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第三章
第26話 ドーン・オブ・ターニング(3)『絵』
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3.
校舎を抜けたホタルは目立たぬように辺りを見回す。
学園の敷地内に生徒の影はなかったが、公道や寮の周辺には数人の人影が見えた。下手に見つかると面倒なので、彼らの視線を掻い潜り、素早く寮への道を移動した。
塀を跳び越え、寮の敷地内に戻ったホタルは息を吐く。
見慣れた空間の空気を吸うことでようやく肩の力が抜けたのだ。異国の地で戦い、帰郷した戦士の気持ちだった。
戻ったと言っても寮の玄関を通るつもりはない。昨夜部屋を抜け出したとき同様、窓からの入室である。
夜間の無断外出。挙げ句、外泊までしてこんな格好で帰宅したとあれば何を疑われるか分からない。
実際、十二学区に潜入し、暴れに暴れてきた。その裏にどんな事情があろうとも、ホタルが昨晩したことは隠さなければならない。
早々に身なりを整え、昨晩あたかも部屋にいたように振る舞わなければならない。
けれど、その辺りは出てくるときにルームメイトに任せてきたので余り心配していなかった。
「――ふぅ、ただいま」
「ひゃあ!? ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいっ……ホ、ホタル?」
窓から直接部屋に飛び込む、普通とは言い難い帰宅に、泡を食って取り乱すのはルームメイトの向病祟理。
ウェーブがかかったセミロングの黒髪に、碁石のようにくすんだ黒い瞳を有した大人しい印象の少女だ。ホタルと透哉と同じく、二年五組に在籍する生徒でホタルとは出席番号の関係で同じ部屋になった。
祟理はいきなり窓から侵入してきたホタルに驚いた、と言うより知られたくない作業を隠すようにバタバタと暴れながら机の上を片付け始める。
簾のように長く垂れた前髪のせいで、視線がどこを向いているのか分かりづらく、見た目に反して落ち着き皆無で、オロオロしているのが祟理の常である。
ホタルの不在をいいことに、怪しい作業に励んでいたのだろう。机に覆い被さって隠している辺り、やましさの表れである。それでも怪しげな本と黒や赤、紫の粉が入った謎の瓶が隠しきれず机の上に並んでいる。
「帰るなら帰るって言ってよ!?」
「今帰ったぞ」
祟理は挙動不審な自分を棚に上げ、苦言を呈する。
祟理の抗議には取り合わず、ホタルはそそくさと自分のクローゼットを漁り始める。今は自分のことで手一杯だった。
風呂に入るため、着替えとタオルを準備しながら、尋ねた。
「……ところで何をしているのだ?」
「え!? べ、べべべっ別に大したことはしてないよ? 面白半分で呪具を作って遊んでただけだから」
目を丸くしたホタルは全く理解できないといった様子で、祟理に尋ねた。
「わけが分からんぞ。何に使うのだそんな物?」
「――最近、隣のクラスのヤツがムカつくから、少し呪ってやろうかなと思って」
「呪いって、何故お前はそう毎度根暗なのだ……」
「根暗!? 私がこそこそ裏で誰かを呪って楽しんでるとでも言いたいの!?」
「呪いって影でやるものではないのか?」
「だったら見せてある! 私のオープンで直球な陽キャの呪いってヤツを!」
祟理は机の上に寝かせていたものを掴むと、椅子を撥ねのけて立ち上がる。さっさと風呂には入って身を清めたいホタルとしては余り無駄な時間を割きたくない。
しかし、そんなホタルを余所に、祟理がその手に握られた物を誇示する。自慢げに取り出したのはホラー映画などでよく見る藁人形。丑の刻参りもびっくりの直球な呪術である。
隠したいのか、見せびらかしたいのか分からない。
「例えば、例えばね! これにホタルの髪の毛を絡めてパーンチ!」
祟理は説明も半ばに、躊躇なく藁人形の顔面に緩慢な動きで拳を叩き付ける。
「するとホタル本人にダメージが入るの……顔面に衝撃が……あれ? ね、痛いでしょ?」
「私はなんともないが? 呪いなんてそもそも迷信だろう?」
「あれ? あれれ~?」
藁人形と戯れる祟理の前、至って普通に立っているホタルは首を傾げる。
呪いとやらを信じる気は毛頭ないが、話しの最中に目の前で呪術の対象にされるとは思っていなかった。
「呪いはあるの! あ、髪の毛間違えた。こっちはケムリさんのだった」
「お前は怖い物知らずだな」
「だって、未成年がひしめき合う学生寮でいっつも煙草を吸ってるんだよ? これは正当な呪う理由になるでしょ!?」
最早、会話の中で正論と暴論が同棲を始めている。
そして、うっかりで間違って呪っていい人物ではない。結果が実を結ぶかは別として、寮内で一番恐ろしい人物の媒介を準備している祟理の周到さに呆れを越えて感心してしまう。
しかし、肝心の呪術は不発に終わり、心なしか、よりましとなった藁人形も悲しそうだ。
危なげな茶番は終わったのだろうか。藁人形に絡んだ髪を引き抜き、丁寧に片付ける祟理を置いて、ホタルは準備を再開する。
「と言うことで、ホタル。髪の毛一本ちょうだい」
「この流れで渡す馬鹿がどこにいる!?」
「だって、今迷信だって笑った! だから証明しないと! 呪術も呪いもあるんだよ!」
夢見る少女の顔でウェーブヘアをうねうねと蠢かせる。
祟理はクローゼットになだれ込むように倒れたホタルに向かって、お菓子でもせびるように手を差し出す。
ホタルは床から一本の髪の毛を拾い上げ、手渡した。
「ふふふっ、素直に渡せばいいものを」
祟理は確認もせず、黒い髪の毛を藁人形に巻き付ける。
「これをこうしてこうやって、パーンチ! ぶごぉ!?」
「どうした?」
「きゅ、急に正面から殴られたみたいな衝撃を受けた。何故?」
突如鼻血を吹いた祟理が狼狽えているが、藁人形に巻き付いた黒髪が物語っていた。奇しくも、呪術の存在を自らの身をもってホタルに立証することとなった。
「お前、それ絶対に使うなよ!?」
「え? なんでー?」
呪術迷信派のホタルは一転して釘を刺し、鼻にティッシュペーパーを詰めながら、不思議そうな声を出す祟理を尻目に部屋を出た。
廊下に出たホタルはキョロキョロと忙しなく視線を這わせる。
寮の風呂もシャワールームも共同なのでこんな時間に一人で使っていたら目立つ。極力、人との接触を避けたかった。
もしも、ケムリに見つかった日には言及と説教は避けられない。慎重を喫して辿り着かなければならない。
しかし、忍び足のホタルの気配を、漂う不正の匂いを、獣の如き嗅覚で察知する者がいた。
「みーなーもーとー?」
寮母、剛田ケムリである。
廊下を曲がったところで何故か鼻にティッシュペーパーを詰めて登場である。
「あー、おはようケムリさん」
「おい、源? どうしたんだ? 風呂に用事か?」
平静を装うが、汚れた衣服は明らかな異常を物語っていた。
普通、日曜日の午前中に汚れた制服を着ていることはまずない。
「実は、月曜と間違えて登校したら転んでしまってこの様なのだ。あははー」
「そうかそうか。源はおっちょこちょいだな」
軽妙な笑みで咄嗟に思いついた嘘を吐くホタルに、ケムリは煙草を揺らしながらにこやかに笑う。
即興で吐いた下手な嘘にホタルは引きつった笑みを浮かべる。その後ろでは、気になって付いてきた祟理が「あちゃー」っと頭を抱えている。
「で? 本当は昨日の夜どこ行ってたんだ?」
「えへへ、ちょっと夜の散歩をしていたのだ」
「えへへ、そうなのだー? 女の子が、夜中に無防備に出歩くんじゃねぇー!」
微妙に調子を合わせたケムリはこの上なく愉快そうに笑みを浮かべると、ホタルの頭をがっしりと掴んだ。
直後、ドガガー! と削岩機のような音と共にホタルの頭上にげんこつが炸裂した。
夜ノ島学園、学生寮寮母剛田ケムリは、男女平等がモットーだった。
たんこぶが乱立した頭にはシャワーがしみた。
校舎を抜けたホタルは目立たぬように辺りを見回す。
学園の敷地内に生徒の影はなかったが、公道や寮の周辺には数人の人影が見えた。下手に見つかると面倒なので、彼らの視線を掻い潜り、素早く寮への道を移動した。
塀を跳び越え、寮の敷地内に戻ったホタルは息を吐く。
見慣れた空間の空気を吸うことでようやく肩の力が抜けたのだ。異国の地で戦い、帰郷した戦士の気持ちだった。
戻ったと言っても寮の玄関を通るつもりはない。昨夜部屋を抜け出したとき同様、窓からの入室である。
夜間の無断外出。挙げ句、外泊までしてこんな格好で帰宅したとあれば何を疑われるか分からない。
実際、十二学区に潜入し、暴れに暴れてきた。その裏にどんな事情があろうとも、ホタルが昨晩したことは隠さなければならない。
早々に身なりを整え、昨晩あたかも部屋にいたように振る舞わなければならない。
けれど、その辺りは出てくるときにルームメイトに任せてきたので余り心配していなかった。
「――ふぅ、ただいま」
「ひゃあ!? ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいっ……ホ、ホタル?」
窓から直接部屋に飛び込む、普通とは言い難い帰宅に、泡を食って取り乱すのはルームメイトの向病祟理。
ウェーブがかかったセミロングの黒髪に、碁石のようにくすんだ黒い瞳を有した大人しい印象の少女だ。ホタルと透哉と同じく、二年五組に在籍する生徒でホタルとは出席番号の関係で同じ部屋になった。
祟理はいきなり窓から侵入してきたホタルに驚いた、と言うより知られたくない作業を隠すようにバタバタと暴れながら机の上を片付け始める。
簾のように長く垂れた前髪のせいで、視線がどこを向いているのか分かりづらく、見た目に反して落ち着き皆無で、オロオロしているのが祟理の常である。
ホタルの不在をいいことに、怪しい作業に励んでいたのだろう。机に覆い被さって隠している辺り、やましさの表れである。それでも怪しげな本と黒や赤、紫の粉が入った謎の瓶が隠しきれず机の上に並んでいる。
「帰るなら帰るって言ってよ!?」
「今帰ったぞ」
祟理は挙動不審な自分を棚に上げ、苦言を呈する。
祟理の抗議には取り合わず、ホタルはそそくさと自分のクローゼットを漁り始める。今は自分のことで手一杯だった。
風呂に入るため、着替えとタオルを準備しながら、尋ねた。
「……ところで何をしているのだ?」
「え!? べ、べべべっ別に大したことはしてないよ? 面白半分で呪具を作って遊んでただけだから」
目を丸くしたホタルは全く理解できないといった様子で、祟理に尋ねた。
「わけが分からんぞ。何に使うのだそんな物?」
「――最近、隣のクラスのヤツがムカつくから、少し呪ってやろうかなと思って」
「呪いって、何故お前はそう毎度根暗なのだ……」
「根暗!? 私がこそこそ裏で誰かを呪って楽しんでるとでも言いたいの!?」
「呪いって影でやるものではないのか?」
「だったら見せてある! 私のオープンで直球な陽キャの呪いってヤツを!」
祟理は机の上に寝かせていたものを掴むと、椅子を撥ねのけて立ち上がる。さっさと風呂には入って身を清めたいホタルとしては余り無駄な時間を割きたくない。
しかし、そんなホタルを余所に、祟理がその手に握られた物を誇示する。自慢げに取り出したのはホラー映画などでよく見る藁人形。丑の刻参りもびっくりの直球な呪術である。
隠したいのか、見せびらかしたいのか分からない。
「例えば、例えばね! これにホタルの髪の毛を絡めてパーンチ!」
祟理は説明も半ばに、躊躇なく藁人形の顔面に緩慢な動きで拳を叩き付ける。
「するとホタル本人にダメージが入るの……顔面に衝撃が……あれ? ね、痛いでしょ?」
「私はなんともないが? 呪いなんてそもそも迷信だろう?」
「あれ? あれれ~?」
藁人形と戯れる祟理の前、至って普通に立っているホタルは首を傾げる。
呪いとやらを信じる気は毛頭ないが、話しの最中に目の前で呪術の対象にされるとは思っていなかった。
「呪いはあるの! あ、髪の毛間違えた。こっちはケムリさんのだった」
「お前は怖い物知らずだな」
「だって、未成年がひしめき合う学生寮でいっつも煙草を吸ってるんだよ? これは正当な呪う理由になるでしょ!?」
最早、会話の中で正論と暴論が同棲を始めている。
そして、うっかりで間違って呪っていい人物ではない。結果が実を結ぶかは別として、寮内で一番恐ろしい人物の媒介を準備している祟理の周到さに呆れを越えて感心してしまう。
しかし、肝心の呪術は不発に終わり、心なしか、よりましとなった藁人形も悲しそうだ。
危なげな茶番は終わったのだろうか。藁人形に絡んだ髪を引き抜き、丁寧に片付ける祟理を置いて、ホタルは準備を再開する。
「と言うことで、ホタル。髪の毛一本ちょうだい」
「この流れで渡す馬鹿がどこにいる!?」
「だって、今迷信だって笑った! だから証明しないと! 呪術も呪いもあるんだよ!」
夢見る少女の顔でウェーブヘアをうねうねと蠢かせる。
祟理はクローゼットになだれ込むように倒れたホタルに向かって、お菓子でもせびるように手を差し出す。
ホタルは床から一本の髪の毛を拾い上げ、手渡した。
「ふふふっ、素直に渡せばいいものを」
祟理は確認もせず、黒い髪の毛を藁人形に巻き付ける。
「これをこうしてこうやって、パーンチ! ぶごぉ!?」
「どうした?」
「きゅ、急に正面から殴られたみたいな衝撃を受けた。何故?」
突如鼻血を吹いた祟理が狼狽えているが、藁人形に巻き付いた黒髪が物語っていた。奇しくも、呪術の存在を自らの身をもってホタルに立証することとなった。
「お前、それ絶対に使うなよ!?」
「え? なんでー?」
呪術迷信派のホタルは一転して釘を刺し、鼻にティッシュペーパーを詰めながら、不思議そうな声を出す祟理を尻目に部屋を出た。
廊下に出たホタルはキョロキョロと忙しなく視線を這わせる。
寮の風呂もシャワールームも共同なのでこんな時間に一人で使っていたら目立つ。極力、人との接触を避けたかった。
もしも、ケムリに見つかった日には言及と説教は避けられない。慎重を喫して辿り着かなければならない。
しかし、忍び足のホタルの気配を、漂う不正の匂いを、獣の如き嗅覚で察知する者がいた。
「みーなーもーとー?」
寮母、剛田ケムリである。
廊下を曲がったところで何故か鼻にティッシュペーパーを詰めて登場である。
「あー、おはようケムリさん」
「おい、源? どうしたんだ? 風呂に用事か?」
平静を装うが、汚れた衣服は明らかな異常を物語っていた。
普通、日曜日の午前中に汚れた制服を着ていることはまずない。
「実は、月曜と間違えて登校したら転んでしまってこの様なのだ。あははー」
「そうかそうか。源はおっちょこちょいだな」
軽妙な笑みで咄嗟に思いついた嘘を吐くホタルに、ケムリは煙草を揺らしながらにこやかに笑う。
即興で吐いた下手な嘘にホタルは引きつった笑みを浮かべる。その後ろでは、気になって付いてきた祟理が「あちゃー」っと頭を抱えている。
「で? 本当は昨日の夜どこ行ってたんだ?」
「えへへ、ちょっと夜の散歩をしていたのだ」
「えへへ、そうなのだー? 女の子が、夜中に無防備に出歩くんじゃねぇー!」
微妙に調子を合わせたケムリはこの上なく愉快そうに笑みを浮かべると、ホタルの頭をがっしりと掴んだ。
直後、ドガガー! と削岩機のような音と共にホタルの頭上にげんこつが炸裂した。
夜ノ島学園、学生寮寮母剛田ケムリは、男女平等がモットーだった。
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