えながら絞り出すように呟いた。殺希の妄言とも取れる言葉に、逆らうため。
 十年前の旧学園で数多の死線を潜り、屍を積み上げ、殺人者として生き残った今の自分・・・・と言う存在を守るため。
 透哉が抱えている違和感と疑問、その全てを見透かしていた殺希は、核心を一撃で突き崩した。

「それは本当に君の、ミナミトウヤ・・・・・・の記憶なのかなぁ?」
「……は?」
「結論から言うよぉ? 君の記憶は、改竄されている。それどころか、全て偽りだよ」

 殺希の口から出た突拍子もない事に、透哉の思考は停止した。
 話は続き、繋がっているのに、理解が追いつかなかった。

「君が今、脳裏で見ている十年前の殺戮の記憶は、他人の物。意図的に植え付けられた偽りの記憶。君を都合よくコントロールするためのただの情報なんだよぉ?」
「おいおいおい、何を言ってんだ!?」
「だからね、君はまだ一人しか殺していないんだよぉ?」

 その言葉に透哉はハッとする。殺希が真紅の瞳をギラつかせながらも、口元はやんわりと微笑んでいた。
 真意は測れないが、殺希が事実を語っていると信じることができた。
 透哉は、殺希の言葉を薬のように飲み込むと、目を覚ます。
 しかし、それが誤った薬効、或いは副作用でしかないことをこの時の透哉が気付くには至らなかった。
 殺希の言葉を飲み込んだ途端、すっと憑き物が落ちた気がした。
 長年の呪いが解け、嵌めていた足枷が砕け散って足が自由になった。
 十年前『幻影戦争ファントム』でたくさんの生徒たちを殺したのは自分ではなかったのだ。
 透哉は救われたような錯覚に陥る。
 けれど、それらの感情はたちどころに吹き飛んだ。
 透哉は狼狽えながら、恐れた。
 自分の理解が追いつくことに。
 ひびが、亀裂が、近付いて来ていた。
 心の奥底に、自分と言う存在の根幹に、はっきりとした揺らぎと凋落の予兆を感じる。
 殺希が語った冗談にしか聞こえなかった事実は、透哉が今日まで積み重ねてきた日々に罅を、亀裂を、生じさせ崩壊させた。



「じゃあ――俺は、誰なんだ?」



 日曜日の白昼。
 光も届かない地下で。
 御波透哉は知ることになる。
 語られた事実は、少年を破壊した。
 本質も、
 信念も、
 存在も、
 これは『御波透哉』と呼ばれるモノが主人公になる物語。
 何故なら、少年は『まだ』主人公ではないのだから。
 空っぽな少年の物語はもう一度、ここから始まる。
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