終末学園の生存者

おゆP

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第三章

第27話 『白』と『黒』(2)『絵』

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2.
 殺希に先導され、アカリの待つ十二階の部屋に辿り着く。
 玄関を潜り、昨晩アカリと過ごしたリビングに足を踏み入れ、透哉は物足りなさを感じた。
 一人暮らしには広すぎるリビングには大型のテレビに、テーブルとソファのセットが無造作に置かれている。
 その景色は昨晩入った時と同じだったが、圧倒的に足りなかった。
 ライブ映像を流していたテレビは静寂を保ち、菓子類が散乱したテーブルにはテレビのリモコンしか乗っていない。
 床は掃除され、溶けたアカリで汚れたはずのソファは新しい物に取り替えられていた。
 凱旋パーティーの喧騒が、惨状が――なかった。
 恐らく、部下のクロウの仕業だろう。
 昨晩の惨状は透哉の記憶だけに残り、その痕跡は消え失せていた。
 呆然とする透哉の背に、殺希の声がかかる。

「リビングじゃなくてこっちだよ。それと、これから入るのはレディの寝室だよ? 心して入るようにねぇ?」

 茶化されているのは明白だったが、透哉は覚悟を決め殺希に続く。
 けれど、何一つ覚悟が足りていないことを、すぐに思い知らされる。
 アカリの寝室は本人の印象とは裏腹に、簡素な家具が並んだ飾り気のない部屋だった。
 そして、透哉は妙な感覚を味わうことになる。
 殺希に招き入れられた部屋からは何の香りもしなかった。生活臭さえ殺されたように、生物の存在を否定されたような空気が漂っていた。妙な期待など毛頭なかったが、とても女の子が生活する空間とは思えなかったのだ。
 そんな部屋の中央に置かれたベッドの上に、アカリはいた。
 透哉はアカリを挟んで殺希の向かい側に立ち、息を飲む。
 肌は蝋のように白く生気はなく、鼓動もなく、呼吸もせずに、安置されていた。
 ドロドロに溶けて事切れたアカリを見ているときよりも嫌な心地がした。
 そんな透哉に、殺希は飄々と語る。

「君がこのアカリと会うのは二度目だねぇ」
「二度目? こいつはあのときの……」
「そうだよ。昨日の夜、私の部屋で寝ていた子だよぉ。ほら、」
「な――っ!?」

 殺希が言いながらアカリを覆ったブランケットを捲ると、透哉は言葉を失う。寝かされたアカリは衣服を着用していなかった。
 透哉の驚きは、本人の許可なしに無造作に露わにされたアカリの乳房に対してではなかった。
 一糸纏わぬ上半身は、何かを格納するような空洞を晒して開胸され、奥からは接続用端子を有したコードが生えていた。
 乙女の裸身ではなく、人と呼びがたい姿に誤魔化しきれない動揺を晒していた。

「……っ」
「おや、見ていられないのかなぁ? ふふ、これはまだアカリじゃないのにねぇ。ただの解体された人形だよぉ?」
 
 羞恥でも、背徳でもない。
 食肉の屠殺を目の当たりにしたみたいに透哉は事実を拒んだ。
 直視し続けることができずに、顔を背けた。
 しかし、その視線の先。
 無造作に置かれた物体に透哉の目が釘付けになる。アカリの痛ましい姿に耐えられずに目を逸らした透哉を待ち伏せていた、それ・・
 まるで見舞い品のリンゴのように置かれた物体が、赤や緑のランプを明滅させながら、佇んでいた。
 アカリの胸部から引きずり出され、殺希が本体と言った、あの物々しい無骨な黒い球体だ。
 緊張で喉がひび割れたように、声が出なかった。その無機質な黒い球体がアカリの御首みしるしに見えてしまったからだ。
 一連の反応を楽しむように見ていた殺希がおもむろに言う。

「さて、そろそろアカリを起こして上げよう」

 それこそ、寝過ごした娘の姿に呆れた母親のように。
 しかし、殺希の言葉で目覚めたのは透哉の方だった。予想外の状況に失念していたのだ。悲喜交々あろうとも、自分はアカリにもう一度会うために訪れたのだ。

(昨日あれだけのことをしたんだ。今更、胸に穴が開いているくらいで……ってことは、あの黒い球を戻すってことなのか)

 透哉は自分に言い聞かせながら、アカリの動く仕組みを逆算した。
 同時に、更新のための記憶が二つあると明言された理由にも気付く。
 透哉は緊張を押し殺し、冷静に殺希に臨む。

「取引ってことか? 命令を聞かなければあの地獄の記憶を流し込むって」
「んー? 勘違いしているねぇ。私はそんなに優しくないよぉ? それに、君の言うところの『地獄の記憶』って奴は私の手元にはないんだよ」
「え?」

 他人事のように拍子抜けした顔を見せた透哉に、殺希の悪意がゆっくりと牙を剥く。
 それは既に打ち込まれていた・・・・・・・・・・遅効性の毒。
 それがこの瞬間、急激な早さで回り始め透哉の精神を侵食する。

「君に預けたはずだよ?」
「俺に……?」

 疑問を抱く中で、ざわざわと這い上がる気配に気付く。

大事な物・・・・だから肌身離さず持っていろと忠告もしたよ?」
「――まさか」

 あれ・・は逃走の最中の演出として、小道具として投げ渡された物だと思っていた。
 もう、役目を終えた物だと思っていた。
 しかし、忠告を律儀に守る透哉は、受け取った毒を、あの黒いメモリーカードを肌身離さず持っていた。
 震える手で取り出したそれは、不気味に鈍く、黒く、輝く。
 知らずのうちに託されていた、毒と言うには硬い、災いの種。
 透哉が打ち震えている間に殺希がにじり寄ってくる。

「そして、これが君との楽しい思い出まで・・が詰まった『幸せの記憶』だよ?」

 透哉の持つものとは対照的な白いメモリーカードをこれ見よがしに掲げる。
 透哉の目にはそのメモリーカードが全ての毒を中和し、自分もアカリも救う魔法の薬に映った。

「昨晩の真実を知った時、アカリが君を見る目は変わるねぇ」

 囁くような小さな声だったが、透哉の鼓膜を強く叩いた。
 同時にゴクリと奇妙な音を耳にし、それが自分の喉が鳴る音と気付く頃には、冷静さは失われていた。
 アカリが自分に向けた純粋な好意。その相手が凶行に及ぶなど夢にも思っていなかっただろう。
 そんな思い出を蘇らせていいはずがない。

「思いを寄せる異性から、自らを躊躇なく破壊しゴミのように踏みにじった殺人者に。そして、アカリは自分のことも知る。人魔でも魔人でもない偶然作られた人間ですらない物であると」

 春日殺希は、〈悪夢〉は言った。
 アカリに真実を伝えると、アイドルと少女の皮を被った化け物だと。
 その事実を突きつけると。

「最悪、アカリが壊れてしまうかも知れない。どっちを使えばかは、言うまでもないけどねぇ」

 殺希は他人事のように、浪々と語る。
 透哉は歯を食いしばって聞いていた。
 取り引き相手への横暴が最悪の結果を生むと理解し、必死に我慢していた。
 本当は手にした黒いメモリーカードを握り潰してしまいたかった。自分もアカリも苦しめる毒を消し去りたかった。
 しかし、その場合。
 殺希がどんな強攻に出るか予想がつかなかった。武力による衝突に勝ち目がない以上、相手のペースで話を続けるしか無かった。

「……条件を言えよ」
「条件?」

 辛抱の末に、小声で漏らした。
 自分でも分かるほど弱々しい声に、殺希は不思議そうに首を傾げた。

「しらばっくれるな!『幸せの記憶』が欲しければ、アイツを苦しめたくなければ従えっていう脅しなんだろ!?」
「んー?」
「何を壊せばいい!? 何を殺せばいい!? 何をすれば、アイツをこれ以上傷つけずにいられる!? どうすれば、償える!?」

 罪に苛まれる少年は、癇癪を起こす。
 数刻前まであった冷静さも打算も忘れていた。
 ぽかんとした顔を浮かべる殺希は、直後予想外の行動に出る。
 交渉の切り札を、
 白いメモリーカードを、
『幸せの記憶』が詰まったメモリーカードを、

――透哉に向かって放り投げたのだ。

「なっ――!?」

 それを透哉は両手で器を作り、天使の羽を受けるように優しく受け止めた。
 今の透哉が何よりも欲する、どんな手を使ってでも手に入れたい物。
 昨晩の悪夢を無かったことにできる、透哉もアカリも傷付けない魔法のアイテム。
 透哉は目を白黒させながら、まじまじと見る。
 今、透哉の手には、
『幸せの記憶』を宿した白いメモリーカードと、
『地獄の記憶』を宿した黒いメモリーカードが、
 それぞれあった。
 何の交渉にも応じずに与えられた報酬に唖然とする透哉。

「……両方よこしやがって、なんのつもりだ?」
「それはアカリの未来だよ。どちらで更新するかでアカリの今後は大きく変わるねぇ?」
「言われなくても分かっている! 前渡しってことなのか!?」

 睨み返す透哉に、殺希は目を開いて言う。






「――――君が、選ぶんだ」





 殺希が口にした意味を理解した途端、透哉の中から言葉が消滅した。
 殺希は凄むわけでも、脅すわけでもなく、何でもないことのように告げた。

「君が、どちらか一つを選んで、私に差し出すんだよぉ?」

 透哉は無言で手元に目を落とし、次いでアカリに視線を転じる。

「そしたら、君が会いたい方のアカリにまた、会わせてあげるよぉ?」

 仮に白いメモリーカードを選んだら、自らの罪を揉み消すことができる。
 恐れを自分一人の中に封じ込めることでアカリへの負い目を葬れる。
 アカリに、アカリ自身の真実を知られずに済む。
 逆に黒いメモリーカードを選んだら、自分が行った蛮行、与えた暴力の全てがアカリの記憶として蘇る。
 そして、アカリは自分自身の真実を知り、殺希の言った通り精神を崩壊させてしまうかもしれない。
 委ねられた未来、その重責に震え上がった。
 同時に、アカリの未来の選択だけではなかった。
 アカリと向き合う透哉の未来の選択だった。
 事実を隠し、後ろめたさを抱えたまま薄汚い気持ちで向き合うのか。
 事実を克明に明かし、最悪アカリが壊れてしまう覚悟で正面から罪と向き会うのか。
 この選択肢は、数日前の透哉からすればなんてことのないことだった。
 成否もない、影響もない二者択一。
 極論、アカリに好かれようが嫌われようが、生死さえもどうでもよかったのだ。
 本来存在しなかった選択肢が足枷となり、分岐する未来の両方を想定してしまう。
 深々と考えつつ、透哉自身は凍り付いていた。

「目を背けてはいけないよぉ? 見て、知って、分かった上で選ぶんだ」
「――――っ」
「……少しだけ時間をあげるよ」

 殺希の思いがけない言葉に透哉が、顔を向ける。

「何分がいい?」

 殺希はあえて制限時間を決めず、透哉に強いる。

「……十分、時間をくれ」
「いいよぉ? 時間は厳守すること」
「分かった」

 短く答えると殺希は髪の毛で立ち上がり、ふらふらと歩き出した。

「あ、動かないからってアカリの身体に変なことしちゃだめだよぉ?」
「……」

 ドアに手をかけ、振り向きざまに言うが透哉に反応はない。

「もし、十分後に結論が出ていなかったら、アイドル春日アカリの死亡を公表する。そして、残りのアカリも全て破棄するからねぇ?」
「……」

 答えない透哉に構わず、殺希は部屋を去った。
 アカリの部屋に一人・・にされた透哉は、緊張の糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
 横たわるアカリの横顔を一瞥して、両手の『白』と『黒』に目を落とす。
 虚構の平穏と、真実の悪逆。
 選べないし、選びたくないとも思った。
 
(まだ礼を言っていないっ……)

 あの夜の苦しみを味合わせたいわけではない。
 あの夜の楽しみを分かち合いたいわけではない。
 ただ、アカリにもう一度会わなければならなかった。
 意を決し、メモリーカードを選ぶ透哉。
 選ばれたのは――

 最後の最後になっても、関わりを断絶すると言う最善手には至れなかった。
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