終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第25話 十二学区撤退戦(8)『絵』

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8.
 自分はどこを歩いているのだろう。
 足取りは鉛のように重く、奈落の底を這いずり回っている、そんな錯覚を起こす。
 魔人たちとの衝突があった商業施設の影に、透哉を背負ったホタルの姿があった。
 まさか透哉が戦闘不能に陥るなど、ホタルは想像もしなかった。

「(御波、しっかりしろ!)」
「――」

 ホタルが小声で檄を飛ばすが、透哉から応答はない。
 寝ているとか、意識を失っているとか、そんな状態ではなかった。死んだように脱力して全く動く気配がない。
 幸いなことに、追手はなかったが、慰めにすらなっていなかった。

「……結局、私は何のために十二学区まで来たのだ? 何を止めにここまで来たのだ?」

 己の無力さと軽率さを悔い、自問する。
 透哉を助けに来たと思っているのは自分だけで、実際は有りもしない危機を生み出し、事態をほじくり返して悪化させただけではないだろうか。
 殺希の研究所への突入だけを振り返るなら、ここまで卑屈にはならなかった。
 不用意に危地へと踏み込んだ自分を救うべく、力を使い果たして昏倒した透哉。
 地面に倒れたまま動かなくなった透哉を助けに行ったとき、見て聞いてしまったのだ。
 無残に斬られた魔人たちの姿と、虫の息の怨嗟を。
 それは身を挺してでも、透哉を攻撃してでも避けたかった結末。
 訓練場で見た作り物の残骸とは違う、壊された生き物の群れだった。
 そして、透哉が残した爪痕。
 まるで、地図上に無造作に引いた線が実体化したような、真っ直ぐな切れ目が暗い市街地を両断していた。
 透哉がいくら強くて特別な存在だったとしても、規格外の一撃だった。
 ホタルは絶望の淵を歩き、新たな追手に脅えながら、脱出の術を模索していた。

(殺希さんを頼るか……)

 一瞬過ぎったが、頭を振って打ち消した。カーキコートの『悪夢』なら飄々とした声で助けに来てくれるかも知れない。
 しかし、丁重に送り出された直後に縋るのは虫が良すぎた。同様に湊に助けを求めることもあり得ない。

(朝までは待てない、夜の内に逃げ切らないと……っ)

 ホタルは覚悟を決める。
 透哉を抱えながら飛ぶホタルだったが、二人分の体重を支えて飛ぶための体力も魔力も尽きようとしていた。
 商店の屋上に上がったところで、息が切れた。

(くっ、こんな、ところでっ! 急げ急げっ!)

 透哉を仰向けに寝かせ、その隣で膝を着いて荒い息を吐く。
 顔を上げると、展望エントラスが見えた。上下の移動距離を除けば出口は目前だったが、二人分の体重を浮かせるだけの魔力が続くか自信を持てなかった。
 ホタルは覚悟を決める。
 透哉を抱き寄せ、渾身の魔力を絞り出し、磁力を生み出す。
 周辺の金属を磁力を通じて感じ取り、自らを押し上げるように浮かぶ。休憩を挟めば回復も見込めたが、今を逃すと気力も魔力も萎えて動けなくなると思ったのだ。
 屋上を離れ、視界も霞む中、その声が耳を突き刺す。
 
「――やっぱり隠れてたんだ!? 今ぶち殺してあげるから!」

 片翼を失ったつばさの、待ち侘びたような叫声。
 コンクリートの海に息を潜めていた狩人が、報復せんと接近してくる。
 翼が欠損している影響で飛行こそ不安定であったが、今のホタルを撃墜する力は十分に残っていた。
 目立った武装はなかったが、勝算が見込める相手ではなかった。使える魔力のほとんどを飛ぶことに回しているため、余力は残されていない。
『白檻』の力を解き、全ての魔力を飛行に回せば振り切れるかも知れない。
 しかし、それは眼前のつばさに正体を晒すことになり、今後の計画を考慮すれば絶対に避けなければならない。

(やむを得ないかっ)

 ホタルは覚悟を決め、首に手を伸ばした。
 その最中。
 夜明けでもないのに、頭上から日が射した。
 空を飛びながら絶望の底にいたホタルが考えもしなかった、援軍の可能性。
 疲れ果てたホタルが見上げた先。
 落下してくるのは、直径二メートルを超える巨大な紅の塊。
 塊の輪郭からは陽炎が立ち、周囲の景色をゆらゆらと揺らす。それが凄まじい熱量を持っていることは容易に想像できた。小型の太陽と言って何の遜色もない。
 そして、その小型太陽は十二学区上空で形を大きく変形させ、爆風と熱を伴う衝撃波となって風船のように弾け飛んだ。
 その炎のベールの奥から轟いた声が、つばさの叫声を掻き消し、ホタルの絶望を握り潰した。

「うへはははぁ!! こんなところにいやがったかぁ!?」

 耳に届いたその奇声はホタルに力を与え、希望を齎した。
 周囲への迷惑など顧みない、現世に蘇った恐竜のような轟々とした雄叫び。
 落下の風圧と自身が発する熱気で金髪を雄々しく逆立たせ、燃え上がった爆炎で深夜の市街地を白昼へと塗り替える。
 それほどに眩く、力強い。



(七奈豪々吾っ!――あいつっ!)

 心中で噛み締めるように名前を呼ぶと、ホタルの口元は自然と弧を描いていた。
 力不足と勝手に見限り、学長室の前に置いてきた豪々吾が、圧倒的存在感を撒き散らせながら、ホタルを救うべく傲然と参戦する。
  ホタルの涙腺から、感情が溢れた。

「おいおい、泣くほど喜ぶこたぁねぇだろ!?」
「うんっ!」

 涙どころか鼻水を垂らした情けない姿で、ホタルは力強く頷く。
 涙の理由は舞い降りた救いにか、申し訳無さからか、あるいは両方か。

「んで、どいつだ!? 俺様のかわいい後輩を泣かせやがったヤツは!?」
「――ん、アイヅ!!!」

 ホタルが示した先には、あからさまな戦闘服に身を包み、威嚇するように空に立つ敵影があった。

「へへっ、ここは俺様に任せろ!」
「――頼んだぞ!」

 何一つ飾らず、自分を頼るホタルに、豪々吾は歯を出して笑う。
 それとは真逆、不穏な気配を察したつばさは顔を引きつらせた。
 つばさからは炎に覆われて豪々吾の顔は確認できなかった。しかし、ホタルが自分を指さしたことで、両者が仲間であると認識し、形勢の逆転を知った。

「ちょっと、待って待って待って!? 確かにぶっ殺すとか言ったけど、私はどちらかと言えば被害者じゃないかい!?」

 つばさはあくまで侵入者を撃墜するため、完成前のデバイスをこれ幸いと勝手に持ち出した身だ。
 違反を犯しつつも、性能を試すと言う言い訳を準備し、侵入者捕縛の成果を提示することでお咎めを受けないと言う打算があった。
 勝ちを確約された行動と思い込んでいた。
 しかし、予期せぬ反攻にデバイスを損傷された上、侵入者を逃がしたとあれば、大目玉は免れない。それらの理由から、つばさとしてはどうあってもホタルたちを逃がすわけにはいかなかった。
 とは言え、明らかな殺傷力を有した援軍を前に、諸々の事情を放棄して保身に走るのは極めて自然な動きだった。装備が万全なら迎え撃つところだが、今は飛ぶことすら、ままならないのだ。
 そもそもが好奇心に起因した勝手な行動だ。責任や使命感に裏打ちされた行動ではないだけに、つばさの手のひら返し、転身は迅速だった。

「あちらさん。なーんか、色々言ってっけど。あいつは敵だよなぁ!?」
「そうだ!」

 豪々吾の確認に、後ろ盾を得たホタルは意気揚々と返事をする。
 七奈豪々吾はいつだって全力だ。
 例え、弱ったアイドル(豪々吾は知らない)が相手でも、大事な後輩を守るためなら容赦はない。
 実際、細かな事情は全く把握していないが、溜まった鬱憤と、自分より強い後輩の声援を受け、イケイケ状態だ。
 精神的にも肉体的にも、今の豪々吾を止められるものは皆無だった。

「任せとけ! 後輩どもの尻拭いは俺様の役目だからなぁあああ!!」

 豪々吾は傲然と快諾すると、爆風を足場に舞い上がる。
 梅雨の夜空を焼き焦がし、真っ赤な火線の尾を引きながら、周囲の炎を吸い寄せるように操り、瞬く間に炎を柱状に固める。
 そして、巨大な紙飛行機でも飛ばすように頭上に火柱を掲げると、つばさ目掛けて一気に振り下ろした。

「灼・熱・暴・力! 灰・燼・火・柱ぁ!!!」

 豪々吾の手を離れた巨大な火柱は、爆発の煽りを受けて急加速。

「ちょっと!? 話をって、こんなのどうしろってんだい!?」

 つばさは情けなく叫びながらも、烈風を巻き起こし応戦する。
 しかし、火柱の勢いは衰えることなく、微かに軌道を逸らすだけに留まる。撃ち落とせないと観念したつばさは、デバイスの出力を最大にして、体を大きく傾けて離脱を試みる。
 かなり強引な回避行動だが、直撃には代えられない。
 が、ただでさえ危うかった片翼飛行は、その急激な動作について行けず、一気にバランスを失う。ほとんど、自滅する形で浮力を失い、つばさは再びクルクルと回転しながら夜の市街地の闇に消えていった。
 そして、的を失った火柱は中空で大爆発を起こし、夜空に彩りを加えた後、ダメ押しと言わんばかりに、衝撃と熱の余波でつばさに追撃を与えた。
 爆音の中に少女の悲鳴が混ざっていた気がしたが、豪々吾は気に留めなかった。
 
「ざっとこんなもんよ。おい、源!?」

 自慢気に振り返った豪々吾が見たのは、透哉を背負ったまま落下を始めたホタルの姿だった。
 豪々吾の勝ちを確信し、安堵したホタルは張り詰めた緊張から解放され、眠るように意識を失っていた。
 慌てた豪々吾は急降下すると、空中で二人を抱き止める。

「ったくよぉ、心配かけさせやがって。 俺、様が、いなかったら……今頃どう、なって――っ」

 救出の余韻に浸る間もなく、蝋燭の火を吹き消したように笑みをなくした。
 暗さで気づかなかっただけで、二人はボロボロだった。全身埃まみれで、体のあちこちに傷があり、着衣も乱れて破けている。
 透哉に至っては真新しい血の跡が残っていた。
 そんな二人の姿に、自分だけが取り残されているような、恐怖すら覚える孤独感に襲われる。
 全く事情を把握していないから、喜びは愚か、一緒に罪を背負うことも出来ない。
 この場において、豪々吾は後片付けに加担しただけの部外者なのだ。たとえ、二人が絶対にそんなことを言わないと理解していても。

「ブラザー、源……なんだよ……何やってたんだよ、オメェらはっ!」

 颯爽と現れ、華麗に救出する、子供が思い描く救世主を演じたと思っていた。
 しかし、実際は甘くなく、理想とかけ離れていた。
 いかに救世主役が華麗に振る舞おうとも、現実と言う生臭さはあっさりと理想を腐食させた。
 まるで違う世界の生き様を見せつけられたように、豪々吾自身の空想が粉々に砕け散った。
 窮地に駆けつけ、やっと追いついた。そう思った矢先、二人はもっと遠い場所を歩んでいた。二人を助けた達成感以上の無力感を豪々吾は味わっていた。
 豪々吾はどうしようもない感情を抱えたまま、八つ当たりのように足の裏を豪快に爆発させ上空へ舞い上がる。
 二人を担いだ豪々吾は有り余る力を糸目なく使い、十二学区を後にした。
 炎が舞い、爆炎が轟き、熱風が吹き荒れ、此度の小旅行に幕を下ろした。

 
 とあるビルの屋上に、空へと伸びる火線を見ている者が居た。
 高所という開けた死角に佇むのは、一人の少女。
 夜風に黒髪を靡かせ、黒い和装のドレスを帯で締めた怪しげなシルエット。

「なかなかいいお友達がいるじゃない。――それにしても、危なっかしいわね、あの二人」

 宇宮湊は不敵な笑みを浮かべながら、攻撃のために・・・・・・構えていた腕を降ろす。
 寒気すらするほど艶やかな薄紫色の魔力は、その色彩とは裏腹に殺意と悪意に満ち満ちていた。
 そして、見上げる双眸は、左右で異なった。
 真っ赤な瞳の左眼と、透明な瞳・・・・の右眼。

「でも、よかった。もう少しで仲間を殺してしまうところだったわ、ふふっ」

 湊は屋上の縁に立ち、パレットを睥睨すると、片翼をもがれて無様に墜落した姿を発見する。黒いボディスーツを纏った少女はよろよろと自力で立ち上がると、小声で毒を吐きながら路地裏に消えていった。

「どうやら無事みたい。これもお友達のお蔭ね……メンバーが欠けてしまってはアイドルグループは締まらないものね?」

 言い終えると、纏っていた薄紫の魔力と一緒に、透明な瞳も息を潜め、元の赤い瞳に戻る。
 殺気に満ちていた表情を一転させると、興味を失った地上から赤のみとなった双眸を虚空に移し、陶酔したように慈しむように目を細める。

「――透哉、強くなりなさい」



 そっと、両手を広げ、祈るように、歌うように囁く。

「そして、目醒めなさい。植え付けられた価値観ではない、自分自身が見つけた価値観に」

 少女の独唱が風に乗り、闇に溶けるころ、少女の姿も屋上から失せていた。
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