終末学園の生存者

おゆP

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第三章

第26話 ドーン・オブ・ターニング(1)『絵』

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1.
 日曜日の朝。
 夜ノ島学園、校舎の一室。
 一人の少年がベッドで横になっていた。
 眠っていると言うより、気絶していると形容できるほど動作はない。
 事実、少年は昨晩意識のないまま担ぎ込まれて手当され、知らずの内に朝を迎えている。
 少年、御波透哉みなみ とうやが目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。
 生来の吊り目と、それに沿って平行に伸びる眉は透哉に鋭い印象を与える。
 しかし、今は目元にいつもの鋭さは宿っておらず、初めて見る空間に視線を彷徨わせている。
 真っ白なシーツと真っ白な天井。周囲を同色のカーテンでぐるりと覆われている。毒々しいまでの清潔感は一転して不気味。
 無意識に額に手を当て記憶を探るが、茫洋とするばかりで思い出せない。

「目が覚めたのかしら?」
「……流耶か。ここは?」
「保健室よ」

 予想外の声に顔を向けるとカーテンを捲って一人の少女が顔を出した。
 短く切り揃えられた黒髪を揺らす、和人形を思わせる容貌をした少女、草川流耶くさかわ るやである。正装である赤と黒の和風のドレスではなく、学園の制服を纏い、あたかも透哉を心配する友人のように現われた。
 カーテンが片面のみ取り払われたことで露わになった景色には、全く見覚えがなかった。
 無人の事務机に、身長計、体重計と言った器具が並び、ほのかに消毒の匂いも香る。

「ん? 保健室? そんなところあったのか」
「紛いなりにも学園よ? 保健室くらいあって当然でしょ? まぁ、怪我と無縁のあなたが知らないのも無理はないわね」

 流耶をぼんやりと眺めているうちに、自分が学園に帰ってきていることを知り、その言い分を聞きながら一人得心する透哉。
 流耶の指摘通り、透哉は保健室に訪れたことはなかった。

『ゴゴゴ~』
(保健室で爆睡か、神経が太い野郎だなぁ)

 隣のベッドからの高鼾に辟易する透哉に、流耶が呆れたような口調で話しかけた。

「随分、無茶したそうね?」
「……無茶?」

 流耶にそう聞かれ、隣のベッドへの関心は一旦逸れた。
 この場所に至った経緯までは不明だったが、今になって原因を思い出した。
 知見を求めて十二学区を訪れ、
 エレメントのライブに参加し、
 アカリのわがままに付き合い、
 訓練場でアカリとの戦闘後に、
『戦犬隊』からの逃亡の果てで、
 豹変した魔人からホタルを守るために『雲切くもきり』に渾身を込めたところで意識が遠のいた。
 体を動かすと節々を軋むような痛みが襲う。そして、身体が重い。奇しくも、全身を襲う痛み重みが、過去に味わった似た感覚を思い出させた。

「っつ!?」
「今回は『原石』を砕かなかったから損耗はないものの、こうも頻繁に魔力を放出し切るのは止めて欲しいわね。今更こんな初歩的な注意をさせないでくれる?」
「そうか、俺はまた・・……悪い」

 意識途絶の原因を突きつけられ、透哉は反省した。

「あなたが無限に魔力を蓄えられる存在だとしても、自分で魔力を生み出せない以上、大事にして欲しいわね」

 流耶の声に怒りの色は含まれていない。失策への避難でもなく、小さな迷惑への不満を吐露しているに過ぎなかった。

「ところで、収穫はあったのかしら?」
「収穫?」

 身体の具合を確かめながら、透哉は聞き返す。

「七夕祭の参考になることはあったのかしら?」
「ああ、そのことか。参考にはなったが、真似できそうにねぇな。他のやり方を探るしかなさそうだ……つーか、お前の口から七夕祭の話しが出るとはな」
「あら、失礼。私も歴とした実行委員会の一人なのよ?」

 うっすらと微笑むも、白々しさは拭えない。
 懐かしさを覚える流耶との世間話を終え、ようやく透哉の頭が現状に追いついた。
 七夕祭の話題などに花を咲かせている場合ではなかった。
 自分を助けるために単身で十二学区に侵入してきたホタル。
 記憶の終端に同行していたホタルの消息が分からないままだった。

「それより源は!?」
「……それだったら、隣でこの世の終わりのような鼾をかいて寝ているわ」
『ゴガガガァァァッ』
「……ええっ」

 透哉の慌てっぷりとは真逆で、流耶は馬鹿馬鹿しそうに半眼で答えた。
 千年の恋も冷めるほどの鼾の主はホタルだった。
 流耶は透哉のベッドを離れると、隣のベッドのカーテンを払う。

『ホタル、起きなさい? ホタル?……っ、起きなさいっ!』
『ぬごぉ!?』

 流耶にしては大きな声を出し、ホタルを強制的に起動させる。
 すると冬眠からたたき起こされた熊みたいな声を上げ、ホタルが目覚めた。

『げ? 草川流耶!? っと、ここはどこだ!?』
『失礼ね。寝起きに熊でも見たのかしら? ここは保健室よ』

 ホタルの流耶への敵意は寝起きだろうと関わらず健在だ。
 さっきとほぼ同じやり取りに、流耶の声には若干の苛立ちが混ざっていた。
 一方のホタルは、透哉と同じで現状に頭が追いついていないのだろう。
 カーテンを取っ払うと半身を起こしたホタルと目が合う。

「御波! 無事だったのか!?」
「ああ、お陰様でな。俺もついさっき目が覚めたところだ……」

 透哉は軽い返事を返しながら、ホタルの姿に言葉を詰まらせる。
 煤で汚れた顔と乱れた銀髪。至る所に穴が開いた白いシャツ。胸元の緑のリボンは焼け焦げて半分が消失している。腰から下は布団に隠れて窺い知ることは出来なかったが、同様の惨状が予測できた。まるで砂場で遊んでそのまま寝床に飛び込んだみたいだ。
 暗所の戦場では気に留めなかった部分が、明るい部屋で改めて対峙したことで鮮明化されていた。
 けたたましい鼾にも頷ける、重度の疲労と激しい戦いの余韻を残した姿だった。率直に言うと、薄汚れてみすぼらしかった。
 感極まったホタルがベッドから飛び出し透哉に抱きついた。

「無事だったんだなっ! 良かった……本当に良かった」
「おい、泣くことないだろ」

 自分の姿など顧みずに透哉の安否に胸を撫で下ろすホタル。
 煤で汚れた頬が涙で洗われ、筋が残る。

「大袈裟だろ、そもそも俺が死ぬはずないだろ?」
「大袈裟なものかっ! お前の夢は私の道標でもあるんだ! その御波がいなくなったら私はどうしたらいいのか分からなくなる! だから、いなくなったりしないでくれ」
「……悪かった」

 それは切実な願いだった。胸の顔を埋めるホタルの頭にそっと手を乗せた。
 逃げ帰った余韻に浸るでもなく、ホタルは透哉の身を案じた。透哉自身は軽んじていたが、命を賭したと言われても頷ける規模の攻撃だったのだ。
 直接目撃したホタルの心配は最たるものだった。
 その傍ら、わざとらしい咳払いに二人が顔を向ける。

「感動の再会中悪いのだけれど、誰かさんがかき乱さなければ、こんな惨事にはならなかったはずよ?」

 侵入者として、追い立てられ逃げ帰ってきた透哉だったが、正規の手順で第六学区の検問を潜り、殺希の元を訪ねた。
 その場で行われたことは問題だらけでも、帰宅の安全は保証されていたのだ。少なくとも『戦犬隊』に追われ、不必要な戦闘に興じることはなかったのだ。
 流耶の皮肉混じりの正論に小さくなるホタル。

「まぁ、必要な罰は受けてもらうわ。あくまで学園のルールに基づいてね」
「なんなのだ? 罰則って?」

 翌日ホタルは思い知ることになる。
 草川流耶と言う、学園を統べる者の力を。

「それと、ホタル。あなたは早く着替えた方がいいと思うのだけれど?」
「着替え? ん……うわぁ!?」

 ホタルが慌てて立ち上がると汚れた衣服が、うっすらと差し込む光に映し出される。
 今更自身の惨状に気付いたホタルは、傍らに揃えて置かれていたローファーを乱暴に履く。
 慌てて駆け出したホタルは扉の前で足を止め、流耶の方へ振り向く。

「そうだ、あいつは!? 七奈豪々吾は!?」
「無事よ」
「そうかっ、分かった!」

 しかし、続いて透哉と目を合わせ、何かを言いたそうに口を開くが言葉は出てこなかった。言いたいことはあるが、うまく言葉に出来なかったようだ。
 それでもホタルの瞳には何か強い思いが宿っていた。

「御波っ!」
「なんだ?」
「あとで話しがしたい!」
「お、おう、分かった」

 声量に少し気圧されながら返事をする。
 そのままホタルは扉を開け、保健室を出て行った。その背が透哉にはひどく儚く見えた。
 ホタルが去り、保健室に静けさが戻ると、腕を組んだ流耶が入り口を見ながら呆れた声を出す。

「反省しているのかしら?」
「それより、今の話どう言うことだ?」
「あら、知らなかったの? 気を失った透哉とホタルを学園まで担いで連れ帰ったのは七奈豪々吾なのよ」
「あいつが?」

 先に気を失っていた透哉は豪々吾が助けに駆けつけたことを知らない。てっきりホタルに連れ帰られたと思っていたのだ。

「お前の差し金か?」
「まさか。私がそんな気の利いたことすると思う?」
「全く思わん」
「勿論、ホタルも違うわ」
「そう、か」

 透哉は気のない返事をして、口籠る。
 謝辞の言葉はなく、一つの知らせとして受け取るしかできなかった。
 それほどに今この瞬間、透哉の心の中は掻き乱されていた。
 無関係な豪々吾の参戦への驚きが、瞬く間に失せていく。
 昏睡状態を脱却し、平静を取り戻し、頭が冴え渡ることで、記憶の奧底から罪が気泡となって浮かび上がり、明晰な意識の中で爆ぜた。
 胃の中で針山が暴れるみたいに、透哉の精神を無茶苦茶に荒らした。
 たちどころに顔が青ざめ、汗が落ち始めた。
 その変化を流耶は外から観ていた。

「二人には迷惑かけたな……」

 崖っぷちで踏ん張るようにして、辛うじて冷静に二人への偽りのない気持ちを吐露する。あるいは、目を逸らせるために。
 その透哉の変調を見逃すはずもなく、流耶は現実を突きつける。

「今回の件、あなたには一つとして非はないわよ。訓練場を含めてね」

 虚ろに受け答えするだけだった透哉も、流耶のこの横槍には顔を上げ、目を剥いた。
 会話の裏で透哉が意識して止まない罪。
 思考の大半を塗りつぶして止まない出来事。
 アカリの思いを引き裂き、身体を切り裂き、無残に切り捨てた。悔恨さえ憚られる惨事が、目覚めてから怒涛の如く透哉の心を苛んでいた。

「あら、あんなこと気にしているの?」
「あんなこと?」

 珍しく、流耶の言葉には皮肉も悪意もない。単純に悔やむ必要のないことで苦悩する透哉の悩みを取り払おうとしていた。
 けれど、自分を責める透哉から重荷を取り払おうと言った、思いやりからの言葉ではなかった。
 思いやりも気遣いもなく、土足で踏み入り、更地にするみたいに透哉の中の余計な滞りを蹴散らそうとしていた。
 うっすらした笑みに、隠しようのない嗜虐を覗かせながら言う。

「ええ、だってあなたは誰も殺していないじゃない? あれは作り物。実践に近い模擬戦であったことは事実よ?」

 流耶の思惑に反し、アカリを軽んじる言葉が今の透哉には許せなかった。

「違う! 俺が殺したのは春日アカリだ! 人間なんだ! ちゃんと生きた、怒って、笑って、話しをして、触れると温かい人間なんだ!」
「――透哉、あなた」

 流耶はある危機感を覚え、目を眇めた。
 浮かんだ嗜虐を奧に潜め、濃い不快感を滲ませる。
 透哉は流耶の機微を察し、失言に気付いた。

「じゃあ、透哉。あなたが人間を殺したと主張するなら証明してみなさい」
「証明?」
「そう、人間のアカリを、知人であるアカリを殺したのでしょ? それなら無関係の他人ならいくらでも殺せるわよね?」
「――っ」
「十二学区のどの学区でもいいわ。可能な限り殺してきなさい。人魔でも魔人でも」

 子供じみた主張はあっさりと退けられた。

「出来ないでしょ? 今のあなたには。そして、それが答えなのよ。透哉、今のあなたには人間は殺せない。あなたがアカリを手にかけられたのは、心の奥底ではアカリを人げ――」
「――止めろっ!」

 透哉が大声で流耶の声を遮ると、流耶は心底面白くなさそうに顔を歪めた。
 調教した動物に背かれたみたいに、不快感を露わにした。
 
「くどいようだけれど、あなたに非はないのよ? むしろ、私は好評しているのよ?」

 流耶の賞賛に、透哉はお化けを怖がる子供のようにシーツの端を握り震えていた。
 殺希と湊しかり、誰も透哉を咎めない。それが怖かった。
 許されざる行為をした自分を正しい行いをした風に扱う。
 グラグラと揺れる思考の中、元々狂っている正しさの定義を失いかけている。
 十二学区殲滅と言う狂った計画を企てていたとしても、今は、今だけは犯した罪に震えることで痛みを理解したいのだ。

(何なんだ、俺は!?)

 自問する透哉は叱って欲しかった。
 誰かに自分の罪を咎めて欲しかった。
 しかし、透哉の行いを罪として咎めるものが誰一人いなかった。
 また、咎められないことで放免にさえなりえた。
 ただ、騙して甘やかすための揺り籠に乗せられていた。
 懊悩する透哉に、流耶が意味深に微笑み、急に無関係な質問をした。

「そう言えば、あっちで妙なことを言われたりしなかった?」
「――何だよ、妙なことって?」
「ふふっ、その様子なら問題なさそうね」
「おい、説明しろよ!?」
「些細なこと気にせずにあなたも戻りなさい」

 流耶は話しをぴしゃりと断ち切って、退室を促す。
 追求を諦めた透哉は皺の寄ったシーツをめくり、ベッドを降りて自分の姿に目を落とし、異変に気付いた。布団を掛けられていたことで隠れていた身なり。
 ホタルのボロボロの姿を見た故の違和感だった。ホタルと同じ修羅場を潜ってきたとは到底思えない整った着衣。
 綺麗に洗濯されたいつもの学園の制服だ。手や顔にも汚れた形跡はなく、仄かに石鹸の香りがした。

「……?」

 不思議そうな顔をする透哉の視界の片隅。何故か逃げるように離れていく流耶を捉えた。
 さっきまでとは打って変わって、流耶は気まずそうに目を逸らせた。

「流耶、聞いてもいいか?」
「――な、何かしら?」

 小さな問いかけに流耶が明らかに動揺を見せた。



「何故俺は着替えさせられている?」
「…………」
「おい、何故顔を背ける? 何故黙っているんだ?」
「――ふふっ、看護したものの特権ね」
「何だ今の間は!? 説明しろ! おい! 流耶さん!?」

 うっすらと頬を染めた流耶は意味深に微笑むと、動揺する透哉を残し、保健室を去って行った。
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