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第二章
第24話 幕引き(3)
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3.
「それはそうとミナミトウヤ、君の覚悟と実力は見させて貰ったよ。なかなかじゃない」
「やらせたのは、あんただろ」
好評されているはずなのに気分がよくない。透哉は目を眇めて言い返すが、寝そべったままの殺希は仰向けのまま欠伸を一つ。
ホタルはその自然なやり取りに気味の悪さを覚えた。透哉が既に殺希とのやり取りに手慣れていたからだ。
こんな異常まみれで、だらけ切った殺希の姿を、なんの反応もなしに受け入れられるはずがない。
ホタルが耳にした二人の会話は一言だけだった。
しかし、透哉の口調からは無遠慮ながらも多少の敬意が窺え、殺希も透哉のことをある程度認めている節が見受けられた。
接点を持たない知人がある日突然腕を組んで歩いてくるみたいな、疑義を抱かずにはいられない光景。
話に割って入るのは気が引けたが、確認せずにはいられなかった。
「あなたは、御波を知っているのか?」
「いや、会うのは今日が初めてだよ。存在自体は周知していたけどねー」
「知ってた? 御波を?」
「うんー」
ホタルは怪訝な顔をした。
放置できない大きな矛盾に直面したからだ。
「最近の話なのか? そうでなければ……」
「結構前から知ってたよ~?」
「私が、夜ノ島学園に入る前からなのか?」
「まぁね」
「じゃあ、何故、私を学園に向かわせたのだ? 知っているなら、わざわざ私を入学させる必要はなかっただろう」
小声で糾弾しながら、口調がどんどん早口になっていく。少し前に交わした似たやり取りが脳裏を過ぎる。
ホタルの与えられた役目は、夜ノ島学園に潜んでいる十年前の生き残りの調査と、それに伴った内部の報告。
早い話、御波透哉の発見が主な目的である。
そして、夜ノ島学園への入学から、内部での動きまで全て殺希の指示だったのだ。
ところが殺希の話しだと、ホタルが夜ノ島学園へ入学する段階で、透哉が学園に潜んでいる事実を知っていたことになる。
答えを掌握した上で派遣されたのなら、話は全く別になる。
つまるところ、ホタルを夜ノ島学園へ送り込んでも有益な情報は皆無で、任務ですらなくなる。
ホタルの焦りは隣で聞いていた透哉にも伝染した。
殺希が自分を学園からあぶり出すよう差し向けた張本人と聞かされては、黙って見過ごすことは出来なかった。
「もー、察しがいい子は面倒だなぁ」
ホタルの詰問に殺希は隠す素振りさえ見せず、気だるそうな声で応戦する。喋り口調は変わらないのに、異常なほど熱を欠いていた。
窮地に陥った悪人がいやいや自白するように、ゆっくりと口を開く。
「聞けば夜ノ島学園には、園田の忘れ形見がいるって言うじゃない? 事情が複雑でも、同郷の仲間ができる可能性があるならそれに越したことがないかなーって思っただけだよ?」
「っ!?」
「お友達が出来たらいいなぁと思ってね。ほら、お人形さんでも一人は寂しいでしょ?」
実にあっさりと、一分も誤魔化しを混ぜず殺希は答えた。
ホタルと殺希の間に決定的な歪が生じた瞬間だった。
その歪も、ホタル視点に限ったことで、殺希から見たホタルは何一つ変化はない。
「まあ、結果を知った上でホタルを向かわせたことは悪かったねぇ。確かに私を責めるのは妥当。でもね、私としては好転しようが、しまいがどちらでも良かったんだよ」
徐々に血の気が引いていくホタルの顔を目にしながら、殺希は一切の手心を加えない。そもそも、殺希には悪意がなかった。
ホタルの心情になど全く頓着せず、たまたま伝える機会が訪れたから「折角だし、教えてあげよう」と思って口にしているに過ぎない。
殺希にすれば秘匿すべき繊細な話題などではなかった。話すのが面倒な些細な話し程度なのだ。
そして、殺希はその間にホタルの経過を観察していた。事実を突きつけられたホタルがどうなるのか。
ただ、眺めていた。
仮に廃人になったとしても、実験標本として、観測するだけだった。過去に幾度と見た事例の一つとしてしか考えていない。
「私からすればホタル、君は予期せぬ拾い物なんだよ。メインプランを進める上でちょっとした気分転換みたいなものなんだよ。朝顔の観察日記とか付けたことがあるでしょ? それと同じなんだよ。成否で言うならホタル、君は立派に開花した成功例だけどね」
「気分、転換……朝顔っ?」
「とは言え、元気な姿が見られて私としては満足かなぁ? 髪の色が抜け落ちるほど落ち込んでいた頃を知っている私としてはね」
気が動転する余り、ホタルは言われたことを断片的に復唱することしか出来なかった。
縋る場所を見つけられずに、自分の銀髪を力の限り掴む。
殺希は言い終えると、寝返りをしようとしてベンチから落ちる。うわーと間の抜けた声で廊下に転がり、そのまま床で寝直す。
一人の少女の根幹を揺るがしかねない激白をした直後とは到底思えない。
一方、ホタルが受けた衝撃は計り知れない。
園田がメサイアへの斡旋をした救いの恩師なら、殺希は直接的に何年も世話になった育ての恩師だ。受けた恩情に報いるために学園への潜入捜査と言う、望まぬ任務を引き受けたのに、この仕打ちは何なのか。
自分に与えられたのは危険が伴う使命や命令ではなく、迫力のある絵画の観覧だった。
危険がないと分かって、安全な場所に捨てられた子猫でしかなかったのだ。
「極論、私としてはどちらでもよかったんだよ。ホタル、君が死傷する羽目になったとしても」
その言葉にホタルの背にゾワゾワした悪寒が這い上がる。言葉の意味もそうだが、床で寝返りを打ちながら、本当にどうでもいいように言われた。
叱責を浴びせられたわけでも、罵倒されたわけでもない。
自分と言う存在への無関心がホタルの心の深い部分を抉った。
「まぁ、良かったねぇ、うまくいって。仲間が出来たんでしょ?」
殺希の言葉は素直な賛辞なのかもしれない。
でも、飼育箱の中の実験動物を撫でるような目で、里親が見つかった野良犬に社交辞令を言っている風にしか聞こえなかった。
殺希は目を薄く開き、口を細く開いて笑みをこぼす。
真意は読み取れないが、ホタルは額面通りの意味として受け入れることが出来なかった。
空っぽの喝采に心底恐怖した。
ホタルの目尻から涙が零れる寸前、透哉が沈黙を破る。
「細かい事情は知らねーけど。あんたには感謝する。おかげで俺は源に出会うことが出来た。源の存在は俺にとって希望なんだ」
「はははっ、楽しいねぇ」
ホタルを庇い、躍り出た透哉を殺希は笑う。
少女の危機に現われるヒーローと言う、ベタで稚拙な寸劇が純粋に馬鹿馬鹿しくて面白かったのだ。
「あんまりふざけたこと言ってると、この場で切り飛ばすぞ?」
「おい、御波!?」
狼狽えるホタルの声には耳を貸さず、透哉は躊躇なく『雲切』抜いた。
そして、透明な刀の切っ先を寝転んだままの殺希に突きつける。
「へぇ、そんなこと出来るんだ……私に向けて?」
殺希の虚ろな声が、途端に実体を持ったように重みを増す。床に這う三つ編みが、毒蛇が跳ねるように一瞬で逆立つ。
通風口に立たされ、真下から強風に煽られたみたいに殺気が噴き上がってきた。
プレッシャーに耐えかねたホタルは、思わず跳んで退いた。
透哉は『雲切』を構えたまま、微動だにせず、そのプレッシャーに耐えた。
その姿に殺希は歯を剥き出しにして嗤う。
「ほうほう、ほうほうっ! 一皮剥けて勢い付いちゃった? それとも女の子の前で強がりたいのかなぁ? いずれにしても、命は大切にしなよ~」
「テメェこそ、命賭けるだけの暴言を吐いた自覚がねぇのか?」
「……そうだったね。君はその子のために一度捨て身をしたんだったね」
俄然鋭さを増す透哉の透明な眼光には、脅しの領域を超えたぎらつく殺意が満ちていた。殺希の失言一つで、己の存在を賭して戦う覚悟が透哉の中で固まっていた。
殺希は何かに合点がいったのか、挑発的な言葉を片付け、
「でも、物騒なことは考えない方がいいよ。君が暴れたところで結果を生まないことは、自分でも分かっているでしょ?」
刹那見せた殺気を嘘のように消し、間延びした声で牽制した。
そんな一触即発の中、電子音が横槍を入れる。
『めんこーい! どっこいしょー!』
「済まない、私だ」
「あんた、なんて着信音にしてんだよ」
緊迫した空気を破壊したのは殺希のスマホだった。『めんこい娘の麺恋!どっこいしょ音頭』を爆音で発し続けるスマホを、三つ編みの間から取り出す。
「いや、どこに入れてんだよ」
「髪の毛が長いのって便利だよ?」
余りの急転に、ツッコミマシーンと化す透哉。
一方、どっこいしょを知らないホタルは泣きそうな顔で狼狽えているが、殺希は無視して通話に入る。
「もしもし、私だよー。うん、無事。でもね、大事な研究データが詰め込まれたメモリーカードが奪われてしまってねぇ、困ったことになったよ。うんうん、そうなんだよねー」
白々しい見え透いた嘘だったが、会話の相手は殺希の言い分を鵜呑みにしているらしく、話はトントン拍子に進む。
透哉は心当たりを聞こうと、隣に視線を向けたが、ホタルは首を左右に振り、揃って首を傾げることになる。
立ち聞きしている透哉とホタルには話が全く見えなかった。
「賊はたった今上階に逃げたよ。悪いけど、地上で待ち伏せして捕まえてくれるかなぁ? 私? 余りの惨状にまともに動けそうもないから任せたよ?」
『ええぇ!? サツキ所長でも手に終えないって本当に大丈夫なんですか!?』
のんびりと喋る殺希とは真逆で、相手側の声はひどく慌てていた。終始首を傾げる透哉とホタルをほったらかしにしたまま、床に仰向けに寝転んだ殺希はやり取りを終える。
「何だよ、今のは?」
「んー? とりあえず私は被害者面させて貰うよ」
「……話が見えねぇんだが?」
「言ったでしょ? 賊が侵入してきて大事なものを盗まれたって、設定」
殺希はちらりとホタルに目を転じる。
連れ込まれた透哉とは違い、セキュリティに干渉し、破壊したホタルは明確な侵入者だが、何も盗んではいない。
「ホタル、君は少々派手に侵入しすぎたね。余計なお客様が来ちゃったでしょ?」
殺希はペットの猫でも叱るように言う。
透哉救出のための特攻とは言え、客観に賊と言われれば言い返すことは出来ない。しかし、殺希にホタルを咎める意図はなかった。
むしろ、二人を侵入者に仕立て上げ逃がすことで、警備隊を欺く嘘の筋書きを咄嗟に構築したのだ。
「とりあえずこれを持って行ってね。被害者面させて貰うための小道具だよ」
殺希は脱力した物言いからは予想できない速さで、何かを投げ付ける。
透哉が反射的に受け取ったそれは、パシッと小気味よい音を鳴らして手の中に収まった。手を開くと小さな黒いメモリーカードだった。
「なんだよ、これ?」
「言ったでしょ? 大事なメモリーカードを盗まれたって」
大事なと強調する辺りから胡散臭さが滲み出ている。
殺希が通話相手に口走った妙に具体性のある即興の嘘は、真実になり変わろうとしていた。
「つまり、データを盗んだ侵入者の振りをして警備網を突破して帰れってことか?」
「そーだよ。帰るまでが遠足ってことだね。君たちとの関わりが露呈するのは都合が悪いからねぇ。十二学区の包囲網、しっかり味わって帰るといいよぉ?」
「ずいぶん頭の回転が早いことで」
「もう少しのんびり話しをしたかったけど、お別れの時間だねぇ」
透哉の皮肉をさらりと聞き流し、緊張感も名残惜しさも皆無の声で言う。
「こんな回りくどいことしなくても、裏からこっそり逃がしてくれりゃいんじゃねーのか?」
「それだと私が賊との関わりを疑われるでしょ?」
「保身のためかよ!?」
「それ、わざわざ説明が必要? 私は君の味方だよぉ? だけど、表向きはきっちり繕っておかないと」
「しっかりと敵対関係を演じておきたいってことか?」
透哉の問いに、殺希は目を閉じたままにんまりと笑みを浮かべて首を縦に振る。
改めて手にしたメモリーカードに視線を落とすと、途端に殺希の言い逃れアイテムに見えてくるから不思議だ。
「堂々と被害者面するためにはそれらしい盗品の一つないとねぇ。見た目は大したことないけど、客観的には重要機密を持ち出した風に映るからねぇ」
「信憑性を買うためのダミーとしては申し分ないってわけか」
「いや、中身はちゃんと大事なものだから、肌身は出さず持っておくように。絶対になくしちゃダメだよ?」
「分かったよ」
妙な釘の刺され方に透哉は首を傾げるが、時間は余り残されていなかった。
透哉は素早くホタルを連れだっての逃避行へと意識を切り替えた。
「あと、『戦犬隊』とか他にも色々襲いかかってくると思うけど頑張ってね? 殺しても私には影響ないから、その辺は適宜よろしく頼むよ?」
「ふわっと無茶苦茶じゃねーか!? クソ、行くぞ源!」
「あぁ、分かった!」
最後の最後まで言動に難がある殺希に、半ばヤケクソになりながら返事し、透哉はホタルを促した。
「ホタル」
駆け出そうと足に力を込めた矢先、小さな呼びかけにホタルは肩をびくつかせながら振り返る。聞こえなかった振りをして走り去りたい気持ちを押え、向き直る。
透哉の介入で多少の落ち着きを取り戻したものの、未だ全く整理が付かない心のまま、カーキコートの『悪夢』に対峙する。
しかし、身構えたホタルとは裏腹に殺希の声は穏やかだった。
「今の君が、私の言葉をどこまで信じられるか分からないが、一応言っておくよ?」
「 ――はい」
「もう私のところには帰ってこなくていいよ」
「え、それは」
「悪く言えば波紋。良く言えば解放かなぁ?」
「しかし、殺希さん……」
「君はもう私に縛られずに自由に生きていい、ということだよ。ほら、仲間が待っている」
唐突な決別にホタルは、碌な言葉を残せなかった。
怯えと戸惑い入り交じる顔のまま、深々と頭を下げることでしか気持ちを表せなかった。
「困ったときは君から訪ねてくるといい。話くらいは聞いてあげるよ」
「はいっ!」
一際大きい声で応え、恩師の元から走り出す。
一度も振り返らず、透哉の元へ、仲間の元へ。
「……まさか私がこんな感傷に浸るなんてねぇ。娘が巣立っていくのはこんな感じなのかな?」
殺希は遠のいていく二つの足音を耳にしながら、仰向けのまま自嘲する。
カーキコートの『悪夢』は変わらず寝転んだまま、少女の門出を祝福した。
「それはそうとミナミトウヤ、君の覚悟と実力は見させて貰ったよ。なかなかじゃない」
「やらせたのは、あんただろ」
好評されているはずなのに気分がよくない。透哉は目を眇めて言い返すが、寝そべったままの殺希は仰向けのまま欠伸を一つ。
ホタルはその自然なやり取りに気味の悪さを覚えた。透哉が既に殺希とのやり取りに手慣れていたからだ。
こんな異常まみれで、だらけ切った殺希の姿を、なんの反応もなしに受け入れられるはずがない。
ホタルが耳にした二人の会話は一言だけだった。
しかし、透哉の口調からは無遠慮ながらも多少の敬意が窺え、殺希も透哉のことをある程度認めている節が見受けられた。
接点を持たない知人がある日突然腕を組んで歩いてくるみたいな、疑義を抱かずにはいられない光景。
話に割って入るのは気が引けたが、確認せずにはいられなかった。
「あなたは、御波を知っているのか?」
「いや、会うのは今日が初めてだよ。存在自体は周知していたけどねー」
「知ってた? 御波を?」
「うんー」
ホタルは怪訝な顔をした。
放置できない大きな矛盾に直面したからだ。
「最近の話なのか? そうでなければ……」
「結構前から知ってたよ~?」
「私が、夜ノ島学園に入る前からなのか?」
「まぁね」
「じゃあ、何故、私を学園に向かわせたのだ? 知っているなら、わざわざ私を入学させる必要はなかっただろう」
小声で糾弾しながら、口調がどんどん早口になっていく。少し前に交わした似たやり取りが脳裏を過ぎる。
ホタルの与えられた役目は、夜ノ島学園に潜んでいる十年前の生き残りの調査と、それに伴った内部の報告。
早い話、御波透哉の発見が主な目的である。
そして、夜ノ島学園への入学から、内部での動きまで全て殺希の指示だったのだ。
ところが殺希の話しだと、ホタルが夜ノ島学園へ入学する段階で、透哉が学園に潜んでいる事実を知っていたことになる。
答えを掌握した上で派遣されたのなら、話は全く別になる。
つまるところ、ホタルを夜ノ島学園へ送り込んでも有益な情報は皆無で、任務ですらなくなる。
ホタルの焦りは隣で聞いていた透哉にも伝染した。
殺希が自分を学園からあぶり出すよう差し向けた張本人と聞かされては、黙って見過ごすことは出来なかった。
「もー、察しがいい子は面倒だなぁ」
ホタルの詰問に殺希は隠す素振りさえ見せず、気だるそうな声で応戦する。喋り口調は変わらないのに、異常なほど熱を欠いていた。
窮地に陥った悪人がいやいや自白するように、ゆっくりと口を開く。
「聞けば夜ノ島学園には、園田の忘れ形見がいるって言うじゃない? 事情が複雑でも、同郷の仲間ができる可能性があるならそれに越したことがないかなーって思っただけだよ?」
「っ!?」
「お友達が出来たらいいなぁと思ってね。ほら、お人形さんでも一人は寂しいでしょ?」
実にあっさりと、一分も誤魔化しを混ぜず殺希は答えた。
ホタルと殺希の間に決定的な歪が生じた瞬間だった。
その歪も、ホタル視点に限ったことで、殺希から見たホタルは何一つ変化はない。
「まあ、結果を知った上でホタルを向かわせたことは悪かったねぇ。確かに私を責めるのは妥当。でもね、私としては好転しようが、しまいがどちらでも良かったんだよ」
徐々に血の気が引いていくホタルの顔を目にしながら、殺希は一切の手心を加えない。そもそも、殺希には悪意がなかった。
ホタルの心情になど全く頓着せず、たまたま伝える機会が訪れたから「折角だし、教えてあげよう」と思って口にしているに過ぎない。
殺希にすれば秘匿すべき繊細な話題などではなかった。話すのが面倒な些細な話し程度なのだ。
そして、殺希はその間にホタルの経過を観察していた。事実を突きつけられたホタルがどうなるのか。
ただ、眺めていた。
仮に廃人になったとしても、実験標本として、観測するだけだった。過去に幾度と見た事例の一つとしてしか考えていない。
「私からすればホタル、君は予期せぬ拾い物なんだよ。メインプランを進める上でちょっとした気分転換みたいなものなんだよ。朝顔の観察日記とか付けたことがあるでしょ? それと同じなんだよ。成否で言うならホタル、君は立派に開花した成功例だけどね」
「気分、転換……朝顔っ?」
「とは言え、元気な姿が見られて私としては満足かなぁ? 髪の色が抜け落ちるほど落ち込んでいた頃を知っている私としてはね」
気が動転する余り、ホタルは言われたことを断片的に復唱することしか出来なかった。
縋る場所を見つけられずに、自分の銀髪を力の限り掴む。
殺希は言い終えると、寝返りをしようとしてベンチから落ちる。うわーと間の抜けた声で廊下に転がり、そのまま床で寝直す。
一人の少女の根幹を揺るがしかねない激白をした直後とは到底思えない。
一方、ホタルが受けた衝撃は計り知れない。
園田がメサイアへの斡旋をした救いの恩師なら、殺希は直接的に何年も世話になった育ての恩師だ。受けた恩情に報いるために学園への潜入捜査と言う、望まぬ任務を引き受けたのに、この仕打ちは何なのか。
自分に与えられたのは危険が伴う使命や命令ではなく、迫力のある絵画の観覧だった。
危険がないと分かって、安全な場所に捨てられた子猫でしかなかったのだ。
「極論、私としてはどちらでもよかったんだよ。ホタル、君が死傷する羽目になったとしても」
その言葉にホタルの背にゾワゾワした悪寒が這い上がる。言葉の意味もそうだが、床で寝返りを打ちながら、本当にどうでもいいように言われた。
叱責を浴びせられたわけでも、罵倒されたわけでもない。
自分と言う存在への無関心がホタルの心の深い部分を抉った。
「まぁ、良かったねぇ、うまくいって。仲間が出来たんでしょ?」
殺希の言葉は素直な賛辞なのかもしれない。
でも、飼育箱の中の実験動物を撫でるような目で、里親が見つかった野良犬に社交辞令を言っている風にしか聞こえなかった。
殺希は目を薄く開き、口を細く開いて笑みをこぼす。
真意は読み取れないが、ホタルは額面通りの意味として受け入れることが出来なかった。
空っぽの喝采に心底恐怖した。
ホタルの目尻から涙が零れる寸前、透哉が沈黙を破る。
「細かい事情は知らねーけど。あんたには感謝する。おかげで俺は源に出会うことが出来た。源の存在は俺にとって希望なんだ」
「はははっ、楽しいねぇ」
ホタルを庇い、躍り出た透哉を殺希は笑う。
少女の危機に現われるヒーローと言う、ベタで稚拙な寸劇が純粋に馬鹿馬鹿しくて面白かったのだ。
「あんまりふざけたこと言ってると、この場で切り飛ばすぞ?」
「おい、御波!?」
狼狽えるホタルの声には耳を貸さず、透哉は躊躇なく『雲切』抜いた。
そして、透明な刀の切っ先を寝転んだままの殺希に突きつける。
「へぇ、そんなこと出来るんだ……私に向けて?」
殺希の虚ろな声が、途端に実体を持ったように重みを増す。床に這う三つ編みが、毒蛇が跳ねるように一瞬で逆立つ。
通風口に立たされ、真下から強風に煽られたみたいに殺気が噴き上がってきた。
プレッシャーに耐えかねたホタルは、思わず跳んで退いた。
透哉は『雲切』を構えたまま、微動だにせず、そのプレッシャーに耐えた。
その姿に殺希は歯を剥き出しにして嗤う。
「ほうほう、ほうほうっ! 一皮剥けて勢い付いちゃった? それとも女の子の前で強がりたいのかなぁ? いずれにしても、命は大切にしなよ~」
「テメェこそ、命賭けるだけの暴言を吐いた自覚がねぇのか?」
「……そうだったね。君はその子のために一度捨て身をしたんだったね」
俄然鋭さを増す透哉の透明な眼光には、脅しの領域を超えたぎらつく殺意が満ちていた。殺希の失言一つで、己の存在を賭して戦う覚悟が透哉の中で固まっていた。
殺希は何かに合点がいったのか、挑発的な言葉を片付け、
「でも、物騒なことは考えない方がいいよ。君が暴れたところで結果を生まないことは、自分でも分かっているでしょ?」
刹那見せた殺気を嘘のように消し、間延びした声で牽制した。
そんな一触即発の中、電子音が横槍を入れる。
『めんこーい! どっこいしょー!』
「済まない、私だ」
「あんた、なんて着信音にしてんだよ」
緊迫した空気を破壊したのは殺希のスマホだった。『めんこい娘の麺恋!どっこいしょ音頭』を爆音で発し続けるスマホを、三つ編みの間から取り出す。
「いや、どこに入れてんだよ」
「髪の毛が長いのって便利だよ?」
余りの急転に、ツッコミマシーンと化す透哉。
一方、どっこいしょを知らないホタルは泣きそうな顔で狼狽えているが、殺希は無視して通話に入る。
「もしもし、私だよー。うん、無事。でもね、大事な研究データが詰め込まれたメモリーカードが奪われてしまってねぇ、困ったことになったよ。うんうん、そうなんだよねー」
白々しい見え透いた嘘だったが、会話の相手は殺希の言い分を鵜呑みにしているらしく、話はトントン拍子に進む。
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立ち聞きしている透哉とホタルには話が全く見えなかった。
「賊はたった今上階に逃げたよ。悪いけど、地上で待ち伏せして捕まえてくれるかなぁ? 私? 余りの惨状にまともに動けそうもないから任せたよ?」
『ええぇ!? サツキ所長でも手に終えないって本当に大丈夫なんですか!?』
のんびりと喋る殺希とは真逆で、相手側の声はひどく慌てていた。終始首を傾げる透哉とホタルをほったらかしにしたまま、床に仰向けに寝転んだ殺希はやり取りを終える。
「何だよ、今のは?」
「んー? とりあえず私は被害者面させて貰うよ」
「……話が見えねぇんだが?」
「言ったでしょ? 賊が侵入してきて大事なものを盗まれたって、設定」
殺希はちらりとホタルに目を転じる。
連れ込まれた透哉とは違い、セキュリティに干渉し、破壊したホタルは明確な侵入者だが、何も盗んではいない。
「ホタル、君は少々派手に侵入しすぎたね。余計なお客様が来ちゃったでしょ?」
殺希はペットの猫でも叱るように言う。
透哉救出のための特攻とは言え、客観に賊と言われれば言い返すことは出来ない。しかし、殺希にホタルを咎める意図はなかった。
むしろ、二人を侵入者に仕立て上げ逃がすことで、警備隊を欺く嘘の筋書きを咄嗟に構築したのだ。
「とりあえずこれを持って行ってね。被害者面させて貰うための小道具だよ」
殺希は脱力した物言いからは予想できない速さで、何かを投げ付ける。
透哉が反射的に受け取ったそれは、パシッと小気味よい音を鳴らして手の中に収まった。手を開くと小さな黒いメモリーカードだった。
「なんだよ、これ?」
「言ったでしょ? 大事なメモリーカードを盗まれたって」
大事なと強調する辺りから胡散臭さが滲み出ている。
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「そーだよ。帰るまでが遠足ってことだね。君たちとの関わりが露呈するのは都合が悪いからねぇ。十二学区の包囲網、しっかり味わって帰るといいよぉ?」
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「こんな回りくどいことしなくても、裏からこっそり逃がしてくれりゃいんじゃねーのか?」
「それだと私が賊との関わりを疑われるでしょ?」
「保身のためかよ!?」
「それ、わざわざ説明が必要? 私は君の味方だよぉ? だけど、表向きはきっちり繕っておかないと」
「しっかりと敵対関係を演じておきたいってことか?」
透哉の問いに、殺希は目を閉じたままにんまりと笑みを浮かべて首を縦に振る。
改めて手にしたメモリーカードに視線を落とすと、途端に殺希の言い逃れアイテムに見えてくるから不思議だ。
「堂々と被害者面するためにはそれらしい盗品の一つないとねぇ。見た目は大したことないけど、客観的には重要機密を持ち出した風に映るからねぇ」
「信憑性を買うためのダミーとしては申し分ないってわけか」
「いや、中身はちゃんと大事なものだから、肌身は出さず持っておくように。絶対になくしちゃダメだよ?」
「分かったよ」
妙な釘の刺され方に透哉は首を傾げるが、時間は余り残されていなかった。
透哉は素早くホタルを連れだっての逃避行へと意識を切り替えた。
「あと、『戦犬隊』とか他にも色々襲いかかってくると思うけど頑張ってね? 殺しても私には影響ないから、その辺は適宜よろしく頼むよ?」
「ふわっと無茶苦茶じゃねーか!? クソ、行くぞ源!」
「あぁ、分かった!」
最後の最後まで言動に難がある殺希に、半ばヤケクソになりながら返事し、透哉はホタルを促した。
「ホタル」
駆け出そうと足に力を込めた矢先、小さな呼びかけにホタルは肩をびくつかせながら振り返る。聞こえなかった振りをして走り去りたい気持ちを押え、向き直る。
透哉の介入で多少の落ち着きを取り戻したものの、未だ全く整理が付かない心のまま、カーキコートの『悪夢』に対峙する。
しかし、身構えたホタルとは裏腹に殺希の声は穏やかだった。
「今の君が、私の言葉をどこまで信じられるか分からないが、一応言っておくよ?」
「 ――はい」
「もう私のところには帰ってこなくていいよ」
「え、それは」
「悪く言えば波紋。良く言えば解放かなぁ?」
「しかし、殺希さん……」
「君はもう私に縛られずに自由に生きていい、ということだよ。ほら、仲間が待っている」
唐突な決別にホタルは、碌な言葉を残せなかった。
怯えと戸惑い入り交じる顔のまま、深々と頭を下げることでしか気持ちを表せなかった。
「困ったときは君から訪ねてくるといい。話くらいは聞いてあげるよ」
「はいっ!」
一際大きい声で応え、恩師の元から走り出す。
一度も振り返らず、透哉の元へ、仲間の元へ。
「……まさか私がこんな感傷に浸るなんてねぇ。娘が巣立っていくのはこんな感じなのかな?」
殺希は遠のいていく二つの足音を耳にしながら、仰向けのまま自嘲する。
カーキコートの『悪夢』は変わらず寝転んだまま、少女の門出を祝福した。
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書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
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そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
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今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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