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第三章
『胸中の傷』
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(頭が、ズキズキするのだ)
シャワーを浴びると、頭頂部に積載したたんこぶがヒリヒリと痛んだ。
そのこぶはケムリなりの寛大な措置であり、心配の具現だった。
しかし、痛みが勝り、自分を親身に思う者の存在、叱ってくれることへの有り難みには達していない。(鉄拳制裁によるお仕置きはされたが、浴場の使用許可は下りた)
裸身に温水を受け、湯気の中、昨晩の出来事を思う。一人きりになれたこと、安全が確約されたことで、心身共に無防備になれた。
ホタルも此度の出来事で胸中に傷を負っていた。
受けた痛切と衝撃は過去に類を見ない。
目尻から溢れる熱は冷めず、湯に呑まれて流れ落ちていく。我慢して抑え込んでいたものを惜しみなく吐き出した。
それは内部から湧き上がる毒だった。
そして、今になって保健室で透哉へ言いたかった言葉が、内なる叫びとなってホタルの中に溢れた。
もう誰も殺して欲しくない。
魔人とか人魔とか関係なく。
人間とか作り物とか関係なく。
透哉の野心を阻害する願いだとしても、少しずつ離れていく彼を引き留めたかった。
いつか、自分の側からいなくなってしまうのではないかと言う不安が生まれ始めていた。
今になって自覚したこの不安が、昨晩の衝動の根源だった。
透哉を身勝手に思う余り、敵対する想いを抱いていることも自覚してきた。故にあの場で口にできなかった。
流耶の同席も相まって、言葉にできなかった。
いつかの校舎裏での返事が蘇る。
『一つだけ、教えてくれ。御波はまた誰かを殺すのか」』
『そうなるな』
あのときの透哉は間髪入れず答えた。
しかし、その表情は決して明るいものではなかった。
決意は固まっていても、望んではいないそんな顔だった。
『でも、俺はもう誰も殺したくない』
『――それは私も同じだ、御波。誰も殺したくない』
自分がいくら願おうとも、彼は彼の中に巣食う強い意気によって動いていた。
自分が干渉しようとも、彼の返事は決まっているのだ。
縋り付いて止めようとも、敵対した経験があるホタルにはそれが痛いほど分かった。
一通り考えたが、全ての思考が悪循環していた。
壁に額を押し当て、問う。
(私は、どうしたらいいのだ? 今日まで何をしてきたのだ? 何に従って生きてきたのだ?)
十年前の『幻影戦争』を期に崩壊したホタルの世界。
突如生き残るための殺し合いに巻き込まれ、激闘の末に生き残り、園田に助けられ、メサイアの施設に預けられた。
そこで殺希に出会いおよそ十年、外への恐怖心と戦いながら、自らの能力を開発して過ごした。
夜ノ島学園へ捜索のために潜入し、早々に透哉を見つけておきながら独断に走り、敗北した。
挙げ句、恩師である殺希を裏切り、透哉の夢に加担する約束をした。
造反有理と言えば聞こえがいいかもしれない。
しかし、ホタルのそれは自分の都合だけを考えて「こっちの方がちょっといいかもしれない」と身勝手に乗り換えた軽率な行動に過ぎない。
好条件を理由にコロコロと転職を繰り返すように、小さな目先の利益だけを優先して居場所を変えた。
だから、第六学区の施設内で補足されたときホタルは覚悟した。
造反を理由にあの気だるそうな〈悪夢〉に処罰されることを。
ところが処罰を下す権限を持つ殺希は咎めないどころか、自分に関心を失っていた。十年も世話をしておきながら、飼っていた子犬が逃げてしまった、そんな程度の思いしか抱いていなかった。
そもそも、十年前に差し伸べられた手は救済ではなかったのだ。
気まぐれに拾い、思いつきで躾け、適当に餌をやって育てた。
その程度だったのだ。
最後に与えられた命令は任務でも使命でもなかった。
結局ホタルは飼い主が投げたボールを健気に追いかけ回す子犬に過ぎなかったのだ。
それらの事情を考慮しても、殺希側に責める気持ちがなくても、裏切りへの背徳感が消えることはない。
罪の意識はあるのに、糾弾する側がまるで関心を抱いていない。
裏切りも背信も、誰にも咎められずにいる。
ただただ、自分の行動を責めて、恥じた。
結果、ホタルは自責の念に苛まれ続け、行き先を失いつつある。
逃げ帰った今も、同じ志を持っている少年を拠り所にするしかなかった。
それも解釈の仕方によっては『自分に強く言い聞かせている』程度の自己暗示に近い。
更には――
(私は御波まで裏切ってしまうのではないか……)
――と言う、不安にさえ駆られていた。
そして、根本にある『学園再興を応援したいが、誰も殺して欲しくない』と言う爆弾を抱えたような矛盾にも答えを出せずに苦しんでいた。
透哉のことを思いながら、不意に初めて見たときの情景が蘇る。
十年前の、あの日のことを。
戦火と黒煙が立ち上る向こうで、透明の刀を振りかざす幼き日の彼の姿。
白い靄に包まれ、時を隔てたことで淡くなりつつある、記憶。
迫る敵を躊躇なく撃退する姿は、今となっては別人とさえ思える。
そして、何故か彼なら自分を救ってくれる、そんな気がした。
身体の汚れを流し終えても、ホタルはしばらくの間、動けなかった。
シャワーを浴びると、頭頂部に積載したたんこぶがヒリヒリと痛んだ。
そのこぶはケムリなりの寛大な措置であり、心配の具現だった。
しかし、痛みが勝り、自分を親身に思う者の存在、叱ってくれることへの有り難みには達していない。(鉄拳制裁によるお仕置きはされたが、浴場の使用許可は下りた)
裸身に温水を受け、湯気の中、昨晩の出来事を思う。一人きりになれたこと、安全が確約されたことで、心身共に無防備になれた。
ホタルも此度の出来事で胸中に傷を負っていた。
受けた痛切と衝撃は過去に類を見ない。
目尻から溢れる熱は冷めず、湯に呑まれて流れ落ちていく。我慢して抑え込んでいたものを惜しみなく吐き出した。
それは内部から湧き上がる毒だった。
そして、今になって保健室で透哉へ言いたかった言葉が、内なる叫びとなってホタルの中に溢れた。
もう誰も殺して欲しくない。
魔人とか人魔とか関係なく。
人間とか作り物とか関係なく。
透哉の野心を阻害する願いだとしても、少しずつ離れていく彼を引き留めたかった。
いつか、自分の側からいなくなってしまうのではないかと言う不安が生まれ始めていた。
今になって自覚したこの不安が、昨晩の衝動の根源だった。
透哉を身勝手に思う余り、敵対する想いを抱いていることも自覚してきた。故にあの場で口にできなかった。
流耶の同席も相まって、言葉にできなかった。
いつかの校舎裏での返事が蘇る。
『一つだけ、教えてくれ。御波はまた誰かを殺すのか」』
『そうなるな』
あのときの透哉は間髪入れず答えた。
しかし、その表情は決して明るいものではなかった。
決意は固まっていても、望んではいないそんな顔だった。
『でも、俺はもう誰も殺したくない』
『――それは私も同じだ、御波。誰も殺したくない』
自分がいくら願おうとも、彼は彼の中に巣食う強い意気によって動いていた。
自分が干渉しようとも、彼の返事は決まっているのだ。
縋り付いて止めようとも、敵対した経験があるホタルにはそれが痛いほど分かった。
一通り考えたが、全ての思考が悪循環していた。
壁に額を押し当て、問う。
(私は、どうしたらいいのだ? 今日まで何をしてきたのだ? 何に従って生きてきたのだ?)
十年前の『幻影戦争』を期に崩壊したホタルの世界。
突如生き残るための殺し合いに巻き込まれ、激闘の末に生き残り、園田に助けられ、メサイアの施設に預けられた。
そこで殺希に出会いおよそ十年、外への恐怖心と戦いながら、自らの能力を開発して過ごした。
夜ノ島学園へ捜索のために潜入し、早々に透哉を見つけておきながら独断に走り、敗北した。
挙げ句、恩師である殺希を裏切り、透哉の夢に加担する約束をした。
造反有理と言えば聞こえがいいかもしれない。
しかし、ホタルのそれは自分の都合だけを考えて「こっちの方がちょっといいかもしれない」と身勝手に乗り換えた軽率な行動に過ぎない。
好条件を理由にコロコロと転職を繰り返すように、小さな目先の利益だけを優先して居場所を変えた。
だから、第六学区の施設内で補足されたときホタルは覚悟した。
造反を理由にあの気だるそうな〈悪夢〉に処罰されることを。
ところが処罰を下す権限を持つ殺希は咎めないどころか、自分に関心を失っていた。十年も世話をしておきながら、飼っていた子犬が逃げてしまった、そんな程度の思いしか抱いていなかった。
そもそも、十年前に差し伸べられた手は救済ではなかったのだ。
気まぐれに拾い、思いつきで躾け、適当に餌をやって育てた。
その程度だったのだ。
最後に与えられた命令は任務でも使命でもなかった。
結局ホタルは飼い主が投げたボールを健気に追いかけ回す子犬に過ぎなかったのだ。
それらの事情を考慮しても、殺希側に責める気持ちがなくても、裏切りへの背徳感が消えることはない。
罪の意識はあるのに、糾弾する側がまるで関心を抱いていない。
裏切りも背信も、誰にも咎められずにいる。
ただただ、自分の行動を責めて、恥じた。
結果、ホタルは自責の念に苛まれ続け、行き先を失いつつある。
逃げ帰った今も、同じ志を持っている少年を拠り所にするしかなかった。
それも解釈の仕方によっては『自分に強く言い聞かせている』程度の自己暗示に近い。
更には――
(私は御波まで裏切ってしまうのではないか……)
――と言う、不安にさえ駆られていた。
そして、根本にある『学園再興を応援したいが、誰も殺して欲しくない』と言う爆弾を抱えたような矛盾にも答えを出せずに苦しんでいた。
透哉のことを思いながら、不意に初めて見たときの情景が蘇る。
十年前の、あの日のことを。
戦火と黒煙が立ち上る向こうで、透明の刀を振りかざす幼き日の彼の姿。
白い靄に包まれ、時を隔てたことで淡くなりつつある、記憶。
迫る敵を躊躇なく撃退する姿は、今となっては別人とさえ思える。
そして、何故か彼なら自分を救ってくれる、そんな気がした。
身体の汚れを流し終えても、ホタルはしばらくの間、動けなかった。
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